ベルリン発、DJ・バンド集団、ジャザノヴァが模索するデトロイトジャズの再構築と日本への思い

ドイツが誇るジャズのヒーロー、ジャザノヴァ(Jazzanova)が帰って来た! 彼らは、ジャイルス・ピーターソンやセオ・パレッシュの重鎮らのご用達の「ストラタ(STRATA)」のレーベル部門で発表された音源を厳選し、再構築したスペシャルプロジェクトをコロナ禍中に手掛けた。「ストラタ」とは、デトロイトで1960年代末の衰退から復興をささげるために創立されたが短命に終わった、この街のジャズの真髄に迫りつつ、多種な事業を営む、先駆的な共同体でもある。

このスペシャルプロジェクトを発案したのは、同レーベルの音源を管理しているDJアミールが主宰する「180 Proof Records」と「BBE Music」がタッグを組んで実現し、『Strata Records – The Sound Of Detroit – Reimagined By Jazzanova』を発表した。

ジャザノヴァと親交が深い、Kyoto Jazz Massive(キョウト・ジャズ・マッシヴ)の沖野修也は本作について、こう褒めたたえている。「創造的再生が、時代とジャンルを超えた! ジャザノヴァによるストラタ・レコードの再解釈は、極上の音楽体験を与えてくれる」。

また、あのザ・ルーツ(THE ROOTS)のドラマー・プロデューサーであるクエストラヴからは、「大昔からのジャザノヴァの大ファンとして、彼らからは超一流な品質の音楽の卓越性と他ならない完成度を常に期待しており、この新作もまったくいつも通り変わらない、最高品質な作品に仕上がっている。本作にはまた彼らの豊富な成熟ぶり、進化した成長と限界に挑む姿勢が大いに盛り込まれながら、彼らの心の奥底から来ている音楽創造の姿勢に対する使命に忠実であり続けている姿を明確に表している」と絶賛している。

そのジャザノヴァは、本作の発売と同時にツアーに出ており、欧州各地のジャズフェスやロンドンのジャズカフェで大盛況に終わった公演を行っている。

今回はそのツアーの最中、グループのスポークスマンであるステファン・ライゼリングとステファン・ウルリッヒの2人に、グループの近況や新作について、そして彼らの日本に対する思いについてメールインタビューを行った。

ジャザノヴァ
1995年にベルリンで、5人のDJ、ミュージシャンとプロデューサーからなるオリジナルメンバーが共有するファンク、ジャズ、ディスコ、ラテンなど、さまざまな音楽に対する愛情に感化されたダンスミュージックを創造するために結成。当初はDJクルーとして結成され、翌年には制作チームへと発展。1998年にソナー・コレクティヴという共同体兼レーベルを設立。『In Between』『Of All The Things』、ヴォーカリスト、ポール・ランドルフとのコラボ作『Funkhaus Studio Sessions』『The  Pool』の4枚のオリジナルアルバムをリリースしている。2009年にはグループの進化をとげ、ツアーができる本格的なバンド活動も始め、日本では「ブルー・ノート 東京」「ビルボードライブ」でのライヴやフジロックフェスティバルに出演している。

最新作のリリースにいたるまでとコロナ禍での制作について

ジャザノヴァの最新作『Strata Records – The Sound Of Detroit – Reimagined By Jazzanova』

——新作は、デトロイトのレーベル、「ストラタ」からリリースされた曲を再構築したものになります。なぜ、ベルリンを拠点に活動されているジャザノヴァが手掛けることになったのでしょうか。

ステファン・ライゼリング(以下、ライゼリング):DJアミールが僕らに2020年の初めに連絡してくれて、今回のプロジェクトが始まりました。彼は数年前からベルリンに住んでいるんですよね。そのアミールは、2013年に立ち上げたレーベル「180 Proof Records」で、ストラタ・レコードの旧譜カタログの再発を行うと同時に、未発表音源も発表していました。

それで僕らジャザノヴァのメンバーは、全員レコードディガーでありコレクターなので、ストラタ・レコードのレアで、あまり知られていないレコードのことを知っていました。しかも大好きでしたので、僕らはアミールのプロジェクトに参加することを即決したんですよね。またジャザノヴァ・ライヴ・バンドのメンバーも、このプロジェクトに賛同してくれて、本作が誕生しました。

——選曲選びは大変だったかと思いますが、どういったコンセプトで選曲し、どのような形で制作を進めていったのでしょうか。

ステファン・ウルリッヒ(以下、ウルリッヒ):それほど難しい作業ではありませんでした。選曲にあたっては、メンバーそれぞれでどの楽曲を再構築したいのかを考えて、さらにバンドとしてもし演奏した場合、音楽的な観点でもっともふさわしい楽曲はどれなのかをも考慮して、レーベルのカタログ内からお気に入りの曲を選びました。幸運にもそれぞれが選んだ楽曲に多くの重複がありました。

——では、再構築するにあたって、こだわった点をお聞かせください。

ウルリッヒ:僕らは原曲からあまりかけ離れようとせず、またあからさまに楽曲を単調に再演するようなことにならないよう、再構築しようとした各楽曲の本質をキャッチすることを心掛けました。基本的に冒険と安全のバランスを取りながら、うまく両立させようとしました。

——改めてストラタからリリースされている曲を聴いてみて、どのような印象や思いがありましたか。

ウルリッヒ:改めてストラタのカタログの音源を聴き直してと気付いたことは、当時、彼らの音楽スタイルに対する守備範囲がいかに幅広く網羅していたのかに驚きました。そして、どうしてこのレーベルと発表された音源がこれまで長い間あまり知られておらず、また発見されていなかったのかが謎でしようがないです。

——そして、本作はコロナ禍での制作でしたが、苦労されたことや現在のベルリンの状況はいかがでしょうか。

ウルリッヒ:コロナ禍もあって、本作の録音に参加したメンバーは、簡単にそろうことができました。なぜなら普段とは違い、それぞれツアーに出ておらず、また他の用事で忙しくもなかったので、たっぷり時間がありました。また、このコロナ禍最中にレコーディングをすることも容易にできました。一方でもちろん、このウイルスに対する多くの不安はあり、感染する危険性に対してどう対処するかも心配でした。なので安全対策は徹底的にとって、レコーディング期間中は参加者全員、頻繁に検査を受けました。

今、ベルリンではほとんどの制限が解除されていて、みんなコロナに対して、なごやかな印象です。また最近、クラブやバーのほとんどがリオープンしています。ですが、街はコロナ禍前の状況には戻れないような感じはしていて。それはこのコロナの流行だけでなく、他の理由も生じているからです。なのでコロナ禍前からの多くの変化により、クラブシーンが多大な被害を受け、以前と比べれば、快活さと魅力を失ったように感じています。

——本作をどのように聴いてほしいですか。

ウルリッヒ:夕食をとっている最中や友人と一緒に過ごしている時など、幅広い状況でも本作はマッチするはずです。また、平日の夜に居間のソファに座りながら、ワインを1杯飲む時に没頭するのも楽しいかと思います。

ジャザノヴァ 「Saturday Night Special」

日本での思い出に残るエピソードや好きな音楽について

——ここからは日本のことについて聞かせてください。ジャザノヴァはこれまでに何度か来日されています。日本で思い出に残るエピソードや好きなところはありますか。

ライゼリング:私は2002年にジャザノヴァの1作目、『In-Between』のプロモーションで初めて日本に行きました。それ以降、特に2009年からは、ジャザノヴァ・ライヴ・バンドで、ブルー・ノートとビルボード・ライヴ(東京、大阪と名古屋)でライヴをするためにも訪れました。主にライヴが目的でしたが、時間がある時にはレコード屋巡りをしたり、人生でもっとも忘れられない、最高の料理体験ができました。滞在中は、おいしくない食事は一切なかったです!! それは、ラーメンやお好み焼、天ぷら、お寿司とその他たくさんの和食を堪能しました。その来日時には、ドイツのバームクーヘンが日本では大人気だと知ったのですが、日本で作っている抹茶味のバームクーヘンは、伝統的なドイツ版よりもっとおいしいと思いましたね。

でももっとも好きな日本の体験は、2013年にフジロック・フェスティバルでプレイした時です。近々、またフジロックでライヴができたら最高です。

——ちなみに初めての日本文化との出会いはなんでしょうか?

ライゼリング:私の日本文化との出会いは、6、7歳の頃に2年間柔道を習ったことです。恥ずかしながら、黄色の帯までしかいけませんでした(笑)。そして、初めて教わった日本語は、おそらく「出足払」と「浮腰」だと思います。

他にも子どもの頃に、『アルプスの少女ハイジ』といったの子ども向けのアニメもテレビで観ました。

——では日本のジャズシーンや音楽はどうでしょうか。好きなアーティストや影響を受けたアーティストはいますか。

ライゼリング:日本のジャズシーンで活躍している新しいアーティストに関してはそれほど知らないのですが、友達でもある沖野修也と好洋による、Kyoto Jazz Massive、Quasimode(クオシモード)、Sleepwalker(吉澤はじめ)などは、フォローしています。

そしていつも感じているのは、日本のミュージシャンやDJ、レコードコレクターから伝わってくるエネルギーと献身さがとても好きです。私のレコードコレクションの中にも、1960年代から1980年代の日本のジャズのレコードがあります。

——日本の音楽との初めて出会いはどうですか。

ライゼリング:10歳ぐらいの頃(1980年代の中旬)に、両親が伝統的な日本の打楽器の演奏会に連れて行ってくれましたよ。子どもとしてはすごく刺激的だった。そして、13歳(1987年)の頃には、デヴィッド・シルビアンと坂本龍一のコラボレーション曲「Forbidden Colours」を聴くのがとても好きだった。さらに1990年代になってから知ったのは、ピチカート・ファイヴだったけど、その後テイ・トウワやUFO、DJ KRUSHといった音にも出会えたよ。

——これは2人にお聞きしたいのですが、日本の音楽で好きな5曲を教えてほしいです。

ライゼリング:あまりにも多くの日本の音楽が好きなので、史上最高のリストを作るのは困難ですが、今気に入っている作品はこちらです。特に「カレーライス」は、何を歌っているのか知りたいほど、素晴らしい曲です。

1.ムクワジュ・アンサンブル 「Mkwaju」(1981)
2.白木秀雄クインテット 「さくらさくら」(1965)
3.佐藤博 「Say Goodbye」(1985)
4.益田幹夫 「Let‘s Get It Together」(1976)
5.遠藤賢司 「カレーライス」(1971)

ウルリッヒ:恥ずかしながら、私は日本の音楽との接点は、あまり強くないです。しかし、このコロナ禍のある時期に、1980年代の日本のアンビエントミュージックにハマりました。その時期に発見して好きになった作品はこちらです。坂本龍一の「Bibo no Aozora」は、昔から気に入っています。

1.吉村弘 「Clouds」(1982)
2.芦川聡 「Wrinkle」(1982)
3.細野晴臣 「Talking」(1984)
4.坂本龍一 「Bibo no Aozora」(1995)
5.稲垣次郎とソウル・メディア 「Breeze」(1975)

——ありがとうございます。最後になりますが、日本をはじめ世界中のファンがジャザノヴァのライヴを待ち望んでいると思いますが、メッセージを聞かせてください。そしてこれからどのようなライヴをしたいですか。

ウルリッヒ:まず断言したいのですが、メンバー全員が日本と、そして日本でツアーをすることが大好きです。ですので、われわれはまた日本に戻ることを楽しみにしています。そしてわれわれのファンにはぜひともご期待していただきたいです。

今まで常にジャザノヴァ自身のサウンドを可能な限り、ステージで再現しようと目指してきました。しかし今回のツアーでは、普段のアプローチから少し変えています。それは演奏しながらバンド自体が発展できるように十分なスペースを確保していて、より自由に新たな領域を発見できるように、よりジャジーなヴァイブズを打ち出そうと試みています。

author:

日高健介

フリーランスの音楽コーディネイター、A&R、再発監修者、ライター、通訳、DJ。長年日本と海外の音楽シーンをつなぐ重要な役割を担う。老舗海外インディレーベルの再発の契約交渉や監修および解説書の執筆、多数の著名なDJのミックスCDを制作する。また、近年海外レーベルが再発している、日本の旧音源を確保するコーディネーターとしても活躍している。

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