連載「時の音」Vol.15 “Be Here Now” 美術家・横尾忠則が自身の創作活動を振り返って今、思うこと

その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回は美術家の横尾忠則が登場。1960年代初頭からグラフィック・デザイナーやイラストレーターとして活動し、60年以上にもわたりキャリアを積み重ねてきた。日本では概念派と呼ばれるコンセプチュアルな作品が多かった1960年代において、当時の美術では考えられない色彩感覚と複雑な構図の作品は世界中を驚かせた。ニューヨーク近代美術館のピカソの回顧展に衝撃を受け、1981年に商業デザインから身を引く、いわゆる「画家宣言」を発表して以来、絵画に全力を注ぎ続けているのは有名な話。

現在、過去最大規模の展覧会「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」を東京都現代美術館で開催している。愛知県美術館から巡回した展示は、作品の半数以上を入れ替え、幼少期から展覧会の開幕3週間前に描いたという新作まで、総数603点の作品に圧倒される。同期間中に21_21 DESIGN SIGHTで開催されている、カルティエ現代美術館の依頼でアーティストや哲学者、科学者など、横尾が描いた肖像画のシリーズ全139作品を展示する「The Artists」では、肖像画はキャンバスを実験的な遊び場に変えてユニークなキャラクターの個性や特異性を表現している。また、横尾作品を通じて「芸術」と「恐怖」との関係性について考察する「横尾忠則の恐怖の館」が横尾忠則現代美術館で開催中。

あらゆるスタイルを持たず、言語化することを捨て、煩悩から離れて身体の赴くままに描いた作品は、世界中のクリエイターに多大な影響を与え続ける。そんな横尾に美術家として自身の創作活動を振り返ってもらった。

「僕の作品はむしろ意味の否定なので、主題は何でもよかった」

−−「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」のテーマは作品による自伝ですが、この状況で集大成といえる、過去最大規模の展示を開催しようと思ったきっかけを教えてください。

横尾忠則(以下、横尾):愛知県美術館で立ち上げた時は自伝色が濃かったんですが、都現美(東京都現代美術館)では、自伝色を一切排除しました。テーマでかなり無理なところがあるとは感じていたんです。なぜなら、テーマ性は僕の作品にとってそれほど重要じゃないんですよね。何を描くかより、いかに描くか。さらにいかに生きるかを見せる必要があったから。なので、都現美の展示はほぼ制作順に並べたために、作品の様式の変化を伝えることができました。

−−展覧会は絵画作品についても文学作品についても、イメージの源泉である「原郷」、変幻自在で新鮮な驚きをもたらしてくれる「幻境」、発表する時としての「現況」というような概念が意味を持っている気がしますが、GENKYOというタイトルにしたのはなぜでしょうか?

横尾:僕にとって“原郷”とはインスピレーションの源泉。“幻境”は個人的には主張する必要はないです。なぜなら最も否定的な土着と同意語を感じさせますから。タイトルから“幻境”は消すべきでしたね。3つの言葉を並べると、意味ができてしまうでしょう。僕の作品はむしろ意味の否定ですから。意味づけることによって観念化されてしまいます。

−−そうなのですね。作品の大きさや多さなど、物質性としても完成度の高い空間巡回と感じました。ある種、言葉が不要な体験でもありました。

横尾:その通り。あらゆる言語から解放したかったので、この展覧会は意味の不定なんですよ。むしろ絵画はその主題より表現(様式)を重視する必要がありました。そのために主題は何でもよかったんです。

−−2016年に発行した「千夜一夜日記」の継続版として「創作の秘宝日記」を発表されました。50年以上日記を書きためていらっしゃいますが、日記を振り返ることはありますか?

横尾:日記は1970年から毎日書いている単なるメモと1日1日の想念の吐き出しです。再読はしませんね。あるとしたら校正で読む程度です。

−−日記では成城にある書店や中華料理店などが度々登場します。横尾さんにとって、アトリエのある成城という街はどんな場所、存在でしょうか?

横尾:成城は東京の田舎で都心からの影響を受けない場所。ワニが水面から目だけを出すように、市井の様子を隠居気分で眺められるんですよ。それと身体を動かすのがあまり好きじゃないですね。面倒くさいことは嫌です。

「社会的な欲求よりも個人的欲求に従った方が生きやすい」

−−20代から「夢日記」を記述してこられ、夢は横尾さんの創作において重要な意味を持つように思います。

横尾:夢はもう1つの日常、夜の日常……現実と分離されたもう1つの現実です。むしろ日常の方が嘘で、夢が真だと思います。だから夢には嘘がない。昼間の方が嘘が多いですね。

−−最近、見た夢で気になったものがあれば教えてください。

横尾:先週見た夢は、ダンテの「神曲」の天国篇のような夢で、宇宙の果てからやってきた信じられない数の天使の群れの中で肉体ごと包み込まれた。天使は僕よりやや大きくて、非常に肉感的だった。その瞬間、僕は肉体的存在から魂的存在に変身した。こんなスペクタクルな夢はかつて見たことがなかったですね。つい、この間の話ですよ。

−−その体験は禅の思想にも通じると思うのですが、そもそも禅を学んだきっかけは何ですか?

横尾:1967年にニューヨークへ行った時、アメリカの知識人が禅に興味を持っていて、禅についてたくさんの質問を受けたんです。でも、当時の僕は禅の知識はゼロだったから帰国して、さっそく1年間、各宗派を越えて禅堂に参堂したのが始まり。禅の本は1冊も読んでいないですね。すべて体感による体験ですよ。欲望と執着から離れて真の自己を見つめる意味では宗教というよりも神秘または、サイエンス、さらに求める必要のないことを学んだような気がします。哲学といった方が正しいかもしれない。

−−「奇想の系譜」など横尾さんの作品には非現実や論理的に整理できないモチーフが多いですが、感覚的に現れるのでしょうか? 

横尾:それは人間が肉体的、精神的存在である以上に霊的存在であるから。すべての答えは僕の中にあります。すでに自分の中に持っているものは、外に出た時に非論理的なものに変わるような気がします。

−−現代アートでは、スタイルを固定することでマーケットでの価値を高めていく方法が主流ですが、横尾さんが特定のスタイルを持たないのはなぜでしょうか?

横尾:観念から自由になるためにはスタイルは不要です。芸術は常に結果と目的から自由であるべきです。つまり、遊びと快楽のためには、スタイルは自由を束縛します。社会的な欲求よりも個人的欲求に従った方が生きやすいです。多くの芸術家は社会的な欲求に従います。僕にとってはがんじがらめな生き方を強いるようなものです。

−−Twitterとブログで「WITH CORONA」を発表して約1年半が経ちました。現在、700点以上になりましたが、「WITH CORONA」を制作しようと思ったきっかけは何でしょうか?

横尾:コロナ禍のために美術館や画廊での発表が禁止されたので、より複数化された大衆メディアを選んだんですよ。一種の精神の駆け込み寺だったわけです。

−−コロナが終息した世界にはどんなイメージを抱かれますか?

横尾:わかりません。僕は未来について考えませんから。1分先の未来も想像できない。未来は楽しみのためにとっておくもので、想像の対象ではない。“Be Here Now”今がすべてですよ。コロナはともかく、自分はなるようになると信じて、なるようにさせようとは思いません。

横尾忠則
1936年兵庫県生まれ。1960年代からグラフィックデザイナーとして活躍し、1981年にいわゆる「画家宣言」で画家に転向。以降は美術家としてさまざまな作品制作に携わる。2012年には約3000点もの作品を収蔵する横尾忠則現代美術館(神戸市)が開館した。近年は、原美術館(2001年)、東京都現代美術館(2002年)、京都国立近代美術館(2003年)などで個展を開催。2020年8月に横尾忠則現代美術館で「兵庫県立横尾救急病院」を開催した。2021年7月には東京都現代美術館で「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」、21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3で「横尾忠則:The Artists」展を開催中。横尾忠則美術館で2022年2月まで「横尾忠則の恐怖の館」も開催している。

■GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?
会期:10月17日まで
※12月4日〜2022年1月23日に大分県立美術館に巡回
会場:東京都現代美術館
住所:東京都江東区三好4-1-1
時間:10:00~18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
休日:月曜
入場料:一般 ¥2,000、大学・専門学校生・65歳以上 ¥1,300、中高生 ¥800、小学生以下無料
Webサイト:https://genkyo-tadanoriyokoo.exhibit.jp/

■横尾忠則:The Artists
会期:10月17日まで
会場:21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3
住所:東京都港区赤坂9-7-6東京ミッドタウン ミッドタウン・ガーデン
時間:平日11:00〜17:00、土日祝 11:00〜18:00 ※変更の可能性あり
休日:火曜
入場料:無料
Webサイト:2121designsight.jp

■横尾忠則の恐怖の館
会期:2022年2月27日まで
会場:横尾忠則現代美術館
住所:兵庫県神戸市灘区原田通3-8-30
時間:10:00〜18:00 (最終入場時間 17:30)
休日:月曜日
※月曜が祝日の場合は開館、翌平日休館
※年末年始:12月31日~1月1日
入場料:一般 ¥700(¥550)、大学生 ¥550(¥400)、70歳以上 ¥350(¥250)、高校生以下 無料
※本展は予約優先制。詳細は横尾忠則現代美術館ウェブサイトを参照
※20人以上の団体は( )内の料金に割引
※障がいのある方は各観覧料金(ただし70歳以上は一般料金)の75%割引、その介護の方(1名)は無料
※割引を受ける方は、証明できるものを持参のうえ、会期中美術館窓口で入場券を購入(障がいのある方は、障がい者手帳アプリ「ミライロID」も利用可能)
Webサイト:https://ytmoca.jp/

author:

芦澤純

1981年生まれ。大学卒業後、編集プロダクションで出版社のカルチャーコンテンツやファッションカタログの制作に従事。数年の海外放浪の後、2011年にINFASパブリケーションズに入社。2015年に復刊したカルチャー誌「スタジオ・ボイス」ではマネジングエディターとしてVol.406「YOUTH OF TODAY」~Vol.410「VS」までを担当。その後、「WWDジャパン」「WWD JAPAN.com」のシニアエディターとして主にメンズコレクションを担当し、ロンドンをはじめ、ピッティやミラノ、パリなどの海外コレクションを取材した。2020年7月から「TOKION」エディトリアルディレクター。

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