人々を繋ぐハブとなる 松本浩樹がニュージーランドから招致したコーヒーロースターの「Coffee Supreme」とは

人が自然と集まり、心を通わすような“ハブ”的存在として愛されるニュージーランド発の「Coffee Supreme」は、松本浩樹がニュージーランドのあるカフェのカルチャーに魅了され、5年前に日本へ誘致したコーヒーロースターだ。最高品質の豆を丁寧に焙煎したバラエティー豊かなスペシャルティコーヒーを提供している。その味もさることながら、松本は「うちの主力商品はコーヒーではなく、人なんです」と笑顔で言う。今回はPRやマーケティングを担当する上田優花とともに「Coffee Supreme」が目指すカフェと空間にたたずむコーヒーカルチャーのあり方を語ってもらった。

松本浩樹
1974年生まれ。東京・中野育ち。大学卒業後、タワーレコードへ入社。販促、事業企画等を担当。その後、ツタヤ オンラインを経て、コナミ デジタルエンタテインメントに入社。同社ではMETAL GEAR SOLID4等数多くのソフトのマーケティングプロモーションを担当した。ニュージーランドへの移住をきっかけに、現地のスペシャルティコーヒーロースターの「Coffee Supreme」を日本に誘致。現在は「Coffee Supreme Japan」の代表を務める。東京とニュージーランドでデュアルライフも実践中。

上田優花
1998年、福岡県生まれ。専門学校卒業後「Coffee Supreme Japan」へ入社。バリスタを経て、エリアマネージャーに就任。その他、PRを軸にイベント企画や新規事業等も担当。2021年に「MIDORI.so」と連携し馬喰町で「PARLORS」の新規立ち上げに従事。

昔からやりたいことは「人を楽しませることと人の笑顔を見ること」

――「Coffee Supreme」といえば、赤と白のスタイリッシュなブランドロゴと苦味がありながらスッキリとした後味のあるコーヒー、シンプルなシュガードーナツが有名ですが、何より浩樹さんの存在自体が店の看板ともいえます。これまでもずっとコーヒーに携わっていたのでしょうか?

松本浩樹(以下、松本):実は昔はコーヒー屋になるなんて全く想像していませんでした。学生時代から遡ると、とにかく音楽が大好きで、ライヴに行ったり、自分がDJをしたり……あとは釣り、スノボ、スケボー、サーフィンってね。なんだろう、ずっと何かしら、動いていましたね(笑)。

中でもとにかく大好きなのが音楽だったから、卒業後はタワーレコードに入社しました。そのあとも、ツタヤ オンライン、コナミと形を変えながらも、ずっとエンタメ業に従事していて。仕事内容は新店舗の出店から販促、リアル店舗とオンラインショップのプロモーション等、それぞれの業界でマーケティングに関わっていました。

――なるほど。当時、なぜエンタメの魅力を発信したいという思いがあったんでしょうか。

松本:好きなものの魅力を伝えたいという気持ちは昔から強くあって。でもその上でやりたいことが定まっていたわけではなくて、特に20代はゴールもわからず、これでいいのかなと悩みながらとにかく全力で突っ走っていた気がします。だからこそ、すごく楽しかったんですけどね。ただ人をハッピーにしたいというイメージはずっと変わらなくて、自分がエンタメ業界にいた理由も、人の笑顔が大好きでとにかく人を楽しませたかったから。そう考えていたら、今は結果的に自分がハブになって、コーヒー屋をやっていた、という感じかもしれない(笑)。

ニュージーランドへ移住し、「Coffee Supreme」と出合う

――「Coffee Supreme」はニュージーランドが発祥ですよね。出合いについて聞かせてください。

松本:日本で20年くらい働いてから、奥さんの実家があるニュージーランドに移住しました。でも、最初は英語が話せないし、仕事がなくてどうしようかなと思いました。やることがないから現地の商品をインポートして日本の百貨店に卸したり、「山と道」というアウトドアブランドを手掛けている友人の夏目さんのお手伝いをしたり。

その頃大好きだったのが「Coffee Supreme」の直営店の「GOOD ONE」というコーヒー屋で。ネットで見たのか、たまたま通ったのか忘れたけど、とにかく偶然知って行き始めたんです。次第にお店の人も覚えてくれて「どこから来たのー?」って話したりして仲良くなって。行くたびに「これあげるよ」ってボールペンをくれました。とにかく居心地が良くて、毎日のように通うようになりましたね。下手すると1日中いたりしてね、ほら、暇だから(笑)。

――もともと自分のお店を持ったり、海外の飲食店を日本へ持って行ったりすることも視野に入れていらっしゃったんでしょうか。

松本:タワーレコードでは店作りをメインに関わらせてもらっていて、そのおもしろさはもちろん、大変さもよく知っていたから、自分のお店を持ちたいとかはむしろ考えたことはなかったんです。

でも、「GOOD ONE」の店員さんのホスピタリティってとにかくめちゃくちゃいいし、空間もすげえかっこいいし、今まで持っていた1人でしっぽりコーヒーをすするような喫茶店の概念がガラッと覆されたんです。そんな「GOOD ONE」を見て、コーヒー屋っていうか、こんなふうに自由に音楽の話とかアートの話をしたりできる空間、そんな場所があるってすごくいいなと思ったんですよね。

ある日お店にいたら「Coffee Supreme」の社長をスタッフが紹介してくれて。当時の社長はアルっていうんですけど、音楽とかデザイン、それこそ日本もすごい好きで。

――まさに浩樹さんがこれまでやってきたものですね。

松本:そう。それで意気投合して、飲みに行ったり、ライヴに行ったり、すごく仲が良くなった。年も1つ違いだったんです。

その間にも、「Coffee Supreme」がすごくかっこいいし、こういうカルチャーを日本でやりたいんだよね」って話してました。そしたら、「いいね〜」みたいなフワッとした返事が返ってくる、そんなやりとりが……3年くらい(笑)。

――3年も! 浩樹さんの粘り強さが表れていますね。そんな中、日本上陸の決め手になったのは何だったんですか。

松本:ある日、アルがオフィスで「Coffee Supreme」創業者のクリスやアルの後任のリチャードを紹介してくれたんです。ちょうどリチャードが日本への出店にすごく興味を持ってくれていたこともあって、「よし、やろう!」ってその場ですぐ決まった。しかもその直後に「お前はもうファミリーだから、今日から好きに使ってよ」とオフィスの鍵を渡されたんです(笑)。

――すごい急展開だったんですね! 当時浩樹さんが「Coffee Supreme」で特に日本に受け継ぎたかったカルチャーってどんなものだったのでしょうか。

松本:これまで日本で20年くらい働いてて、良かったことも多かった反面、とにかく日本にはいろんなルールがあるし、結構窮屈だったというか……その点、ニュージーランドの人の良さとラフさが自分にはすごく心地が良かったんです。その窮屈さを変えたほうがいいんじゃないかとか、その時はいろいろ考えてましたね。あとは単純に、とにかくみんなをもっと楽しませたいという思いが強かったです。

だから、自分が日本に持っていく「Coffee Supreme」は、やっぱり街に溶け込んで、ハブになるような店にしたいという思いが一番にあった。自分がニュージーランドで感じたことをそのまま表現したかったのと、ふらっと気軽に入れるお店にしたかったですね。

――優花さんと浩樹さんは、どのように出会われたのでしょうか。

上田優花(以下、上田):一番初めの出会いは、東京コーヒーフェスティバルっていうイベントでした。当時まだ路面店がない「Coffee Supreme」が出店しているのを見かけた時、こんなにかっこいいコーヒー屋さんがあるなんて」と衝撃を受けたんです。その日以来、お店ができたら絶対に行こうと楽しみにしていました。

松本:路面店のオープニングパーティーは、ありがたいことに200人くらいの人が来てくれて、結構すごいことになってました。その時は話をしていないけど、優花も来てくれてたんだよね。ついこの間、そのオープンの時の写真を見てたら、優花がレジの横に並んで写っていて笑ったよね!「普通に来てるやん」って。

上田:そうなんです(笑)。オープニングパーティからしばらくして、当時アルバイトをしていた「BOOK AND BED TOKYO」の福岡のイベントで東京からサポートに入りました。そこでゲストバリスタで来られていたのが浩樹さんとバリスタの翔子さんで。浩樹さんとは、その時初めてあいさつをしました。すでに「Coffee Supreme」のファンだったので、浩樹さんが来た時は「あ、ボスが来た!」と思いました。当時は将来一緒に働ける日が来るなんて思ってもみなかったです。

松本:僕はその時、めちゃくちゃいい子がいるじゃんと思って、打ち上げで「BOOK AND BED TOKYO」の役員に、「上田さんをうちに引っ張りたいんだけど」と直談判しました(笑)。そのあと半年くらいして、うちに来てくれました。

――そんな出会いがあったんですね! 優花さんは初めからマーケティングの仕事をされていたんですか。

上田:最初は「Coffee Supreme」のバリスタとして働いていました。そのうちに、お店の裏方として働いている浩樹さんの仕事に次第に興味を持っていって……コロナ禍になって、お店でもやることがなかったのがきっかけとなって、浩樹さんから取材対応や文章での伝え方、お店の立ち上げ等、今までバリスタをしていてあまり見えていなかった仕事について1から教わりました。今は店頭にも立ちながら、「Coffee Supreme」のマーケティングも担当しています。

馬喰町の「PARLORS」ができるまで

――「PARLORS」はどのような経緯で誕生したんでしょうか。

松本:最初、このビルの2階にある「MIDORI.so」から、「1階のスペースにカフェをし出店してほしい」と話をもらった時は、ここでチャレンジする勇気がなくて断ったんです。でも、「MIDORI.so」の人達がどうしてもってまた、話を持ってきてくれて。その時、ちょうど優花がマーケティングを勉強しているタイミングでした。それで、ある程度裏方の仕事ができるようになっていたし、彼女を育てるという意味でもチャレンジしてみようと思い挑戦することにしました。立ち上げのスケジュールから内装プラン、メニュー開発、立ち上げまで、ほぼ全部彼女に託す形で店作りをスタートしました。

――なるほど。「Coffee Supreme」としても、優花さんにとっても、挑戦だったんですね。

松本:やると決まってからは、問屋街の閉鎖的なイメージの中に、開放的な店があれば、街はどう変わっていくんだろうって楽しみになっていました。上も「MIDORI.so」だし、新しい化学反応があるんじゃないかな、ここに居心地の良い空間をどう作れるかなって。

――そうだったんですね! 「PARLORS」は路面店の「Coffee Supreme」のような居心地の良さを受け継ぎながら、敷地が広く、空間としての新しい面もありますよね。特に、店内に展示されているアートやインテリアがどれもかわいくて、さまざまな楽しみ方ができる空間だと思います。

上田:ありがとうございます。誰もが気軽に入れるお店にしたくて、自分達で1つ1つ考えて作り上げた、特に思い入れのある場所です。

――展示されているアートは、浩樹さんのこだわりですか?

松本:アートは昔から大好きで。自分が理想としているコーヒー屋というのが、味、音楽やアートといった空間、そしてスタッフにお客さんも加えた、すべてで居心地が良いこと。実際、ニュージーランドの「GOOD ONE」がまさにそんな感じで、その影響は大きいと思います。だから、奥渋の店舗はアーティストの花井祐介さんや長場雄さん、Naijel Graphさんといった、リスペクトしている方々とコラボをしているんです。「PARLORS」の内装は、家具のコーディネートや店内のアート等をNaijel Graphさんに相談しました。彼の作品は本当にかわいいし、店の雰囲気とも合っているし、すごく気に入っています!

「Coffee Supreme」が目指す幸せ

――浩樹さんも優花さんも、お仕事の話をとても楽しそうに笑顔で話していますよね。お2人がこの仕事を通して幸せを感じるのはどんな時ですか?

松本:お店に来た人が、笑顔になっている瞬間かなあ。人が集まっておしゃべりしたりする、他愛ない日常が一番ハッピーだなあと思う。

上田:私もそうですね。「Coffee Supreme」という空間があって、そこに来てくれた人達が居心地良さそうに会話をしていたり、笑ってくれている瞬間。それを間近で見られることが幸せだなって思います!

松本:僕達はコーヒー屋といっても、コーヒーだけではなく、コーヒーを通じてどうやって人と繋がれるかを一番大事に考えています。だから、うちの主力商品はコーヒーではなくて、「人」って言ってるんです。これからも自分達のモットーとしている「人をハッピーに」というマインドを大事に、みんなでコツコツ頑張りたいですね。

――最近は新しく福岡や辻堂にも新店を出店されたんですよね。

松本:福岡と辻堂の店舗オープンの話は、同じくらいのタイミングで頂いて。2店をほぼ同時進行する形で手掛けました。福岡の「PPP(Parkside/People/Party)」は、最近できた「MIDORI.so」の新しいシェアオフィス「DAIFUKU MIDORI so.」の1階に「Coffee Supreme」が主導となってオープンしました。ここではヴィーガンクッキーやコーヒー2店、チーズケーキ屋の5ブランドが集まって、1つのテーマを持ったフードコートのように、いろんな楽しみ方ができる空間になっています。個人的にかなり挑戦だったんですけど、思ったよりうまくいきました。あと、海外っぽく長テーブルにベンチのスタイルの席を増やしたんですが、来てくれる人達同士の自然な会話も生まれやすくて、それも良かったなと思います。 

もう1つの「Coffee Supreme Roastery 辻堂」は、敷地内に焙煎機を設置しました。日本で初めての焙煎をするから、念願の日本オリジナルの「Coffee Supreme」の味ができるのがとても楽しみ。最初はメインのブレンドを焼いて、そこからシングルオリジンを作っていく予定です。内装工事の関係でグランドオープンは2月になるのですが、今もオフィシャルオープンしています。ぜひたくさんの人に来てほしいです!

author:

上野 文

1998年生まれ、兵庫県神戸市出身。フリーランスライター・フォトグラファーとしてカルチャーを中心とした執筆や撮影を行う。また、2022年にはイギリス・ロンドンにて収めた写真をもとに、初の個展、「A LIVES」を開催。 Instagram:@ayascreams

この記事を共有