「クリエイティブであることは自分らしくあること」前編 : デザイナーのエイリーズ・モロスが語る自分自身と作品スタイル、デザインの仕事

6月は欧米をはじめ多くの国で「プライド月間」とされ、LGBTQIA+の権利について啓発を促すイベントが数多く開催される。プライド月間のルーツは、1969年6月28日にニューヨークのゲイバー、ストーンウォール・インへの警官の踏み込み捜査をきっかけとした、ストーンウォールの反乱(権力によるLGBTQ+当事者への迫害に立ち向かう抵抗運動)に遡る。以来、多くの当事者、研究者、活動家達がLGBTQIA+コミュニティの権利向上のため、多大な時間と労力を費やしてきた。

イギリス出身のデザイナー、エイリーズ・モロスもその1人だ。手書きのイラストやレタリングを盛り込んだエネルギッシュなデザインワークで若くから頭角を現したエイリーズは、音楽業界でのクリエイティヴ・ディレクションを中心に、数多くのビッグプロジェクトを成功させてきた。また性別適合手術を経験したトランスジェンダー当事者であり、自身のデザインスタジオ、スタジオ・モロスの経営者でもあるエイリーズは、作品を通じた社会への働きかけ以外にも、オピニオンリーダーとして、LGBTQIA+コミュニティに関する啓発や、クリエイティブ業界の労働環境向上のために、さまざまな場面で講演を行っている。

日本でのプロジェクトの他、シンガーのAIとのコラボレーション、2匹の柴犬のオーナーでもあること等、日本文化との繋がりも強いエイリーズに、自身の生い立ち、クリエイティビティの源泉、日本文化に対する考え、そして政治的な発信をする理由まで、あらゆることを聞いてみた。前編は、自身のルーツやクリエイターとしてのスタイルについて。写真家の草野庸子が今回のインタビューのために撮り下ろしたエイリーズのポートレートも合わせてご覧いただきたい。

エイリーズ・モロス
クリエイティヴ・ディレクター、イラストレーター、デザイナー。2007年、ロンドンのインディーズ音楽シーンにおいて、手描きのイラストをあしらったフライヤーでキャリアをスタートさせ、2008年にはバイナル専門のレーベルを設立。2012年にデザインスタジオのスタジオ・モロスを設立した。音楽業界と密接な関係を保ちながら、アートやクリエイティヴ・ディレクションの領域にも進出。ポップアーティストからDJまで、さまざまなクライアントのクリエイティブ・ディレクターを務め、アルバムのキャンペーンからライヴまで、あらゆるプロジェクトを手掛ける。主なクライアントにはカイリー・ミノーグ、H.E.R.、ディスクロージャー、スパイス・ガールズ、ジェシー・ウェア、ロンドン・グラマー等がいる。また、ショーディレクターとして、ディスクロージャー、ロンドン・グラマー、カイリー・ミノーグのライヴのディレクションを担当している。
https://www.ariesmoross.com
https://www.instagram.com/ariesmoross/
https://www.studiomoross.com

さまざまな仕事を横断する理由

−− 本日はインタビューを受けていただきありがとうございます。日本では、エイリーズさんの作品を見たことがある人は多いと思うのですが、果たして何者なのか、具体的に知らない人も多いかと思います。簡単に自己紹介をお願いできますか?

エイリーズ・モロス(以下、エイリーズ):もちろんです。いろいろなことをやっているので、他の人からすると、個々の点を結びつけるのが難しいかもしれませんね。でも、それが私の働き方なんです。第一に、私はイラストレーション、グラフィック、プロダクト、テキスタイルなど、あらゆるイメージ制作やデザインを網羅的に扱うデザイナーです。それだけでなく、ミュージシャンや音楽ライヴ、アルバムリリースやフェスティバルのキャンペーンなどのクリエイティヴ・ディレクターとしても仕事をしています。そして、ロンドンでスタジオ・モロスというデザイン事務所を主宰していて、この形で11年前から音楽、テレビ、グラフィック、イラストレーション、ブランディングなどに携わる仕事をしています。いろいろなことをするのが好きなのですが、だからこそ、他の人からしてみて私が何を生業にしているのか理解できないのかなと思います。でも、それでいいんです。何より仕事を楽しんでいますから。それが一番大事なことかなと。ずっと同じことをやっていると退屈してしまうので。

−− 今回なぜ東京にいらっしゃったのか教えていただけますか?

エイリーズ: 私としては、日本で仕事をするのが楽しくて、この国で直接人に会うことが重要だと感じているんです。デジタル空間でオンラインミーティングやリモートワークが可能になったとはいえ、私は日本が好きだから来たいと思ったんです。だから、今まで一緒に仕事をしてきた人達や、これから一緒に仕事をする予定の人達に会いに行って、この国をもっと知るために来日したんです。だから仕事と休暇、半々ですね。

−− 直近の日本でのプロジェクトは何か教えていただけますか?

エイリーズ: はい、クリエイティヴ・エイジェンシーのThe Bee’s Knees Inc.とはもう長い付き合いです。日本国内のプロジェクトから、海外を巻き込んだプロジェクトまで、さまざまな形で一緒に仕事をしてきました。直近では、文具メーカーの「ミドリ」MIDORIが出しているMDノートの15周年プロジェクトに、15人のアーティストの1人として参加しています。

満足を知らない貪欲な幼少時代

−− エイリーズさんはどんな子どもでしたか? そして、その幼少期は今のあなた自身や仕事とどうつながっていると思いますか?

エイリーズ: 私は決して満足することのない、貪欲な子どもでしたね。ミニチュアのおもちゃで遊んだり、物を作ったり、絵を描いたりして、常に自分で自分を楽しませようという心持ちでした。本やドールハウスの家具など、思いつくものは何でも自分で作っていたし、絵や工作もたくさんしましたね。とにかくカオスで、遊びが好きで、クリエイティヴな子どもでした。そういうアウトプットをずっと楽しんできたんです。その部分は大人になってからも変わっていないですね。

−− なるほど。家庭の環境というのも、エイリーズさんにとって大きな要素だったのではないでしょうか? ご両親は、クリエイティブであるよう勧めてくれましたか?

エイリーズ: 母は、私が幼い頃からクリエイティブな刺激が必要だと認識していたようで、私の子守のために美大生を雇っていたんです。一日中子どもと一緒にテレビを見ているような普通のベビーシッターではなく、アート系の学生が、一緒に物を作ったり絵を描いたりしながら私の面倒を見てくれていました。そういう意味で、私は家族や両親から常にクリエイティブであるよう強く促されてきました。今自分は36歳ですが、私が若かった頃はクリエイティブな職種に就くのは、かなり覚悟が必要なキャリア選択であったため、今よりも目指す職業としては現実的でなかったかもしれませんね。私の両親は、よりアカデミックな出自でしたが、それでも私がクリエイティブな道に進むことを喜んでくれましたし、それを強く望んでもいました。だから、「数学や英語をやりなさい」とは決して言わず、デザインやアートを探求することを喜んでくれたのです。

−− おっしゃるようにエイリーズさんの作品は非常に多様なので、作品のスタイルを単純に定義するのは難しいのですが、それでもある種の一貫性はあります。手書きの文字やグラフィック、鮮やかで生き生きとした色彩が多く取り入れられていますね。そのスタイルを確立するために、大きな影響を与えたもの、人、経験などを具体的に挙げることはできますか?

エイリーズ: 若い頃は、いつもノートに無意味な落書きをしていましたね。絵を描くのも得意でしたが、レタリングはもっと得意でした。文章を書くこと自体は苦手だったけれど、文字や文章を扱うのはとても好きだったんです。それが、自分のクリエイターとしての強みを育むことにつながったのは間違いありません。常にイラストやレタリングを作品に取り入れてきましたし、それらの要素が、私のキャリアの大半を占めています。その世界に限界を感じ始め、もっといろいろなことをやってみたいと思うようになった時期もありましたが、やはりハンドメイドのような雰囲気が好きなんです。私の手書きの文字は、たくさんのブランドやプロジェクトに使われてきましたし、私の文字を、フォントとして借りたいというクライアントもいます。言ってみれば天性のものなので、仕事に生かさずにはいられないんです。

−− なるほど、おもしろいですね。キャリアの初期には、アニマル・コレクティヴやミステリー・ジェッツといった、当時インディペンデントだったバンドと仕事をしていましたね。そして今、あなたはメジャーレーベルからリリースしている著名なアーティストと仕事をされています。ご自身の音楽的嗜好は、クライアント選びになんらかの影響を及ぼしていますか?

エイリーズ: まず第一に、私の音楽的嗜好は、とにかく幅広いんです。そして私にとって必要なのは、アーティストと人間としてつながること。機械的でビジネスライクな関係だけでなく、彼らとのつながりがとても大切です。

ミステリー・ジェッツとは、実際にかなり密接に仕事をしました。アニマル・コレクティヴに関しては、あれはパーティのフライヤーでしたね。2007年から2008年にかけては、たくさんのフライヤーを手掛けました。でも、今の私にとっては、テーマやコンセプトと結びついて、アーティストから信頼を得ること、そして世界観を作るための余地があることが大事です。レコードやCDのパッケージ、グッズなど、アルバムの周りの世界観を構築するのが楽しいですね。あとは、オーディエンスが多くて、アウトプットの規模が大きいアーティストと仕事をするのが好きです。カイリー・ミノーグのようなアーティストに惹かれるのはそのためで、彼女は多作で、他のアーティストが1枚のレコードを作る間に、10枚はリリースしてしまうんですよ。

ライヴや家で聴けるレコード、ショップで買うTシャツなど、ファンがアルバムに接する機会をたくさん作ることができるのも魅力的です。それらすべてを縫い合わせるような形でやっていきたいと考えています。

「深み」よりも「射程」を重視

−− 大学時代に作品の「深さ」を重視しろとよく言われたけれど、ご自身は作品の「射程」に興味があったというお話をどこかでされていましたね。そのあたりをもう少し詳しくお聞かせください。

エイリーズ:はい、チューターにそう言われました。私はロンドンのキャンバウェル美術大学に通っていたのですが、そこではコンセプチュアルなデザインが良しとされていました。自分もそこに興味はあったのですが、ビジネスパーソンとしての目も持ち合わせていたんです。芸術的な活動やコンセプチュアルデザインは、そこまで商業的なものではないことは認識していましたし、私はデザインで生計を立てたい、自分の仕事にしたいと思っていました。だからより広範で商業的なデザインも楽しみ、評価するようになったし、それはそれでクリエイティビティの効果的な形だと思ったんです。コンセプチュアルなデザインほど知的ではないかもしれないし、研究者が論文を書くようなものでもないかもしれませんが、身近な存在であり、社会の中で役割を果たすことができますよね。だから私は、デザインの世界がある意味でもっと表面的であっていいと思うし、楽しくて、気楽であることがとても重要だと思います。とはいえ、大学で学んだことも私のデザインにおいてとても重要だったと思います。 例えば記号論は、物事の背後にある意味を理解する上でとても役に立ちました。でも私は学校では反逆児的存在でしたね。いつも独自路線を進んで先生達を困らせていました(笑)。

–(笑)。コンセプトやアカデミックな文脈が重視される大学の中で、多くの人に受け入れられる表現を選び、そこで学んだことを生かしながらデザイナーになり、その過程が現在の作品に反映されているんですね。実際にデザイナーやクリエイティヴ・ディレクターとしてプロジェクトに携わるのと、アーティストとして企業とコラボレーションするのとでは、どのような違いがあると思いますか?

エイリーズ:アーティストが特定の商業的なプロジェクトに携わる場合、自分の芸術家としてのブランドをプロジェクトに貸し出すことになります。しかし、私はプロジェクトから一歩距離をとって、自分の名前が必ずしもプロジェクトと結びつかない形で、よりクリエイティヴ・プロデューサー的な働き方ができます。だから私が何かを作ったり、その一部であることを人に知られることなく、物事に取り組むことができるという点で、より自由度が高いです。しかしそれだけではなく、ある製品やプロジェクトに対して、より表立った形で宣伝することも可能です。だからその両方ができるのは幸運なことです。一方、名前のあるアーティストは、何に対して自分の能力を貸すかについて、より難しい決断を迫られるんじゃないでしょうか。

— ということは、今は自分の名前がキャンペーンにクレジットされることに、こだわりはないということですか?

エイリーズ:そうですね。でも、キャリアをスタートさせた当初は、自分の名前を売ることがとても重要だったので、なんとも言えません。あの時は常に先走っていて、自分自身に対しても、業界全体に対しても、とにかく先を行こうとしていました。

それから、ロックスターのように一時的に人気を得たとしても、その時代は長くは続かないと悟ってはいました。イラストレーターの中でもほんの一握りの人は、大手ギャラリーや有名人に取り上げられ、作品が10万ドルで競り落とされるようなアーティストになったりもしますが、大半の人のキャリアはそんなに長くないんです。だから、単に名前を知ってもらうことはそこまで価値があることではなく、むしろ大切なのは、後世に残るような作品を作ること、活動を続け、スタジオを持ち、制作の方法を人に教え、自分が作りたい作品のための長期的な基盤を築くことだと感じました。とにかく一時的なトレンドやファッションに支配されるのは得策ではないと、すぐに気がついたんです。

−− インディペンデントなクリエイターとして、名を上げることに注力しがちな若い時期に、業界の状況を丁寧に分析し、進むべき道を決めていったわけですね。

エイリーズ:そういうことでしょうね。あと、プロジェクトの予算が減ってきているのもありますね。ひと昔前なら、ブランドとのコラボレーションで莫大なお金が手に入ったのに、今はその1割の予算、つまり90%も安い金額で自分の名前を売っていかないといけません。それは、より少ない報酬のためにより多くの労働が必要だということを意味しています。

それから業界がより民主的になったことも関係しています。インスタグラムやソーシャルメディアによって、誰でもデザインやアートの仕事を持つことが可能になった。ひと昔前までゲートキーパーとしての役割を担っていたのは、アートバイヤーや代理人、そして軒並みクリエイティブを抱え込んで、広告代理店やクライアントに売り込んでいたエージェントでした。今でも、その構造は存在していますが、もはや排他的なネットワークではありません。すべての物事は常に変化しているし、私はいつも未来のことをたくさん考えてきたんです。

やり方によっては、もっとたくさんお金を稼げたかもしれないし、もっと有名になることもできたかもしれない。でも、たとえそうだったとしても、今よりも幸せだったってことはないでしょうね。そして、スタジオの一員として今取り組んでいるような大規模で刺激的なプロジェクトを手掛けることもできなかったでしょう。スタジオがあるおかげで、ペンと紙を持って1人で家にこもって制作するのではなく、ツアーのデザインをしたりライヴの演出をしたり、世界中を旅していろいろなことを経験し、他業種のおもしろい人達と深くクリエイティヴな関係を築くことができました。ペンと紙でイラストを描く作業は、今となっては趣味のような感じですね。

— では、今もイラストを描いているのですね?

エイリーズ:そうですね、今はほとんど自分のために描いています。原点回帰のような感じで。実は、日本でもたくさんの絵を描いているんですよ。この国の木々はとても美しいので、木を描いていて。公園に腰を下ろして、ひたすら自分のために木をスケッチしています。

記事の後編はこちら

Photography Yoko Kusano
Styling Megumi Yoshida
Special thanks Risa Nakazawa(The Bee’s Knees Inc.)

シャツ ¥48,400/sacai(sacai 03-6418-5977)、その他私物

author:

佐藤 慎一郎

1986年生まれ。上智大学法学部卒業後、美術書店勤務を経て渡英。ロンドン大学バークベック校修士課程(MA Culture, Diaspora, Ethnicity)修了。在英中よりアート、ファッション、文化批評を専門とするフリーランスの翻訳者/コーディネーターとして多くの出版、展覧会、L10N、映像制作、アートプロジェクトに携わる。2021年にINFASパブリケーションに入社。TOKION編集部では主に翻訳を担当。

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