上出遼平(かみで・りょうへい)
1989年東京都生まれ。ディレクター、作家。ドキュメンタリー番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』シリーズの企画から撮影、編集まで全工程を担う。同シリーズはPodcast、書籍、漫画と多展開。文芸誌「群像」(講談社)にて小説『歩山録(ぶざんろく)』を連載。
Twitter:@HYPERHARDBOILED
Instagram:@kamide_
『ハイパーハードボイルドグルメリポート』や『蓋』などを手掛け、その挑戦的な番組作りが話題となった映像ディレクターの上出遼平。インタビュー後編ではテレビ業界のコンプライアンス、自主規制、そして将来について語ってもらった。
理由なき自主規制
——昨年末に「TOKION」の「2022年の私的ベストブックス」という企画で、本を3冊選んでもらいましが、死にまつわるものが多くて。そこへの興味というか関心は高いですか?
上出:非常にありますね。それは藤原新也さんの『メメント・モリ』という写真集の影響が大きくて、それを見て、「どうやって生きようとしてるんだお前は」っていうことを学生時代に突きつけられた。それがずっと僕の中にこびりついていて。すぐそこに死があるんだっていうことをどれだけ意識できるかっていうのは、生きる上ですごく大事なことなんじゃないかなと思っています。
そういう意味で、死っていうものを人に見せる、思い起こさせる、そうしたもの作りはしたいことの1つ。僕自身も「そこに死があること」を忘れてしまうこともあるので、思い起こさせてくれるものに触れたいと思っています。
——2021年1月に放送された『家、ついて行ってイイですか?特別編』のイノマー(オナニーマシーンのボーカル)さんの放送はかなり話題になりました。
上出:最初は『家、ついて行ってイイですか?』で流すなんて思ってなくて。偶然が偶然を呼んで、あの枠で放送できたんですけど。もともとマネージャーさんから「末期癌になったから日々を撮ってくれ」と言われて、なんでなんだと思いながら撮ってたんです。それはすごくつらかった。本当に行きたくないなと思うこともありました。やっぱり苦しんでいる人にカメラ向けるって、撮っているほうもめっちゃしんどくて。「なんでこんなことしてんだろう」と思いながら、でも始めちゃったからには途中で抜けるわけにいかないっていう。最後まで撮ろうと決めて。当時僕も会社に居場所があまりなくて、撮影だけでなく、僕を必要としてくれることが増えていって、病室になんとなく自分の居場所が移っていった。
でも、本当に心臓が止まる瞬間まで撮るかどうかっていうのを最後まで迷ってたんですけど、どこかで腹をくくってた気はします。ここまで撮って、最後を撮らないのはないだろうっていうのがありましたし。
——ゴールデンの時間帯で人が死ぬ瞬間が流れるっていうのは、ほぼ前例がないんじゃないですか。
上出:ほとんどないんだと思いますけど、なんでそれがダメなのかっていうことを説明できる人っていないんですよね。もっと映しちゃいけないものを映してるような気がしますよ。でも放送しても結局クレームも来ないし、むしろあの番組を観たことで人生が変わったと言ってくれる人もいるわけだし。死にまつわるものじゃなくても、そうした挑戦をみんながしてくれたらいいなとも思っています。
なんとなくみんながダメだと思ってることに対して、本当にダメなんですかっていうことをちゃんと一生懸命投げかけていく人がいないとテレビはつまんなくなっちゃう。「これはなんとなくダメそうだな」みたいな、自主規制がどんどん増えていってしまう。
でも、昨今よく言われる「コンプラが厳しくなった」っていう感じでもないんです。コンプライアンスっていう定義をどうするのかっていうことも関わってくると思いますけどね。明文化されたルールがあるわけじゃないし。ただもちろんテレビが50年以上放送を続けていく中で、たくさんの失敗の蓄積があって、こういうことをやってはいけないと。例えば差別的な言葉を使ったらいけないとかっていうのは、これまでテレビが人を傷つけてきた失敗の歴史から学んだことであって、その蓄積に対して「コンプラが厳しくなってきた」っていうのは、ただの歴史軽視であって、ナンセンスだと思うんです。だから、そういう意味ではコンプラが厳しくなっていくというのは成長の証であって、むしろ今のテレビが最も大切にすべきことなんじゃないかと思うんですよね。それがYouTuberとの違いでもあるんで。
ただ一方でその“コンプライアンス”って言われているものの中に、さっき言った理由なき自主規制というのもあるわけです。それがなんのための規制なのかといえば、決して視聴者や社会のためではなくて、事務所やスポンサーのためとかっていうのがたくさん生まれてきてしまってるわけです。あるいは対社内っていう最もナンセンスな、これをやったら上の人に怒られるかもしれないみたいな自主規制、そういうものをこそ壊さないといけないんですけど。そういうものを壊すのは難しいんですよね、やっぱり組織が大きくなればなるほど、そこら中にハードルがあるので。でもテレ東は伊藤(隆行)さんが変えてくれるんじゃないですか。だって摩擦を恐れている人達が作るエンターテイメントに誰が心を動かされるんだ?って思いませんか。
『ラピュタ』からの影響
——テレビの未来について考えることはありますか?
上出:現状では僕が「こうあってほしい」というふうにはなっていってないですね。だけど、若くて、おもしろいやつらが、テレビをおもしろがって入ってきてくれることが何より大事だと思いますし、あとはそれを選ぶ人達が自分達の常識をどれだけ壊せるかっていうのも本当に重要だと思います。
——今の世の中的なあり方でいうと清廉潔白な正しさが求められますよね?
上出:正しさに明確な線が引かれていると思うことが、何より危ないこと。その善悪の境界が曖昧であるっていうことを理解することがまず必要だと思います。これが正義だっていうことを掲げれば掲げるほど危ないところにいってるなと思います。
——大きな話になってしまいますが、今後世の中ってどうなっていくと思いますか。
上出:少なくとも今は不寛容さが増してますよね。みんなが不寛容になっていって、このままいけばどこかで自分達の首を絞めているっていうことに気づき、逆の風が吹いて寛容であろうという流れが生まれるんじゃないでしょうか。すると今度はその寛容さに対して反対の動きが出てきたり。寛容と不寛容の間を行ったり来たりするんじゃないかな、と思います。
——AIに関してはどう見ていますか?
上出:もちろんAI怖い、嫌いとは全く思ってなくて、使えるところは使いたいです。でも、正直わかんないですね。だって、これは人間にしかできないだろうっていうものがことごとく壊されていくわけですよね。でもAIは土を作れないですもんね。結局土と触れて土を生かすみたいなことが、やっぱ生命のすべてだと思っています。行き着くところ土、あるいは炎じゃないですか。
土に触れ、土を生かし、土と共に生きるというのが、人間に残された道なのかな。宮崎駿みたいになっちゃいました。でも、『ラピュタ』でもそれに近いことを言ってましたしね。
——『ラピュタ』から影響を受けたと以前のインタビューで言ってましたね。
上出:本当に最近気づいたんですけど、僕が大きく影響を受けたのは『ラピュタ』だったんです。最近また『ラピュタ』を観たんですけど、「土から離れたのが運のつき」みたいなことを言ってるんですよね。まさにそうだよなって改めて思ったんです。
「ものを作っておもしろかったと言われるのが一番嬉しい」
——ちなみに映像の方の『ハイパー』って今後はどうなるんですか?
上出:テレ東がやるか、やらないかですね。多分もうやらないと思いますけど。
——もしオファーが来たらやりますか?
上出:来たらやると思いますけど。『ハイパー』は大変なんですよ。あれは本当に嘘がないので、危険な時は本当に危険。現場はすごい緊張感です。制作が始まるってなったら、本当にこの場所にロケに行っていいのか、他のスタッフに関しても行かせていいのかとか、本当に緊張するし、ずっともう心の負担です。
そうした安全面もそうだし。扱う題材が常にセンシティブなので、それをどう扱うかっていうことがものすごく難しいんですよね。どの方面から見ても。この扱い方でいいのかとか、普通の番組よりちゃんとクリアにしなきゃいけないことが何十倍もあるんです。
——しかもいざやるとなったら、期待値も高いから大変そうですよね。
上出:それもきついですよね。事故る可能性ありますから。「おもしろくしなきゃ」っていうのは火事場の馬鹿力みたいな時もありますけど、リスクを増幅したりもするので。そこは慎重にやらないといけないですね。
——最後に将来、どうしたいとかは考えてますか?
上出:将来的にどうなりたいのかっていうイメージはないですね。楽しく旅してものを作って、どっかで死ねたらいいなとは思ってます。正直、明日のこともわからないし。ものを作っておもしろかったと言われていたいなと思いますね。それが一番嬉しい瞬間でもあります。先ほども言いましたけど、いっぱいお金稼いでいい暮らしをしていたいっていう思いは全くなくて。そこで得られる喜びがたいしたことないっていうのはもうわかってしまってるというか、いろんな人と会ってるし、自分の経験上、お金をたくさんかけて得られる喜びって、自分にたくさん負荷をかけた先に得られる喜びの100分の1ぐらいなんで。リゾート地に行くより山奥に行ったほうが100倍楽しいし、どっちに行った人間の話聞きたいかって言ったら絶対山奥に行ったやつの話を聞きたいじゃないですか。だから、そうやって人に興味を持ってもらえる人間にはなりたいですね。
Photography Hironori Sakunaga