NewJeansの楽曲プロデューサー250の自問自答 “ポン(뽕)”に込めたニュアンスを解体する

250(イオゴン)
韓国の音楽プロデューサー。2011年からヒップホップのトラックメーカーを始める。2014年から〈BANA〉に所属し、自身の制作と並行してBOAやNCT、ITZY等K-POPの作曲も行う。2022年8月デビューしたNewJeansの楽曲プロデュースも手掛けている。韓国大衆音楽の根底に潜む「ポン(뽕)」を探究し続け、2022年3月にアルバム『Ppong』を〈BANA〉からリリースした。

NewJeansの「Attention」「Hype Boy」「Ditto」を手掛けた音楽プロデューサーの250(イオゴン)が1stソロアルバム『Ppong』を発表した。同作は第20回韓国大衆音楽賞で「今年のアルバム」「今年の音楽人」「最優秀エレクトロニック・アルバム」「最優秀エレクトロニック・ソング」の4冠を達成した他、世界でも高く評価された。

韓国のアンダーグラウンドヒップホップのプロデューサーとして頭角を現し、NCT 127の「Chain」やITZYの「Gas Me Up」といったK-POPの制作にも携わっている。韓国の敏腕クリエイターとして脚光を浴びる彼はなぜ韓国のノスタルジックな大衆音楽・ポンチャックをテーマに選んだのだろうか? そんな疑問を持って初の日本ツアーが終わったばかりの250の元に向かった。すると彼は、「ポンチャックは韓国で常に鳴っているのに誰も聴こうとしない音楽だった」と話し出した。そこから話題はポン・ジュノ監督の『母なる証明』、さらには2000年代後半〜2010年代前半のMAD DECENT、韓国社会へと広がっていく……。

『Ppong』は溢れるインテリジェンスと皮肉の効いたユーモアで表現されたK-POPへの自問自答だ。世界的ムーブメントになったNewJeansを手掛けた才人が作らなくてはならなかったもう1つのアルバムを本人のインタビューとともに解体していく。

ポンチャックは何を混ぜてもいいオープンな音楽

ーー最近の日本のメディアのインタビューで「MAD DECENTに影響を受けた」と話されていましたね。

250:ヒップホップがコアにありつつ、いろんなジャンルのいろんな音をミックスしていくところがおもしろいと思ったんです。

ーーBeenzino、E SENS、 Kim Ximyaといったラッパー達の楽曲も手掛けていますね。

250:ドクタードレー。『The Chronic』はお気に入りのアルバムの1つです。僕はドラムの音を愛していて、ドレーのドラムの音を愛しているから。僕にとって音楽で最も大事なのはドラムの音だと考えています。中でも『2001』に収録されている「Still D.R.E.」のドラムの音がベストですね。

ーーそんな250さんが初のソロアルバムでポンチャックをベースにしたエレクトロニックミュージックを制作したのはなぜですか?

250:ポンチャックはどこにいても流れてくる韓国の大衆音楽。自分が最初になじんだ音楽で、僕にとっては韓国のバックグラウンドミュージック(BGM)のような位置づけです。だから最初のアルバムはポンチャックにしたいと思っていました。“ポンチャック(뽕짝)”の“ポン(뽕)”にはすごくいろんなイメージがあります。例えば、麻薬を“ヒロポン(히로뽕)”と言うとか。他にもダサさ、いやらしさ、あと哀愁みたいなニュアンスもある。しかもあまり良いニュアンスで使われない。僕はそこを表現したかったんです。韓国に住んでいる人だけが文化的に感じること。そもそも“ポン”という言葉は、日常ではほとんど発することがない言葉ですね。

ーーそんな意味があったんですね……知りませんでした。

250:あと僕はいろんなジャンルの音楽を聴いて、そこから好きな音を探して、混ぜるのが好きなんです。例えば“チャンポン(짬뽕)”。“ポン”には混ぜるって意味もあります。ヒップホップも、ハウスも、全部ミックスします。ポンチャックは何を混ぜてもいいオープンな音楽です。何が起こってもいい。そういう意味では、いろんなジャンルから好きな音を持ってきて音楽を作る韓国人の僕にとって、ポンチャックは一番いいジャンルだと思ったんですよね。

映画『母なる証明』で垣間見える韓国の情緒

ーー『Ppong』の「Bang Bus」を聴いてポン・ジュノ監督の……。

250:映画『母なる証明』のバスのシーンですか?

ーーそうです! あそこで鳴っている音楽をポンチャックと考えていいですか?

250:音楽的には違いますけど、あの場面が与えてくれる情緒はものすごくポンチャック的であると言えますね。

ーーあのシーンにものすごい衝撃を受けたんです。

250:僕もです(笑)。

ーー映画そのもののインパクトもすさまじかったし、中高年の方が高速バスの中で爆音で踊っていることにもすごく驚きました。日本にはない文化です。

250:1990年代は韓国のおばちゃん達がよく高速バスで旅行をしてたんですよ。高速バスは移動時間が長いから飽きちゃう。だからバスにはショーをする人が同乗していたんです。そういう人の中ですごく有名だったのがイ・パクサでした。

ーーうわぁぁ……。

250:それで彼はサービスエリアみたいな高速道路の休憩所で、旅行中のおばちゃん達に自分のアルバムを手売りしていたわけです。実は韓国でもバスで踊ったりするのは、社会的にあまり良いイメージを持たれてない文化なんですけどね。

ーー250さんがポンチャックに注目したのは、そういった部分に韓国らしさを感じたから?

250:“韓国らしさ”というとちょっと違いますね。みんなが知っているのに誰の目にもとまらない。どこからでも聴こえてくるのに自分からは聴かない。そこにおもしろさを感じたんです。さっき「ポンチャックは韓国のバックグラウンドミュージックだ」と言ったのもそういう意味です。つまりポンチャックは本当の意味で韓国の大衆音楽なんです。

ーー少し話は逸れますが、『パラサイト 半地下の家族』が世界的にはやった時、韓国の友達が「韓国のあんな部分は見せないでほしい。恥ずかしい」と言っていたのがすごく印象的だったんです。

250:社会的な意味では、僕にもその気持ちはわかります。ただ感情面だとそう思わなくて。自身の悲しみや恥ずかしさを見せることは勇敢だと感じています。

韓国人の欲求を満たすEDMの爆発的な低音

ーー爆音といえば、韓国は街で鳴る音楽も爆音ですよね。

250:僕も日本に来て感じました。明洞とかと比べると原宿は店内BGMの音が小さいなって。たぶん日本は文化的に音楽を繊細にリスニングしてて、韓国はフィジカリー(身体的)なのかなって。

ーーフィジカリーをもう少し具体的に言うとどんな表現になりますか?

250:うーん……韓国人の感覚だと「あのくらいの音量を出さないと聴こえないでしょ?」というニュアンスですかね。

ーーそれはサービス精神で音を大きくしているということですか?

250:違います。もっと感覚的なことです。食べ物で例えるとわかりやすいと思うんですけど、僕等からすると日本でからいといわれている料理は全然からくないんですよ。さらに日本の方が韓国で何かを食べて「からい」と感じたとしても、たいてい僕等にとっては全然からくない。むしろもっとからさがほしい。これは音楽に対する捉え方にも通じていると思います。

ーーポンチャックは現在のK-POPに比べると音圧が軽いですよね? 250さんの体感として、韓国の音楽の音圧が上がったのはいつ頃からだと思いますか?

250:EDMが韓国に入ってきてからですね。正確な年はわかりませんが、2010年代の前半か半ばくらいじゃないかな。

ーーなぜEDMが韓国にハマったんだと思いますか?

250:食べ物の話と同じで、あの爆発的な低音が韓国人の欲求にハマったんだと思います。

ーーなるほど。そんな爆音文化の韓国で音楽制作をしている250さんがエンジニアリングで意識していることはなんですか?

250:当たり前のことなんですが、ドラムはドラム、ベースはベース、それぞれの音がしっかりと聴こえることが一番重要。あと空間とバランスですね。音をどう配置するのかはものすごく意識しています。

「イ・パクサさんだけは参加させちゃいけないと思っていた」

ーー先ほどイ・パクサの名前が挙がりましたが『Ppong』の「Love Story」に参加していますね。

250:実を言うと『Ppong』を作るにあたって、最初イ・パクサさんだけは参加させちゃいけないと思っていたんです。それはイ・パクサこそがポンチャックだからです。彼に参加してもらうのはあまりに安易だし、それでは250の作品にもならないと思いました。

ーーそれなのにオファーしたのはなぜ?

250:ポンチャックをテーマにしたアルバムを作っているのに、イ・パクサさんが参加してないと、逆に世の中からはカッコつけてるように見えてしまうでしょ? 意識的に呼ばなかったことが見え見えで、それってすごいカッコ悪いなと思ったんです。だから素直になってオファーしました(笑)。

ーー「Love Story」はどんな歌詞なんですか?

250:「けんかしないでただただ踊れ」みたいなことですね。あれはイ・パクサさんが昔のアルバムでコールしていることなんです。僕はそれがすごく好きだったので、同じコールをしてもらいました。

ーー250さんは今回の日本ツアーで電気グルーヴの石野卓球さんにDJをバトンタッチする瞬間がありました。卓球さんがリミックスしたイ・パクサさんの楽曲はご存じでしたか?

250:もちろんです! そもそもイ・パクサさんは電気グルーヴのあのリミックスのおかげで、韓国で注目されるようになったんです。それまではほとんど知られていなくて、逆輸入で人気が出たアーティストなんです。

ーーそうだったんですか!?

250:そうなんですよ。だから卓球さんにバトンタッチできた時は本当に感動しました。「ああ、電気グルーヴだ……」って(笑)。しかも卓球さんは僕に拍手をしてくれたんです。すごく嬉しかったですね。あと初めて卓球さんのDJを体験したんですが、僕が消えてなくなりそうなくらい盛り上がっていました。卓球さんのプレイはあまりにもすごい。別次元です。かなり衝撃を受けました。

ーー電気グルーヴのリミックスを聴いてどう思われましたか?

250:とても自由だと思いました。実はイ・パクサさんを『Ppong』に呼ぶか躊躇した理由の1つが、この電気グルーヴのリミックスの存在だったんです。あれよりもうまくできる自信がなかった。

ーー『Ppong』は250さんでしか表現できない音楽だと思いました。

250:(日本語で)ありがとうございます!

K-POPはなんでも起こりうる音楽

ーー「Royal Blue」には、日野皓正セクステットでも活動していたジャズ・サックス奏者ジョンシクさんが参加していますが、現在の日本の音楽シーンで注目しているアーティストはいますか?

250:日本に限ったことじゃないんですが、『Ppong』を制作していた期間はポンチャックばかり聴いていたので、最近のアーティストはほとんど知らないんです。なので、僕が好きな日本のアーティストというと、坂本龍一さんになりますね。あと玉置浩二さんやカシオペアもすごく好きです。中高生の頃はX JAPANのファンでしたよ(笑)。

ーー『Ppong』には細野晴臣さんの作品にも通じる感覚があると思いました。

250:あー。今回のアルバムには表現の上で乗り越えなきゃいけないいくつもの課題があったんです。僕はその答えをYMOに見いだして、自分なりにあれこれ試して解決していきました。だから細野さんのアイデアにも影響を受けている面もあると思います。

ーー課題とは?

250:アジア的なサウンドとコンピューターミュージックをどのように融合させるかという部分ですね。

ーー今回のアルバムはNewJeansの制作と並行して作業されていたんですか?

250:そうですね。一緒にやっていました。

ーーNew Jeansに関してはどのように制作されていたんですか?

250:僕は最初にトラックを作って、メロディを作る人に渡します。その後、メロディが入ったトラックをさらに調整し、メロディメイカー側もそれに合わせて再調整し、みたいなやりとりを何度も繰り返しました。

ーー混乱しませんでしたか?

250:僕は暇さえあれば基本的にいつも音楽を作っているので、特別混乱することはなかったですね。あとNewJeansも『Ppong』も根底にあるのは、好きな音を探してミックスするという作業なんです。

ーーあー、なるほど。それが〈MAD DECENT〉を好きな理由につながるわけですね。Diploが2000年代にやっていた「HOLLERTRONIX」のマッシュアップ感とか。

250:そうですそうです。

ーーこれからのK-POPと韓国音楽シーンがどのようになっていくと思いますか?

250:僕には「K-POP」がどういうものかわからないんです。そもそも「K」とは外からの呼称ですし。だから僕自身が意識していることはないです。この前、スウェーデンのミュージシャンの友人に「K-POPってなんなのかな?」って質問したんですよ。そしたら「なんでも起こりうる音楽だ」って答えが返ってきました。確かにそういうシーンではありますね。

ーー韓国のアーティストでコラボレーションしてみたい人はいますか?

250:ビンジノさんですね。クールじゃないですか。繰り返しになってしまいますが、最近のアーティストのことをほとんど知らないんですよ。なので、自分の記憶の中にある人達とやりたいです。

ーー250さん自身、今後やってみたいことはありますか?

250:『母なる証明』のバスのシーンのようなめちゃくちゃなパーティをしたいです(笑)。

Photography Miyu Terasawa
Editorial Assistant Emiri Komiya
Translation Hyang Suk Kim
Cooperation Jimbocho Tacto

author:

宮崎敬太

1977年神奈川県生まれの音楽ライター。2015年12月よりフリーランスに。K-POP、日本語ラップを中心にオールジャンルで執筆中。映画、マンガ、アニメ、ドラマ、動物も好き。主な媒体はFNMNL、TV Bros.、ナタリー、朝日新聞デジタルなど。担当連載は「レイジ、ヨージ、ケイタのチング会」。ラッパー・D.Oの自伝で構成を担当した。

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