連載:Soya Itoの「Boylife in EU 」Vol.1 デュッセルドルフのクラブ事情

自己紹介から。去年の9月からドイツに留学している学生で、日本にいた時は大学に通いながらSoya Itoという名前で音楽関係のイベントオーガナイズやDJ等をしていました。今回から「TOKION」でドイツならびに周辺ヨーロッパでの生活や文化を、自分がいた時の東京のコミニティーや文化と比較しながら気ままにつらつらと書き残せたらと思います。

デュッセルドルフのクラブ事情 

まずドイツ留学の経緯としては、自分が通っている東京の大学の学部が少し 特殊なこともあり(母国語が日本語の学生はマストで1年間の留学が必須なシステム)、2年生の3セメスター目が終わったタイミングでドイツに渡航した。元々音楽やそれに紐づく文化、社会学やカルスタなどに興味があったので、ヨーロッパ留学に行くならロンドンかベルリンだろうなとは思っていたが、ベルリンに提携校がない&ロンドンは評定が足りず、結局デュッセルドルフというドイツ西部の都市に留学する運びとなった。人口60万人ほどが住むこの都市はアジア系、特に日系の企業が多いことで有名で、中心地にImmermann  Strasseという日本人街(?)のようなエリアがあり、日本人を見かけることも珍しくない。現にデュッセルドルフはヨーロッパで3番目に日本人が多い都市らしく、日本由来の飲食店やスーパーマーケット、日本語で埋め尽くされた本屋等が点在している。

去年の秋頃、つまり日本を離れた時期は個人的にうまくいかないことが重なったり、東京が生み出す焦燥感や閉鎖性に辟易としていたタイミングだったので、多少の名残惜しさはあったものの東京を離れること自体は割にすんなりと受け入れられた。ただ着いて最初の数週間は散々で、クレカが使えなくなったり携帯が外で使えなかったり、特に食事の面で苦労が多かった。重なる円安とユーロ高でヨーロッパでの外食は破格、円換算すると一食¥2000〜2500は当たり前で自炊を強いられる生活に。東京にいた時は友達とシェアハウスしていたがほぼ自炊はせず外食ばかりの毎日、酷い時は週5で家系ラーメンを食べるような生活力のなさだったので、自炊は最初の試練となった。こっちに越してから1週間ほど経ったタイミングだっただろうか、当時東京で DJのRomy Matsさんに教えてもらったデュッセルドルフのクラブバー「Salon des Amateurs(以下、Salon)」に行ってきた。まず驚いたのはエントリーの安さで、いわゆるクラブという感じではないものの、誰でもわずか5ユーロ(日本円で¥800くらい)で入場できる。ベニューはデュッセルドルフの中心街にある「KunstHalle」という美術館の真横に併設されており、美術館が営業終了する時間帯からオープンという感じ。規模感でいうと幡ヶ谷「Forestlimit」くらいの感じで、中は1フロアだけ、入ってすぐにバーがあり、奥にブース、フロアという作りになっている。「Salon」では週に1回程度でイベントが打たれ、主にはトラディショナルなジャーマンテクノという感じのイベントが多いが、時折バンドや生楽器を導入したオルタナティブ、アンビエントな雰囲気のイベントも開催される。客層は本当に老若男女という感じで、20歳前後のローカルユースから齢60は超えているであろう老人まで混在していて結構びっくり。日本だったら40、50を超えた人をクラブで見かけることはあまりないが、少なくともドイツでは珍しくないらしい。クラブというか、こうやって集って一緒に音楽を聴くという行為自体が文化として根付いているんだなと改めて認識した。この「Salon」が去年の10月初旬くらい、次のヨーロッパクラブ体験は11月中旬頃のロンドンになるが、それまで何をしていたかというと、学校など新生活が始まったり、住民登録などの諸々の手続き系に追われていた。こっちの手続きは本当に面倒で、特にビザは去年10月の時点で学生ビザを申請しているのに未だ2023年5月現在音沙汰なし。そのくせ家賃の未払いや保険の未払いにはものすごく厳格なので本当に鬱陶しいと思うが、学生は公共交通機関が無料だったり学費がかからなかったりと、なんだかよくわからない国だなとも感じる。 

初ロンドンパーティーでの経験

さて、前述したとおり11月(この時はまだ学生ビザが有効だった)にはロンドンに1週間ほど遊びに行った。1時間半ほどのフライトを終えてロンドン着(ヨーロッパ圏内だと飛行機移動が圧倒的に早い)、久しぶりの東京の友達と合流。十何年ぶりのロンドンだったが、元々の記憶があまりなかったのでこんなにも大都市だったのかと驚いた。初日は友達と老舗らしい面のイングリッシュパブに行ったが、換気をしていないのか地下の蔵?みたいなところからの臭い空気がパブ中に充満しており早々に撤退、あまりそれ以外の記憶がない。2日目はロンドンでインディペンデントに活動するファッションデザイナー達が開催する小規模なフリーマーケットへ。去年頃からトラッシーな雰囲気のY2K感やスポーティなテックウェアが流行っているが、それらとは少しテイストが違う印象だった。ファッションにはあまり興味はないが、服はモノとして好きなので、同世代のロンドンの若者が作った服を見れたのはなんだか嬉しかった。その後、知り合いがロンドンアンダーグラウンドで「Genesys」というレイヴパーティーをやっているというので友達と遊びに行った。べニューは廃墟のようなところで、一階は溜まり場のような感じ、地下へと階段が続きフロアが現れる。多分サウンドシステムや機材は持ち込みだったと思うが、その割に音は良かった印象。だだっ広いフロアでハードテクノがオープンから流れていた。前述したデュッセルドルフのSalonとは打って変わって「Genesys」の客層はユースが大半で、イベントの雰囲気的にもロンドンの先端ユースが集まっていたが、音楽性やコンセプト、DIY的レイヴ感などは東京の先端とあまり変わらないのではという印象だった。ただやはり規模感と客層の装いは流石ロンドンという感じで、あのようなアンダーグラウンドパーティで300人以上の文化圏が近しい若者が集まることは東京ではなかなか見られないし、何より各々がファッションを楽しみながら好きな服を纏っている様子は素晴らしい光景だった。レイヴということもあって4時間ほど経ったタイミングで苦情を受けた警察が建物の周りを包囲、焦ってパニックになったストーナーなどが騒ぎ出すカオスな状況に。警察が建物に入ってきたのとすれ違いで包囲された建物から脱出することに成功。初ロンドンパーティーは良い思い出となった。その後の滞在は会いたかった友達などと遊んだり、美術館に行ったり観光したり、クラブに行くことはなかったが充実した旅になった。 

次回は昨年末、ベルリンで過ごした年越しと初めてのベルリンテクノクラブ体験のお話。

Editorial Assistant Emiri Komiya

author:

Soya Ito

東京育ち。2021年からSoya Ito, dj woahhausとして活動する。東京を拠点に置くイベントコミュニティManaファウンダー。エモとスワッグ。

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