大量の漢字で自然物を描くアーティスト アート業界が熱視線を送る大谷陽一郎の創作哲学

大谷陽一郎
1990年生まれ。大阪府出身。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。桑沢デザイン研究所在学中に視覚詩やタイポグラフィへの関心を高めたことから、東京藝術大学大学院への入学を決める。2018年から2019年まで、北京の清華大学に交換留学。主な受賞歴に、野村美術賞(2022年)、サロン・ド・プランタン賞(2018年)など。著書に『かんじるえ』(2021年/福音館書店)、『雨  大谷陽一郎作品集』(2017年/リトルモア)。
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遠くから見ると降り注ぐ雨や大きな山、近くから見ると大小さまざまな漢字の集合体——。コンピューターで大量の漢字をランダムに配置して自然物を描くアーティスト・大谷陽一郎。3月に東京藝術大学博士後期課程を修了したばかりの大谷は、在学中からアート業界でじわじわと注目度を高めてきた。もともとはグラフィックデザイナーを目指していたという大谷。なぜとりわけ漢字に着目するようになり、アーティスト活動を始めようと考えたのか。二人展「Echoes」を開催中の「Miaki Gallery」で、その創作哲学を聞いた。

漢字のおもしろさに気付くまで

——昔からアートやもの作りに興味があったのでしょうか?

大谷:必ずしも強く興味を持っていたわけではありません。幼い頃から絵を描くことは好きだったんですが、中学・高校生時代にはバスケ部の活動に取り組んでいたこともあり、ほとんど描かなくなってしまい……。ただ、一般大学の3年生になったときに「ものを作れる人になりたいな」と考え始めたんです。当時はデザイナーの自伝を読んだり、グラフィックデザイナーのポスターを好んで見たりしていたので、グラフィックデザインがおもしろそうだなと。デザインを介して音楽やファッション、食などさまざまな業界と関わり合いながらアウトプットができることも魅力でした。

最初は独学でデザインツールを勉強しながら、当時住んでいた大阪にあるデザイン事務所に履歴書を送っていたんですが、すべて落ちてしまって。唯一受かったのがスーパーマーケットのチラシを作る印刷会社でした。そこで1年ほど働くうちに、「ちゃんと勉強しないといけないな」と思い始めて上京することにしたんです。東京では、日中は運良く拾ってもらえたデザイン事務所に出入りしつつ、夜間は桑沢デザイン研究所に通うという日々を送っていましたね。

——はじめの頃はグラフィックデザイナーを志していたと。現在のようにアーティスト活動を行うようになったのはなぜでしょうか?

大谷:グラフィックデザインを勉強する中で、タイポグラフィに興味を持ち始めたんです。文字って一見とても地味なんですが、操作次第で伝えられる情報の質が変わってしまうほどに情報の要だなと。桑沢デザイン研究所の課題とは別に、文字を題材にした実験的なグラフィック作品を自主制作するようになりました。「もう少しこういう活動を発展させたい」と考えた結果、東京藝大に進むことを決めました。

とはいえ、アーティストを名乗るようになったのは藝大に入学して2年ほど経ったころなんですよ。「東京タイプディレクターズクラブ(TOKYO TDC)」が開催するコンペに応募した際、審査員の1人である井上嗣也さんが僕の作品に興味をもってくださったことが始まりです。そこから出版社のリトルモアにつなげていただき、『雨』という作品集を2017年に出版することになりました。漢字の「雨」の象形に着目し、さまざまな表現で「雨」の文字を描いた本です。掲載する作品のクオリティを上げるために、井上さんと編集の方にアドバイスをもらいながら1年間ほど作品のブラッシュアップを行い、800枚ほど書いたうちの70枚を厳選しましたね。

以来、デザイナーを名乗るよりもアーティストを名乗るほうが自分の表現活動を行いやすいことに気付き、肩書きをアーティストにしたんです。自分でそう名乗るのはちょっと恥ずかしいんですけどね(笑)。

——大谷さんの作品は漢字を用いた表現が特徴です。世界中に文字は数多く存在しますが、中でも漢字を選んだ理由は?

大谷:漢字の持つ図像性と意味性、増殖性に引かれたからというのが大きいです。漢字文化圏で生きている人達にとって、音声上のコミュニケーションは言語を学び合っていない限り難しいけれども、読むという点ではなんとなく通じ合える部分がある。僕は、将来的に国外の人にも自分の作品を知ってほしいと考えているので、過去に中国語を学ぶ目的で北京の清華大学に留学していたことがあるのですが、その時にそう感じましたね。日本人の自分でも街の漢字看板を見て、ここがどういった店なのかなんとなく理解できましたし。漢字文化圏には意味のプラットフォームが通底しているように思いました。そういった図像性と意味性に漢字の可能性を感じています。

また、漢字は他の言語と比べてシンプルになりきっていないという特性をもっています。言語は一般的に、合理化して発展していく傾向にあります。それがいいとか悪いとかの話ではありませんが、例えばアルファベットは形が単純化されている上、26種類しか存在しないですよね。一方で漢字は、いまだに「数万種類ある」とも「数えきれないほどある」ともいわれる。人は歴史の中で、自然の風景や人のたたずまいを“かたどった”のちに、偏(へん)と旁(つくり)という仕組みを作り上げ、各要素を組み合わせて言葉や意味を増やしていったんですよ。その増殖性が興味深いと思っています。

漢字は発音もおもしろいです。今回の二人展「Echoes」で展示している《ki/u》シリーズは、雨をテーマにしています。「祈る雨」で「kiu」という音がもとになっていますが、そこから「鬼雨」(おどろおどろしい雨)や「樹雨」(樹木の葉にたまった水が水滴として落下したもの)、「気宇」「喜雨」「雨期」「雨季」などの既存の言葉に接続させながら、さらなる派生によって最終的に50種の漢字を選んで使いました。ローマ字で「kiu」や、カタカナで「キウ」と書いてもそこに意味は生まれませんが、漢字に変換した途端、多様な意味が溢れ出してくる。音が持つ意味の広がりがおもしろいと思っています。

文字を線と行から解放し、自分の意図を超える

——作品の制作技法について教えてください。

大谷:前提として僕は、漢字を用いた“視覚詩”を作っています。とはいえ、漢字を用いてはいるものの、身体性を重視する書道のように、身体を通して漢字の形を作り上げることはしません。複数の漢字フォントを点描画のようにキャンバスに置き、山や雨などの自然物を描いています。この時、漢字の配置箇所はプログラミングによって決定します。自分がデザインしたイメージをもとにして、乱数によってどの漢字をどの位置に割り振るかをランダムに決めていくんです。

——プログラミングを使う意図は?

大谷:まず、効率よく繊細な絵を仕上げることができるからというのが理由です。以前はマウスとキーボードを使った手作業で文字を配置していたんですよ。例えば、修士の修了制作で発表した山がモチーフの作品では、「ki」と音読みする「木」「樹」「気」などの漢字を、手作業で密集させるように配置して大きな山々を描きました。この手法だと、完成までに果てしない時間がかかっていた上に、雨などの細かな描き込みが必要な自然物をきれいに描けないんです。プログラミングを使って基本的な文字配置をコンピューターに任せるようになってからは、手作業で行う以上に繊細な文字配置をできるようになりましたし、1作品にかける時間が短縮しましたね。

また、乱数を用いることで偶然性を取り入れられるんです。自分の意図を超えたところで、ランダムに文字同士を隣り合わせることになりますし、絵全体で見ればその“偶然の隣り合わせ”が無限に作り出されることになる。偶然性は自分で再現できないものなんですよ。自分で偶然性を意識して無理やり文字を配置したとしても、それは完璧なランダム状態ではないので。

——なぜ偶然性が重要なんでしょうか?

大谷:文字を意味や構造から解放したいんですよね。自分の意図を超えたところに文字を置くことで、線や行という概念が弱まり、一直線上に文章を読もうとする深層心理から鑑賞者を脱出させることになる。一般的な文章は始まりと終わりが決まっていますから。僕の作品ではXY軸のある二次元的な書式を目指したい。そこに順序はなくて、すべての文字が同時的に存在している状態です。線や行から文字を解放することで、意味や構造からもいったん解放する。そして再び文字同士が新たに出合う。その現象を鑑賞者の中に起こすことに関心があります。

——作品を近くで見ると、明朝体やゴシック体といったフォントの種類もランダムに配置されていることがわかります。

大谷:普段、私達は文字の形を意識して文章を読みません。文字は、情報を伝えることに特化した役割の中で、その形が透明化されています。フォントは工業製品なので、形が均一に整えられていて視認性が高く設計されています。だからこそ、1種類のフォントを使用するだけでは、ストレスなく文字を読み進めることになってしまうので、あえてさまざまな種類のフォントを使うようにしているんです。文字を「読む」から「見る」へ仕向けるための揺らぎを作りたいと考えているからです。《ki/u》シリーズには、ところどころにキラキラした素材や青色を塗っているんですが、それも鑑賞者に“揺らぎ”を与えることを目的としています。

——雨や山を描いてきたということですが、自然物をモチーフとすることにこだわっていらっしゃるんですね。

大谷:漢字自体が自然をかたどった文字でもあるので、現代の工業製品であるフォントを使って、自然物にアプローチする試みがおもしろいなと。ただ、自分でもなぜなのかわからないというのも正直なところです。昔からアウトドアが好きだったからというわけでもないのに、人を描くよりも自然を描くほうがしっくりくる。振り返ると、高校生の時に見た夏の光景が頭に焼き付いている気がします。原付に乗って1人で高野山に行ってみようと思い立ったことがありまして。山中を走っていたら、急に空が暗くなって土砂降りの雨が降り出しました。人も家も車も何もない場所で、ただ木と川があるだけだったんですが、それがすごく怖かった。でも、黒い雲はすぐに流れて清々しい青空が広がっていったんですよね。心の中まで洗い流されていくような感覚がありました。その体験が影響しているのかもしれません。

——今後、アーティストとして目指すことはありますか?

大谷:現時点で自分の作品規模はまだ小さいので、これからは5〜6mくらいあるダイナミックなものを作っていきたいです。僕がモチーフにする文字や自然物には普遍性がある。だから、時代を越えて世界で通用する作品を作り続けたいと思っています。

AIに興味があるので、AIを積極的に使った創作活動もしたいですね。AIを制作過程に取り入れることでランダムに新たな文字の組み合わせを作ることができる。先ほど話した「意図を超える」にもつながってきます。AIが提案するテキストを再編集することで、新しい詩のような作品を作ってみたいです。

Photography Yohei Kichiraku

◾️二人展「Echoes」大谷陽一郎×ヒョーゴコーイチ
会期: 10月7日〜11月4日
会場:Miaki Gallery
住所:東京都港区西麻布1丁目14−16 ベルジュール麻布 2階
休日:日曜、月曜、火曜

author:

利川 果奈子

名古屋大学院情報学研究科修了。2023年にINFASパブリケーションズ入社。

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