写真家・児玉浩宜がウクライナを離れてたどり着いた場所 メキシコ・ルポダイアリー Vol.1 モンテレイ

「純粋な旅を続けたい」ウクライナを離れ、募る想いとともにたどり着いたメキシコ

いつのまにか、ほとんどの顔ぶれが入れ替わってしまっている。

乗客を乗せた長距離バスはいくつもターミナルを経由していった。窓からは砂漠に岩山、そしてサボテンが現れては視界から消えていく。もっと純粋な旅を続けたい。何度も取材で通った戦時下のウクライナの風景から離れ、さらに遠いところへ。募る想いとともにたどり着いたのはメキシコだった。

「こっちに住む人たちに聞いたんですよ。そしたらみんなバスだけは止めとけって」

そう言ったのは旅のパートナーである編集者の圓尾(まるお)さんだ。

私たちはメキシコ中部のマテワラという小さな町の宿で、彼を半ば説得するように話していた。

彼が言うのも無理はない。この国は広大だ。日本の5倍以上の面積がある。地方へ行きたい場合、ふつうは地元の人でも飛行機を使う。長距離バスの場合、24時間近く乗らなければいけないこともあるらしい。それに夜行バスは警察や強盗に金銭を要求されることもあるという。

「それでもいまのメキシコを見るならバスで移動するほうがいい」と私は食い下がった。

飛行機だと事前にチケットを予約してスケジュールを決めなければならない。滞在は約1ヵ月。時間は十分にある。できれば細かい予定を立てず、流れるように転がるように旅をしたい。自由を求めてアメリカの路上を彷徨ったジャック・ケルアックも、神秘的体験に惹かれたウィリアム・バロウズも目指したのはメキシコだった。彼等が魅了されたものは何だったのだろう。昨今のメキシコと言えば麻薬、ギャング、移民問題など、印象が良いとはいえない。その背景にはいまを生きる人々の素顔が隠されているのではないか。だからこそ私は心が向くままに旅をしながら、現在のメキシコを肌で感じてシャッターを押したい。旅の目的を素直に話した。

圓尾さんはため息をつきながらも、こちらの提案を理解してくれた。ただ彼はどうしてもメキシコシティで開催されるライブを観たいらしい。出演者はモリッシー。ご存知、イギリスのアーティストである。いきなりラテンアメリカの旅路から逸れてしまう気がしたが、こちらもわがままを受け入れてもらっている身だ。大いに楽しんでもらいたい。それに私たちに定まったルートなどないのだ。とにかく彼は一旦メキシコシティに戻る。そして3日後にアメリカとの国境の街、北部シウダー・フアレスへそれぞれ空路で向かって合流し、そこを起点として南下する旅を始めることを決めた。

その間に少しでも北に近づこうと、心細くはあったがひとりでモンテレイにバスで向かうことにした。

ターミナルに到着したのは夕方近くだった。降り立った途端、蒸した空気に身体が包まれる。さっき見た電光掲示板では気温は39度を示していた。メキシコ北東部にあるモンテレイはアメリカの国境に近く、日本を含めて外資系企業が多数進出する工業都市であり、経済の中心地だという。とはいえホテルの周辺を歩いてみたが、ナイトクラブから爆音でディスコミュージックが漏れ聞こえ、娼婦が路地に立ち、猥雑な雰囲気が漂う。

バックパックを背負って近くの安宿街を訪ね歩いてみたが、どこも満室だと断られた。どうも南米からアメリカを目指す移民たちが大勢滞在しているらしい。どこの宿の入り口もそういった人々がたむろしていた。

ようやく空きがあるホテルを見つけたが、お世辞にもきれいとは言えなかった。部屋のドアは落書きだらけ。天井にあるファンは室内の空気を掻き回しているが、感じられるのは熱風だけ。水シャワーを浴びたがそれでも暑さに耐えきれず、結局すぐに外へ出た。

近くの屋台でひとりタコスを食べて部屋に戻る。しかし、部屋はサウナのようで身体が休まることなく、夜中に何度も目が覚める。涼みに外に出ようにも、夜間は危険ということでホテルの出入り口は施錠されている。繰り返し水シャワーで身体を冷やしていたら朝になっていた。

2000頭の馬の群れと1000人が踊る記念日のパレード

翌日は日曜だった。睡眠不足のままメインストリートを歩く。休日のためか人の往来はさほど多くない。商業ビルが立ち並ぶ大通りを歩いていると、突然現れた警察官が道路の規制を始めた。事故かな、と思っていると、いきなりアスファルトの路面を叩くような音が連続した。

馬の群れだ。いったい何頭いるのだろうか。波のように押し寄せてくるので、数えきれない。馬にはカウボーイたちが乗っている。どこからか湧き出すように観衆が集まり始めた。パレードだろうか。馬の蹄が地面を蹴り、カウボーイたちは誇らしげにポーズをとる。それぞれブルージーンズにブーツ、そしてソンブレロと呼ばれるカウボーイハットがさすがに様になっている。馬に跨ったまま缶ビールをあおったり、スマートフォンで動画を撮りながら馬に乗る人も。観客らとともにパレードを追いかけた。隣にいた男性に話を聞くと、この日はモンテレイの市政記念日らしい。この日のために地元からおよそ2000頭の馬を集めたのだとか。カウボーイの歴史やルーツは、メキシコを拠点にしていたスペイン人の文化で、現地の言葉で「バケロ」と呼ぶらしい。

彼は「バケロは我々の自信と誇り、そして自由の象徴なんだ」と胸を張った。パレードの目的地であるサラゴサ広場に到着するとそこは馬だらけでまるで牧場のようだった。こんなイベントに遭遇するとはこれは幸先がいいぞ、と内心ほくそ笑んだ。

マリアという女性のスタッフに英語で声をかけられる。

「このあと午後5時に必ずここに来て。1000人が集まって踊るんだから」と言った。

1000人が踊る? なんだそれは。唐突すぎて理解が追いつかない。

周辺を散歩してから指定の時間より早めに広場に戻ると、すでにいくつかのグループが集まっておしゃべりをしていた。女の子たちはクラシックなドレス姿。青年たちもタイトなパンツにソンブレロを被っている。その凛々しい姿にかなわないなと思う。見惚れていると続々と他のグループも集まってきた。

広場にある仮設ステージの裏では地元の新聞社やテレビ局のカメラマンも大勢いて、担当者と打ち合わせをしていた。彼等を横目にこっそりステージに上って撮影ポジションを確保しようとすると、後ろから大声で話しかけられた。振り返ると、大柄の男性がいきなりスペイン語でまくし立てる。まずい。撮影するのに事前に許可が必要なのだろうか。返答に困っていると彼は私の肩をがっちりつかんで他のカメラマンたちのところへ連れていき、グッドサインをした。どうやら「あとでステージに上がらせてやるからここで待て」ということらしい。杞憂だった。

踊りはバンド演奏を合図に始まった。ブーツのつま先で激しく地面を蹴る独特のステップにひらひらと舞う衣装。集まった1000人がポルカのリズムに乗せて踊るのはさすがに息を呑む。だが、ラテン特有のおおらかさが作用しているのだろうか。一糸乱れぬ団体舞踊というよりも、純粋にそれぞれが踊ることを楽しんでいるようだ。見ていた地元の観客もつられて踊る様子がまた楽しい。

カメラマンの集団から抜けてステージを降りると、演奏が流れるスピーカーの前でさっきのマリアを見つけた。

「この踊りは何というの?」と大音量の演奏に負けじと彼女の耳元に話すと、マリアは叫ぶように「フォークロア・バレエよ!」と率直な答え。彼女によると、このイベントそのものは3年前から始まったらしい。伝統文化が根付きにくい工業都市に新たな潮流をつくりたいのだとか。2000頭の馬に1000人の踊りである。町おこしにしたって数がすごい。

1時間ほど続き、踊り疲れた彼等が向かったのは、ケータリングで用意されていた食事。それはまさかというか、やはりというか、大量のタコスだった。それも1000人分!晴々しい顔でかぶりつくタコス。早合点とはわかりつつも、これがメキシコか!と驚いていると「写真を撮ってくれ!」とさっそく声がかかる。

馬のパレードや踊り、そしてこのタコス。街を歩くだけで偶然にも彼等のアイデンティティに触れたような気がする。

その夜、圓尾さんから「モリッシーのライブは延期になりました」と落胆する連絡が来た。「残念でしたね」と言うほかないが、励ますように今日あった出来事を伝える。

2日後、飛行機は2時間弱でシウダー・フアレス空港に着陸した。滑走路は雨で濡れている。携帯電話が電波を拾い、旅のパートナーである圓尾さんが待つモーテルの住所が送られてきた。かつてこのシウダー・フアレスではカルテルによる麻薬戦争が勃発し「世界で最も危険な街」と呼ばれていたらしい。

機内から降りるとすぐにメキシコ移民局による身分証のチェックが始まり、私を含めた外国人は空港で待機させられた。IDカードを見せて素通りしていくメキシコ人たちとは対照的に、私たちは緊張感に包まれていた。係官がパスポートを入念にチェックした後、私は無事解放されたが、他の人々は移民局の護送車に乗せられ空港から連れて行かれてしまった。その場には重苦しい空気だけが残り不安を誘ったが、旅が始まる高揚感で自分を奮い立たせ、小雨の降るなか街へ向かった。

author:

児玉浩宜

1983年兵庫県生まれ。民放テレビ番組ディレクターを経てNHKに入局。報道カメラマンとして、ニュース番組やドキュメンタリーを制作。のちにフリーランスとして活動。香港民主化デモを撮影した写真集『NEW CITY』、『BLOCK CITY』を制作。2022年から2023年にかけてロシアのウクライナ侵攻を現地で取材。雑誌やWebメディアへの写真提供、執筆など行う。写真集『Notes in Ukraine』(イースト・プレス)を制作。 Instagram:@kodama.jp https://note.com/hironorikodama/

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