ウクライナの“リアル”を個人の視点で撮影する写真家・児玉浩宜が現地で感じたこととは?

日々、さまざまなニュースでウクライナの凄惨な状況が伝えられ、SNSでも目にすることが多い。そんな中、Twitterのタイムラインで1つの投稿が目に留まった。投稿者は、写真家の児玉浩宜(こだま ・ひろのり)。その投稿には、ウクライナで撮影された若い男性のポートレートとともに、「ITサービス作ってCEOになりたい、この2週間でいろいろ考えたけど、それでもやりたいことは変わらない、いまはアイアン・メイデンを聴いていた」20歳、とコメントが添えられていた。そこには大手のメディアでは伝えられない、1人の人間のリアルな声があった。

児玉は現在、ウクライナで現地の人の撮影&インタビューを行い、TwitterやInstagramnoteでその様子を発信している。今回、どのような思いでウクライナでの取材を決めたのか。また現地で感じたこととは。メールで聞いた。

——簡単にで構いませんので、普段の活動について教えてください。

児玉浩宜(以下、児玉):前職ではNHKの報道カメラマンをしておりましたが、元々写真に興味があり、いまは個人として活動していて、写真家としては自分の興味・関心がある事や人を撮影しています。いわゆる商業写真といった仕事にはあまり興味がなく、最近では日本橋から青森まで繋がる国道4号線沿いに、ポートレートや風景を撮影しています。また、2019年から2020年にかけては香港民主化デモを撮影していました。

——今回、どういった思いから戦時下のウクライナで撮影しようと思ったのでしょうか?

児玉:前述の通り、興味・関心があったからです。ニュースでは各地の前線での凄惨な状況が伝えられています。侵攻を受けている地域は地獄絵図でしょう。そういった情報は人命救出のためには欠かせません。世界を動かすためにも、とても重要です。ただ、報道機関が営利企業である以上、それぞれのニュースの価値を比較し、取捨選択しながら伝えなければいけない事情も、かつてテレビというメディアに関わっていた自分には理解できます。時として、情報の規模が大きすぎるとあまりにも遠く感じることもあります。私は、自分が見たもの、触れたものをより個人の視点で記録し、自分のフィルターを通して伝えたいという思いがあります。逆にいうと、強い正義感や写真で世界を救いたいといった大義は恥ずかしながら、ほぼありません。

——児玉さんの写真を見る限り、現地の人は普段と変わらない生活を送っているように見えますが、実際はどのような状況でしょうか? 

児玉:人によって置かれている状況は全く違うと言えます。避難者はこれまでの生活と一変していることは容易に想像できます。侵攻以前の街の雰囲気がわからないので比較できませんが、22時以降の外出禁止令が設けられたり、頻繁に空襲警報が鳴り、その度に近くにあるシェルターへ逃げ込まなければなりません。多くの人がかなりの精神的な負担を強いられています。だからこそ、努めて冷静に、普段通りの生活を送ろうとしているのかもしれません。

当たり前のことですが、戦争があってもなくても誰にでも生活はあります。そういったことはあまりニュースでは伝えられませんが、私はそこに興味・関心があるので、撮影させてもらっています。

——Twitterを見ていると、今はウクライナのリヴィウ(ウクライナ西部の都市)にいるそうですが、ウクライナに入国してから爆撃など、危険を感じる場面はありましたか?

児玉:リヴィウの前に滞在していた、イバノ・フランコフスクという街では、夜明けとともにミサイル攻撃があり、凄まじい衝撃音で目が覚めました。今でもその衝撃は肌や耳に残っています。リヴィウの近郊では何度も攻撃されているものの、街に残る人も多く、中心部、市街地は一見落ち着いているように見えますが、街の中心部にある文化財や重要な施設は鉄板で覆うなどして、中心部への空爆に備え始めました。

——現地のテレビや新聞などのメディアでは今回の戦争についてどのようなことを伝えていますか?

児玉:現地では、各地での戦況のほか、海外ではどのように反応されているのか、ということもよく伝えられています。国外からの支援がなければ、厳しい状況がより一層続きます。物資や武力を含めてさらなる支援を求めています。

——通信インフラはちゃんと機能していますか? 

児玉:少なくとも私がこれまで滞在していた、チェルニフィツィやイバノ・フランコフスク、いま滞在しているリヴィウに関しては問題ありません。現地のSIMカードで問題なく接続できています。wifiに関しては提供しているホテル次第です。接続者が増えると通信が遅くなるのは日本でも同じですが、宿泊する施設によっては多数の避難者が滞在し、接続するため、時間帯により速度が遅くなることがあります。

——食料が不足するなどの問題ないのでしょうか?

児玉:食料に関しては、チェルニフィツィのスーパーでは保存が効く食品、缶詰などは品不足になっていました。また、ウクライナ各地や隣国からの支援もあり、前線や避難所へ送る食料が用意されていますが、まだ十分とは言えないと聞きます。取材していると隣国から食料支援物資が届くのをよく見かけました。ただ、医薬品不足に関してはかなり深刻だと聞きます。

——児玉さんが撮影しているのは若者が多いですが、何か撮影する基準みたいなものはあるのでしょうか?

児玉:若者だけでなく、基本的にはいろいろな年代の方を撮影させていただいていますが、若年層ほど英語が堪能な方が多く、いま置かれている状況を聞きやすいということはあります。基準というほどのものは特にありませんが、普段、自分が日本で生活していてよく接するような方に話を聞いています。また、現地の人から声をかけていただき、撮影させていただくことも多々あります。

撮影に加えてインタビューもしているので、現地で通訳を雇い、ウクライナ語から英語へ通訳をお願いする場合もあります。基本的に、まずレコーダーで音声のインタビューを収録させていただいた後、撮影という流れです。

——実際にウクライナに入って、現地の人と接して、今どんなことを感じていますか?

児玉:戦争という不条理に対して、これまで自分がどのように対峙してきたのか、と問われていると感じます。例えばシリアでの紛争、イスラエル・パレスチナの長年の衝突に、自分はどう向き合ってきたのか、自分に問うべきだと思っています。また、かつて日本がアジア各地を侵略してしまった経緯があるからこそ、戦争に反対しなければならないと強く感じます。その気持ちはウクライナを訪れて、現地の人と接してより一層強くなりました。

——戦時下の写真だと悲惨な場面を写した写真が多いですが、児玉さんの写真はポートレートですね。これにはどういった意図があるのでしょうか?

児玉:戦争の悲惨さや事実を伝えるためには、最前線で撮られた写真はとても重要です。ただ、私は1つの方法だけで事象を伝えるべきとは思いません。いろいろな手段や視点があって良いと思います。

私は報道カメラマンとしてではなく、1人の写真家として今回、ウクライナに来ました。各国のメディア含め、最前線で報道写真を撮っている方と比べるととても情けない状況ですが、なんの後ろ盾もなく安全に行動する場合、撮影できる場所や地域は限られてきます。

また、現在ではSNSが発展し、どのようなニュースもスクロールされ、消費され、忘れられていくように感じます。例えば、日本ではミャンマーでの国軍のクーデターはすでにあまり話題にならなくなりましたし、香港やウイグルでの弾圧も、同じように感じます。

人間は忘れていく生き物です。ある国際政治学の研究者は「人類の歴史を調べれば調べるほど、人が歴史から学んでいないということがわかる」と言っていました。そこで、よりシンプルなものほどメッセージ性が強く、人の心に残るのではと思い、ポートレートを撮影させていただいています。

実は香港民主化デモの撮影時には人が極限状態で身を守るために作るものに興味があり、現地でバリケードばかり撮影していました。今回もウクライナのある地方で、地元の自警団に許可をとってから火炎瓶や土嚢、マキビシなどを撮影していた時に、警察官からスパイではないかと怪しまれ、「もっと街で人を撮りなさい」と諭されたということもあります。

現在、SNSに投稿しているのはポートレートですが、街や田園風景、私自身の記録なども撮影しています。今後、別の形で発表できればと思っています。

——現地で写真を撮った人の中で、印象に残っている人を教えてください。

児玉:命からがらイバノ・フランコフスクへ避難してきたある親子は「攻撃が続き、もう家もパソコンも何もない、思い出の写真もデータも何もないから、私達を撮影してメールで送ってほしい」と言われました。また、リヴィウのスケートパークで出会った、ジトーミルから避難してきた17歳の女の子は「スケボーは母が2年前に誕生日プレゼントとして買ってくれた大切なもの、だから一緒に持ってきた」と言っていたのが印象に残っています。彼女にとっては何よりも大切なものなのでしょう。戦時下といえども、自分でリヴィウのスケートパークを探して楽しみに来たと言っていました。

また、チェルニフィツィで出会った、キエフから避難してきた男性は「日本でどのぐらいウクライナでの侵略がしっかり理解されているのかな」と心配そうに私に聞いてきましたが、私はうまく答えられませんでした。

——今後、ウクライナでの活動はどのように考えていますか?

児玉:戦況次第とも言えますが、全くの未定です。さまざまな方からの助言により、私個人への活動費も含めて多くの人からサポートをいただいております。その点に関してとても感謝しています。ただ、宿泊施設の問題があります。リヴィウには多数の避難者がいるため、貸しアパートやホテルの空きが少ないと聞きます。私がこの街にいる以上、避難してきた誰かが宿泊できない状況に、後ろめたさを感じるので、宿泊施設に余裕がある街へ移動する可能性もあります。

私は個人で活動していて、セキュリティの帯同もありませんので、危険地帯で撮影をするにはあまりにリスクが高すぎます。安全が維持されている範囲での活動になると思います。

児玉浩宜 (こだま ・ひろのり)
1983年兵庫県生まれ。テレビ朝日報道番組ディレクター、のちにNHK日本放送協会に入局。報道カメラマンとしてもニュース番組やドキュメンタリーを制作。退局後、フリーランスの写真家として活動。2019年、香港デモ発生時から10ヶ月間渡航を繰り返し、現地で撮影。2020年、香港デモ写真集『NEW CITY』、2021年、デモで使われたバリケードなどを撮影した『BLOCK CITY』(共にKung Fu刊行)を出版。
Twitter:@KungFu_camer
Instagram:@kodama.jp
https://note.com/hironorikodama/
現在、活動の支援金を受付中
https://my-site-103239-103657.square.site

Photography Hironori Kodama

author:

高山敦

大阪府出身。同志社大学文学部社会学科卒業。映像制作会社を経て、編集者となる。2013年にINFASパブリケーションズに入社。2020年8月から「TOKION」編集部に所属。

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