写真家・児玉浩宜がウクライナを離れてたどり着いた場所 メキシコ・ルポダイアリー Vol.2 シウダー・フアレス

アメリカとメキシコを隔てる“トランプの壁”

国境で交渉を試みたが、負けはほとんど見えていた。相手は入国係官ではなくギャングの男だ。私達が立っているのは山の中腹に引かれている国境線だがフェンスや目印のようなものはない。サボテンや灌木がまばらに生えているだけだ。こんなところで殺されても岩陰に放置されておしまいだろう。「メキシコは命の値段が安い」何度か耳にした言葉が頭をよぎった。

アメリカ・メキシコ国境といえば、もう何年も前から移民の話題が伝えられている。《移民希望者数が急増》《暴力や貧困からの脱出》《大統領選の争点》もう新鮮さはあまり感じられない。実はアメリカとメキシコを隔てる国境の壁(いわゆるトランプの壁)は西から東まですべて繋がっているわけではない。フェンスも壁もない箇所がいくつかあるらしい。メキシコ北部のシウダー・フアレスの街外れにある山もその1つ。国境をまたぐように山があるが、私有地のために壁の建設ができないという。実際に山の麓を訪れると、西の地平から連なってきた鋼鉄製の壁が唐突に途切れていた。

その先はどうなっているのだろう。同行している編集者の圓尾(まるお)さんと一緒に山道を進む。すぐに窪みに隠れるように歩く10人ほどの姿を見かけた。越境を試みる移民だろうか。彼等のうちの1人の男に声をかけられた。「お前は警察なのか?」そう聞いてきた男はギャングだった。彼はここを仕切るコヨーテと呼ばれる密入国の斡旋業者だ。密入国の手助けは麻薬カルテルのサイドビジネスから始まったともいわれている。越境するためには彼等に多額の金を払わなければならないらしい。彼に事情を説明すると男は足元にあった針金を拾い上げて「お前らが次に来た時はこれだ」と首を絞めるポーズをしてみせた。私達は後ずさりをしながら「わかった、わかった」と答え、引きつった顔で山を下りた。

そして2日後、私達は今度はアメリカ側からその山に登ってしまった。そして再びギャングに遭遇。冒頭の続きだ。懲りてないどころかさすがに馬鹿げている。何が「わかった、わかった」だ。だいたい同じ言葉を2度繰り返すやつは信用ならない。前回とは違う男達だったが「アメリカドルとメキシコペソを全額、それに携帯電話とカメラをよこせ!」と怒鳴ってきた。従わないと私達をメキシコ側に連れ去るという。交渉で時間を稼ぎたかったが、私の財布にあるのはわずか25ドル。これでは交渉材料にもならない。ペソの手持ちもなく(ATMでカードが受け付けなかったため)どうしても帰りのバス代のために少しはドルが必要なんだと必死に頼み込んだ挙句、15ドルを巻き上げられてしまった。少額とはいえドルを見せると男達は携帯電話やカメラのことは忘れてしまい、私達は解放された。私の命はこんなものか。持ち金もしみったれているが、払う額も同様にケチくさい。状況を静観していて1ドルも要求されなかった圓尾さんが「割り勘にしましょうか」と言った。ありがたいがそれでは私の命の値段が半額になるので遠慮した。山の麓まで下りて国境までのバスで5ドル使ってしまった。残りは5ドル札1枚。私達はメキシコに帰るしかなかった。

国境にかかる橋は地元の人達が行き交っていた。彼等は通勤や通学のために国境を渡っていく。壁の向こうの街も地元民にとっては1つの生活圏なのだ。麻薬戦争により、かつては世界で一番危険な街とも評されたシウダー・フアレスも現在は平穏らしい。私達はメキシコ側に戻って国境沿いを歩いた。さっきの山と違い、鉄の壁や有刺鉄線が視界を横切るように貫いていて、監視する国境警備隊や装甲車も見える。それらを眺めているとまるで自分が刑務所にいるような気分になる。周辺にはボロ雑巾のように破れた衣類や歯ブラシなどの生活用品が散らばっていた。それらを辿っていくと、国境の橋の下に20人ほどの人達がたむろしている。彼等は移民希望者で、多くは中南米の出身者の若者だ。さっき橋を渡ってきた時には気付かなかったが、彼等はここで野宿しているらしい。

メキシコ国境のアメリカ移民の実態

トニーという男が流暢な英語で話しかけてきた。恰幅のよいホンジュラス出身の54歳。すでに3ヵ月近くここで暮らしているという。「ここにはボスもギャングもいない。みんなは家族みたいなもんさ」とトニーは言ったが、仲間から気さくに話しかけられたり、持っていた果物を分け与えている姿を見ると彼自身が親分肌の持ち主のようだ。「メキシコの人達は食料や服の援助もしてくれるので助かっている。でもメキシコの警察はダメだ。すぐにここから追い払おうとする。俺達は猿や犬じゃないんだぞ」と言ってトニーは頭を横に振った。警察はあくまでポーズとして追い出す姿勢を見せているらしいが、それに付き合わされる彼等も大変である。警察が去ると彼等はすぐにここに戻ってくるという。「ホンジュラスだったら警官は簡単に人を殺すからね。ギャングに頼まれて小遣い稼ぎのために。あそこに比べればこの街はいい。アメリカはもっといいだろうな」と言って笑った。

何のためにアメリカへ行くのか。彼等に聞くと、その答えは壁にボールを投げたように軽々と跳ね返ってくる。私達はそもそも「移民」という言葉のイメージに否応なしに重い何かを背負わせている。しかし、ほとんどの場合そこに驚くような理由があるわけではない。「今より少しでもいい暮らしがしたい」それは常日頃から私達が同じように思っていることだ。ただ違うのは「少しでもチャンスがあるのならそれに賭ける」という覚悟だ。貧困や暴力、そして経済破綻。それらの状況はより一層その思いを強くするのだろう。

日が傾き始める頃、その場にいた若者達が大声を上げて一斉に走り出した。彼等が見上げた視線の先には、国境の橋を渡る通行人の姿があった。「1ドルでも1ペソでもいい、僕達に恵んで! ご飯を食べるお金を!」しばらくして立ち止まった通行人が、手すりの隙間から1枚の紙幣を落とすのが見えた。紙幣は風に漂い、ひらひらと舞った。それを目掛けて若者たちが走りだす。ひとりが高くジャンプして掴もうとした、が空振る。揉み合いになって砂埃が巻き上がる。ようやく地面すれすれで紙幣を掴んだ者は頭上の通行人に「グラシアス!(ありがとう!)」と叫んだ。すると、また別の人が落とした紙幣が風に乗ってくる。

金を落とすのは物価の安いメキシコで遊んで帰るアメリカ人や、故郷に戻っていてアメリカへ帰るメキシコ出身者のようで落ちてくる紙幣にドル札がかなり混じっている。恵まれている者が持つ罪悪感からなのか、利他的な精神から施すのだろうか。あいにく掴み損なった者は悔しさを見せるが、その姿が滑稽なのか時々笑いが起こり、悲壮感はまるでない。ふと振り返ってみると、トニーは拾ってきたような折り畳み式のアウトドアチェアをどこからか引っ張り出して腰を落ち着けている。年長者の余裕なのか中年者の遠慮なのかわからないが、若者達の姿を悠然と眺めていたのが印象的だった。

翌日も橋の下へ。昨日は見かけなかった集団がいて、こちらを遠巻きに眺めているのに気がついた。「あいつらはきっと新入りだろう」とトニーが興味ありげに言った。挨拶代わりに手を挙げるとその集団の1人が私に話しかけてきた。「ベネズエラから来たんだ。ようやく今日ここに到着したんだよ」精悍な顔つきの彼はタバコを吸いながら嬉しそうに言った。ベネズエラの位置を頭の中で巡らせてみる。コロンビア、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、そしてメキシコ。アメリカへ渡るために彼らが通過する国はなんと7ヵ国。想像が追いつかない代わりになぜ彼等には切羽詰まったような佇まいがないのかわかった気がした。彼等はようやくここに辿り着いたのだ。若者達と話しこんでいた圓尾さんが「彼等はもう9割方成功しているんじゃない?」と言った。あとはもうあの壁だけだ。では、彼等はどうやって壁を通り抜けるのだろうか。私達が登った壁が途切れる山のことを聞いたが誰も知らなかった。彼等に質問をすると「飛び越えるんだよ」と臆せず答えた。

トニーは靴を脱いでくつろいでいた。はるばるホンジュラスからたどり着いたのに彼は3ヶ月もここにいる。すでにこの街が居心地良くなってしまっているのではないだろうか、と私は少し訝しく思っていたので「トニーはいつ壁を飛び越えるの?」と聞いた。彼は途端に言葉を詰まらせた。「……近いうちだ」私は半信半疑だったが、彼は半ばムキになり「見ろ!あのパイプを!俺は若くはないがネズミみたいに穴を潜ったり壁を這ったりいくらでも動ける!」と慌てて指さした。その先には川に注がれる排水口があったが、遠目に見ても直径は30cmほどもない。私はしどろもどろになる彼の反応を見て考えた。彼らが辿ってきた長い道のりを考えると慎重になるのは当然だろう。最後に失敗はできない。私なら怯んで何もできないかもしれない。話題を逸らすようにトニーは続けた。「つい2日前にも中国人の若い男が壁を飛び越えたんだ。あいつは成功したんだよ!」まるで自分のことのように嬉しそうに彼は話した。なぜ中国人がここに来てまで密入国をするのかよくわからない。中南米にはインディオの血を引く東洋人のような顔立ちの人もいるので勘違いだろうと思って聞き流した。

隣にいた男が私に声をかけきて顎をしゃくるようにして橋の通行人を指した。「お前もやれ」ということらしい。スペイン語がろくに話せない私は大袈裟に手を振ってしばらく通行人に訴えてみたものの金は落ちてこなかった。無力な私を見て男は鼻で笑った。次第に立ったまま声を張り上げるのが面倒になった者は地面に寝転び始めた。仰向けのまま、頭上の橋を行く人達に大声で呼びかける。私も同じように寝転んでみた。心地がいいとはいえないが、橋がちょうど日陰になっていて涼しい風が吹いた。どこからともなくマリファナの匂いが漂ってくる。あたりが暗くなり始めると橋の下に「帰宅」する人が増えてきた。

帰り際、トニーに別れの握手ついでに手持ちの残りの5ドルを渡した。餞別にしては恥ずかしい額だ。彼も「サンキュー」と言っただけで嬉しくもなさそうだった。メキシコで使えない金を渡しても仕方がないが、できればアメリカで使ってほしかった。彼等が壁を越えられたとしても、その先の市街地には何重にも検問があるらしい。移民申請が認められるかどうか、仕事が見つかるかどうかもわからないギャンブルのようなものだ。たとえ「命の値段が安い」としても、勝負に勝ち続ければそれは何倍もの価値になるだろう。金を掴もうと走る若者達の姿が目に焼き付いている。

author:

児玉浩宜

1983年兵庫県生まれ。民放テレビ番組ディレクターを経てNHKに入局。報道カメラマンとして、ニュース番組やドキュメンタリーを制作。のちにフリーランスとして活動。香港民主化デモを撮影した写真集『NEW CITY』、『BLOCK CITY』を制作。2022年から2023年にかけてロシアのウクライナ侵攻を現地で取材。雑誌やWebメディアへの写真提供、執筆など行う。写真集『Notes in Ukraine』(イースト・プレス)を制作。 Instagram:@kodama.jp https://note.com/hironorikodama/

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