俳優・杉咲花が映画『市子』で考えた他者との向き合い方——「他人をわかることはできない。だからこそ、想像し続けていたい」

杉咲花
1997年生まれ、東京都出身。『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016 / 中野量太監督)で第40回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞をはじめ、多くの映画賞を受賞。『とと姉ちゃん』(2016 / NHK)でヒロインの妹を演じ、『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』(2018 / TBS)では連続ドラマ初主演を果たす。その後、NHK 連続テレビ小説『おちょやん』 (2020-21)と『恋です!〜ヤンキー君と白杖ガール〜』(2021 / NTV)で第30回橋田賞新人賞を受賞。最近は『杉咲花の撮休』(2023 / WOWOW)や『法廷遊戯』(2023)に出演、今後も『52ヘルツのクジラたち』(2024年3月公開)などが待機中。
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恋人にプロポーズされた翌日に、突然、姿を消した女性。恋人がその行方を追いかけるうちに、彼女の過酷な人生が浮かび上がる。映画『市子』は一人の女性を通じて、社会の闇が浮かび上がる重厚な人間ドラマ。監督・脚本を手掛けたのは、劇団チーズtheaterを主催する戸田彬弘で、本作は劇団の旗揚げ公演作品の映画化だ。そこでヒロインの市子を演じたのは杉咲花。圧倒的な存在感で市子を演じ切り、本作は間違いなく彼女の代表作になるだろう。どんな想いでこの難しい役に挑んだのか、話を聞いた。

市子を演じて

——『市子』は恋人の長谷川が行方不明になった市子を探すことを通じて、市子がどういう女性なのかを探っていく物語でした。そして、彼女の秘密が明らかになってからも、彼女がどんなことを考えて生きてきたのかを考えさせられます。杉咲さんは役を演じる中で、市子がどんな女性なのか見つけることができました?

杉咲花(以下、杉咲):それはいまだにわかっていないかもしれません。この物語は第三者が市子を追いかけていく話であると同時に、市子自身が自分の姿を探す話でもあると思っていて。初めて脚本を読んだ時にどうしようもなく心が揺さぶられて、その感覚の正体が知りたくて市子を演じてみたいと思ったんです。その結果、この物語の根源的なテーマでもある、「人をわかるってどういうこと?」というところに行き着いた気がしています。

——演じながら市子を探していたんですね。

杉咲:市子を演じていた時、演じ手としての欲が剥がれ落ちた瞬間があったんです。目の前で起こっていることに、ただ反応してしまうという、今までに体験したことのない時間を過ごせた日がありました。一方で市子の姿が全く見えないというか、「こんな感覚でカメラの前に立っていていいのだろうか」と不安に襲われる日もあって。

——常に気持ちが揺れ動きながら演技をしていた?

杉咲:市子に近づいたと思ったら離れていってしまう。それを繰り返すなかで、どこまでいっても他者は他者であるということを実感して、なんだか腑に落ちたんです。市子のことがわかったとは言い切れない。その感覚に素直でいていいんだと思いました。「わからない」ことを前提に、どこまで向き合っていけるかなんだなって。

——市子の気持ちがつかめない時は不安ではなかったですか?

杉咲:私は脚本を読んだ時に「こういうシーンになるのではないかな」となんとなく思い描いたものに対して自分を課してしまうタイプなんです。本当はそういうことを意識せず、「表現しないと」という欲から解放された状態でカメラの前に立ちたい気持ちなのに、どうしても演者としての欲が邪魔をしてくる。演じている自分の状態が把握できていない時に監督のOKが出ることも多々あって。傲慢ですが、どうしてOKが出たのだろうと考え込んでしまう時もありました。ですが、のちに「市子自身も自分の状態がわからなかった瞬間だったのかもしれない」と思うようになったんです。自分の言動に対して、あとから「どうしてああしてしまったんだろう」と考えてしまうことってあるじゃないですか。きっと市子にもそういう瞬間があったはずで、だからこそ、表現しようとせずに、その場で起こったことに対して純粋に反応したいと思っていました。

——ノーメイクで演じたというのも、表現する、という欲を捨てるやり方の1つだったのでしょうか。

杉咲:というよりは、何かを足していくことによって市子という人物がぼやけてしまうような気がしたんです。自分にとっても、化粧を施すという行為は鎧をまとっていくような感覚があって。今回は何かを加えていくのではなく、徹底的に引いていく作業のほうがいいのではないかと思ったので、戸田(彬弘)監督に提案してみました。

他者とどう向き合うか

——若葉(竜也)さんが演じる長谷川にプロポーズされるシーンでは絶妙のタイミングで涙が出ますね。市子の表情といい、演技ではなく、その場で生まれた感情がそのまま切り取られたような印象的なシーンでした。

杉咲:私自身も、ああいうことになるとは思っていませんでした。台本にも、どういった感情になっていくかという具体的な筋道が立てられていたわけではなかったのですが、長谷川くんにあんなにも愛のある眼差しで見つめてもらえる世界に自分が存在していることを実感して、気がついたら涙が流れていました。

——撮影前に頭でイメージしていたことよりも、その場で心が反応することのほうが多い現場だったのでしょうか。

杉咲:その反応の濃度みたいなものが、今まで経験したことのないもので、素晴らしい体験をさせてもらったなと思います。

——長谷川だけではなく、市子の同級生の北も市子に強く惹かれて、彼女の人生に深く関わりますね。過去を知らない長谷川と過去を知っている北、それぞれの市子との関わり方が対照的で、2人の存在が市子の人生を浮かび上がらせていました。

杉咲:私は、北は自分よりも弱い立場にある人を救うことで自分を満たしている部分もあったのではないかなと思っているのですが、長谷川は唯一、市子と対等に接してくれた人。過去について何も聞いてこない長谷川との距離が市子にとってはとても心地良いものだったと同時に、知ろうとしない加害性についても考えさせられるなと。

——長谷川と市子の関係を見ていると、どうすれば市子は幸せになったんだろうって思います。

杉咲:私は、市子が幸せでないとは言い切れないと思います。市子が穏やかに生きることを望んでいるのは、その幸福を彼女が知っているからなのではないでしょうか。市子がそれを感じたのは、長谷川と過ごした時間なのか、家族と過ごした時間なのか、親友のキキちゃんと出会ったことなのか、あるいは、そのすべてなのかもしれないけれど。知っているからこそ追い求めてしまう。そんな彼女のことを、私は幸せじゃないとか、かわいそうって思えないんですよね。

——なるほど。彼女なりに幸せを見つけていたのかもしれない。

杉咲:本作との出会いを通じて、自分が他者とどう向き合っていきたいのかということについて考えさせられました。撮影中、戸田監督と市子のことについて話していると、1つ質問したことに対して10ぐらい回答をくださるんです。ですが、そのどれもが「きっと、こうなんじゃないですかね」と、断定しない話し方をされていて。戸田さんは原作者でもあるので「誰よりも市子のことを知っている」とおっしゃられてもおかしくないと思うのですが、あくまで個人の視点として市子のことを想像する姿勢でいらっしゃることに敬意を抱いたんです。それが物語の中にいる人物であったとしても、私生活で関わる相手であったとしても、そうあるべきだと感じました。

——他者のことを想像するっていうのは、演技と通じるところがありますね。

杉咲:そうですね。他者を見つめるということは、すなわち自分を見つめることでもあると思うんです。自分が物語をどう受け止めるかということは、実生活に鏡のように反映されるものでもある気がします。

演じることの魅力

——杉咲さんは幼い頃から、テレビのドラマを見て演技をしたいと思われていたそうですね。それは何かの理由があってというより、本能的にそういうことをやってみたいと思われたのでしょうか。

杉咲:物心がついた時から、ずっと自分以外の誰かになってみたい気持ちがありました。それは自分のことが嫌いだからというわけではなく、シンプルに他者になりきってみたい、という欲求で。それがなぜなのかはわからないのですけれど。

——演じることの何に惹かれるのでしょう。

杉咲:なんなんでしょうね……。役のことを考える時って、自分と照らし合わさざるを得ないといいますか。私は演じる役の感情を想像する上で、「自分だったら?」と置き換えて考えたりするんです。そういう時に、普段自分が考えていない、本質的な感覚と結びつく瞬間があるんですよね。他者を通じて自分を知っていくというか。他者を演じるというのは、自分と向き合ってみたいという想いが根底にあるのかもしれないです。

——演技が自分自身に影響を与えることもありますか?

杉咲:10代の時に『トイレのピエタ』という映画に出演したことで自分の価値観が変わりました。監督やスタッフ、共演者の方々など、自分達の作るものに価値を感じて、自分自身を信じている方達と出会ったことで、好きなものは好きと言っていいし、楽しい時に笑っていいんだって思えるようになったんです。それまでは、ちょっとひねくれていて。人が好きというものは自動的に嫌いになるみたいな(笑)。意識的に人と違う人間になろうとしていたところがありました。

——それは何か理由があってというより、10代ならではの屈折?

杉咲:多分そうだと思います。私の暗い過去です(笑)。

——ある俳優に取材した時、自分が嫌いだと思ってしまう役を演じることに、長い間、抵抗があったと語られていました。杉咲さんはいかがですか?

杉咲:抵抗はあまりないほうかもしれません。ただ、物語上の役割であることは理解しつつも、その都合だけにはならないでほしい気持ちがあります。私は、物語を観る時に自分達の生活する社会と何か接点を感じていたいんです。

——今回演じた市子も杉咲さんの日常と地続きだった?

杉咲:実生活のすぐそばに市子のような人が存在していた/しているかもしれない。そういう意味で、この物語は人間や社会のあり方がむき出しに描かれていると思います。他者をわかることはできない。だからこそ、想像し続けていたいと市子を演じて強く感じました。

Photography Takuroh Toyama
Stylist Ayano Watanabe
Hair & Makeup Akemi Nakano

スカート/アキラナカ、ジュエリー/ヴァン クリーフ&アーペル、その他スタイリスト私物

『市子』 12月8日からテアトル新宿、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開

■『市子』
12月8日からテアトル新宿、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
出演:杉咲花 若葉竜也
森永悠希 倉悠貴 中田青渚 石川瑠華 大浦千佳 
渡辺大知 宇野祥平 中村ゆり
監督:戸田彬弘 
原作:戯曲「川辺市子のために」(戸田彬弘) 
脚本:上村奈帆 戸田彬弘 
音楽:茂野雅道
撮影:春木康輔
編集:戸田彬弘
制作:basil 
制作協力:チーズ film 
製作幹事・配給:ハピネットファントム・スタジオ 
©2023 映画「市子」製作委員会2023 年/日本/カラー/シネマスコープ/5.1ch/126 分/映倫G
https://happinet-phantom.com/ichiko-movie/

author:

村尾泰郎

音楽/映画評論家。音楽や映画の記事を中心に『ミュージック・マガジン』『レコード・コレクターズ』『CINRA』『Real Sound』などさまざまな媒体に寄稿。CDのライナーノーツや映画のパンフレットも数多く執筆する。

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