カルト的な人気を博したサブカルパーティー「DENPA!!!/電刃」 10年を経て開催した「DOME」の新機軸 Vol.1 祝祭のような空間のエネルギー

点と線(中右)
高円寺の古着店「即興/SOKKYOU」オーナー兼バイヤー。「即興/SOKKYOU」別ライン「Daughter」もオンラインで展開する。「DENPA!!!/電刃」発起人。
Instagram:@10to1000

Toshi宮下(右)
アーティスト・IP・音楽・アート・空間等さまざまな事象とのコラボレーション、プロデュース、デザインを手掛けるクリエイティヴスタジオ兼エージェント「8%」代表。
Instagram : @setagayaboy

金田遼平(中左)
アートディレクター・グラフィックデザイナー。groovisionsを経て、2019年デザインスタジオYESを設立。総合的なキャンペーンやブランディング、書籍や雑誌、プロダクト、映像、空間など幅広い領域で活動中。
Instagram:@kanedaryohei

串田匠(左)
クッシー代表。スペースシャワーを経て、2022年にクッシーを設立。音楽を中心としたTV番組や、インターネット配信、MV等の映像コンテンツを手掛ける。
Instagram:@kushida_takumi

“DOME” Presented by DENPA!!!
Instagram:@dome.fest

2000年代にカルト的な人気を博したサブカルパーティー「DENPA!!!/電刃」が新企画「DOME’23」として復活した。これまで、現代美術家の村上隆主催の「GEISAI」台湾のステージングや、TAICOCLUB主催の「So Very Show」、MTV JAPANとのコラボレーション等、ファッションやアート、サブカルチャーからクラブシーンまで巻き込みさまざまな形で企画を発信してきた。自主企画としては最後となった「DENPA!!!/電刃2013」から10年。「DOME」としては初回にあたり、代官山UNIT UNIT/SALOONの2フロアで開催した。

コンセプトである、「これまでにさまざまなカルチャーを横断してきた「DENPA!!!/電刃」チームが元来夢見ていた、まさしく“童夢”を実現すべく立ち上げた新企画」との通り、当日はオープニングに∈Y∋が登場。20年ぶりに来日した、ブレインダンスの鬼才ボグダン・ラチンスキーは、オウテカ並みに照明もVJもない真っ暗闇の中、多幸感のあるブレイクビーツと四つ打ちを行き来し、フロアを沸かせた。

他にも、エクスペリメンタル・グリッチ・テクノのプロデューサー、グリシャ・リヒテンベルガー、現代中国の電子音楽シーンにおいて最重要ともいわれるハウイー・リー等、エクスペリメンタルな海外勢に加え、国内からは15年ぶりのアルバムをリリースしたaus、7年8ヵ月ぶりのアルバムリリースと3年8ヵ月ぶりのライヴとなる world’s end girlfriendやNo Busesの近藤大彗のソロ・プロジェクト Cwondo、アメリカの〈Deathbomb Arc〉 から2ndアルバムを発表したBBBBBBB等もラインアップした。

約8時間にわたる、夢のようなまさに言葉が不要な空間体験でもあり、後からジワジワとそのすごさに改めて気付かされた。

10年が経ち、なぜ今「DENPA!!!/電刃」の新企画として「DOME」を復活させたのか。Vol.1では、「DENPA!!!/電刃」を立ち上げた点と線を中心に、Toshi宮下、金田遼平、串田匠4名のクルーにこれまでの歴史を振り返ってもらう。

2007年に起こった祝祭のような空間

−−まずは「DENPA!!!/電刃」が始まった経緯を教えてください。

点と線:僕は1984年生まれで、いわゆる「キレる17歳世代」なんです。小学校高学年くらいの時に「エヴァンゲリオン」がテレビで放映されていた時代。それが社会現象になっていて、社会に対する絶望感、無気力……「こんなはずじゃなかった」というようなムードが漂っていました。僕らはそんな思春期を生きた世代なんですよね。このメンバーもみんな2歳差くらいなので、同じ境遇だったんですけど、このうち2人は海外経験があるので、日本を俯瞰して見るタイミングがあったというか、日本以外の居場所があったと思うんです。

一方、僕は東京でなんとなく居場所がないという感情を常に持っていました。その頃、聞いていた音楽がアンビエントとかエレクトロニカ、ノイズ、ブレイクコアっていうマイナーで社会に内属しないもの。どこか外に連れ出してくれるような感覚があって、そういった音楽に救われたんですよね。当時、渋谷にあった「ワルシャワレコード」に通い詰めていましたし。また同時にファッション業界にもいたので、パーティーやイベントに顔を出してはいました。ただ、そのほとんどがキラーチューンがずっと鳴っていたり、今でいうインフルエンサーと呼ばれる人達がDJをしているようなイベントで、僕はバーカウンターの端っこで窮屈さを感じていたんです。良くも悪くも独特の内輪感が強くて、「ここじゃない」という気持ちがふつふつと沸き上がってくるような感覚がありました。

−−メディアの変革期でもありましたね。

点と線:そうですね。同時にスナップカルチャーが黎明期でもありました。デジタルメディアが紙媒体よりも勢いを持ち始めた時に、パーティースナップが全盛になって、イベントに参加する理由が音楽主体ではなく“ステータス”に移行しつつあった。その場所に参加した事実こそ重要で価値があるというような。その変化に漠然と虚しさを抱えていたんですよね。次第に自分の中に閉じ込められた意識を解放したいという気持ちが強くなって、一番最初の「DENPA!!!/電刃」を始めるモチベーションになりました。

串田匠(以下、串田):「DENPA!!!/電刃」はこの3人から始めたの?

点と線:起点は友達がゼロの僕だったね。閉塞感を打破するっていう時に、音楽でもファッションでもいいけどカテゴリーやジェネレーションみたいな括りが嫌で、なくしたいなっていう気持ち。個人的にはナードなカルチャーも好きだったけど、そこにも自分の居場所はもちろんなくて。

それで、社会に内属しない音楽でその辺の境界を取っ払うようなカウンターイベントをやりたくなったっていう経緯がある。課題を意識して企画を練ったら必然的にアーティストもお客さんもいろんな人が集まるようになった。ブッキングに関しては素人で無茶苦茶だったことも要因だとは思うけど、結果として不思議とフロアの意識が拡張されていって、変性意識っていうか垣根が溶け合った気持ちのいい状態になっていった感覚があった。夢っぽっくて、ちょっと祝祭のような空間が生まれて、そのエネルギーがどんどん感染してったっていうイメージ。

Toshi 宮下(以下、Toshi):僕はその時たまたまイギリスにいて、語学学校で仲良かった友達が日本人の女の子と遠距離で付き合っていて、それが「DENPA!!!/電刃」の初期メンバーで。自分の周りだけかもですが、当時のイギリスでもブレイクコアだったりちょっと凶暴な音楽とか実験的な音楽が賑わっていて、ブレイクコアに日本のアニソンをマッシュアップしたり、そういうパーティーもありました。近くにレーベルの「19頭身」周りの先輩とかがいて、その辺りの音楽にがっつりハマっていた時に、その女の子が日本でCDRっていう人が出るイベントをやってて「好きじゃない?」って聞かれて。日本でそういう感覚というか、そういう音楽の話をした経験がなかったから、「戻ったらぜひその人に会いたいって」って話した主宰者が点々でした。

点と線:あまり親しくない女の子に「『あなたに会いたい』と言ってる人がいるから、うちに来て」って誘われたんだよね(笑)。

Toshi:その頃はmixiが流行ってて、コミュニティでどういう人間かがある程度わかってたし、妙に近い感覚はあったので。とりあえず会ってまあ仲良くなって、次のvol.2からDJとかキャスティングで参加することになったね。

点と線:仲間が集まるようになったのは、「DENPA!!!/電刃」初期に、表参道の交差点にまだ「ギャップ」がある頃、そこで僕を筆頭に拡声器で叫びまくって宣伝するというイベントの招集をかけて。多分mixiでも告知したけれど、その時に「手伝いたい」っていう人がたくさん集まってくれた。そのうちの1人と一軒家をシェアしてたのが金田くん。

金田遼平(以下、金田):その友達は「DENPA!!!/電刃」立ち上げメンバーの一人で親友で。開催よりも前に初期の周辺メンバーがみんなで家に遊びに来たんだけど、僕も〈WARP RECORDS〉や〈Rephlex〉が大好きで聴きあさってた時期だったしすぐ仲良くなって、自然とファミリーになっていった。

ひと区切りにした2013年までの流れ

点と線:そこからどんどん仲間が増えていったんだよね。例えば、中期にスペースシャワーTVからDAXっていう音楽と映像を組み合わせたプロジェクトで配信をしたいと連絡があって、その流れで映像配信部門の新入社員歓迎会みたいな番組に参加しました。内容はほとんど知らされてなかったのに。

Toshi:花見をするっていう謎の企画にみんなで参加したよね。スタジオの中に作られた花見のセットの中で僕等は花見客ということで、ひな壇みたいなところに招待してもらった。

点と線:その時の企画の新入社員だったのが、串田くん。番組の休憩時間に意気投合したというか、共通言語で話せる感覚があったので、そこから繋がっていきました。

串田:でも、僕は関西人だから、同世代だとさっきの文脈とは違うブレイクコアの吸収をしてきたんですよ。ボアダムスの子ども達といわれた関西ゼロ世代がど真ん中。あふりらんぽ、オシリペンペンズ、ZUINOSINが御三家とかいわれてましたけど、すごく流行ってて。とはいっても全体で1000人くらいのムーブメントだったのかもしれませんが、おもしろいイベントがたくさんあったんですよね。関西のノイズとかブレイクコアのカオスな土壌から「DENPA!!!/電刃」のクルーを見た時にちょっと違うというか。単純にクールでかっこいいって思ったんです。それまで知らなかった価値みたいな感じ。そこから話すようになっていったんですよね。

点と線:2007年の「DENPA!!!/電刃」スタートから2013年が自主企画としては最後になるんですけど。串田くんはまだスペシャの人として遊びに来てくれてたって感じだよね。撮影してくれたり、配信してくれたりしてたね。

串田:まだ、ADとして参加してた。先輩の担当番組を撮ったりとか。でも、楽しかったよ。お客さんもね。

金田:僕も正式に手伝い始めたのは、3、4回目くらいからかな? なし崩し的に担当する流れになって、独学でフライヤーを作り始めた。その頃は一軒家だったから本当にみんな毎日入り浸ってたね、昼間に帰って、また夜来て……週8で家にいたね。

点と線:計画的にみんなで集まってこうしようとか、そんな話し合いは今までになかったんじゃないかな。

一同:ないね……。

点と線: 2007年は2ヵ月に1回、2009年くらいまでレギュラーイベントをやってたから、2010年にもう一段落というか、区切りみたいに考えていたんだけど。もういいかなと思ってたら、僕が知らないところで「2011年も開催」っていう告知がSNSに投稿されてて……スーパー銭湯のリラックスチェアで知ったからね(笑)。でも、メンバーのやりたいっていう気持ち、内発性に感染して突き動かされる、そういうパワーに引き寄せられた感じだったね。

(Vol.2に続く)

Photography Masashi Ura

author:

芦澤純

1981年生まれ。大学卒業後、編集プロダクションで出版社のカルチャーコンテンツやファッションカタログの制作に従事。数年の海外放浪の後、2011年にINFASパブリケーションズに入社。2015年に復刊したカルチャー誌「スタジオ・ボイス」ではマネジングエディターとしてVol.406「YOUTH OF TODAY」~Vol.410「VS」までを担当。その後、「WWDジャパン」「WWD JAPAN.com」のシニアエディターとして主にメンズコレクションを担当し、ロンドンをはじめ、ピッティやミラノ、パリなどの海外コレクションを取材した。2020年7月から「TOKION」エディトリアルディレクター。

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