「いつものフジロック」を目指して――コロナ禍の2年間、そして今年への思いを聞く

2020年3月頃に本格化した新型コロナウイルスの流行によって、あらゆる業界の動きがストップ。その波は“体験”を提供する音楽フェスにも大きな打撃を与えた。

1997年の初開催から日本のロック・フェスティバルの先駆けとして歩み続けてきた、「フジロックフェスティバル(以下、フジロック)」も2020年に初めて延期を余儀なくされた。昨年は来場者数を絞り、出演者は日本人ミュージシャンのみにするなど、あらゆる制約がある中で開催。イレギュラーな2年間を経験した「フジロック」は今年、2019年以降で初めて海外ミュージシャンを迎え、「特別なフジロックから、いつものフジロックへ」を掲げ開催する。

今回は主催者の1人である石飛智紹に混沌とした2年間で感じた苦悩や昨年の開催を経て何を感じたか、そして、「いつものフジロック」と掲げた真意などたっぷりと話を聞いた。

2020年の初の延期、2021年のイレギュラーな開催を振り返る

――20年は初めて延期になりましたが、この結論に至るまでにはかなりの苦悩があったかと思います。当時の心境をお聞かせください。

石飛智紹(以下、石飛):結論からするとお手上げという感じでした。当時は、マスクはどこにあるのか? 消毒液は準備できるのか? などそういった不安を皆さんが抱いていた。「フジロック」では以前、SARSが流行した際に来日を控えたいというアーティストがいたことはありますが、その時以上に危機感を持たないといけないと考え、中止を決断したんです。とはいえ、初めての緊急事態宣言が出た数日後に第3弾ラインアップを発表しているんですよね。それは、コロナの収束を信じてという側面もあったけど、結局、感染対策を勉強すればするほど、お手上げという感じでしたね。海外も鎖国的状況にありましたし、海外のアーティストが来られないとなると、「フジロック」がやってきた音楽的多様性みたいなところを発揮できないなと。

――そこから21年は国内アーティストのみのイレギュラーな開催となりました。別の取材では、「開催することが目的だった」とも発言されていますが、まだまだ制約が多かった中で開催を決断したのはどういう思いがあったのでしょうか。

石飛:時系列で順に話していくと、20年は延期しましたが、21年は開催するという思いから、チケットは払い戻しの対応をしましたが、どうぞできればキープしてくださいという中で、半数以上のお客さんがキープしてくださったんです。そして、同じ20年の夏には「フジロック」の集大成的な過去のライヴをYouTubeで全世界に発信しようと「KEEP ON FUJI ROCKIN」という番組を放送し、かなりの反響があった。その時スーパーチャットを実施していて、そこでの収益はコロナ対策の寄附に充てたんですが、ここまで愛されているんだから、21年は絶対開催するぞって。じゃあ、どうすれば感染防止対策をしっかりとやって開催できるのかと考えていった流れなんです。

――それでは、20年から1年かけて感染対策などを学ばれていった?

石飛:そうですね。20年当時は勉強も追いつかなかったし、そもそもマスクも買えない。だけど私達も含めて、月日がたっていくごとに個々に感染対策やコロナ禍での生活のスタンダードができあがってきたと思うんです。経験を積み上げて、21年は「こうすればできる、ああすればできる」「じゃあみんなで協力してやってみようよ」ということを実現させることができると思った。結果、海外アーティストは諦めざるを得なかったんですけど、日本にも「フジロック」から成長していったアーティストもたくさんいる。お客さんもそこで新しい知らない音楽を知るみたいな、要は夏祭りみたいな出会いなんですけど、そういう楽しみや経験、つまりフェス文化を絶やしてはいけないというところですね、根底にあったのは。

――なるほど。

石飛:「フジロック」は野外フェスですし、もともと自然と音楽を一緒に楽しもうという考えがあります。だから、感染対策っていう難しい問題よりも、あの大自然の空気の中で音楽を楽しむこと、その自由さを大事にしたいと思った。その中でみんなが個々に気を付ければというか。最近ようやく屋外は飛沫感染のリスクが低いということが認められましたけど、前々から森で発生するオゾンが感染防止に効くみたいな論文もあったりする。やっぱり大自然と人間との向き合い方みたいなところが回り回って感染症を引き起こしているわけだし。

――自然といかに共生できるか。

石飛:そうですね。自然の治癒力といったら変だけど、21年は、そういう力を信じていた面もありますね。

「『力になりました』というお客さんの声が本当にありがたかった」

――「フジロック」は地域とも密接なフェスだと思いますが、20年から21年にかけて苗場の方とはどんなお話をされてきたのでしょうか。

石飛:やっぱり20年に延期を経験して、苗場をはじめとした湯沢町や周辺の皆さんも非常に困っているというお話はありました。もう1度中止になってしまったら潰れる民宿も両手じゃ数えきれないと。確かにそうですよね、観光業がコロナでストップしてスキー客もインバウンドも激減したわけですから。そういう声が強く、昨年開催することの後押しになったという側面もあります。その中で、僕は町議会に出席して、説明と質疑を2時間くらい行いました。それは町としても、主催者を出すこと自体がたぶん、「フジロック」をやりたいということの裏付けだったんじゃないかなと今にして思うんですよね。

町のみんなが開催に対して納得できるようにしてほしいというような空気感がありました。そのとき観光協会長が、「1年ならまだしも、2年やらなかったら苗場が忘れ去られちゃうかもしれない」と危機感を持ってらっしゃっていたんですよ。それは僕らが「フジロック」を忘れられちゃうと思わなかった分、結構ショックでしたけどね……。

――それはドキッとするお言葉ですね。

石飛:変な話、2年中止しても忘れられることはないだろうって思ってたんですけど、コロナ禍になって今年で3年、そんなことないかもしれないなって。世の中の次元が変わってきているし、いろいろな問題をはらんで結果として、ライフスタイルというよりは生活の根源が変わってきてる感じがする。

――何かを体験することを忘れているのかもしれませんね。

石飛:そうですよね。一般のライヴも本数はコロナ前の90%以上に戻っていますけど、動員数は40%。制限があるから仕方がないことだけど、つまり以前と同じだけ働いても収入は半分以下。動員数の制限が解除されはじめているけど、まだそこにお客さんの気持ちが追いついてないのかなって思います。もともとキャパが数倍あるメジャーなアーティストは別かもしれないけど、多様な音楽、オルタナティブなことをやっている彼らからすれば、非常に厳しい状況が続いていますよね。

――個人的には、昨年の「フジロック」はみんなが思いを発信する場所だったとも思っていて。音楽業界がコロナ禍で打撃を受けている中で、音楽で発信できなくなった、たまっていた思いを発信する大事な機会だったと思うんです。

石飛:ありがとうございます。そういう声に助けられた部分はかなりありますね。昨年はやることをしっかりやれば開催できるんだということをとにかく証明して、パフォーマンスの場を確保しようという思いが強かったし、終わったあと、「力になりました」というお客さんの声が本当にありがたかった。お互い音楽の力を信じて良かったです。音楽の力があるからなんとか開催しよう、出演しよう、参加しようという考えにつながったと思いますしね。

今年の「フジロック」は「自分が行きたい道を決断するキッカケになれば」

――この2年間でさまざまなことを経験されて、今年は「いつものフジロック」と掲げられています。今年はどのようなことを意識して開催されるのでしょうか。

石飛:昨年は感染対策を意地悪なくらいやりすぎた「フジロック」だった。PCR検査をスタッフ、アルバイト、出店者、出演者も含めて5800人くらいに事前に受けてもらいましたし、抗原検査キットを3万数千個以上はお客さんに用意しました。抗原検査は任意だったんですけど、10日前くらいに告知して、必要なら3日前には届くようにお送りしたんです。

まあ、本当にやりすぎたがんじがらめの「フジロック」ですよね。でもそういうことを経て、今となってはお客さんもコロナに対して自分なりの感染予防のスタイルがもうできあがっているわけじゃないですか。だから今年は、21年の開催とはまた別の意味で絶対に感染状況はよくなる。だからわれわれも先頭を走って、いつものような世の中が帰ってくるように願いつつ、「いつものフジロック」でお客さんを迎えようと思っているんです。

――今の世の中のスタンダートを落とし込むということですね。

石飛:そうですね。昨年、自粛したことはすべて取り止めようと。フラットな環境の中で、できる感染対策をしっかりとやっていきましょうという感じですね。ただ、まだまだリスクはあるんだから、そこに対してはわれわれも対策するので、お客さんもきちんとやっていきましょう。要は少し自由になった環境の中でどれを選択するかっていうことですよね。

――確かに、アルコール提供も中止されていない世の中ですもんね。

石飛:われわれだけで決められるものではないから、この世の中の水準を見ながらではあるんだけど、昨年はその象徴的なことがアルコール販売中止だったり、極端な検査だったりした。やりすぎた部分は今年、回避しようって。もう本当に去年がとにかく特別だったんですよ!

――改めて、今年はどのようなフェスにしたいとお考えですか?

石飛:去年はお客さんが本当に楽しめたのかという疑問も残りますから、「今年は本当に楽しんだね」「やっぱフジロックだね、行ってよかった」と言ってもらえるようにしたいですよね。そのためにはライヴはもちろんですけど、ほかのことにも注力する。その総合的なキャッチフレーズが「いつものフジロック」に戻すということ。行ったことないからわからないよと言う人がいるのであれば、単純に1回来てみなよって思います。これも「いつものフジロック」だと思うし。

――忘れかけていた体験を思い出すキッカケにしていただきたいですね。

石飛:とはいえ、旅行やフェスに行く計画を立てるのって難しいじゃないですか。そもそも難しいのに、このコロナが収まりきれてない中で、決断するのは容易ではないと思いますけど、そろそろ自分が行きたい道を自ら選ぶ決断をしてもいいのかなって。そのキッカケがフジロックになればいいなと思います。

旅行や観光に限らず、このコロナで大きく変わりつつある人の心境というんですかね、そういった感情をもう一度つなぎ止めるためにも夏フェスがいろんな地方で開催されてほしいし、ライヴ1つとっても生を観に行くっていう機会をようやく提供できるようになってるわけだから、お客さんがここに1歩踏み込んできてほしいなと思います。

石飛智紹
1959年3月31日生まれ。スマッシュ取締役。学生時代から携わったザ・ルースターズのマネジメントを担う。1984年スマッシュ設立に参加。ライヴイベント制作、音映像制作事業に従事し現在に至る。

Photography Ryu Maeda

■フジロックフェスティバル’22
会期:7月29~31日
会場:苗場スキー場
住所:新潟県南魚沼郡湯沢町三国
入場料:1日券 ¥21,000/2日券 ¥38,000/3日通し券 ¥49,000
Webサイト:https://www.fujirockfestival.com

author:

笹谷淳介

1993年生まれ、鳥取県出身。メンズファッション誌「Samurai ELO」の編集を経て独立。音楽をはじめ、幅広いジャンルで執筆を行う。 Twitter:@sstn425 HP:https://sstn.themedia.jp/

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