Z世代 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/z世代/ Thu, 27 Apr 2023 10:23:10 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png Z世代 Archives - TOKION https://tokion.jp/tag/z世代/ 32 32 対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「一歩踏み込んで相手を知ってみよう」山邊鈴 後編 https://tokion.jp/2023/04/27/yumiko-sakuma-x-rin-yamabe-part3/ Thu, 27 Apr 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=154271 佐久間裕美子と山邊鈴の対談。後編はインド留学経験から得た気付きや、自身が目指す人物像、対話の可能性について。

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「一歩踏み込んで相手を知ってみよう」山邊鈴 後編

カルチャー、ライフスタイル、ファッション、社会運動など幅広いジャンルの執筆活動をし、著書『Weの市民革命』では若者が率先する「消費アクティビズム」のあり様を描いたNY在住の文筆家の佐久間裕美子。キラキラした世代と描かれることも多い一方、高齢化、気候変動や所得格差など緊急の社会イシューとともに生きるZ世代(1990年代後半〜2012年頃の生まれ)についての解説を求められる機会が増え、それなら本人達の声を聞き、伝えたいと考えるに至ったことで、実現した対談企画。

第5弾の対談相手は17歳で地域格差と分断について綴った文章が反響を呼び、現在は米国ウェルズリー大学に通う、山邊鈴。後編となる今回はインド留学経験から得た気付きや、自身が目指す人物像、対話の可能性について聞いた。

山邊鈴(やまべ・りん)
2002年、長崎県諫早市生まれ。中学生の頃から国内外の格差や貧困に関心を持ち、学生団体の設立や途上国への取材活動を通じて活動。高校2年の時には1年間インドに留学。カースト制度に対する問題意識から、スラム街の子ども達をモデルにしたファッションショーを開催する。帰国後に国内の分断への危機感から執筆した記事「この割れ切った世界の片隅で」をきっかけに、数々のメディアに出演。2021年秋より米国ボストンにある女子大・Wellesley College(ウェルズリー・カレッジ)に進学。経済学を専攻し社会保障について学んでいる。
Twitter:@carpediem_530
https://note.com/__carpediem___

インドに行って、日本のために働きたいと思った

佐久間裕美子(以下、佐久間):鈴さんは子供の時には何になりたかったですか?

山邊鈴(以下、山邊):ずっと国連職員になりたかったんです。アニメの『ちびまる子ちゃん』が通訳になりたいと語る回で通訳という職業があると知り、幼稚園の時は通訳になりたいと言っていて。小学校で読んだお仕事図鑑の本で通訳のページの隣が国連職員で、赤いリップをつけてハイヒールを履き、颯爽と国連の建物で働くイメージ。現場にも赴いて現地の人に寄り添えるような人になりたいと思っていました。

佐久間:お仕事図鑑から得たインスピレーションを実際のアクションに起こすところがすごいですね。

山邊:幼い頃から自己分析が好きで、周囲から私が国連職員になるのが普通だと思われたらきっとなれる、と信じて自分のやりたいことをとにかく外に表現してきました。学校新聞の卒業特集にも「国連職員になりたいです」ということをダーっと書いていたので、同級生の親からもそういった分野に興味がある子だと認識されていたと思います。インターネットを使わせてもらえるようになった小学5年生の頃から、学校から帰ってきたらランドセルをほっぽり出して、ユニセフのホームページを5時間くらい見るような子供でした。

中学2年生の時に県から数人を格安で国連本部へ派遣してもらえる機会があって、実際にスイスの国連本部を見てきた頃から、現在に至るさまざまなことに派生していきました。

今は30代後半くらいには日本で政治家になりたい気持ちがあります。インドの高校に1年間留学した時、若者達から次々に「インドの未来は自分達の手の中にあって、自分達がこれからこの国を作っていくんだ」という言葉が出てきました。留学中にスラム街の子達と作るファッションショーのプロジェクトに力を入れて取り組んだのですが、自分がインド人だったほうが効率がよかったのでは、と少し感じた部分もありました。それまでは開発経済学を学び途上国で働きたいと考えていましたが、日本のことは誰がやるんだろう? と。

佐久間:自分が1996年に日本を出るまでに見えていた日本の政治風景には、女性の政治家も活躍していて、日本で初めて女性の党首だった社会党の土井たか子さんが男性達を後ろに引き連れている姿が格好良くて憧れました。自分も一生懸命に政治に関わらなくてはいけない社会だということすら忘れてしまうほどに女性達がやれてる風に見えてたんですね。それが、気が付けば女性の政治家がいたポジションも男性に取って代わられてしまっている。特に私の世代や少し上の世代には、今まで何をやっていたのだろうと痛感している人も多いはずです。

経済発展と「切り捨て」はイコールではない

佐久間:インドではスラムに暮らす人達は「前世に悪いことをしたから」だと考えられている、という話を書かれていました。自分より境遇の悪い人には本人に原因や理由があるはずだというのは「甘えてる人は好きじゃない」といった発言にも共通する、本当に恐ろしい発想です。“自己責任“という言葉がメディアなどで頻繁に使われるようになったのは私が大人になってからで、2004年のイラク日本人人質事件の際、国家が国民を救出するのは当たり前であるべきなのに「自己責任だ」とたたかれた時がきっかけの1つだった。それ以前は今のように望ましくない状況にあるのは本人のせいだ、という考えは広く世の中に浸透していなかったと記憶しています。この傾向はZ世代の世代観に投影されていたりはすると思われますか。

山邊:Z世代は全体として“ジェネレーション・レフト”と呼ばれることもあり、少なくとも私の周囲の人達でいえば左っぽい傾向はあると思います。一方、思想が若干右に偏っている頭の良い男の子などからは、上の世代の男性から多く聞かれる「ここまで日本の経済が停滞し続ける中、“自己責任”と言わなければ経済が発展しないじゃないか」という旨の発言を聞くこともあります。でも、「経済発展と自己責任論」や「経済発展とジェンダー」といった、一見して相反しそうな要素を対極にあるものとして見出す必要は全くない。自己責任論を持ち出したところで人間の性質は変わらないんだから「人の性質ってこうだよね、じゃあどうしたらいいだろう?」という方向で考えなければ何も進まないのに、一体何を言っているんだろうと思いますね。

なりたい政治家像

佐久間:将来の日本を想い描くと、この人が政治家でいてくれたならと望む方々はいるものの、政治の世界を見ると、女性の政治家はたたかれる傾向が強いし、男性の政治家は家族総出で選挙戦に挑んだり、こんなにも大変なことを誰にお願いできるだろうかとつくづく感じます。それでも使命感を持って日本の将来や市民のために尽くしていらっしゃる方々には頭が下がります。

鈴さんの目にも政治の世界の厳しさが映っていると思いますが、それでも政治家を目指す動機はどこにあるのでしょうか。

山邊:小さい頃から自分を自分たらしめるものとして「自分はただ運が良かっただけ」という想いがあるんですね。政治家になって何かをしたいという意図はもちろんありますが、人々という、自分が仕えたいものに仕えられる職業という意味が大きいです。なおかつ、自分がなりたい人物像があって、その人物にはどこにいてほしいかを考えると、やっぱり政治の場。ウェルズリー大学を選んだ理由は1つだけで、大学のモットーが「仕えられるより仕えなさい(Not to be ministered unto, but to minister)」なんですね。私がなりたい私になれると思ったんです。

政治の場には自分のような人物が足りていないとも思います。私はおそらく女性らしく育てられたタイプの人間で、生活者の視点からしか物事を語れないのは強みであると同時に弱点にもなり得るので、別の視点からも語れるように友達や大学に鍛えてもらっています。生活者の視点を持った上で、国防や財政政策などの見識もあり、資源をこの程度割いてもこの政策はやる価値がある、という風に総合的に判断できる人を目指しています。言葉が大きくなってしまって恥ずかしいのですが、国のお母さん的な役割ができる人になれたら嬉しいなと思います。私の母はやりくりをしつつ、家族が帰れば必ずおいしい料理を提供してくれるという良い母親の典型で。そんな風に何があっても国民を飢えさせない役割ができる政治家。最近は女子大で学んでいることもあって、特に「女性性と経済」「女性性と政治」について考える機会があった影響も大きいです。

対話の可能性

佐久間:自分がなりたい人物像の話がありましたが、ロールモデルはいますか。

山邊:1人のロールモデルがいるというより、要素によって尊敬する方々がいます。私欲がなく何があってもこの人達のために働きたいという姿勢でいうなら、アフリカのモザンビークで子供へ支援をされている栗山さやかさん。決断力の観点では、みなさんの尊敬の対象であろう緒方貞子さん。何を優先すべきかを自信を持って表明でき、そこに向かって「この人を救えるならばやりましょう」とプライドなくバッサリと決断できる。

私は中学生の頃から、優しい世界を作ろうという理念のもと活動する市民活動家のような方々に育てていただいたと思っています。そういった市民活動家の方が、例えば同性愛嫌悪といった全く異なる思想を持っている方と議論する時、ただ傷つくだけで終わって議論ができないという様子を見てきました。

全く異なる思想を持つ二者が、相手を話す価値がないと思い決して交わらない状況にどうにか解決策を生み出せないかと思っています。相手が何を大切にし、何を優先しているからそういった(同性愛嫌悪的な)言葉を紡いでしまうのか。一番なりたい人物像は両者の言語を理解できる翻訳者のような存在ですね。現在は大学や実社会でさまざまな立場の言語を勉強しているところで、その上で自分の立場は決めたいと考えています。

佐久間:現在、特にアメリカの社会では少なくとも20世紀以降最大の分断が起きているといわれます。ウェルズリー大学は女子大ということもあり、アカデミアの中ではおそらくセーフ・プレイスにあたる環境だと思います。その環境で学ばれていて、「対話」というものの可能性をどう感じますか?

山邊:成功体験は少しずつ積み上がっています。中高生の頃は対話の要員というより、グレタ(・トゥーンベリ)さんのように“アイコン要員”として使われることが多かったんです。でも最近は自分に政治や経済の知識がついてきて、昔とスタンスはあまり変わらないまま、実際にどう落とし込めるかという話ができるようになっています。そういった成功体験のおかげで、対話の中で相手の発言に「うっ」となったとしても、一歩踏み込んで相手のことを知ってみようと思えるようになってきた気がします。

佐久間:大学で政治学を学んでいた際、ディベートの授業を受けたことがありますが、そこではAとBの相反する考えのどちらが正しいか勝ち負けを決めるのが目的で、わかり合うことを目的としていなかったような気がします。そのように勝ち負けベースでさまざまなことが決定・運営されてきた結果、今の分断があるのではとも見ています。例えば、中絶の権利問題ではあまりにも自分の意見と異なる主張をする集団には寄り添いにくい。また、相手はなぜこれを主張しているのか? と想像するのは簡単ではないケースもありますが、鈴さんがおっしゃったような対話のあり方をより多くの人々が考えたら、社会がより良い方向に舵を切る可能性が増えていくのではと感じます。

Photography Kyotato Nakayama
Text Lisa Shouda 

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「意見とは議論できるものであっていい」山邊鈴 中編 https://tokion.jp/2023/04/25/yumiko-sakuma-x-rin-yamabe-part2/ Tue, 25 Apr 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=154258 佐久間裕美子と山邊鈴の対談。中編は自身のSNSとの関係や、マイノリティの立場、日米両方の女子大に通った経験から見えた相違点について。

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「意見とは議論できるものであっていい」山邊鈴 中編

カルチャー、ライフスタイル、ファッション、社会運動など幅広いジャンルの執筆活動をし、著書『Weの市民革命』では若者が率先する「消費アクティビズム」のあり様を描いたNY在住の文筆家の佐久間裕美子。キラキラした世代と描かれることも多い一方、高齢化、気候変動や所得格差など緊急の社会イシューとともに生きるZ世代(1990年代後半〜2012年頃の生まれ)についての解説を求められる機会が増え、それなら本人達の声を聞き、伝えたいと考えるに至ったことで、実現した対談企画。

第5弾の対談相手は17歳で地域格差と分断について綴った文章が反響を呼び、現在は米国ウェルズリー大学に通う、山邊鈴。中編となる今回は自身のSNSとの関係や、若者あるというマイノリティの立場、日米両方の女子大に通った経験から見えた相違点について聞いた。

山邊鈴(やまべ・りん)
2002年、長崎県諫早市生まれ。中学生の頃から国内外の格差や貧困に関心を持ち、学生団体の設立や途上国への取材活動を通じて活動。高校2年の時には1年間インドに留学。カースト制度に対する問題意識から、スラム街の子ども達をモデルにしたファッションショーを開催する。帰国後に国内の分断への危機感から執筆した記事「この割れ切った世界の片隅で」をきっかけに、数々のメディアに出演。2021年秋より米国ボストンにある女子大学・Wellesley College(ウェルズリー・カレッジ)に進学。経済学を専攻し社会保障について学んでいる。
Twitter:@carpediem_530
https://note.com/__carpediem___

日本のZ世代コミュニティ

佐久間裕美子(以下、佐久間):世代とは同時期に生まれた人の集団というだけのものですが、触れるメディアやテクノロジーや経済状況といった共通項によって、世代観のようなものが浮き上がります。各国や地域の違いも踏まえ、ご自身がZ世代であることや、Z世代についていわれていることについてはどのように感じていますか?

山邊鈴(以下、山邊):日本のZ世代はアメリカや中国のZ世代とは違うけれども、韓国のZ世代と少し重なるところはあると感じます。国土が狭く、Z世代の人口が少ないことや、インターネットによってつながりやすくなっているので、社会のイシューに関心がある人とは顔見知りになりやすいです。私自身も日本でZ世代としてメディアに取り上げられている子達とは大体一緒に遊んだことがあります。いったんコミュニティに入り、仲間と認識されるとみんながいろいろとシェアしてくれますし、一緒に築きたい社会に向かっていこう、と連帯する感じは他の国や地域にはあまり見られないのではないでしょうか。30年後、40年後に社会の意思決定の場にいる人達は、きっと知り合いかまたその知り合いなんだろう、という感覚があります。

ただ、ほんの一握りの「問題意識のあるZ世代」以外は、どの世代とも変わらないんじゃないですかね。インターネットを通じて誰かがキャンセルされたり、批判されているのを日常的に見る中で、逆に何かにNOということへの嫌悪感は増していっているような気がします。だからこそ、先ほども言ったような「日本特有の社会変革のかたち」を考えていく必要があると思っています。

SNSで発信をしたから、今の自分がある

佐久間:私の場合、アメリカに来てから他人にどう思われるかを以前より気にしなくなったのですが、アメリカでもZ世代はSNSを通した他人の目が常にあり、それが精神的な負荷になっている面もある。多感な時期をいわばSNSのナルシシズム文化の中で育つのは大変なことだと想像します。SNSとはどうつきあっていますか?

山邊:SNSを通し360°見られている前提で生きることに関して言うと、私は中学2年生から本名も顔も出してTwitterを使っているんですね。その理由は、いろいろな活動を12歳頃に始めると、地元の大人達から「調子にのんなさんな」とか「あそこの山邊さんはまたあんなことばしてから」と言われることがあまりに多く、このままだと自分は変化を起こしたいと思うことをやめてしまう気がしたんです。田舎なので近所の人は私のSNSアカウントをフォローするだろうから、自分の本当に言いたいことをSNSで発信し、当時自分が働きたいと思っていた国連やNGOの人達からもらうコメントやいいねといったポジティブなフィードバックを近所の人に見てもらうことで「あれ、この子はこの町の外では認められているのかもしれない」と、外に評価軸があるとわかってほしくてSNSを始めたんです。それが成功したことがきっかけになって、約7年も続けているので、すべてをSNSにさらすのは日常になっています。それは自分にとって怖くもあり、自然なことでもありますね。

佐久間:その勇気を14歳の子が持っていたことに感嘆します。SNS上で怖い思いや嫌な思いをする場合はどうやって乗り越えていますか?

山邊:嫌な場面もたくさんありますが、SNSで発信をしていなければ今の自分はなかったと思います。また、東京や他の地域で同じように発信する同志と出逢い、実際に会い、友達になり……と本当の意味で自分をわかってくれる大切な人々との関係ができたので、インターネット上の有象無象はあまり気にならないです。当時からずっと応援してくれる大人の方も多くいてくださって、たくさんの親がいるような感じです。一瞬通りがかったっただけの人に何か言われるのとは違い、5、6年も見てくださってる方から建設的なアドバイスをいただく機会もありますし。

マイノリティとして意見すること

佐久間:鈴さんはある文章の中で「納得できない」という言葉を使われていました。現在私達に与えられている条件に納得しなくてもいい、という大切なメッセージと感じたんですね。

長期政権の影響や、日本の経済が停滞し貧富の格差が広がる状況にあって、生まれてきて存在する人々はその現状や未来を納得し受け入れるように教えられてきて、諦めが投票率の低さに現れてしまっている気もします。でも、納得する必要はないんですよね。

山邊:そうですね。実は私はそんな文章を書いておきながら、世の中に対しての意見を持てないのがコンプレックスだったんです。唯一、分断については自分の中で確かなものとして意見を伝えられるレベルでした。

例えば、社会保障や子育て支援に関していうと、年収の所得制限に対して仮に「所得制限を設けるのは子供を産むのが難しくなるというメッセージである」という意見を持っていても、経済全体を見た時に本当に子育て世代に優しいのかがわからない。意見を持つことの難しさを感じ、誰かが大きな声で意見するのを見るたびに、どうしてみんなはそんなに自信を持って意見を言えるんだろう……と悩みだったんです。

東アジアの歴史の授業でペーパーを書いてる時に、教授から「もっと議論できるものを書いて(Your paper needs to be more arguable)」と言われたんです。「そっか、意見とは議論できるものであってもいいんだ」と気付いたら、感動してその場で泣いてしまって。

中学生の頃から行政などの場で発言させてもらえる機会がありましたが、そういう場では大人達からなめられがちというか、批判や反対意見を受けたり「現実的なことを言うんじゃない」みたいな形で怒られることがとても多かったんですね。その経験から、まだ自分は意見を言う資格がないんだ、とどこかで感じていました。肯定された経験がとても少なくて。でも、そんな風に怒られてこなかった子達は正しくなくても意見を持っているものですよね。

佐久間:鈴さんに意見がなかったわけではなく、大人達から押しつぶされてしまったように聞こえます。怖くなってしまったのでしょうか。自分が女性であることは関係していると思われますか?

山邊:そうですね、意見を言うたびに押しつぶされると怖くなりますし、自分のスタンスを表明しないようにしていったところはあると思います。

女性であるということも、人口統計的には全くマイノリティではないのですが、意思決定的な場ではやはり“マイノリティ側”に入ることが圧倒的に多く、自分1人が何かを言うとその場では新しい意見になるんですね。だからまず否定から入られる。当時は知識が今より少なかったのでそれ以上は発言できずに、どこに行っても「あ、すみません……」と謝っていた気がします。

教授から言われた「argurable(議論の余地ある)」という語に含まれる、絶対的な正しさはないという視点を得られたのはアメリカに行って一番良かったことです。

自己肯定感と特権

佐久間:自分の意見を否定されたり、怒られた時に、自信をなくす方向に働いてしまったのですね。自信や自己肯定感のようなものを持たずに意思決定の場などに足を運ぶこと自体が、個人の精神面にとって厳しいことのように見受けます。鈴さんにとって、それに勝る何かがあったのでしょうか?

山邊:みんな自信がないし、意見を言わないから、それなら自分が言ったほうがいいと考えていた気がしますね。他者から肯定された経験なしに自信を持つのは難しいと思います。そもそもある程度の強者性がないと自己肯定感は持てないもので、肯定された経験もある意味で特権という感じがします。

今の私はもう自信を持ってしまったので、本当の意味での片隅の人達の声は代弁できないと思っていて。自信がない人達の声をすくっていくには辛抱強さや優しさが必要だと思うので、そういう強者でありたいです。

佐久間:自己の特権性に自覚的である必要はあると思いますが、一方で自分には特権があるからと遠慮している人達が、社会全体を見た時に、実はそんなに特権的な立場にはない場合もあります。もっと大きな敵がいるというか。集団的な罪悪感(collective guilt)のようなものを持ちすぎるのは果たして有効だろうか、とも考えることもあります。

例えば、女性は全体的にはいまだに男性より所得が低く、家事や育児を担う割合が不釣り合いに多いなど、フェアではない状況は事実としてありながら、その中でもやや特権的である女性が「私は恵まれているので……」と重く罪悪感を持ってしまったり。同時に圧倒的な特権を持っているはずの肝心のおじさん達が無自覚だったりする。

山邊:とてもわかります。人々に罪悪感がありすぎるから、貧乏自慢みたいな話を徹底的に叩くのでしょうね。私も日本にいる時は調子にのっていると思われないよう、どこか過度に謙虚になっている気もします。

日本とアメリカの女子大に通って

佐久間:ジェンダー規範についてですが、若い世代でも九州出身の女性から「女だから大学に行かせてもらえなかった」といった声を聞くことが普通にあります。もちろん九州に限った話ではないし、時代と共に変化しているとはいえ、比較的女性に厳しい通念が残る地域ではあるとのかなと思います。九州の長崎で生まれ育った鈴さんは、ジェンダー規範や男尊女卑的な空気を意識してきた感覚はありますか?

山邊:同級生などの状況を見ると、女子のデフォルトとして九州から出させてもらえないことはありますね。私自身は比較的、あからさまな男尊女卑の状況下にはなかったと思いますが、出しゃばりすぎると良くないとはずっと言われてきました。今こうして上手く言葉にならない時点で、あまりに当たり前の観念として潜在意識に眠っているのかもしれないですね。

これは私がそう育てられてきたからなのか、それとももともと自分に備わる性質なのかはわかりませんが、いわゆる“女性らしい”とされているものが好みで、幼い時はただピンクがかわいいという理由で長崎大学の産婦人科のホームページを眺めているような子でした。議論より対話、理系科目より文系科目が合っているし、女性の作家も好きで江國香織さんや山田詠美さんの作品を大学生になってから乱読しています。

アメリカで通っているウェルズリー大学は女子大なんです。アメリカと日本の女子大を比較する意味もあって、お茶の水女子大学に2021年4月から9月まで通いました。そこでは子供関係の学科は充実していますが、経済学部はなく、経済といっても家庭経済的な範囲しか勉強できない。マクロ経済学や政治学が学べないんです。生活科学部があり、生活者の視点で物事を見られる人になりましょう、と。でも既に女性はそうあるべきと世間からずっと言われてきましたよね。みんな優秀だし、凛として素敵な学生も多いですが「東大受験も考えたけどお嫁さんになりたいし、だからお茶大かな」という感じで選んだ人は一定数いるようでした。

私も日本で高齢の男性ばかりが集まる会議などに参加する時はかわいいメイクをしたままでは行けませんでしたし、高校時代でも眉毛を太く描いて、フリフリした服は着ないようにしたりと、かなり気をつかっていました。

ウェルズリー大学では仲間の学生と編み物をしながらウクライナ情勢について話したり、ガツガツした経済学のフォーラムをみんなでかわいいお菓子を食べながら聴くことができたり。そうやって、“女性らしさ”を言い換えると“おじさんぽくない”要素を持ちつつ、恋バナの延長で世界政治や金融政策について議論できる。自分を変える必要を感じずに、自分自身のまま思う存分勉強できる環境が嬉しいです。

Photography Kyotato Nakayama
Text Lisa Shouda 

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「“自分の普通じゃない普通”を生きる人々への想像力」山邊鈴 前編 https://tokion.jp/2023/04/23/yumiko-sakuma-x-rin-yamabe-part1/ Sun, 23 Apr 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=154250 佐久間裕美子とZ世代の対談企画。第5弾の対談相手は「この割れ切った世界の片隅で」と題した記事が話題となった山邊鈴。前編では、長崎で生まれ育った経験から浮かび上がる想いや、地元と東京、日本とアメリカの風景の違いについて聞いた。

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「“自分の普通じゃない普通”を生きる人々への想像力」山邊鈴 前編

カルチャー、ライフスタイル、ファッション、社会運動など幅広いジャンルの執筆活動をし、著書『Weの市民革命』では若者が率先する「消費アクティビズム」のあり様を描いたNY在住の文筆家の佐久間裕美子。キラキラした世代と描かれることも多い一方、高齢化、気候変動や所得格差など緊急の社会イシューとともに生きるZ世代(1990年代後半〜2012年頃の生まれ)についての解説を求められる機会が増え、それなら本人達の声を聞き、伝えたいと考えるに至ったことで、実現した対談企画。

第5弾の対談相手は17歳の時に地域格差と分断について綴った文章が反響を呼び、現在はアメリカのウェルズリー大学に通う、山邊鈴。前編となる今回は長崎で生まれ育った経験から浮かび上がる想いや、地元と東京、日本とアメリカの風景の違いについて聞いた。

山邊鈴(やまべ・りん)
2002年、長崎県諫早市生まれ。中学生の頃から国内外の格差や貧困に関心を持ち、学生団体の設立や途上国への取材活動を通じて活動。高校2年の時には1年間インドに留学。カースト制度に対する問題意識から、スラム街の子ども達をモデルにしたファッションショーを開催する。帰国後に国内の分断への危機感から執筆した記事「この割れ切った世界の片隅で」をきっかけに、数々のメディアに出演。2021年秋より米国ボストンにある女子大学・Wellesley College(ウェルズリー・カレッジ)に進学。経済学を専攻し社会保障について学んでいる。
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地方から見た景色、東京から見た景色

佐久間裕美子(以下、佐久間):鈴さんが書いた「この割れ切った世界の片隅で」という文章は私達に見えている範囲の“普通”とは、ということを世の中に突きつけ反響を呼びました。どんなことが書く動機になったのでしょうか?

山邊鈴(以下、山邊):長崎の高校に通っていた1年生の頃にアメリカの大学に行きたいと考え始めて、スピーチコンテストや〇〇会議といった、留学に興味のある子達が集まるようなコミュニティに意識的に自分も参加するようになりました。そういう場所で都市と地方の格差に関して私が感じていたことを話しても「でも、あなたはここに来られているじゃない」とか「俺、そうやって甘えてる人は好きじゃないんだよね」という言葉が返ってきました。その子達のような人が、数十年後に日本の社会の仕組みを作り、意思決定をするようになるだろうけど、その立場にいる人が“自分の普通じゃない普通”を生きる人々への想像力を持てないと、社会の仕組みや性質は変わらないと感じたんです。もともとは自分の文章があんなにも広がるとは全く想定していなくて、友達に伝えたい、読んでほしい、という気持ちで書きました。

当時の世の中に需要がある内容だったとは思います。最近は特に地域格差がいわれ、生まれがどうこう……というトピックは関心を集めやすくもありますし、私が海外の大学を目指していたという文脈もトレンドに合っていたのだと思います。

佐久間:長崎で自分の目に映っていた風景と、東京から見たそれとのギャップが大きかったということでしょうか。特にどんなところに違いを感じましたか?

山邊:1つ目は、(地方でも東京でも)人の能力にそこまで変わりはないと思いますが、東京では「自分にもこれくらいできるだろう」と自分の可能性を高く見積もっている。一方、地方では同じくらいできるはずなのに、まず「九州から出たらダメって言われてるから」と制限があったり、「自分にはそんなことできるはずがないから」と自分の能力を低く見積もってしまうところがあると感じます。

2つ目は、都会の方が実社会に触れる機会が多いために、傾向として地道にコツコツやるよりも上手く(他者に)見られるポイントを押さえるというか、社会の中で器用に生きる能力が身に付いているように思います。

弱者性自慢では終わらない、格差と分断

佐久間:「この割れ切った世界の片隅で」は、「伝えたい」という動機があって書いた文章ですよね。多くの反応を受けて、鈴さんの気持ちが伝わった感触はありますか?

山邊:貧困をうたった短歌などはずっと昔からありますし、格差の話だけだと「弱者性自慢」のように捉えられてしまいがちなところを、格差の話の後に分断の話へ文脈を持っていったことで「こうやって“普通”は形作られていて、自分に見えているものがすべてではなくてね……」というメッセージに落とし込めました。こうしたは口頭だけでは伝えにくいんですね。音声情報だけではやはり人は自分が理解できるものだけを拾いがちなので、口頭で友達に言うだけだとやはり「貧乏自慢」とか「この人はまた“左”っぽいこと言っている」で終わってしまったかもしれないけれど、自分が言いたことをゆっくり時間をかけて何度も読み返せる文章の形にしたのは良かったと思います。

佐久間:鈴さんの文章は立体感があって裏表がなく自然に身についた感じというか、頭の中でこうやって話しているのかな、という印象を受けました。子供の頃から文章を書かれていたのでしょうか?

山邊:新聞もとったことがないような家で、文章を書いた経験もあまりありませんでした。文章が上手いわけではないのですが、伝えたいことが人よりも多いのかもしれません。嘘がつけないというか、頭の中をそのまま模写するように書いているので、色気がないんですけど。

佐久間:育った環境の中で記憶に残る、現在の方向に進んだきっかけや出会いはありますか。

山邊:これだと思えるきっかけは特にないのですが、あるとすれば共感能力が人一倍強かったことは影響していると思います。例えば、インフルエンザの季節に赤ちゃんが予防接種の注射を打たれるニュース映像も痛そうで見ていられなかったし、テレビ番組で、砂漠に10年間も捕われていた子供の実話を知り、思い出すだけで苦しかったり。他人の痛みを自分のものとして感じてしまう性質が強い人間で、そこに対して自分にできることをいち早く行動に移さないと納得ができないという気持ちがありました。

長崎に生まれ育ったこともあって、今自分が生きているこの地では70数年前に原爆が落とされて、皮膚が焼けただれながら歩いていた人達がいると考えるだけで身震いがしたり、この瞬間にも地球のどこかでは泣きながら警官に追いかけられている孤児達がいるんだろう、ということを考えていました。小学1年生くらいの頃から「自分はただ運が良くてここにいるだけなんだから、自分の命を誰かのために使わないと死ねないな」と、なんとなく思っていましたね。

長崎で感じた「私には声があるんだろうか?」

佐久間:長崎で生まれ育ち、公立学校の教育を受けた鈴さんは原爆投下の事実に重みを感じて育ちましたか。

山邊:自分が生きているこの長崎という地が、世界史の文脈の中で大きな意味があるということで、自分と社会や世界のつながりを感じやすかったかもしれないです。その一方、日本がオランダと交易をしていた時代に長崎がいかに重要だったかも学び、原爆が落とされた特殊な地とは分かりつつも、今この現在の長崎には声があるんだろうか、と感じていましたし、長崎に限らず「私が今見ている世界は誰によって作られ操作されていて、誰にとって価値があるんだろう」と疑問でした。ずっと自分の中にあった「自分の声がどこにも届かないような、価値がないような気がする」という気持ちが「片隅」というワードに現れ、特に何も考えずにつけた「この割れ切った世界の片隅で」のタイトルへつながった気がします。

佐久間:原爆が投下された都市として、広島に比べて長崎は影が薄いと思っている人もいるでしょうし……。

山邊:昨年、アメリカの大学で東アジアの第二次世界大戦の授業をとって学んだのですが、戦後の都市復興計画会議の結果、広島は平和都市として声をあげようという方針で都市が形成されました。それに対し、長崎は国際文化都市という形で発展していく役割に決まったこともあり、原爆についての語りを「平和へのメッセージ」という、マイルドなイメージに包んでしまう傾向があるんですね。広島では原爆といえば赤や茶色のイメージカラーと結び付けられますが、長崎では水色。キリスト教が根付いている影響もあり、主張というよりかは祈りの方向で、「神が私達に犠牲を払わせた意味とは」という感じ。学校で書かされた作文のテーマも「あなたにとって平和とは?」でした。「私達は平和を願っています」と、理想論で終わってしまっていると感じ、そこが少しもどかしかったのかもしれません。

違いを前提にするアメリカ

佐久間:今、アメリカで勉強されているわけですが、特に大学ではリベラル的な価値観が強く、戦争や帝国主義的なものに対して抵抗が強いけれども、一方で、リベラルな価値観の中でも軍は国防の要として大切にされ、(軍事力を)平和と相反するものとして認識されないこともある。戦争は必ずしも悪いものではないというムードを感じることがあります。

自分が子供の頃の日本は、「戦争は大失敗だった」という空気感が強く、教科書などから受け取ったメッセージも「日本はとても悪いことをしたから、これからは平和に生きていきます」というものでした。戦争教育を受けてよかったと思うと同時に、今になってよく考えると、戦後もずっと日本が植民地的な状態であることなども含めて、子供の自分が受け取ったメッセージは至極単純で稚拙な世界観に基づいていたともいえます。

長崎でもどかしさを感じながら育ち、現在はアメリカの大学で学ばれる鈴さんの立ち位置からアメリカの風景はどう見えますか?

山邊:日本では自分がやりたくてもやれていない、「授業中に発言をする」「おかしいことをおかしいと言える」といったことを、逆に要求される環境に入ったらどうなるだろうと考えてアメリカの大学を選びました。

アメリカに来て驚いたと同時に、日本とのコントラストが一番大きいと感じたのは、相手と自分は本当に異なる存在だと捉えている点です。移民の第1世代だけが履修できる女性学の授業では、私以外の全員がヒスパニックの学生でした。そこでは何度も「私達は人種を越えられない(We can’t go beyond the race)」というフレーズが出てきたんですね。思想でも何でも、ある人について考える時には必ず人種を考慮に入れなくてはいけない、と教わりました。日本で生まれ育った自分はやはり人種を強く意識した経験はなく、その人自身を見るよりも先に人種を考慮しなければならないというのは少しつらくもあり、これが多民族国家の格差や紛争の結果ということなんだとも思い知りました。

政治の授業で習った選挙区の区割りの話では、「この地域はカトリックの住民が多く、かれらの思想はこうだろうから、共和党に票を投じてくれるだろう。だから選挙区の区割りをこうする」というように、人々は異なるという前提を上手く利用し社会のさまざまな仕組みが回っている。これは個人的には苦しいと同時に、日本の社会はその逆だと思う点で、文章で表現したかったポイントでもあります。

日本の場合、実際には人々は少しずつ異なっているにもかかわらず、みんなが他人も自分と同じような生活をしているだろうという思い込みが分断につながっていると思います。アメリカと日本の分断の性質は違うので、アメリカほどに“違うから分かり合えない”という方向に行く必要はないけれども、日本がより良くなるためには「あなたはそういう感じなのね。私はこういう感じ。でも一緒に生きていきましょう」という、日本特有の若干無関心のある共存の形ができたらいいのではと感じます。

佐久間:私はかつてアメリカ・カルチャー・オタクで、ある種の憧れを持って渡米したので、やはり人種の問題にはショックを受けました。特に近年は、自分を見た人はまず「アジア人だ」と人種を意識されるのだなと改めて感じるようになりました。以前はあまり深く考えずとも生きてこれてしまったのですが、今はずっと水面下にあった多くの苦しみや悲しみが、構造的な差別が可視化され一気に吹き出してきたところだと見ています。

中編へ続く

Photography Kyotato Nakayama
Text Lisa Shouda 

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「観光以外のホテルの新しい可能性を提供する」龍崎翔子 後編 https://tokion.jp/2023/02/19/yumiko-sakuma-x-shoko-ryuzaki-part3/ Sun, 19 Feb 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=166695 佐久間裕美子とZ世代の対談企画。第4弾の対談相手は「HOTEL SHE,」などをプロデュースする株式会社水星の代表、龍崎翔子。後編は、この数年間で始めた新しい取り組みやサービス、根底にあるモチベーションについて。

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「観光以外のホテルの新しい可能性を提供する」龍崎翔子 後編

カルチャー、ライフスタイル、ファッション、社会運動など幅広いジャンルの執筆活動をし、著書『Weの市民革命』では若者が率先する「消費アクティビズム」のあり様を描いたNY在住の文筆家、佐久間裕美子とZ世代の対談企画。

第4弾の対談相手は19歳でホテルを起業し、現在は「HOTEL SHE,」などをプロデュースする株式会社水星の代表、龍崎翔子。後編は、この数年間で始めた新しい取り組みやサービス、根底にあるモチベーションについて聞いた。

前編はこちら
中編はこちら

龍崎翔子(りゅうざき・しょうこ)
株式会社水星 代表取締役CEO。ホテルプロデューサー。2015年、L&G GLOBAL BUSINESS(現 株式会社水星)を設立。「HOTEL SHE,」ブランドや金沢のホテル「香林居」など全国でブティックホテルを経営し、それぞれの土地の空気感を生かした世界観のあるホテルを世に広める。2022年、日本初となる産後ケアリゾート「HOTEL CAFUNE」を首都圏にて開業。
https://www.suiseiinc.com
Twitter:@shokoryuzaki

ライフパートナーとしてのホテル

佐久間裕美子(以下、佐久間):この数年間、どの業界も少なからず変化を強いられましたが、特に旅行業やその周辺の商売は大きな影響を受け、本当に大変な時期だったと思います。この数年間を振り返って、考えが大きく変わったところはありますか?

龍崎翔子(以下、龍崎):会社としては大きな事業転換を迫られました。もともとやろうと考えていたけれど、実行に移すべきタイミングが早まったという印象です。

大きな変化の1つは、実は自社のホテル運営はメインではなくなっていて、事業の半分ほどはクライアントワークとなっています。デベロッパーや百貨店らの仕事を受けたり、他社のホテルの経営支援や、地域行政の観光事業のサポートをしたり。さらには、すでに 600施設ほど利用してくださっている予約エンジンの開発、運営をしているIT事業などを展開しています。

もう1つは、ホテルの脱観光化への挑戦です。一般的な認識としてホテル業は観光業の一部ですが、それはホテルの可能性を狭めていて、もったいない考えだと思っています。観光や出張以外にも、人がどこかに宿泊する機会はあります。例えば、入院、お泊まり保育、老人ホームでの滞在もです。そう考えると、宿泊という行為は観光に紐づかない領域がすごくある。コロナショックで観光がストップした時に、そういった領域をより広げてゆくことにホテル業の未来はあるんじゃないかと、強く感じていました。

そうした取り組みの1つ目として、川崎で産後ケアに特化したホテルを産後ケアリゾート「HOTEL CAFUNE」というブランドで始めています。出産を終えたばかりの女性が、赤ちゃんや家族と一緒にゆっくり滞在出来て、助産師さんが身体のケアをしてくれ、保育士さんが赤ちゃんを預かるというサービスです。

私達は観光業の一部としてホテルをやっていたという認識があったわけではないですが、結果的に観光業的なホテル作りをしていました。これからは、観光はまた別で、より人々の生活に密着するというか、人生を送る中で生じる負を解消するような、ライフパートナーとしてのホテルを生み出していきたいです。

佐久間:私も特にコロナ以降、帰国する際にホテルを利用する機会が増えましたが、おそらく旅行者ではない宿泊者も増えたように思います。もしかしたら家に居場所がないのかもしれないし、これまでホテル側が想定してきた範囲を超えた理由で宿泊する方が増えているように感じます。そういった意味で、宿に求められることは観光の外にもたくさんあるのかもしれませんね。

龍崎:それこそワーケーションもその一環ですよね。今考えているのは、産後ケアのホテルからの次のステップとして、中学生や高校生くらいまでの子達が、子供だけでも宿泊できる、泊まれる児童館のようなホテルです。仕事で出張が多いと、子供を友達の家に泊まらせてもらうのも気がひけるし、親にも頼みにくい場合も当然ある。そんな時に、保育士さんや先生がいて、子供が安心して楽しく1日を過ごせる場があったらいいなと考えています。

佐久間:運営されている予約エンジンについて聞かせてください。

龍崎:「CHILLNN(チルン)」というサービスです。ホテルのサイトから予約ボタンをクリックした時、その先のページにホテルの世界観が反映されていなかったり、使い勝手が悪かったりするということはありませんか? ホテルの立場を考えて作られたサービスがあまりなく、予約サイトに付属していたり、ウェブ制作会社に外注されている場合が多いんです。値段の訴求や、アドテクのアルゴリズムによる誘導という方向ではなく、自分達のコンセプトや世界観をリスペクトしてくれるお客さまに向けて宿泊体験を届けたい宿は多いはずですが、そこに応えるサービスは見当たりませんでした。「CHILLNN」では、そうしたニーズに応えるサービスを展開していてありがたいことに、ご活用いただいている施設の数は年々増えています。

佐久間:宿泊業にはairbnbのような大きな変化はありつつも、予約などを見ると何十年も変わらず古いシステムも残っていますね。日本に限らずアメリカの会社でも同じことが言える気がします。そのあたりも含めて、広い意味での旅関連業のようなことでしょうか。

龍崎:私しては既にあるものを作っても楽しくなくて、ホテルのポテンシャルを解放していきたいんです。ホテルに特化するなかで、時代を変化させるようなサービスやプロダクトを出していきたいです。

カルチャー化したホテル巡り

龍崎:「HOTEL SHE, 」ができた後の数年間で、ホテル巡りがカルチャー化していると感じます。若い世代の間でも、カフェ巡りをするような感覚で、いろいろなホテルに行くのが普通になってきている。お客さま自身が良いものをたくさん体験しているはずで、目が肥え、その分期待値が上がっているので、そこに応えられるサービスを作らなければという、いい意味での緊張感はあります。

また、消費されるスピードがどんどん早くなったとも感じます。今は個人1人1人がメディアで、UGC(ユーザー生成コンテンツ)の発信すごく盛んになっていますし、ホテルを紹介するコンテンツでは安定して「いいね」が集まる状態になっているので、油断するとすぐにみんなの目に触れて飽きられてしまうというスピード感が変化を感じます。誰かの手によって再編集されるので、編集のされ方によってホテルの賞味期限が短くもなる。そういう意味で、工夫した見せ方をしないといけないです。

佐久間:19歳の時に始めた宿泊業が時を経てどんどん変容してきていますが、龍崎さんがお仕事で喜びを感じるのはどんなところでしょうか。

龍崎:「こういうことができたら面白いよね」と考える時間が一番楽しいです。考えていたことを、誰かが先にやってしまったら悔しいので、とにかく自分からやってみます。もちろん、その過程で思い通りにならなかったり、良くない予定不調和が起きたりする時もあります。でもやっぱり「これができたらいいよね」が実現すると、その先にまた新しい「できたらいいよね」が出てくる。その瞬間が持続するように日々頑張っています。

メンタルの整え方とモチベーション

佐久間:落ち込んだ時はどうしていますか?

龍崎:生活をきちんするのがメンタルにとって大事だと思っています。私は出張が多く、ひと月のうちで半分くらい、毎日違う場所で寝ている時もあります。そうなるとメンタルも弱りやすく、ネガティブになりやすいので、部屋を掃除したり、料理をしたり、意識的にルーティンを作って生活することで、メンタルの調子がよくなりますね。

その他の方法でいうと、身体的なアウトプットができる日常体験をするのも良いです。たまに陶芸をするのですが、作業瞑想のような無心でできる普段しない動きをするのは明らかに脳に良い気がします。あと、最近はピアノを買いました。

佐久間:起業をするのは金銭的な利益が動機になるケースありますが、龍崎さんのお話を伺うとお金をモチベーションに起業をしたのではないようですね。

龍崎:お金をモチベーションにしていたら、今頃もっと儲かっていたかもしれないですね(笑)。私の場合は自分が作りたいもののイメージに向かって、裁量権を持って進めていけることを大切にしています。安定よりも荒波を乗りこなす方が楽しいタイプなので、お金を儲けるよりも、激しい変化の渦中にいられることの方が自分にとっては価値があります。

Photography Kyotaro Nakayama
Text Lisa Shouda 

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「スタッフとお客さんが人間同士として関わる宿」龍崎翔子 中編 https://tokion.jp/2023/02/18/yumiko-sakuma-x-shoko-ryuzaki-part2/ Sat, 18 Feb 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=166682 佐久間裕美子とZ世代の対談企画。第4弾の対談相手は「HOTEL SHE,」などをプロデュースする株式会社水星の代表、龍崎翔子。中編は引越しが多く自身をエイリアンと感じてきた生い立ちや、「HOTEL SHE,」の名前の由来などについて。

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「スタッフとお客さんが人間同士として関わる宿」龍崎翔子 中編

カルチャー、ライフスタイル、ファッション、社会運動など幅広いジャンルの執筆活動をし、著書『Weの市民革命』では若者が率先する「消費アクティビズム」のあり様を描いたNY在住の文筆家、佐久間裕美子とZ世代の対談企画。

第4弾の対談相手は19歳でホテルを起業し、現在は「HOTEL SHE,」などをプロデュースする株式会社水星の代表、龍崎翔子。中編は、引っ越しが多く自身をエイリアンと感じてきた生い立ちや、「HOTEL SHE,」の名前の由来などについて聞いた。

前編はこちら

龍崎翔子(りゅうざき・しょうこ)
株式会社水星 代表取締役CEO。ホテルプロデューサー。2015年、L&G GLOBAL BUSINESS(現 株式会社水星)を設立。「HOTEL SHE,」ブランドや金沢のホテル「香林居」など全国でブティックホテルを経営し、それぞれの土地の空気感を生かした世界観のあるホテルを世に広める。2022年、日本初となる産後ケアリゾート「HOTEL CAFUNE」を首都圏にて開業。
https://www.suiseiinc.com
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エイリアン、アウトサイダー、新参者として

佐久間裕美子(以下、佐久間):Z世代には、独立心が強い、起業に関心があるといった世代観があると思いますが、龍崎さん自身はそういった世代観にリンクするものはあると感じますか。

龍崎翔子(以下、龍崎):いわゆるメディアで取り上げられる「Z世代」の中心は自分より5〜6歳下で、自分はおそらくZ世代の長老にあたる年齢だと思います。自分の同世代の感覚でいえば、多分その世代観へリンクはしていないですね。自分の人生を振り返ると、ずっとエイリアンだったという感覚があって、世代観がこうだから私もこうだ、という感覚はないです。

一方で大きな流れを考えると、高校3年生か大学1年生の頃、ランジェリーのブランドを大学生の頃に立ち上げて著名になったハヤカワ五味さんの活躍を見て、スモールビジネスを経営するというキャリアパスもありなんだと可視化されたタイミングだったと思います。その意味で世代的な影響を受けている部分はあるかと思います。大学生時代は、周囲で起業に興味がある人はIT長者を目指している人ばかりで、わかり合えないと感じた記憶があります。

佐久間:ご自身がエイリアンだと感じていたというのはその辺りの経験から来ているのでしょうか。それとももっと以前から?

龍崎:その感覚はもっと前からです。アメリカにいれば言葉がわからず、逆に日本に帰ってアメリカの話をすれば自慢していると思われてしまう。その後、東京から京都に引っ越したら、私は「東京弁をしゃべるやつ」と受け止められて。東京で住んでいたのはわりと公営住宅が多いエリアで、生活保護を受ける家庭の子や、親が1人の子も多かったですし、近くに児童養護施設があって、虐待サバイバーの子達がクラスの4分の1以上という環境でした。でも自分の家庭はそうではなかったので、集団の中で、自分は異質な存在だとはすごく感じていました。

佐久間:さまざまな場所で異質な存在、あるいはアウトサイダーとして育つのは、子供にとっては厳しいことである一方、同時に強みになる場合もあるかもしれません。ご自身ではどう評価されていますか。

龍崎:自分としては、運がよかったのか、うまく適応したタイプだと思います。引っ越しは多かったけれど、その分よい経験もたくさんさせてもらえたし、その経験が、今自分がホテルをやっていることにも反映されています。一般的に、ホテルは地元の人がやるべきで、そうでなければ負い目がある、といった観念がある気がします。でも自分には地元がなく、どこに行ってもアウトサイダーであることは変わらないので、そういう意味でアウトサイダーとしての関わり方が自然にできる部分はあると思います。

佐久間:北海道や京都などさまざまな土地で事業をされていると、いわゆる新参者の立場になりますが、それぞれの土地ではどう受け止められているのでしょう。

龍崎:北海道は移住者が多い土地ですし、富良野の皆さんは親切でした。京都はトラディショナルで新参者に厳しいイメージがありますが、1000年以上も都だった歴史があり、人が集まる街なんです。そういう意味では、やり続けていればだんだんと受け入れてくれる懐の広さを感じます。実際に事業を進める中では、エリアによっては新参者を受け入れたくないような空気を感じることもありますが、若者がその街のために頑張っているとわかると、応援しようと言ってくださる方がいて、ありがたいです。

「SHE,」に込められた意味

佐久間:どうやって「HOTEL SHE,」というホテル名にたどり着いたのですか?

龍崎:まず、抽象的な名前は避け、聞いた時にイメージが湧くような言葉にしよう、と母と話し合いました。すると母が、「Sはサティスファクション=満足、Hはハートフェルト=心からの、Eはエモーショナル=感情的な」と、3つのアルファベットそれぞれに私達のサービスポリシーを入れられそうだと提案してくれて。私も母も女性ですし、人々の心の中にある誰か、「彼女/she」の姿を投影できるホテル名にしました。また、「she」だけではただの人称代名詞なので、そこにホテルと同じように、文章の中で少し立ち止まってまた歩き続ける役割を果たす「,(カンマ)」をつけました。このホテル名ではじめてみたら、「女性専用ホテルか?」とよく聞かれるので、そこは反省点ですね(笑)。

佐久間:女性が泊まりやすいホテルなのかとは思いました。働いている方が若いというイメージがあります。

龍崎:働いているのは男性のほうが多いので、名前からフェミニンなイメージを持った方にとってはギャップがあるかもしれないですね。私はカオスな環境が好きなんです。そうすると、荒波を乗りこなしてやろう、というメンタリティの人のほうが社風にはまるんです。それで比較的年齢の若い人が集まっているのだと思います。

佐久間:素人考えですが、ホテル事業で私達のような客側から見えるのはほんの一部で、見えない所でのさまざまなコーディネーションなど、実際はかなりのカオスなんだろうと想像します。

龍崎:本当にカオスですね。運営する中で大変な出来事はもちろんありますが、立ち上げの際も業者さんとのやりとりから、回避不可能なトラブルへの対処など、不確実性は高いと思います。というのも、私達自身もセオリー化されたホテルの運営をする方針ではなく、今までの世の中になかったけれどあってもいいよね、というスタンスなので、あらゆる取り組みはゼロベースで考えられ実現していくんです。破壊的創造を繰り返し続ける営みが求められると思っています。そうなると、予定調和的な仕事がしたい人には合わない環境かもしれません。

スタッフにとって持続可能なホスピタリティ

佐久間:「Sはサティスファクション、Hはハートフェルト、Eはエモーショナル」というコンセプトは、受け手の気持ちによるところが大きく、ホテル側でコントロールできる範囲が少ないように思いますが。

龍崎:原点はペンションのあり方です。普通のホテルは「サティスファクション/満足させる」までですが、私達はそこを超えて、一生の温かい思い出として振り返られるようなホテルづくりをしたいんです。感じ方はお客さま次第ではありますが、ペンションではそれが自然とできていた気がするんですよね。ホテリエをずっとやっていると、スタイリッシュにスマートに接客したいという欲が生まれますが、私は接客にはもっと心の温まる、隙というか余白があってもいいと思っていて。北海道のペンションでは、仲良くなったお客さんが、海外から夏も冬も来てくださったり。その方にとっての良い思い出になっていたのでは、と思います。方法論が明確にある訳ではないですが、ペンションで自然にできていたことをホテルでもできるように、方向性としては少なくとも掲げていよう、と。そんなマインドセットが「SHE,」のネーミングに表れていると言ってもいいですね。

佐久間:子供の頃のホテルへの満たされない想いがスタート地点になった龍崎さんが大人になり、さまざまなところに泊まってみて、ご自身のエモーションに訴えかけてくる宿とも出会えましたか?

龍崎:たくさんあると思います。エモーションの根源にあるのは、スタッフがいちスタッフというだけでなく、立体感を持った生身の人間であるという事実を実感する瞬間だと思います。

自社の例にはなりますが、具体的なお話をすると、私達のホテルでは、お客さんとスタッフの媒介となるようなコンテンツを意識的に置くようにしています。フロントの横にレコードラックを置いているのも、単純に「〇〇様、おはようございます」と正面から視線が合うとお客さまが引いてしまうから、お客さまとスタッフが同じ方向を見るコンテンツが必要。それがレコードだと思っています。レコードを一緒にディグしてお勧めしたり、話をする過程を通じてお互いが自己開示しやすくなる。また、スタッフにはお客さまとの会話のきっかけになる、「ツッコミどころ」になるようなものを意識的に散りばめるようにお願いしています。例えばネイルに力を入れているスタッフも多いです。おもてなしの際には手を使うことが多いので、ネイルに目が行きやすく「可愛いネイルですね」と会話が広がりやすくなっている。そういう時に生身の人間同士の関わりが垣間見える気がします。

佐久間:ホテル業を含め、サービス業はお客さま中心主義が行動指針であるのが当たり前の世界だと思いますが、龍崎さんのお話からはスタッフの幸福感やウェルビーイングのようなものが、お客さんに伝わることを前提にマネジメントされているように感じます。

龍崎:スタッフがよいバイブスを持てることは大事ですね。接客業ではお客さんには自分の最高の笑顔を見せるけれど、その反面、スタッフ同士では疲れた顔を見せてしまうということがあります。これはペンション経営の時も、ホテルでアルバイトしていてもそうでした。お客さんが大切なのは当たり前ですが、一緒に働いている仲間こそ大切な存在だと思っていて。少なくともスタッフ同士が信頼や尊敬し合えるコミュニティであるべきで、そこで得たハッピーなバイブスを、お客さんにお裾分けする。そういう考え方じゃないと持続可能でよいホスピタリティは難しいです。

後編へ続く

Photography Kyotaro Nakayama
Text Lisa Shouda 

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「余白を埋めるホテルを目指して」龍崎翔子 前編 https://tokion.jp/2023/02/17/yumiko-sakuma-x-shoko-ryuzaki-part1/ Fri, 17 Feb 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=166659 佐久間裕美子とZ世代の対談企画。第4弾の対談相手は「HOTEL SHE,」などをプロデュースする株式会社水星の代表、龍崎翔子。前編はホテル経営を志すようになる原点となった幼少期の経験や、起業当時のペンション経営について。

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「余白を埋めるホテルを目指して」龍崎翔子 前編

カルチャー、ライフスタイル、ファッション、社会運動など幅広いジャンルの執筆活動をし、著書『Weの市民革命』では若者が率先する「消費アクティビズム」のあり様を描いたNY在住の文筆家、佐久間裕美子。キラキラした世代と描かれることも多い一方、高齢化、気候変動や所得格差など緊急の社会イシューとともに生きるZ世代(1990年代後半〜2010年代前半の生まれ)についての解説を求められる機会が増え、それなら本人達の声を聞き、伝えたいと考えるに至ったことで持ち上がった〈佐久間裕美子 × Z世代〉の対談企画。

第4弾の対談相手は19歳でホテルを起業し、現在は「HOTEL SHE,」などをプロデュースする株式会社水星の代表、龍崎翔子。前編となる今回はホテル経営を志すようになる原点となった幼少期の経験や、起業当時のペンション経営について聞いた。

龍崎翔子(りゅうざき・しょうこ)
株式会社水星 代表取締役CEO。ホテルプロデューサー。2015年、L&G GLOBAL BUSINESS(現 株式会社水星)を設立。「HOTEL SHE,」ブランドや金沢のホテル「香林居」など全国でブティックホテルを経営し、それぞれの土地の空気感を生かした世界観のあるホテルを世に広める。2022年、日本初となる産後ケアリゾート「HOTEL CAFUNE」を首都圏にて開業。
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ラスベガスで受けた衝撃

佐久間裕美子(以下、佐久間):龍崎さんがホテルの仕事をしようと思ったのは、子供の頃にご家族で行かれたアメリカ大陸の旅がきっかけだそうですね。私も何度かアメリカ国内を横断してきましたが、どこに行っても宿のオプションが均一的でがっかりする、という体験にはなじみがあります。

龍崎翔子(以下、龍崎):アメリカを旅したのは8歳の頃で、父が運転し、母が地図を読み、私は後部座席でひたすら次の目的地に着くのを待つという感じでした。外の景色は少し草が生えた砂漠が続くばかりで、あまり変化がない中、1日の最終目的地はホテルなんですね。唯一の楽しみは「今日はどんなホテルだろう」と考えることなんですが、いざホテルに着いて客室のドアを開けた時に見えるのは、昨日のホテルとも、一昨日のホテルとも変わらない景色。一体、自分がどこにいるのかもわからないし、子供ながらに同じものが続くいらだち、満たされない気持ちを漠然と感じていました。

そんな中で、今の仕事につながったのはラスベガスでの体験かもしれません。『地球の歩き方』を読むと、「サーカス サーカス ホテル」や「フラミンゴホテル」が載っていて、どこも面白そうで、ラスベガスに着くのを楽しみ待っていたんですが、私達が泊まったホテルが家族経営のモーテルで、客室や接客が衝撃的なほどにひどく……。逆に、有名なホテルに行ってみると、ホテルとしての圧倒的な世界観に衝撃を受けました。ラスベガスでの1日の中で最高と最低の両方のギャップを体験したんです。

それまで泊まったホテルから受け取ってきたのは、「スタンダードであることが価値」という印象だったのが、ラスベガスではホテルとしての総合空間演出というか、いかに総合的な体験を作り込み、お客さんを楽しませるかに主眼が置かれている。子供ながらにも、ラスベガスは娯楽の街であって、エクストリームな1例であるとはわかってはいたけれど、それを見たからこそ、ラスベガス的なホテルと普通のホテルの間にある余白に気が付けたんですね。その余白を埋めてゆけたらいいな、と漠然と考えていました。

佐久間:小学生でホテルに注目するとは早熟ですよね。

龍崎:ホテルをやろうと思うきっかけになった本が、『ズッコケ三人組』の35巻で、3人がハワイに行くというお話の回があるんです。主人公達が商店街の抽選に当たって、ハワイに行った先でいろんなトラブルに巻き込まれ、そこで助けてくれるのがハワイに住む日系人のホテル経営者のおじいさんなんです。それで初めてホテル経営者という仕事があると知りました。子供の頃は消防士さんやケーキ屋さんといった表に見える仕事しか認識しないですよね。ホテルのお仕事だったら、ホテルマンやベルボーイしか知らなかったのですが、ホテル経営という仕事があると知って、自分が将来やりたいのはホテルだ、と直感でピンときたんです。小学校と中学校の卒業文集にも「ホテルをやりたい」と書いていたので、そこから大きく道をそれることなく今に至ります。

「HOTEL SHE,」 へ行き着いたのは、家族で泊まるホテル選びから

佐久間:子供の龍崎さんが体験したアメリカのホテルに比べると日本には民宿から高級ホテルまで幅があるようにも思います。日本において龍崎さんがやりたいホテルの方向性はどうやって見つけていったのでしょうか。

龍崎:日本で家族旅行や父の出張に付いて行く時に泊まるのは、基本的にビジネスホテルか、よくてシティホテルだったんです。客室のドアを開けるたびに「またこれか……」という残念な感じは、アメリカで体験したものと同じでした。

仮に、自分が幼少期にハワイの「ハレクラニ」のような素敵なホテルに泊まった経験があれば、ホテル経営をやりたいとは考えなかったと思います。一定の型にはまったスタイルのホテルばかりに泊まってきたからこそ、フラストレーションを感じたし、「もっとこういうホテルがあってもいいのでは」という気持ちはずっと変わらずに持ってました。

中学生か高校生の頃からは、家族で泊まるホテル選びを任せてもらえるようになったのですが、実際に選ぶとなると、数多くのホテルがあるのに、それぞれにあまり違いがない。こっちは駅から近いからいいだとか、天然温泉があるから、朝食の品数がちょっと多いからこっちがいいかな……と定量的な違いの中からしか選ぶことができなかったんですね。もちろん、ある程度の金額を出せば、素敵な温泉旅館やリゾートホテルに泊まれますが、普通の出張やちょっとした旅行で訪れるような地方政令都市にあるホテルの選択肢には悲しいくらいにバリエーションがない。自分が予約する係だったからこそ、問題意識を感じていました。それで、都市エリアの旅行先で、価格帯が1〜2万円位で泊まれる素敵なホテルが作りたいと思うようになりました。

加えて、何かを消費するという行為は自己表現の一環でもあると考えていて。例えばこのブランドの価値観が好きだから服を買う、このカフェの雰囲気が好きだから行くというように。そう考えると、ホテルは値段がそこそこするのに、自己表現の余白がない消費だとも感じていました。そういった課題意識が相まって、「HOTEL SHE, 」に行き着いたのかなと。

ただ、大学在学中の2015年に北海道の富良野のペンションを初めて事業としてスタートした時点では、自分の中でも明確に言語化されてはおらず、引き継いだペンションの運営形態をトレースする形でした。

北海道で母とのペンション経営

佐久間:ペンションとホテルは求められる要素もかなり異なる形態だと思いますが、ペンションから始めたのには何か縁があったのでしょうか。

龍崎:ペンションは不動産売買のサイトで見つけました。そこを見つけるまで富良野についてあまり知らなかったのですが、北海道は夏か冬だけの1シーズンのみの営業が普通だけど、富良野は2シーズンともオープンできるということがわかって。それならば他のエリアよりも売りやすいだろうし、大都市圏よりも少ないコストで始められると考えて、母と一緒に起業しました。

私は接客、予約管理、コンシェルジュ、マーケティングといった業務をやり、母は清掃スタッフさんのマネジメントや料理などの担当でした。ちょうど中華圏での北海道ブームで、インバウンドのお客さんがこぞって富良野に来ていた時期でした。夏は108連勤して、お客さま全員の対応をしました。朝は6時頃から朝食の準備、夜寝られるのは12時過ぎ、という生活が続いて大変でした。

佐久間:日本では年齢が若いと、なめられたり、本気に取ってもらえないことも多く、起業をする上で若さはどちらかといえばマイナス要素だと感じます。そういった想定はしていましたか?

龍崎:そこは自分の中で割り切っている部分もあります。母と一緒に起業しているので、学生だからなめられるという時には母に前に出てもらったりしていました。若さや女性であることを理由になめられたり、ものすごく理不尽な人も中にはいますが、想定よりは親切で良心のある方々は多いと思います。

中編へ続く

Photography Kyotaro Nakayama
Text Lisa Shouda 

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「現実を直視して動き続ける」眞鍋ヨセフ 後編 https://tokion.jp/2022/05/18/yumiko-sakuma-x-yosefu-manabe-part2/ Wed, 18 May 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=114576 佐久間裕美子とZ世代の対談企画。第3弾の対談相手は2020年にスタートしたZ世代のウェブメディア「elabo」のyouth編集長、眞鍋ヨセフ。後編では、メディアの在り方からキリスト教や音楽との出会い、今後のヴィジョンについて。

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NY在住の文筆家、佐久間裕美子とZ世代(1997〜2012年頃の生まれ)の対談企画。第3弾の対談相手は2020年にスタートしたZ世代のウェブメディア「elabo(エラボ)」のyouth編集長、眞鍋ヨセフ。後編では、カルチャーや議論を大切にするメディアの在り方から、現在の活動に繋がるキリスト教とアフロ・アメリカン音楽との出会い、自身と「elabo」の今後のヴィジョンについて聞いた。

前編はこちら

カルチャーを消費しない、正直なメディアの在り方

佐久間裕美子(以下、佐久間):「elabo」はジャンル分けを「カルチャー/アイデンティティ/ポリティクス」としていますね。これまでメディアが表層的に取り上げがちだったトピック、例えばヒップホップの価値観などを意図的に深く掘っているように見受けます。こういったトピックを丁寧に記事にするのは感心すると同時に、難しいことだと思いますが、「elabo」にとって大切なジャンルなのでしょうか?

眞鍋ヨセフ(以下、眞鍋):日本では「カルチャー/アイデンティティ/ポリティクス」を同列にしたメディアは他にないと思います。このジャンル分けはアメリカの「Teen Vogue(ティーン・ヴォーグ)」や「REFINERY29(リファイナリー29)」を参考にしました。

カルチャーに対して正直でありたくて、カルチャーを通してでしか動かせない人間の感性というものがあると思うんです。「右翼だから悪い」あるいは「中道でもやや右寄り」などとラベリングして排除するのが今の悪いところだと思います。正義の提示だとかではなく、批評でも文学でも本当に良質な作品の本質的な部分を見る視点を提供しないと、ある批評の背後にアーティストと政治や社会との密接な関わりがあっても「この曲いいね」で終わり、ただの消費になってしまう。カルチャーの視点から見た社会の背景が読者の方に伝わるよう意識して記事を掲載しています。

佐久間:「elabo」編集部のクレジットが入ったケンドリック・ラマーからフジロックにつなげた記事を面白く読みました。この記事は編集部で話し合って書かれたのでしょうか?

眞鍋:基本的には編集会議で話し合います。みんなでアイデア出しと議論をしたタイミングで、シザ(SZA)が新曲を出し、ケンドリック・ラマーが新しいアルバムの告知をし、フジロックについてはいろんなフェスが中止になっていったという時期で、あの時は柳澤(田実)先生が担当しました。

佐久間:「elabo」はトークイベント開催や紙のマガジンの製作もされていますが、ディスカッションとコンテンツを交えてやっていく方針なのでしょうか。

眞鍋:紙媒体のマガジンはトークイベントのクラウドファンディングのリターンとして製作するものです。基本的にはウェブがメインで、軌道に乗れば紙媒体を半年に1回程の頻度で出せたらいいなと思っています。議論の場としてのトークイベントは重要視しているので継続したいですし、ゆくゆくはアメリカのブッククラブのような形の活動も考えています。「elabo」の方向性として「学ぶ・議論する・考える」場を総合的に作っていきたいですね。

佐久間:私もメディア運営を通じて金銭的な持続性はどこかで考えていかなければならないと痛感しています。「elabo」は以前クラウドファンディングをやられていましたが、この先の資金調達はどう考えていますか?

眞鍋:試行錯誤しています。スポンサーの色をすごく出さなくても了承してくれるような、理解のあるスポンサーがついてくれると楽になると思いますが。

佐久間:広告主に干渉されない在り方の答えはまだ出ていないような気もしますね。情報の受け手として安心できる日本のメディアはありますか?

眞鍋:これといったメディアはないという印象を受けます。なので、1つのニュースでも複数媒体を見るようにしています。今は何が事実なのかがわかりにくい時代だと思っていて。事実があっても、リベラルやコンサバティブに限らず、信条や正義によって事実を曲げてしまうというか、不都合なことを正義で隠すようなことが起きていると思います。どれだけ不都合があっても、事実を直視しないと変えられない。「elabo」ではその手法として、カルチャーが表象している社会や政治の文脈や動きがわかるような記事を出していきたいです。2022年度からは、アーティストやクリエイターへのインタビュー、特に日本という枠を超え、「elabo」の考える問題を共有できるアジア系のクリエイターへのインタビューを中心にし、日本にいる私達が考え、行動し、何かを作り出すヒントとなる内容を配信していく予定です。

自身のルーツと重なるアフロ・アメリカンの音楽

佐久間:将来的にやりたいこと、興味のあることはありますか?

眞鍋:海外の大学で学生がやっているメディアや、有色人種の女性と性的マイノリティのためのギャルデム(Gal-dem)など、海外の同世代が運営するメディアと繋がりたいと「elabo」のメンバーと話しています。ドメスティックなものがダメというわけではありませんが、日本には海外の視点が明らかに欠如しています。日本がどれだけ遅れているかいうことも一度受け止めなければどうにもならないですし。

佐久間:海外生活経験のない眞鍋さんが海外の情報やメディアにアンテナを張っているルーツは、やはり音楽をはじめとするカルチャーなのでしょうか?

眞鍋:カルチャーは自分の中を占める重要なところですね。アートや映画も好きですが、小さい頃から特に好きな音楽の歌詞を調べるためにインターネットを使っていました。

佐久間:海外の音楽とのは初めての出会いは?

眞鍋:マーヴィン・ゲイだったと思います。教会に通っていると交流する人の多くが年上の人で、音楽をしている人達から教えてもらいました。

佐久間:日本よりもアメリカは人々の文化や生活にポップカルチャーが根ざしており、そこから出てくる音楽の歌詞は社会問題の反映でもあるわけですよね。

眞鍋:幼い頃から教会の音楽に触れていたからこそ、キリスト教という自分自身のルーツと、好んで聴いている楽曲との歴史や影響を学ぶモチベーションみたいなものがあったと思います。

詳しい歴史の部分まで語ることはできませんが、キリスト教と自分が興味のあるカルチャーは切っても切れない関係にあります。アフロ・アメリカンの音楽を辿ると、奴隷として農作業をしていた時の歌であったり、キリスト教の集会での歌にブルースやゴスペルは影響を受けていますし、同時期に教会では黒人霊歌が歌われていました。そこからジャズやR&B、ソウルが派生していきましたし、音楽は確実に公民権運動を支えました。ジャンルを問わず教会のクワイヤなどで歌っていたところからデビューする歌手は今でもいる一方、保守的な教会がヒップホップを弾圧した歴史もあります。

佐久間:ヒップホップに対する抑圧の歴史があるのと同時に、女性に対する搾取・性的対象化・バイオレンスといった有害な男性性も内包しているという議論もありますが、どう捉えていますか?

眞鍋:高校生の頃にヒップホップを本格的に聴き始めた時から、一部で暴力的であったりする男性性を含む歌詞があることは知ってはいました。ただ例えば、楽曲の中には男性が女性を搾取する構造が見られますが、一方でその搾取の構造を女性が男性に対して使うこともできるという、プラットフォームとして懐が深いところもあるように感じます。女性のラッパーやリル・ナズ・Xのような性的マイノリティのラッパーが歌うことでエンパワーメントになったり。ヒップホップはもちろん有害性もありますが、一括りにはできない柔軟性もある面は「elabo」でも取り上げたいですね。

それぞれのマイノリティさを尊重しあう

佐久間:どんな時にご自身の中のZ世代性を感じますか?

眞鍋:世の中で起きている事象に対して問題意識を持ち続けるところでしょうか。自分が求めるものを突き詰めて考えると、人間として当たり前の行為ができていない現状をよくしたいという想いがありますが、日本の同世代にも表に出せないだけで社会への問題意識がある人は多いと思います。

Z世代性をあえて見出そうとしなくてもいい気もしますし。Z世代に関する分析についても、当てはまらない人も当然いる、とニュートラルに受け止めています。それこそ消費や関心が細分化されているZ世代らしさかもしれません。

佐久間:世代観とはそういうものかもしれません。ある世代に属する人みんなが同じなわけではないですし。日本のZ世代には問題意識があっても表に出せない空気のようなものがあると思いますか?

眞鍋:表に出さなくても生きていけますからね。だからこそ、1人の人間として相手も自分と同じ立場で被害や不利益を被っているという認識をできるかが大事だと思います。

元アイススケーターでアートディレクターの森望(もりかなた)さんにインタビューをした際に「みんな何かしらのマイノリティを抱えている」と言っていました。悪い意味でなく、マイノリティさがその人らしさとも言えます。特定の正しさを掲げる1つの党派性のもとに集まりで力をつけるより、個人を尊重しながらわかり合えるフラットな状況にするのか、どこまで共感できるのか、ということを考えています。

今後10年のヴィジョン

眞鍋:あと、個人の損得勘定で人生を捉えている若者が多い気がします。でも損得だけでなく、変わっても変わらなくても、よくしていく方向を見ることも大事だと思います。今は現実が酷くて直視できないかもしれませんが、それでも現実を直視して未来を変えるためにどうするかを考え、動き続ける向こう10年になればと思います。自分達の世代でなんとかする気持ちでやってはいますが、未来を変える次の人材を教育するというヴィジョンも「elabo」のメンバーと話し合っています。

佐久間:若者が人生を損得で捉えるという現象は、暗い未来を予想したり、明るい未来が見えなかったりで、自分に対して保身的にならざるをえない、という現状の顕れだと思いますが、その気持ちに共感するところはありますか?

眞鍋:ギリギリの生活を送る方も多く、本当に苦しければ未来を考えたり他人を思いやる余裕はない。「(社会正義の議論は)そういうことを考えられる、余裕のある人しかできない」という意見もすごくわかります。自分も経済的に厳しい家庭で育ち、カウンター精神が残っている部分がありますし。「elabo」としてはインテリの閑話ではなく、できるだけリアリティに寄り添い「カルチャーの中には社会をよくするための次の一歩があり、それが救いになる」という視点を提供したいです。

佐久間:厳しい経済状況の中で育ちながら、ホームレスの方へのボランティアをされていたのはご両親の在り方だったのか、またはその行為自体に精神が満たされるものがあったのでしょうか。

眞鍋:(奉仕の)行為に対してロジックを問わない「善」や「愛」といった、キリスト教的な感覚があるんだと思います。宗教を信じてきた身としては「愛」や「優しさ」といった言葉を違和感なく使えるので、使っていますが、自分の場合、成長の過程でたまたまキリスト教があったというだけだと思います。でも、これは別に宗教とは関係なく、人間一人一人が持っているものだとも思うんです。

佐久間:私はキリスト教の学校に通い、いわゆる「施し」的な行為にどうしても上から的なものを感じてしまって義務としての奉仕活動に反発心を持つ生徒でしたが、眞鍋さんが子供の頃はどう感じていましたか?

眞鍋:自己承認欲求を満たすためにボランティア活動をする人もいるでしょうし、自分もボランティアをしながらいたわりの言葉をかけても四六時中その人達のことを考えていたわけではないから、偽善と感じることもあります。でも行うことに意味があって、偽善で始めたとしても良心があれば行為を繰り返すうち、何かそこに意味を見出すタイミングが来ると思っています。

眞鍋ヨセフ

眞鍋ヨセフ
1998年、大阪府大阪市生まれ。elabo youth編集長。関西学院大学神学研究科博士課程前期2年。専門は新約聖書学、殉教思想、犠牲。2021年に関西学院大学の柳澤田実准教授と関西学院の大学生をはじめとする若者とともにウェブマガジン「elabo」をローンチする。主な関心は、キリスト教の福音派とカルチャーの関係性。幼い頃から慣れ親しんだブラックミュージック、ヒップホップを中心としたカウンターカルチャー、欧米ポップカルチャーにも関心がある。
https://www.elabo-mag.com
Twitter:@elabo_magazine
Instagram:@elabo_magazine

Photography Kyotaro Nakayama
Text Lisa Shouda 

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「大人と若者が一緒だからできるインクルーシブなメディア」眞鍋ヨセフ 前編 https://tokion.jp/2022/05/09/yumiko-sakuma-x-yosefu-manabe-part1/ Mon, 09 May 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=114543 文筆家の佐久間裕美子によるZ世代との対談企画。第3弾の対談相手はウェブメディア「elabo」のyouth編集長、眞鍋ヨセフ。前編は、「elabo」を立ち上げた経緯や、若者と大人が共に作り上げるウェブメディアのありかた、大阪で育った眞鍋さんが体感するカルチャーと政治について。

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カルチャー、ライフスタイル、ファッション、社会運動など幅広いジャンルの執筆活動をし、著書『Weの市民革命』では若者が率先する「消費アクティビズム」のあり様を描いたNY在住の文筆家、佐久間裕美子。キラキラした世代と描かれることも多い一方、高齢化、気候変動や所得格差など緊急の社会イシューとともに生きるZ世代(1997〜2012年頃の生まれ)についての解説を求められる機会が増え、それなら本人達の声を聞き、伝えたいと考えるに至ったことで持ち上がった〈佐久間裕美子 × Z世代〉の対談企画。

第3弾の対談相手は2020年にスタートしたZ世代のウェブメディア「elabo(エラボ)」のyouth編集長、眞鍋ヨセフ。前編となる今回は、2020年というターニングポイントの年に「elabo」を立ち上げた経緯や、若者と大人が共に作り上げるウェブメディアのありかた、大阪で育った眞鍋が体感するカルチャーと政治について聞いた。

「elabo」の立ち上げ

佐久間裕美子(以下、佐久間):「elabo」を拝見し、眞鍋さんの文章に揺さぶられました。「いつから、社会正義を口に出すことがイタいことになり、差別に反対することが意識高いことになったのか? そういう風潮はダサいってなぜ誰も言わない」ということは私もずっと感じてきました。ご自身の人生の中でどんなきっかけがあってこの文章を書くに至ったのでしょうか?

眞鍋ヨセフ(以下、眞鍋):若者のリアリティの1つとして出しておきたくて書きました。僕はZ世代の代表ではないですし、典型的な若者という自覚もないですが、共感してくれる人がいたらと思って。自分は大阪のキリスト教の家庭で育ち、幼い頃から教会に通っていました。教会はボランティアや福祉に力を入れていて、社会的に弱い立場の人に人間的にどう接するのか、という感覚が自分の中に刷り込まれたのかもしれません。中高大と進むと、自分とは違う感覚の人が多く、モヤモヤしたこともあります。でも、人に優しくするというのは「キリスト教だから、宗教だから」とは関係なく根本的なものだと思います。あの文章には「きっとわかってくれるはずなのに、気付くことができない現状ってなんなのだろう?」という疑問を込めています。

佐久間さんや竹田ダニエルさんも「Z世代とは世代論ではなく価値観」とおっしゃっていましたが、「elabo」は若者だけがやっているメディアというより、Z世代という価値観を共有するさまざまな世代をインクルージョンして進めていきたいという思いでやっています。メインのメンバーは若者が多いですが、上の世代のライターさんや研究職の方もいます。

佐久間:どういった経緯で現在のメディアに発展したんですか?

眞鍋:自分が関西学院大学(以下、関学)の学部生だった時に、同じ関学の柳澤(田実)准教授と一緒に立ち上げました。自分の人生史にとっても、世界的にもターニングポイントになった、2020年という年がきっかけです。もちろんそれ以前にもムーヴメントはたくさんありましたが、2020年はまずコロナ禍があり、米大統領選挙に付随するようにBlack Lives Matter(BLM)、Stop Asian Hateといった世界が動かざるを得ないようなムーヴメントが起きました。そのタイミングで、柳澤先生の表象文化論の授業でカウンターカルチャーやキリスト教を扱っていて、メインで取り上げていたのが米大統領選挙・BLM・ヒップホップをはじめとするカウンターカルチャーでした。日本の宗教理解は欧米諸国に比べると未発達で、「宗教」という言葉を聞くと反射的に身構えてしまいますが、ポップカルチャーを含めたカルチャーや政治に宗教は密接に関係し、米大統領選挙1つとってもトランプ支持層が信仰するのはどのキリスト教派か、あるいはバイデンはどういった層をターゲットにしてきたかなど、宗教を通して見える視点はたくさんあります。

アメリカの人は政治を自分ごととして考えますが、日本の人にその感覚はあまりないように感じます。同様に、授業を受けていた人も政治に対して密接な関係を持ててはいなかったと思います。柳澤先生が「もっと議論を深めませんか」と学生達に呼びかけて集めたのが「elabo」の最初期の形です。

日本のニュースメディアでは海外の情報を十分に得られず、日本の人口比率を見ても若者に寄り添った政策を取り上げるのは非効率ですし、若者が政治から取り残されている。そこで「若者のためのメディアを立ち上げよう」というのが出発点でした。ただ、若者だけに限定するとまた排除が生まれてしまいます。全員をインクルードするのは不可能ですが、そこにできるだけ近づけることを目指すメディアにしたいと「elabo」が始まりました。

大人と若者だからこそできるメディアの形とは?

佐久間:表象文化論の授業は一般教養として、それとも長期的な関心と重なると考えて選択したんでしょうか?

眞鍋:柳澤先生の授業は毎学期とるようにはしていました。ただ、その授業では以前は西洋美術や建築、美術批評などを扱っていたところから、ちょうど2020年に米大統領選があったためにポップカルチャーなどを扱うように内容がガラリと変わり、自分はポップカルチャーやカウンターカルチャー自体に思い入れがあったのでとるしかないと思って選択しました。

佐久間:私自身も過去に何度か友人達とメディアを立ち上げたり、現在も「Sakumag(サクマグ)」という双方向メディアに挑戦していますが、いざ立ち上げてみると大変なこともあると思います。

眞鍋:生まれた時からネットがあった世代なので、例えば「フェミニズム」や「LGBTQ」という言葉で括られる中にもさまざまな立場があり、仮に1つの立場に肩入れするような形をとってしまうと、いつどこで炎上してもおかしくないという感覚があります。議論する中で、安易な発言や文章を載せるのはメディアとして誠実ではないと教えられました。そこを踏まえ、若者の視点だからこそ引き出せるインタビューをするなど、若者の感性を大事にし、大人が原稿の添削やエビデンスを深める指導をしたり、フォーマット作成は外部の出版社の方に委託したりして「elabo」ができています。その中でも哲学者でもある柳澤先生が世相を分析し、編集会議で方向性を決めた記事はやはり反響が多いです。もしかしたら「学生のみがやっているメディア」で運営した方が受けはいいかもしれませんが、大人と若者が一緒にやるからこそできる形で、双方が適する部分を補いながら運営しています。

佐久間:「elabo」が扱うイシューは沖縄問題からルッキズムまで、たいへん包括的ですよね。これまでホモジニアスな社会に生きていると信じる人が多い日本で、Z世代と大人が作る真の意味でのインクルーシブを追求しているように感じます。こうしたイシューの存在は早い段階から意識していましたか?

眞鍋:自分の意見が「elabo」を代表するわけではありませんが、ホモソーシャルな場が多いという類の違和感はみんなが感じていると思います。もやがかかった違和感として感じていたものが、大学で言語化されたり、学問を学ぶ中で概念を提示されたり、大人と出会うことで学びに変わり、問題として気付くようになりました。

大阪のカウンターカルチャーと政治の関係

佐久間:私はX世代(1965〜80年頃の生まれ)で、インターネットがない時代に育ちました。Z世代の特徴の1つは生まれた時からネットがあったことですが、眞鍋さんが育つ中で常にあるネットの世界と、ボランティア活動などを通して触れたリアリティとのバランスはどうとっていましたか?

眞鍋:自分の場合は、リアリティとネット世界との違和感はあまりなかったかもしれないです。ネットで見るものは限られていて、ネットの有害性は知りませんでした。今のように文脈もわからないのにTwitterで分断するような事象はなかったか、あったとしても気がつかなかったです。

佐久間:ネット上の分断に気がついたタイミングはTwitterなどを始めてから? それとも現実的な政治などの話で、大阪の環境が影響したのでしょうか。大阪で育ち、社会の不平等や貧困や生きづらさなどに触れてきた感覚はありますか?

眞鍋:そうですね、生まれた時からインターネットがあったことより、大阪で育ったことのほうが自分の価値観やものの見方に影響していると思います。

あと、10代の頃から2週間に1度、ホームレスの方に弁当を配る活動を、教会の人や地域の有志やFacebookで見て参加する方々と一緒にしていたので、同世代の中では(家庭と学校の)外の世界を見る機会は多いほうで、そういった現実に触れる機会は比較的あったと思います。

ボランティアをやるうちに、いつもいたホームレスのおじさんがいなくなっていたり、大阪の市庁舎の前でホームレスの方が亡くなる事件があったり、立ち退きさせられる回数が増えたり……という現実に気がつきました。社会構造に着目できていないうちは短絡的に「大阪維新の会が悪い」と思っていましたが、階級の分断は大阪だけでなく日本全体でも、世界的にも起きていて、根本的に構造を変えなければいけないと気がついたのは大学に入ってからです。

佐久間:大阪は今、他の地域にはない特異な政治状況にあるわけですよね。大阪のリアリティは外の人にとってはわかりにくいところがありますが、構造的な問題はどの辺りにあると思いますか?

眞鍋:「自己責任論」という言葉を誰もが使うようになっていますが、その最たる例として維新の会があったのではと思います。

佐久間:現在の「気がつけば大阪維新の会が強くなっていた」という状況になる前、自分が知っていた大阪はパンクカルチャーやカウンターカルチャーが強い場所でした。逆にそのカウンターカルチャーの精神が、改革勢力のように見える大阪維新の会に有利に働いたのかもしれないですね。

眞鍋:「elabo」でも政治の座談会で、なぜ大阪維新の会が議席数を伸ばしたのかを話し合いました。個人的な体感ですが、大阪には「お上に逆らう」カウンターカルチャーがあり、自民党をはじめとする国会政党でなく、頻繁に顔を見かけて電話もかけてくる「維新のあんちゃんのほうが信用できるわ」という空気がある気がします。関西は人情の町と言いますが……裏を返すと保守的な気質が強いとも言えます。排他性が色濃く、まだ多くの部落差別問題がありますし、大阪市の調査では年々、ホームレスの方の人口は減少していると言われていますが、西成のあいりん地区にはまだまだたくさんの日雇い労働の方がいる。排他的な性質と、身内でかためて地域に根ざしているかのような維新の印象が結びついた、という見方もできます。競争文化からくる切磋琢磨がアートやカルチャーに貢献するケースもあるので、新自由主義のすべてが悪いとは言いきれないですが、自己責任論的なナラティブが過度だったのが大阪維新の会かもしれません。

後編に続く

眞鍋ヨセフ

眞鍋ヨセフ
1998年、大阪府大阪市生まれ。elabo youth編集長。関西学院大学神学研究科博士課程前期2年。専門は新約聖書学、殉教思想、犠牲。2021年に関西学院大学の柳澤田実准教授と関西学院の大学生をはじめとする若者とともにウェブマガジン「elabo」をローンチする。主な関心は、キリスト教の福音派とカルチャーの関係性。幼い頃から慣れ親しんだブラックミュージック、ヒップホップを中心としたカウンターカルチャー、欧米ポップカルチャーにも関心がある。
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Twitter:@elabo_magazine
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Photography Kyotaro Nakayama
Text Lisa Shouda 

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉 「自分が何をできるか・与えられるかにフォーカスして考えた方が楽しい」能條桃子——後編 https://tokion.jp/2022/03/18/yumiko-sakuma-x-momoko-nojo-part3/ Fri, 18 Mar 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=98161 文筆家の佐久間裕美子とZ世代の対談企画。第2弾の対談相手は能條桃子。後編では、メンタルヘルス」の重要性、“We”、“私達”に潜む同調圧力、社会の問題をジェンダーのレンズを通して話していくことの重要性。

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カルチャー、ライフスタイル、ファッション、社会運動など幅広いジャンルの執筆活動をし、著書『Weの市民革命』では若者が率先する「消費アクティビズム」のあり様を描いたNY在住の文筆家、佐久間裕美子。キラキラした世代と描かれることも多い一方、気候変動や所得格差など緊急の社会イシューとともに生きるZ世代についての解説を求められる機会が増え、それなら本人達の声を聞き、伝えたいと考えるに至ったことで持ち上がった〈佐久間裕美子 × Z世代〉の対談企画。

第2弾の対談相手は、NO YOUTH NO JAPANの代表理事を務める能條桃子。後編では留学先のデンマークで体験した「メンタルヘルス」の重要性、“We”、“私達”に潜む同調圧力、社会の問題をジェンダーのレンズを通して話していくことの重要性について語る。

前編はこちら
中編はこちら

「機械じゃなくて生き物なんだな」と実感

佐久間裕美子(以下、佐久間):(中編からの続きで)「メンタルヘルス」に関して、デンマークの体験から学んだことってどういうことがあるかな?

能條桃子(以下、能條):私はデンマークに留学に行って、メンタルヘルスとか、どう生きたいかっていう感覚がすごく変わりました。デンマークに行って、「あ、自分って機械じゃなくて生き物なんだな」ってようやく思えた。その前、日本にいた時に病院に行っていたわけではないんですけど、落ち込んでいたんです。社会に対する問題意識はあるけど、自分は何もできていないて嫌になってしまったり、朝起きられない、学校に行けない、とか。すごく楽しくてなんでもできる時期と、何もやりたくない時期がある感じで、それがすごく嫌だったんですよね。ちゃんと日々をこなせていない感じがして。でも、デンマークに行ったら、まず生活がすごくゆったりしているから、あまり“できない”っていう感覚にもならないし、できなくなってもまあ仕方ないかって思えたんです。学校の雰囲気がそうさせていたのかな。

佐久間:こなせていない感じというと、子供に課されることが多いってことかな?

能條:どちらかと言うと、日本の大学では周りの友達がすごくいろいろなことをこなしているように見えて、周りと自分を比べてしまっていたからなのかなと思います。

佐久間:なるほど。ではなぜデンマークはゆったりとした雰囲気が流れているのに、きちんと学びを持たせることができているんだろう。

能條:嫌なことをがんばって乗り越える、っていうメンタリティがないからかな。デンマーク人の友達を見ていて、嫌なことに向き合うためのエネルギーがまず存在しないんだなっていうのは思いました。できないことに対する諦めのスピードが早いというか。なので逆に、私は一緒に暮らす上で心地良くないなって思う部分もありました。例えば部屋の片付け。基本みんな苦手で、それに対して「しょうがないよね」っていうスタンスなんです。「もうちょっと一緒に頑張ろうよ」って思うことが時々あったりもするんですが。デンマークへ行くまでは日本のことを嫌だなって思っていたけど、意外と同じ場所で育った人とは付き合いやすいことに気がつきました。

心地良さに関するところはたくさんあります。パーティーの次の日にみんなで片付けをしても、やっぱり片付け方が甘いし、そもそも最初からゴミ箱を設置しておけば楽なのに、1回全部散らかしてから翌日片付けるやり方が合理的じゃないなって思ったり。お皿も、都度洗えばすぐ終わる話なのに、みんな洗わずに溜めていくから山になるんです。ただ、片付けや皿洗いを、みんなで音楽をかけながら1時間でパッと終わらせよう、楽しく済ませよう、っていう文化なんだなと思いました。私は毎日こなしていきたいタイプだったな、という感じです。

佐久間:その環境で、「自分は生き物だった」って実感したわけだよね。

能條:そう、人間なんだなあって。今までは、自分のことを、毎日同じパフォーマンスを発揮することができる人間だと思っていたから、そうである必要はないのかもしれないって学びました。あと、デンマークは、私が持っている青くさい正義感に対して「いいね」って言ってくれる環境でした。日本にいる時は、賢く生きるために、既存のルールに上手に乗ることが大事だったし、私自身それができないタイプではなかったからこそ、「この評価軸はなんだろう」って探って、こなしてしまうようなところがあったんだと思います。でも、デンマークの学校生活の中では、そういった評価軸がなければ、成績もテストもない。先生や発言力のある子の顔色をうかがっても何も出てこないから、自分が楽しく過ごすしかなかったんです。その時に悟りました。

佐久間:確かに。海外に行くと、みんなすごくエンカレッジはしてくれるけど、「この人が褒めてくれる」っていうような承認はないもんね。

能條:そう。でも、私が今思ってることって私にしかない視点なんだって気づく場面もあって、それをアイデアとして出すと周りがサポートしてくれたり「いいね」って言ってくれる。私が外国人だったからかもしれないけど、「こっちの方が良くない?」って提案することができて、それに対する承認が自信に繋がったと思います。日本だとみんな、社会を良くしたいけど就職活動の方が大事だよねっていうスタンスだったから。デンマークの人は誰も日本の就職事情を知らないから、その環境に飛び込んで初めて、自分がすごく小さな価値基準の中にいたんだなって気づけました。

“We”、“私達”に潜む同調圧力

佐久間:その体験を経て、自分が何のために生きているのか、みたいなところは、何か結論はあった?

能條:結論は、何を集めるかよりも、「自分が何をできるか・与えられるか」にフォーカスして考えた方が楽しいし、自分の精神が安定するってことですね。日本では、この大学、この企業の社員とか、良いラベルや肩書きを手に入れることで自分に自信を付けようっていう考え方をしていたけれど、そんなものはデンマークに行ったら全く通用しなかったし、物事の本質ではなかった。それよりも、この中で自分はどういう役割ができるのか、もっと外に目を向けた方がいいなって思うようになりました。あとデンマークに行って、すごく日本が好きだったんだなって気づきました。

佐久間:どういうところが好きだった?

能條:家族や友達がいるっていうのはもちろんあるし、あとはさっき言った掃除のストレスとか生活習慣が結構大きくて、自分にとっての当たり前は育った場所の文化で形成されているから、なんとなく社会で共有されているメンタリティという意味では、日本の方が生きやすいなと感じました。もう1つ、デンマークに行って、日本のことを変えられるのは私しかいないと思いました。友達と気候変動やジェンダーの話をしていた時に、日本人は私一人でみんな日本に対して怒ってくれるけど、この子達が声を上げるより私が声を上げた方が、圧倒的に変えやすい位置にいるんだなって思ったのは大きいかもしれないです。

佐久間:なるほど。桃子さんに1つ、“We”という言葉についてアドバイスをもらいたいんですけど。私の感覚で言うと、みんなでいたわり合ったり、例えば取り残された人をみんなで助け合ったりする社会をイメージした時に、連帯の意味で“We”、“私達”って言葉が出てくるんだけど、一方で、“We”から同調圧力を感じる人もいるらしいんですよ。なかなかうまく伝わらないなと思っているところなんだけど、桃子さんだったらどういう伝え方をする?

能條:同調圧力、確かに。NO YOUTH NO JAPANでも“私達”って言葉を使うんですよ。“私達の生きたい社会を作ろう”って。友達と話していて、自分が良ければあとはなんでも良いって思っている人はあまりいないけど、自分の周りの半径数メートルが幸せであれば良いな、それくらいの小さな幸せを作りたいなって思っている人は多い気がするんですよね。“We”や“私達”って言われて、どの範囲をイメージするか、みんな違うのかもしれませんね。

佐久間:半径数メートルの中でも、例えば友達が突然障害者になったとか、シングルマザーになったとか、そういう可能性っていくらでもあるんだよね。そういった想像力をみんな持てたら良いなって思うよね。

能條:難しい。私、デンマークと日本でかなり違うなって思ったことがあって、デンマークは、税金を払っている人という意味でのデンマーク人、という認識が強いんです。人種的な枠組みよりも、デンマーク社会を作っているメンバーっていう意味での愛国心とか連帯感みたいなものがあって、その根幹はなんだかんだ福祉国家であることだと思うんですよね。消費税は高いけど、その代わりにすごく充実した福祉がある。デンマーク社会の税制が、法人税が安くて、消費税・所得税が高いから、基本的に個人が社会に払ってシステムを構築している感覚が強いんです。個人と社会が直結しているというか。日本だと、個人がいて、家族があって、地域があって、社会、というように、個人から社会にいくまでに何層か層があるんですよね。社会規模での“私達”っていう概念を個人が持ちづらい原因って、この社会構造にあるんじゃないかなって思います。

佐久間:ちなみにNO YOUTH NO JAPANが言う“私達”はどういうイメージ?

能條:きっぱりとは決めていないです。一番広くだと“日本社会を生きる私達”なんですけど、”政治や社会にもう少し関心を持って、今の社会を良くしていきたいよねって思う私達”、くらい意味に幅を持たせています。ただ、ジェンダーや気候変動関連を頻繁に発信していると、「“私達の”とか言ってるくせに、その中に含まれてないですよね」って意見が来たりするから、状況としては佐久間さんと同じですね。

佐久間:課題だね。

能條:“We”や“私達”に抵抗を感じる人が生まれる理由も、社会構造によるものですよね。社会によって連帯しづらくさせられている。それこそ雇用の正規と非正規の違いを作られていたり、ジェンダーも向こうから男対女にさせられている感じ。

佐久間:そうだね。ジェンダーの話って、たまたま生まれる時に引いたカードがそれだったくらいのことのはずだし、そもそも男性と女性だけではないのにね。この社会に生きるみんなの問題として考えられることが理想かなと思うんだけど。

私は桃子さんのNO YOUTH NO JAPANを初めて見た時からすごくシンパシーを感じていたし、“みんなの社会”っていう感覚が似ているなと思ったので、これからも連帯したいです。

能條:ぜひ。でも難しいですよね。“私達”を強く感じちゃうって、結構意外でした。

佐久間:そういったコメントが付いたことはすごく少ないんだけど、でも言われると考えちゃうよね。

能條:“公”と“公共”が違うように、“私達”の意味を誤解されてる可能性はありますよね。上から支配される、村社会的で権威性のある“公”と、みんながフラットで支え合う、基本が同じ”公共”とって、別だけど同じものだと思われがちじゃないですか。“私達”の概念も、“公”寄りのものだと思われているのかもしれない。こうやって論理的に「こういう意味です」って言ったらわかってくれる人もいるのかなと。

社会問題をジェンダーのレンズを通して話していく

能條:最後にもう1つだけ。ジェンダーの問題は、日本だと世代間で差がすごく顕著だなと思います。この問題に取り組む人達の姿勢にも変化があるし、その世代ならではの役割のようなものがある気がします。例えば、性別を理由に同じ雇用スタイルにすら入れてもらえなかったとか、それが当たり前で表立って許されていた時代から、今は「いやそれはおかしいだろ」って、男女問わず一般的な感覚として共有できるようになってきている。もちろん小さな差別はたくさん潜んでいるんだけど、建前的にジェンダー平等が当たり前の価値観として受け入れられている時代に育ったからこそ、むしろその価値観に拒否反応を示してしまう男性の気持ちも少しわかってしまう。わかるって言ったら駄目なんだけど、でも20代の特に男性の方が、女性活躍政策に対してネガティブな姿勢が多いっていう、「男性の方が生きづらい」って思ってる若者の多さって、この時代特有のものだと思うんです。

性別役割分業とかを無くすことで、みんなが楽しく生きられる社会を目指そうよ、というものなのに。今までは女性の権利を訴えるために「女性のために」って声を上げることが必要だったけれど、これからはもっと「どうして男性にもこの価値観が必要なのか」っていうアプローチが必要な気がします。今女性が下、男性が上っていう構造があって、でも男性の全員が上に来れているわけでは全くない。これから次のフェーズに行くには、この権力勾配の上位にいるのは一部の男性であって全てではないんです、っていう説明とか、そのナラティブを作っていくことがきっと必要だと思います。世代で区切るのは嫌だけど、それが私達の世代の役割なのかなって、同世代のフェミニスト達で話すとなりますね。

佐久間:みんなジェンダー規範から解放された方が良いよね。この間凶悪事件が起きた時に、加害者ができる構造を指摘して炎上していた人がいたんだけど、加害者を庇うという意味ではなくて、その構造があるという指摘自体は正当なものだとも思ったんです。貧困や格差の問題と地続きなわけだし。ジェンダーだけでは語れない、全ての問題に繋がっている話なんだっていうナラティブはまだまだ足りないかなって思う。

能條:社会の問題をジェンダーのレンズを通して話していくことが大事だと思います。ジェンダー平等のレンズで見る、が次のフェーズかな。ジェンダーは、1つの政策として語られちゃうけど、本当は他の政策にジェンダーのレンズを持っていくことが大事。

今までは、ジェンダーについて語れる人が少なかったから、政治の世界でも1分野として確立することが必要とされていた。しかも政治家は女性が1割しかいなかったら、その女性達は女性のための政策をやらざるを得ない。だって他に誰もやっていないから。でもだんだんと知識を持つ人が増えていけば、新しい分野だった“ジェンダー平等”は飽和する。その視点を他のいろいろな政策に持って入っていって、そこでようやく実現することがあるから、そのフェーズに移れたら良いなって思います。

能條桃子(のうじょう・ももこ)
一般社団法人NO YOUTH NO JAPAN代表理事、慶應義塾大学院生、ハフポスト日本版U30社外編集委員。デンマーク留学中に現地の若者の政治参加の盛んさに影響を受け、選挙や政治を分かりやすく伝えるInstagramメディア「NO YOUTH NO JAPAN」を立ち上げ、若者の政治参加を促す団体NO YOUTH NO JAPANを設立。国政・地方選挙の投票率向上施策や政治家と若者の対話の場づくり、イベント実施などを行う。慶応義塾大学大学院で学びながら団体の代表理事を務め、社会問題について意見を発信する。近著に『YOUTHQUAKE:U30世代がつくる政治と社会の教科書』(よはく舎)。

Photography Kyotaro Nakayama
Text Nano Kojima

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対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「経済状況と教育の2つの問題」能條桃子——中編 https://tokion.jp/2022/03/14/yumiko-sakuma-x-momoko-nojo-part2/ Mon, 14 Mar 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=98064 文筆家の佐久間裕美子とZ世代の対談企画。第2弾の対談相手は能條桃子。中編では2021年10月の衆院議員選の話から現状維持満足層の増加、SNSとの付き合い方。

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カルチャー、ライフスタイル、ファッション、社会運動など幅広いジャンルの執筆活動をし、著書『Weの市民革命』では若者が率先する「消費アクティビズム」のあり様を描いたNY在住の文筆家、佐久間裕美子。キラキラした世代と描かれることも多い一方、気候変動や所得格差など緊急の社会イシューとともに生きるZ世代についての解説を求められる機会が増え、それなら本人達の声を聞き、伝えたいと考えるに至ったことで持ち上がった〈佐久間裕美子 × Z世代〉の対談企画。

第2弾の対談相手は、NO YOUTH NO JAPANの代表理事を務める能條桃子。中編では2021年10月の衆議院議員選の話から現状維持満足層の増加、SNSとの付き合い方について。

前編はこちら

2021年10月の衆議院議員選を振り返って

佐久間裕美子(以下、佐久間):(前編からの続きで)2021年10月の衆院議員選の話に戻って、デンマークでは、若者の政治参画が進んでるところでの話も聞いていきたいんですけど。私も選挙に向けて「投票へ行こう」という活動をする中で、ここで若い参加者が増えても、スケールを大きくして見た時にそこまで浸透してないんじゃないかなとは思っていたんですよ。そこら辺は桃子さんにはどういう風に見えましたか?

能條桃子(以下、能條):そういう意味で言うと、「思ったより投票率が上がらなかったな」というよりは、「2%上がったのは結構すごくない?」 みたいな。ポジティブな受け止めをしていています。

佐久間:そうそう、私もそっち。

能條:「投票に行こう」というメッセージを発信したり、選挙の存在を知らせる、そして選挙で投票するために必要な情報提供をわかりやすくするっていうのが私のやっているアプローチだけど、それで「できること」と「できないこと」は明確にあるだろうなとは思っていて。でもまず今はこのアプローチを選んでやっているので、それだけで全てが変えられるとは思ってないんです。やっぱり今回新しく何百万人って投票に行った人が増えたこと自体は本当にすごいなと思うし、首都圏の女性の投票率がすごく上がってるのとかは、明確に自分達がやってきてることの反映を感じます。逆に急に1回の選挙で投票率が20%上がるのも怖いというか。それを次また維持するのは難しいと思うので、だからジワジワ上げていく方が良いのかなと。だから、そこまで今回の選挙に対して投票率の面で落ち込みはないですね。やっていることが無意味ではないことを実感できたくらいの感じです。

佐久間:結果に対してはどう感じている?

能條:正直「だろうな」みたいな。私自身も今回どこに投票するか、ベストでここに入れたいって思えるところが1つもなくて、きっとそう思った人は多かったと思うんですよね。例えば私の価値観だと、人権政策優先したら絶対に自民とか維新って外れるじゃないですか。そしたら意外と残るところが少ないし、しかもその中で、例えば私達の世代まで年金がもらえるのかみたいなところで見ると、左派ほど高齢者支持が強いから政策がそっちに向いていて。若者リベラル層の受け皿がないからこそ、毎回絶望する、という現象は正直あるかもしれないですね。

佐久間:その受け皿がないって問題、有権者の側ではなかなかいかんともし難いよね。

能條:だから毎回選挙で「結局受け皿作りをしていかなければ」っていう問題意識は強まるけど、「じゃあ受け皿を作ったらそこが伸びるのか」と言われれば、投票に行ったり選挙について考える人が増えないとちょっと厳しいと思うから、どれか1つじゃ解決しないなって思いますね。あと今回、リベラル界隈のジェンダーバッシングが強めというか、リベラル界隈というか左派、立憲とかに入れる人達の「いやジェンダーとか言ってたからだろ」みたいな。気候変動もそこに入るのかもしれないけど、ちょっとずれちゃってるバッシングが強めだったなと思っていて。多分ジェンダー政策が、女性という「弱者」を助けるための政策というように映ってる間は変わらないですよね。でも政党側もそういう雰囲気でキャンペーンはっちゃってる部分あるし、政策内容だったりは結構むず痒いですね。

佐久間:今回の野党連合が負けた、ということも含めて、ナラティブの構築って大切だなと思っていて。今のジェンダー政策の話も、「なんでジェンダー平等が必要なのか」ってところのナラティブがやっぱり弱いし、それをうたっている政党も分かってないんじゃないかなって思うところがあったよね。

今回“みんなの未来を選ぶチェックリスト”という、政党に質問表を送るプロジェクトに参加したんだけれど、あれをやった理由も、要は私も毎回選挙のたびに悩むタイプの野党支持者で、気候変動とかに関してはやっぱり共産党みたいな党が厳しくやってくれないと全体が動かない。でも共産党の気候変動政策自体にもモヤモヤしていて、「よし、共産党に言いに行こう」っていうのが最初のきっかけだったのね。同じタイミングで共産党に陳情に行った人達と「野党連合を応援しよう」となったことがきっかけになったんだけど、結局やっぱり、共産も立憲も、ジェンダー平等の観点で見ると比例の名簿にはがっかりして。これから私は何を応援したらいいのだろうって、ちょっと自分自身も頭を抱えていて。選挙に行こうとかイシューを明確にするとか、そういうことはできるけれども、じゃあ誰に、どこに投票するってなった時に答えが用意できなくて、そうすると「選挙行かなくていいじゃん」ってなっちゃう人も多いんじゃないかなって思う。

能條:そうなんですよね。投票率が上がるまでのすごく長い道のりだとは思うけど、今回の衆院選、1つのピークを超えた感じはしています。というのも、私達がNO YOUTH NO JAPANを2019年に始めた時は、インスタでこういう発信をしているアカウントがそもそも自分達しかいなかったんですよ。でも今回、芸能人やメディアからの発信もそうだし、SNSを主戦場にしながら「まずは投票に行こう」「どう選ぶのか」みたいなところを分かりやすく発信するアカウントがすごく増えた。きっと、私達が黙っていても、次の選挙の時にはまた今回の動きに触発されて発信する人が増えると思うんです。グラフィックも合わせて「投票に行こう」っていうのがSNSで盛り上がって、これは今後も続くと思うと、次のフェーズに行けば良いのかなって。

現状維持満足層が増えている

佐久間:そうだね。私はそのポジティブシンキング大好きです。今、斎藤幸平さんが監訳した『ジェネレーション・レフト』 (キア・ミルバーン著、堀之内出版)っていう本が話題になっていて、世界的にZ世代、若者と言われる層はすごく左傾化していると。これが日本だと実は右傾化しているって言う人もいるじゃない? その辺は体感的にどうですかね。

能條:右傾化しているとは思っていなくて。ただただ現状維持満足層が増えていますよね。今の政治のスペクトラムを見ると、特に安倍政権時代に右傾化したから、現状維持と、それが合わさって右傾化しているように見えるだけであって、若者自体の考え方が右傾化している感じはしないです。でも、これ以上悪くならないでくれという意味での保守的な思考、例えば“家族”とか、伝統的な価値観を基軸にした保守というよりは、今の自分の生活に対する大きな変化を求められないという意味での、保守的な感覚は広いと思います。

こうなる理由は大きく2つあると思っていて、1つは経済状況の問題。昔はもしかして給料がちゃんと上がる未来が見えていたかもしれないし、15年くらい前だったら「きっと今は景気悪いけどこれから良くなるだろう」「今がちょっとおかしいんだ」という感覚だったかもしれないけど、今はもう「きっとこれからも悪いであろう」という想定の中で生きていると感じるんですよね。

もう1つは教育の問題。この数十年で、自由になっているようで学校現場はきつくなっている部分もすごく大きいと思うんです。生徒の半数が大学に行く時代で、昔は一般入試、いわゆるペーパー入試が主流だったけど、もう今やペーパーのほうの割合が少ない。推薦やAO入試といった自分の能力でというよりも誰かからの評価に基づいた試験が増えてきていて、良し悪しはあると思うんですけど、AOや推薦で合格するには学校の成績が良くなきゃいけないし、そしたら学校の先生に歯向かうとかあり得ないし、となりますよね。権力に対する従順さがあったほうが賢く生きれるみたいな風潮が、メインどころでは多い感覚なんじゃないかな。「いい子になってる」ってよく言うけど。

佐久間:与えられているものが少ないということはあるよね。最近Z世代の人達と話すと、「安心して読めるメディアがない」っていう話が上がるんだけど、桃子さんはどの辺のメディアを見ている?

能條:私は朝日、毎日、日経とか新聞が多くて、テレビはあまり見ないです。あとはSNSかな。ウェブだとBuzzFeedとかハフポフトは読んでます。活動を始めるようになってからは、どちらかと言うと、メディア擁護者に変わってきているんですよね。もちろん大手メディアに情けないところはたくさんあると思うんですけど、NO YOUTH NO JAPANを始めて、ファクトチェックの難しさであったり、いかに情報を作って届けることが大変かを学んだんです。その中で実は新聞社がやっていること、言ってることって、見逃していただけでたくさんあるんだなって気づけるようになりました。新聞社が持っているあのリソースって宝だし、購読者数が減っていてかつメインの購読者層が亡くなってしまったら保てなくなるこのビジネスモデルをどうにか変えないと、日本の民主主義がこれ以上悪くなったらもうどうしようもない! って思っています。

佐久間:私の友達の知り合いに、桃子さんが某ネオリベ系メディアに出演したのを見て、そこで選挙のことを学んで実際投票に行ったっていう人がいたんだって。いろいろな思想を持ったメディアがある中で、幅広く出演してる桃子さんは素晴らしいなって話になっていました。

能條:よかった。実際、いわゆる私の感覚と違う人達で構成された場に出ていくべきか、結局そこに出るしかないのかについてはすごく迷ってます。新聞も同じですよね。新聞は比較的上の世代が読んでいるからこそ、フィールドとして社会を変える力があるなって思います。

佐久間:やっぱり難しいよね。外から見ていて私が素晴らしいなと思うのは、そういった場に出て嫌な思いをすることもあるんじゃないかなと思うんだけど、そこをポジティブに、軽やかに、かわせている感じがするんだよね。それは桃子さん的にはどんな感じ?

能條:社会科見学です。活動を社会科見学だと思ってやっているから、割と楽しんでいるところはあります。軽やかかどうか自分ではわからないけれど、傷つかないための防御策はたくさん張っていますよ。それでも瞬間的に傷つく時はあるし、でもこの社会は役割分担だと思った時に、今自分ができることはやっておきたいなと思います。

SNSで傷つかないために

佐久間:傷つかないための防御策というと、例えば?

能條:エゴサーチしないっていうことであったり、Twitterでも、自分のフォローしている人以外のコメントは基本読まないようにしています。どうしても読みたい時は、先に誰かに読んでもらう。最初は、顔も出さない人のことなんて無視しておけばいいって思っていたけど、いくらしょうもないことでも数で圧倒されることって本当にある。街中歩いていたら、きっとこの中の1人も私のこと知らないはずなのに、ネットだけ見ていると責められている気分になる。もうそういう経験はしない方が良いなと思って、そこら辺は徹底しているかもしれないですね。

佐久間:セーフティネットを自分で構築したわけだよね。

能條:そうじゃないと健康でいられない。学生生活においては、あまりこういうことを気にしないタイプだったんです。人からの評価を気にしないことに自信があったけど、意外と「気にしい」だったことに気づくと言うか。

佐久間:SNSが、気にしないタイプだった人を「気にしい」にしたという可能性はない?

能條:ありますね。かつ、リアルな人間関係は「私」と「誰か」だけど、SNSだとそれで自分の組織や親が悪く言われたり、すごく嫌です。ネットの良くないところ。

佐久間:デジタルネイティブ世代は常にSNSが身近にあって、子供の頃からルッキズムが擦り込まれていたり、孤独な気持ちにさせていたりするじゃない? 俯瞰で見た時に、世界中でいろいろなメンタルイシューを引き起こしている。これって一種、今この社会でユースを体験している人特有の問題かなと思うんだけど、「メンタルヘルスを大切にしよう」ということは桃子さんの世代周辺で語られていたりする?

能條:話題になることは多いですね。情報をたくさんとっている人ほど知っていたり、考えていたりするんじゃないかなと思います。あと、コロナを経て、周りの友達が鬱になったり、落ち込んだり、そういうことを聞いたことのない人が逆にいないんじゃないかっていうレベルで増えている感じがします。初期の緊急事態宣言で、ほとんど家から出られない、1ヵ月半1人暮らしで誰とも喋れなかったとかで、すごく元気そうだった子が鬱になったり、そういうこともあって、自分の心を大切にしようという感覚はすごくありました。

佐久間:人生をドロップアウト、つまり自死を選択する人もそれなりに増えていたり、心の問題が体の問題になってしまったり、それは深刻だし、長期的な問題だよね。そういう意味での情報リソースは足りているかな?

能條:それが結構問題だなと思っていて。例えば「鬱かも」って思った時に、ウェブ上にチェックリストは一応載っているけど、医療機関にアクセスするハードルが高いし、お金も結構かかる。医療機関に連絡したとしても、なかなか予約が取れなくて、今すぐ何かできるわけではないって友達が言っていました。かつ、病気だと認めちゃうと病気になる気がする、という考えもあるから、周りも「あんまり気にしない方がいいよ」って声をかけちゃう。そういうのも含めて、雰囲気としてタブー視されている感じはあるんだろうなと感じますね。

佐久間:そうだね。泣きたい時も「泣かない!」ってなりがちだよね。苦しい時に苦しいって言える、いたわり合える社会が良いなって思うよね。

後編へ続く

能條桃子(のうじょう・ももこ)
一般社団法人NO YOUTH NO JAPAN代表理事、慶應義塾大学院生、ハフポスト日本版U30社外編集委員。デンマーク留学中に現地の若者の政治参加の盛んさに影響を受け、選挙や政治を分かりやすく伝えるInstagramメディア「NO YOUTH NO JAPAN」を立ち上げ、若者の政治参加を促す団体NO YOUTH NO JAPANを設立。国政・地方選挙の投票率向上施策や政治家と若者の対話の場づくり、イベント実施などを行う。慶応義塾大学大学院で学びながら団体の代表理事を務め、社会問題について意見を発信する。近著に『YOUTHQUAKE:U30世代がつくる政治と社会の教科書』(よはく舎)。

Photography Kyotaro Nakayama
Text Nano Kojima

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