対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「大人と若者が一緒だからできるインクルーシブなメディア」眞鍋ヨセフ 前編

カルチャー、ライフスタイル、ファッション、社会運動など幅広いジャンルの執筆活動をし、著書『Weの市民革命』では若者が率先する「消費アクティビズム」のあり様を描いたNY在住の文筆家、佐久間裕美子。キラキラした世代と描かれることも多い一方、高齢化、気候変動や所得格差など緊急の社会イシューとともに生きるZ世代(1997〜2012年頃の生まれ)についての解説を求められる機会が増え、それなら本人達の声を聞き、伝えたいと考えるに至ったことで持ち上がった〈佐久間裕美子 × Z世代〉の対談企画。

第3弾の対談相手は2020年にスタートしたZ世代のウェブメディア「elabo(エラボ)」のyouth編集長、眞鍋ヨセフ。前編となる今回は、2020年というターニングポイントの年に「elabo」を立ち上げた経緯や、若者と大人が共に作り上げるウェブメディアのありかた、大阪で育った眞鍋が体感するカルチャーと政治について聞いた。

「elabo」の立ち上げ

佐久間裕美子(以下、佐久間):「elabo」を拝見し、眞鍋さんの文章に揺さぶられました。「いつから、社会正義を口に出すことがイタいことになり、差別に反対することが意識高いことになったのか? そういう風潮はダサいってなぜ誰も言わない」ということは私もずっと感じてきました。ご自身の人生の中でどんなきっかけがあってこの文章を書くに至ったのでしょうか?

眞鍋ヨセフ(以下、眞鍋):若者のリアリティの1つとして出しておきたくて書きました。僕はZ世代の代表ではないですし、典型的な若者という自覚もないですが、共感してくれる人がいたらと思って。自分は大阪のキリスト教の家庭で育ち、幼い頃から教会に通っていました。教会はボランティアや福祉に力を入れていて、社会的に弱い立場の人に人間的にどう接するのか、という感覚が自分の中に刷り込まれたのかもしれません。中高大と進むと、自分とは違う感覚の人が多く、モヤモヤしたこともあります。でも、人に優しくするというのは「キリスト教だから、宗教だから」とは関係なく根本的なものだと思います。あの文章には「きっとわかってくれるはずなのに、気付くことができない現状ってなんなのだろう?」という疑問を込めています。

佐久間さんや竹田ダニエルさんも「Z世代とは世代論ではなく価値観」とおっしゃっていましたが、「elabo」は若者だけがやっているメディアというより、Z世代という価値観を共有するさまざまな世代をインクルージョンして進めていきたいという思いでやっています。メインのメンバーは若者が多いですが、上の世代のライターさんや研究職の方もいます。

佐久間:どういった経緯で現在のメディアに発展したんですか?

眞鍋:自分が関西学院大学(以下、関学)の学部生だった時に、同じ関学の柳澤(田実)准教授と一緒に立ち上げました。自分の人生史にとっても、世界的にもターニングポイントになった、2020年という年がきっかけです。もちろんそれ以前にもムーヴメントはたくさんありましたが、2020年はまずコロナ禍があり、米大統領選挙に付随するようにBlack Lives Matter(BLM)、Stop Asian Hateといった世界が動かざるを得ないようなムーヴメントが起きました。そのタイミングで、柳澤先生の表象文化論の授業でカウンターカルチャーやキリスト教を扱っていて、メインで取り上げていたのが米大統領選挙・BLM・ヒップホップをはじめとするカウンターカルチャーでした。日本の宗教理解は欧米諸国に比べると未発達で、「宗教」という言葉を聞くと反射的に身構えてしまいますが、ポップカルチャーを含めたカルチャーや政治に宗教は密接に関係し、米大統領選挙1つとってもトランプ支持層が信仰するのはどのキリスト教派か、あるいはバイデンはどういった層をターゲットにしてきたかなど、宗教を通して見える視点はたくさんあります。

アメリカの人は政治を自分ごととして考えますが、日本の人にその感覚はあまりないように感じます。同様に、授業を受けていた人も政治に対して密接な関係を持ててはいなかったと思います。柳澤先生が「もっと議論を深めませんか」と学生達に呼びかけて集めたのが「elabo」の最初期の形です。

日本のニュースメディアでは海外の情報を十分に得られず、日本の人口比率を見ても若者に寄り添った政策を取り上げるのは非効率ですし、若者が政治から取り残されている。そこで「若者のためのメディアを立ち上げよう」というのが出発点でした。ただ、若者だけに限定するとまた排除が生まれてしまいます。全員をインクルードするのは不可能ですが、そこにできるだけ近づけることを目指すメディアにしたいと「elabo」が始まりました。

大人と若者だからこそできるメディアの形とは?

佐久間:表象文化論の授業は一般教養として、それとも長期的な関心と重なると考えて選択したんでしょうか?

眞鍋:柳澤先生の授業は毎学期とるようにはしていました。ただ、その授業では以前は西洋美術や建築、美術批評などを扱っていたところから、ちょうど2020年に米大統領選があったためにポップカルチャーなどを扱うように内容がガラリと変わり、自分はポップカルチャーやカウンターカルチャー自体に思い入れがあったのでとるしかないと思って選択しました。

佐久間:私自身も過去に何度か友人達とメディアを立ち上げたり、現在も「Sakumag(サクマグ)」という双方向メディアに挑戦していますが、いざ立ち上げてみると大変なこともあると思います。

眞鍋:生まれた時からネットがあった世代なので、例えば「フェミニズム」や「LGBTQ」という言葉で括られる中にもさまざまな立場があり、仮に1つの立場に肩入れするような形をとってしまうと、いつどこで炎上してもおかしくないという感覚があります。議論する中で、安易な発言や文章を載せるのはメディアとして誠実ではないと教えられました。そこを踏まえ、若者の視点だからこそ引き出せるインタビューをするなど、若者の感性を大事にし、大人が原稿の添削やエビデンスを深める指導をしたり、フォーマット作成は外部の出版社の方に委託したりして「elabo」ができています。その中でも哲学者でもある柳澤先生が世相を分析し、編集会議で方向性を決めた記事はやはり反響が多いです。もしかしたら「学生のみがやっているメディア」で運営した方が受けはいいかもしれませんが、大人と若者が一緒にやるからこそできる形で、双方が適する部分を補いながら運営しています。

佐久間:「elabo」が扱うイシューは沖縄問題からルッキズムまで、たいへん包括的ですよね。これまでホモジニアスな社会に生きていると信じる人が多い日本で、Z世代と大人が作る真の意味でのインクルーシブを追求しているように感じます。こうしたイシューの存在は早い段階から意識していましたか?

眞鍋:自分の意見が「elabo」を代表するわけではありませんが、ホモソーシャルな場が多いという類の違和感はみんなが感じていると思います。もやがかかった違和感として感じていたものが、大学で言語化されたり、学問を学ぶ中で概念を提示されたり、大人と出会うことで学びに変わり、問題として気付くようになりました。

大阪のカウンターカルチャーと政治の関係

佐久間:私はX世代(1965〜80年頃の生まれ)で、インターネットがない時代に育ちました。Z世代の特徴の1つは生まれた時からネットがあったことですが、眞鍋さんが育つ中で常にあるネットの世界と、ボランティア活動などを通して触れたリアリティとのバランスはどうとっていましたか?

眞鍋:自分の場合は、リアリティとネット世界との違和感はあまりなかったかもしれないです。ネットで見るものは限られていて、ネットの有害性は知りませんでした。今のように文脈もわからないのにTwitterで分断するような事象はなかったか、あったとしても気がつかなかったです。

佐久間:ネット上の分断に気がついたタイミングはTwitterなどを始めてから? それとも現実的な政治などの話で、大阪の環境が影響したのでしょうか。大阪で育ち、社会の不平等や貧困や生きづらさなどに触れてきた感覚はありますか?

眞鍋:そうですね、生まれた時からインターネットがあったことより、大阪で育ったことのほうが自分の価値観やものの見方に影響していると思います。

あと、10代の頃から2週間に1度、ホームレスの方に弁当を配る活動を、教会の人や地域の有志やFacebookで見て参加する方々と一緒にしていたので、同世代の中では(家庭と学校の)外の世界を見る機会は多いほうで、そういった現実に触れる機会は比較的あったと思います。

ボランティアをやるうちに、いつもいたホームレスのおじさんがいなくなっていたり、大阪の市庁舎の前でホームレスの方が亡くなる事件があったり、立ち退きさせられる回数が増えたり……という現実に気がつきました。社会構造に着目できていないうちは短絡的に「大阪維新の会が悪い」と思っていましたが、階級の分断は大阪だけでなく日本全体でも、世界的にも起きていて、根本的に構造を変えなければいけないと気がついたのは大学に入ってからです。

佐久間:大阪は今、他の地域にはない特異な政治状況にあるわけですよね。大阪のリアリティは外の人にとってはわかりにくいところがありますが、構造的な問題はどの辺りにあると思いますか?

眞鍋:「自己責任論」という言葉を誰もが使うようになっていますが、その最たる例として維新の会があったのではと思います。

佐久間:現在の「気がつけば大阪維新の会が強くなっていた」という状況になる前、自分が知っていた大阪はパンクカルチャーやカウンターカルチャーが強い場所でした。逆にそのカウンターカルチャーの精神が、改革勢力のように見える大阪維新の会に有利に働いたのかもしれないですね。

眞鍋:「elabo」でも政治の座談会で、なぜ大阪維新の会が議席数を伸ばしたのかを話し合いました。個人的な体感ですが、大阪には「お上に逆らう」カウンターカルチャーがあり、自民党をはじめとする国会政党でなく、頻繁に顔を見かけて電話もかけてくる「維新のあんちゃんのほうが信用できるわ」という空気がある気がします。関西は人情の町と言いますが……裏を返すと保守的な気質が強いとも言えます。排他性が色濃く、まだ多くの部落差別問題がありますし、大阪市の調査では年々、ホームレスの方の人口は減少していると言われていますが、西成のあいりん地区にはまだまだたくさんの日雇い労働の方がいる。排他的な性質と、身内でかためて地域に根ざしているかのような維新の印象が結びついた、という見方もできます。競争文化からくる切磋琢磨がアートやカルチャーに貢献するケースもあるので、新自由主義のすべてが悪いとは言いきれないですが、自己責任論的なナラティブが過度だったのが大阪維新の会かもしれません。

後編に続く

眞鍋ヨセフ

眞鍋ヨセフ
1998年、大阪府大阪市生まれ。elabo youth編集長。関西学院大学神学研究科博士課程前期2年。専門は新約聖書学、殉教思想、犠牲。2021年に関西学院大学の柳澤田実准教授と関西学院の大学生をはじめとする若者とともにウェブマガジン「elabo」をローンチする。主な関心は、キリスト教の福音派とカルチャーの関係性。幼い頃から慣れ親しんだブラックミュージック、ヒップホップを中心としたカウンターカルチャー、欧米ポップカルチャーにも関心がある。
https://www.elabo-mag.com
Twitter:@elabo_magazine
Instagram:@elabo_magazine

Photography Kyotaro Nakayama
Text Lisa Shouda 

author:

佐久間裕美子

文筆家。1996年に渡米し、1998年からニューヨーク在住。出版社、通信社などを経て2003年に独立。カルチャー、ファッション、政治、社会問題など幅広いジャンルで、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆する。著書に「Weの市民革命」(朝日出版社)「真面目にマリファナの話をしよう」(文藝春秋)、「My Little New York Times」(Numabooks)、「ピンヒールははかない」(幻冬舎)、「ヒップな生活革命」(朝日出版社)、「テロリストの息子」(朝日出版社)。慶應義塾大学卒業、イェール大学修士課程修了。2020年12月に「Weの市民革命」を刊行したのをきっかけに、コレクティブになったSakumag Collectiveを通じて勉強会(Sakumag Study)、発信(Sakumag Stream)などを行っている。Twitter:@yumikosakuma Instagram:@yumikosakuma

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