対談〈佐久間裕美子 × Z世代〉「現実を直視して動き続ける」眞鍋ヨセフ 後編

NY在住の文筆家、佐久間裕美子とZ世代(1997〜2012年頃の生まれ)の対談企画。第3弾の対談相手は2020年にスタートしたZ世代のウェブメディア「elabo(エラボ)」のyouth編集長、眞鍋ヨセフ。後編では、カルチャーや議論を大切にするメディアの在り方から、現在の活動に繋がるキリスト教とアフロ・アメリカン音楽との出会い、自身と「elabo」の今後のヴィジョンについて聞いた。

前編はこちら

カルチャーを消費しない、正直なメディアの在り方

佐久間裕美子(以下、佐久間):「elabo」はジャンル分けを「カルチャー/アイデンティティ/ポリティクス」としていますね。これまでメディアが表層的に取り上げがちだったトピック、例えばヒップホップの価値観などを意図的に深く掘っているように見受けます。こういったトピックを丁寧に記事にするのは感心すると同時に、難しいことだと思いますが、「elabo」にとって大切なジャンルなのでしょうか?

眞鍋ヨセフ(以下、眞鍋):日本では「カルチャー/アイデンティティ/ポリティクス」を同列にしたメディアは他にないと思います。このジャンル分けはアメリカの「Teen Vogue(ティーン・ヴォーグ)」や「REFINERY29(リファイナリー29)」を参考にしました。

カルチャーに対して正直でありたくて、カルチャーを通してでしか動かせない人間の感性というものがあると思うんです。「右翼だから悪い」あるいは「中道でもやや右寄り」などとラベリングして排除するのが今の悪いところだと思います。正義の提示だとかではなく、批評でも文学でも本当に良質な作品の本質的な部分を見る視点を提供しないと、ある批評の背後にアーティストと政治や社会との密接な関わりがあっても「この曲いいね」で終わり、ただの消費になってしまう。カルチャーの視点から見た社会の背景が読者の方に伝わるよう意識して記事を掲載しています。

佐久間:「elabo」編集部のクレジットが入ったケンドリック・ラマーからフジロックにつなげた記事を面白く読みました。この記事は編集部で話し合って書かれたのでしょうか?

眞鍋:基本的には編集会議で話し合います。みんなでアイデア出しと議論をしたタイミングで、シザ(SZA)が新曲を出し、ケンドリック・ラマーが新しいアルバムの告知をし、フジロックについてはいろんなフェスが中止になっていったという時期で、あの時は柳澤(田実)先生が担当しました。

佐久間:「elabo」はトークイベント開催や紙のマガジンの製作もされていますが、ディスカッションとコンテンツを交えてやっていく方針なのでしょうか。

眞鍋:紙媒体のマガジンはトークイベントのクラウドファンディングのリターンとして製作するものです。基本的にはウェブがメインで、軌道に乗れば紙媒体を半年に1回程の頻度で出せたらいいなと思っています。議論の場としてのトークイベントは重要視しているので継続したいですし、ゆくゆくはアメリカのブッククラブのような形の活動も考えています。「elabo」の方向性として「学ぶ・議論する・考える」場を総合的に作っていきたいですね。

佐久間:私もメディア運営を通じて金銭的な持続性はどこかで考えていかなければならないと痛感しています。「elabo」は以前クラウドファンディングをやられていましたが、この先の資金調達はどう考えていますか?

眞鍋:試行錯誤しています。スポンサーの色をすごく出さなくても了承してくれるような、理解のあるスポンサーがついてくれると楽になると思いますが。

佐久間:広告主に干渉されない在り方の答えはまだ出ていないような気もしますね。情報の受け手として安心できる日本のメディアはありますか?

眞鍋:これといったメディアはないという印象を受けます。なので、1つのニュースでも複数媒体を見るようにしています。今は何が事実なのかがわかりにくい時代だと思っていて。事実があっても、リベラルやコンサバティブに限らず、信条や正義によって事実を曲げてしまうというか、不都合なことを正義で隠すようなことが起きていると思います。どれだけ不都合があっても、事実を直視しないと変えられない。「elabo」ではその手法として、カルチャーが表象している社会や政治の文脈や動きがわかるような記事を出していきたいです。2022年度からは、アーティストやクリエイターへのインタビュー、特に日本という枠を超え、「elabo」の考える問題を共有できるアジア系のクリエイターへのインタビューを中心にし、日本にいる私達が考え、行動し、何かを作り出すヒントとなる内容を配信していく予定です。

自身のルーツと重なるアフロ・アメリカンの音楽

佐久間:将来的にやりたいこと、興味のあることはありますか?

眞鍋:海外の大学で学生がやっているメディアや、有色人種の女性と性的マイノリティのためのギャルデム(Gal-dem)など、海外の同世代が運営するメディアと繋がりたいと「elabo」のメンバーと話しています。ドメスティックなものがダメというわけではありませんが、日本には海外の視点が明らかに欠如しています。日本がどれだけ遅れているかいうことも一度受け止めなければどうにもならないですし。

佐久間:海外生活経験のない眞鍋さんが海外の情報やメディアにアンテナを張っているルーツは、やはり音楽をはじめとするカルチャーなのでしょうか?

眞鍋:カルチャーは自分の中を占める重要なところですね。アートや映画も好きですが、小さい頃から特に好きな音楽の歌詞を調べるためにインターネットを使っていました。

佐久間:海外の音楽とのは初めての出会いは?

眞鍋:マーヴィン・ゲイだったと思います。教会に通っていると交流する人の多くが年上の人で、音楽をしている人達から教えてもらいました。

佐久間:日本よりもアメリカは人々の文化や生活にポップカルチャーが根ざしており、そこから出てくる音楽の歌詞は社会問題の反映でもあるわけですよね。

眞鍋:幼い頃から教会の音楽に触れていたからこそ、キリスト教という自分自身のルーツと、好んで聴いている楽曲との歴史や影響を学ぶモチベーションみたいなものがあったと思います。

詳しい歴史の部分まで語ることはできませんが、キリスト教と自分が興味のあるカルチャーは切っても切れない関係にあります。アフロ・アメリカンの音楽を辿ると、奴隷として農作業をしていた時の歌であったり、キリスト教の集会での歌にブルースやゴスペルは影響を受けていますし、同時期に教会では黒人霊歌が歌われていました。そこからジャズやR&B、ソウルが派生していきましたし、音楽は確実に公民権運動を支えました。ジャンルを問わず教会のクワイヤなどで歌っていたところからデビューする歌手は今でもいる一方、保守的な教会がヒップホップを弾圧した歴史もあります。

佐久間:ヒップホップに対する抑圧の歴史があるのと同時に、女性に対する搾取・性的対象化・バイオレンスといった有害な男性性も内包しているという議論もありますが、どう捉えていますか?

眞鍋:高校生の頃にヒップホップを本格的に聴き始めた時から、一部で暴力的であったりする男性性を含む歌詞があることは知ってはいました。ただ例えば、楽曲の中には男性が女性を搾取する構造が見られますが、一方でその搾取の構造を女性が男性に対して使うこともできるという、プラットフォームとして懐が深いところもあるように感じます。女性のラッパーやリル・ナズ・Xのような性的マイノリティのラッパーが歌うことでエンパワーメントになったり。ヒップホップはもちろん有害性もありますが、一括りにはできない柔軟性もある面は「elabo」でも取り上げたいですね。

それぞれのマイノリティさを尊重しあう

佐久間:どんな時にご自身の中のZ世代性を感じますか?

眞鍋:世の中で起きている事象に対して問題意識を持ち続けるところでしょうか。自分が求めるものを突き詰めて考えると、人間として当たり前の行為ができていない現状をよくしたいという想いがありますが、日本の同世代にも表に出せないだけで社会への問題意識がある人は多いと思います。

Z世代性をあえて見出そうとしなくてもいい気もしますし。Z世代に関する分析についても、当てはまらない人も当然いる、とニュートラルに受け止めています。それこそ消費や関心が細分化されているZ世代らしさかもしれません。

佐久間:世代観とはそういうものかもしれません。ある世代に属する人みんなが同じなわけではないですし。日本のZ世代には問題意識があっても表に出せない空気のようなものがあると思いますか?

眞鍋:表に出さなくても生きていけますからね。だからこそ、1人の人間として相手も自分と同じ立場で被害や不利益を被っているという認識をできるかが大事だと思います。

元アイススケーターでアートディレクターの森望(もりかなた)さんにインタビューをした際に「みんな何かしらのマイノリティを抱えている」と言っていました。悪い意味でなく、マイノリティさがその人らしさとも言えます。特定の正しさを掲げる1つの党派性のもとに集まりで力をつけるより、個人を尊重しながらわかり合えるフラットな状況にするのか、どこまで共感できるのか、ということを考えています。

今後10年のヴィジョン

眞鍋:あと、個人の損得勘定で人生を捉えている若者が多い気がします。でも損得だけでなく、変わっても変わらなくても、よくしていく方向を見ることも大事だと思います。今は現実が酷くて直視できないかもしれませんが、それでも現実を直視して未来を変えるためにどうするかを考え、動き続ける向こう10年になればと思います。自分達の世代でなんとかする気持ちでやってはいますが、未来を変える次の人材を教育するというヴィジョンも「elabo」のメンバーと話し合っています。

佐久間:若者が人生を損得で捉えるという現象は、暗い未来を予想したり、明るい未来が見えなかったりで、自分に対して保身的にならざるをえない、という現状の顕れだと思いますが、その気持ちに共感するところはありますか?

眞鍋:ギリギリの生活を送る方も多く、本当に苦しければ未来を考えたり他人を思いやる余裕はない。「(社会正義の議論は)そういうことを考えられる、余裕のある人しかできない」という意見もすごくわかります。自分も経済的に厳しい家庭で育ち、カウンター精神が残っている部分がありますし。「elabo」としてはインテリの閑話ではなく、できるだけリアリティに寄り添い「カルチャーの中には社会をよくするための次の一歩があり、それが救いになる」という視点を提供したいです。

佐久間:厳しい経済状況の中で育ちながら、ホームレスの方へのボランティアをされていたのはご両親の在り方だったのか、またはその行為自体に精神が満たされるものがあったのでしょうか。

眞鍋:(奉仕の)行為に対してロジックを問わない「善」や「愛」といった、キリスト教的な感覚があるんだと思います。宗教を信じてきた身としては「愛」や「優しさ」といった言葉を違和感なく使えるので、使っていますが、自分の場合、成長の過程でたまたまキリスト教があったというだけだと思います。でも、これは別に宗教とは関係なく、人間一人一人が持っているものだとも思うんです。

佐久間:私はキリスト教の学校に通い、いわゆる「施し」的な行為にどうしても上から的なものを感じてしまって義務としての奉仕活動に反発心を持つ生徒でしたが、眞鍋さんが子供の頃はどう感じていましたか?

眞鍋:自己承認欲求を満たすためにボランティア活動をする人もいるでしょうし、自分もボランティアをしながらいたわりの言葉をかけても四六時中その人達のことを考えていたわけではないから、偽善と感じることもあります。でも行うことに意味があって、偽善で始めたとしても良心があれば行為を繰り返すうち、何かそこに意味を見出すタイミングが来ると思っています。

眞鍋ヨセフ

眞鍋ヨセフ
1998年、大阪府大阪市生まれ。elabo youth編集長。関西学院大学神学研究科博士課程前期2年。専門は新約聖書学、殉教思想、犠牲。2021年に関西学院大学の柳澤田実准教授と関西学院の大学生をはじめとする若者とともにウェブマガジン「elabo」をローンチする。主な関心は、キリスト教の福音派とカルチャーの関係性。幼い頃から慣れ親しんだブラックミュージック、ヒップホップを中心としたカウンターカルチャー、欧米ポップカルチャーにも関心がある。
https://www.elabo-mag.com
Twitter:@elabo_magazine
Instagram:@elabo_magazine

Photography Kyotaro Nakayama
Text Lisa Shouda 

author:

佐久間裕美子

文筆家。1996年に渡米し、1998年からニューヨーク在住。出版社、通信社などを経て2003年に独立。カルチャー、ファッション、政治、社会問題など幅広いジャンルで、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆する。著書に「Weの市民革命」(朝日出版社)「真面目にマリファナの話をしよう」(文藝春秋)、「My Little New York Times」(Numabooks)、「ピンヒールははかない」(幻冬舎)、「ヒップな生活革命」(朝日出版社)、「テロリストの息子」(朝日出版社)。慶應義塾大学卒業、イェール大学修士課程修了。2020年12月に「Weの市民革命」を刊行したのをきっかけに、コレクティブになったSakumag Collectiveを通じて勉強会(Sakumag Study)、発信(Sakumag Stream)などを行っている。Twitter:@yumikosakuma Instagram:@yumikosakuma

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