漁る Archives - TOKION https://tokion.jp/verb/漁る/ Thu, 24 Nov 2022 08:24:47 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 漁る Archives - TOKION https://tokion.jp/verb/漁る/ 32 32 音楽をベースにファッションも横断するロンドン生粋のビートメイカー、スティーヴン・ジュリアン来日インタビュー https://tokion.jp/2022/11/19/interview-steven-julien/ Sat, 19 Nov 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=155994 知っておくべき、レコードレーベル「Apron Records」を運営するロンドン生粋のサウンドプロデューサー・DJ、スティーヴン・ジュリアン。

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ロンドン生まれの、ロンドン育ち。カリビアンの血を引く生粋のロンドンローカルであるサウンドプロデューサー・DJのスティーヴン・ジュリアン(Steven Julien)。ファンキンイーヴン(FunkinEven)名義でも知られる彼が放つ、革新的なエレクトロニックなビートとサウンドは、ストリートでありながらニクいほどスタイリッシュでかっこいい。

1990年代からヒップホップカルチャーに慣れ親しみ、ロンドンのアンダーグラウンドパーティシーンで活動を繰り広げてきた、間違いなく今もっともホットな存在だと言ってもいい。

そのスティーヴンが、「Steven Julien Japan Tour 2022」にて約4年ぶりの来日を果たし、東京・大阪・沖縄でパーティを開催。また渋谷パルコで、彼が運営するレコードレーベル、「Apron Records」のポップアップイベントも開催し、ヨーロッパでは4月にリリースされ話題となった、「Patta Soundsystem」 × 「Apron Records」のコラボレーションアイテムを販売した。

今回は、楽曲制作にDJ、レーベル運営、映像制作、そしてファッションと音楽を軸にトータルプロデュースを行うスティーヴン・ジュリアンを紹介したい。

スティーヴン・ジュリアン
ロンドンを拠点に活動する音楽プロデューサー・DJ。レコードレーベル「Apron Records」主宰。10代前半の頃からヒップホップカルチャーに慣れ親しみ、音楽活動を開始。ハウス、エレクトロ、ディープハウス、デトロイト&アシッドハウスなど、「ローランド(Roland)」808と「アカイ(AKAI)」MPC2000に影響を受けたオリジナルサウンドと、カリビアンの血を引くことから生まれた独特なビートが魅力。2009年にファンキンイーヴン名義でフローティング・ポインツ(Floating Points)が主宰する「Eglo Records」からデビューを果たし、自身のレーベルからリリースをした「Fallen」(2016)、「Bloodline」(2018)、「8 Ball」(2018)などの作品ががさらに話題を呼んだ。またDJとしても人気で、数多くのDJミックスのネット配信だけでなく、ヨーロッパ、アジアなど各国でプレイ。ファッション面においては、アムステルダムのセレクトショップ「パタ(Patta)」と深い交流を持ち、コラボアイテムをリリースするなどしている。
https://apronrecords.com
Instagram:@stevenjulien
Twitter:@funkineven

ラップするのがヘタくそだったから、マイクを置いて音楽制作を始めたんだ

――ロンドンの今年の夏はどうでしたか?

スティーヴン・ジュリアン(以下、スティーヴン):今年の夏はとてもとても忙しかった。フェスティバルやカーニバルから戻ってきても、パーティ! パーティ! パーティ! ってロックダウン以降、初めて夏が戻ってきた感じだったよ。ホットでクレイジーな、素晴らしい夏だった。

――いいですね。日本はまだもうちょっとかかりそうですよ。東京はこの間、2つ大きなクラブがクローズしてしまったし、これも時代の変わり目なのでしょうか。

スティーヴン:知っている。俺の友達のジェイ・ダニエル(Jay Daniel)が(「コンタクト」の)最終日にDJをしたよ。

――スティーヴンは、ジェイ・ダニエルやカイル・ホール(Kyle Hall)と仲良しですよね!

スティーヴン:そうなんだ。俺が一番年上だよ。

――おいくつなのですか?

スティーヴン:ははは。それはミステリーだ(笑)……。俺が一番年上で、ジェイはカイルより年上で、俺達の中では、カイルが一番年下。

――日本でのインタビューは初めてですか?

スティーヴン:前にやったのはソウルでだったから、ということはたぶんこれが日本での一番最初のオフィシャルインタビューになるのかも……。

――では最初にシンプルで良いので、スティーヴンのヒストリーを教えていただけますか? 音楽を始めたきっかけなど。

スティーヴン:子どもの頃は、 たぶん11歳から16歳くらいまで学校でヒップホップダンスをしていて、ブレイクダンス以降の1990年代後半のダンスを、ロンドンで仲間(クルー)と一緒に。そこからヒップホップのクルーでラップをするようになって、そのラップグループの音楽を作るようになったんだ。だけど俺はどうしようもないワック(=下手くそ)なラッパーだったから、マイクを置いて音楽プロダクションを始めたんだ。それでビートを作り始めるようになって、カセットテープに録音したり、ドラムマシンで実験したりと、音楽を作るのが好きになっていった。

――音楽制作が先なんですね! DJではなくて。

スティーヴン:そう、音楽制作が先だね。でもいつもレコードを買っていたから、友達のベッドルームでミックスをしていたよ。ハウス、ドラム&ベース……いろいろなヴァイブスを持った、いろいろなジャンルの音楽。

「ローランド」808と「ヤマハ」のシンセ、それとMPCを使ってサウンドを作り、文化を継承していく

――機材は何を使っているのですか?

スティーヴン:一番最初に使った機材は「コルグ(KORG)」minilogue xd。いつも日本の機材を使用しているよ。「コルグ」のドラムマシーン、「ヤマハ(YAHAMA)」のシンセサイザーとカセットテープって。MPCはもっと大人になってから使うようになった。

――好きなプロデューサーはいますか?

スティーヴン:常に強烈に好きなのは、トライブ・コールド・クエスト(A Tribe Called Quest)Qティップ(Q-Tip)だね。だけどトライブのアルバムをJ・ディラ(J Dilla)がやっていたことを当時は知らなくて、あとになってそれを知ったんだけど、ハードドラムとループ。いろいろな人を巻き込んでいたしね。あとエレクトロニックだと、セオ・パリッシュ(Theo Parrish)のレーベル「Sound Signature」からリリースもしているウォーレン・ハリス(Warren Harris)のハナ(Hanna)名義での1stアルバム『Severance』を聴いた時、ものすごくショックを受けたんだ。それで「彼みたいに音楽を作ってみたい」と思ったんだ。

――それから自身の楽曲をリリースしたんですね。

スティーヴン:初めて出したEPは2009年かな。アレックス・ナウ(Alex Nut)フローティング・ポインツがやっている「Elgo Records」からリリースされたんだ。

――初めてスティーヴンの曲のビートを聴いた時は衝撃でした。

スティーヴン:そりゃいいね! 他に聴いたことがない感じだった?

――はい。ビートの打ち方が、独特というか……。

スティーヴン:(笑)。俺はカリビアンだし、それといろいろなタイプの音楽を聴いているからだと思う。エレクトロニックとヒップホップの融合で新しいサウンドなんだけど、継承(=ヘリテージ)していくサウンドでもあるんだ。前進していくためにね。

俺の場合は1960年代ではなく1970年代や1980年代初期、1990年代のデトロイト、シカゴ、ニューヨーク、UKのブラックミュージックと自分が聴いてきた音楽を継承しているってことになる。ビートのリズムに関しては、俺はカリビアンの血を引くから、ドミニカ、ジャマイカ、トリニダードから大きな影響を受けている。アフリカのリズムと、カリブのリズムは異なるんだ。言語によるメッセージと一緒で、リズムやドラムは、本当にたくさんのいろいろなことを語っているんだ。ドラムは多くのことを語る。

――スティーヴンのビートは、自身のカリビアンのルーツを元に制作されているということなんですね。謎が解けました!

スティーヴン:そういうこと(笑)。なんで俺が影響を受けているのは、カリビアンからアフリカまで、それと1970年代から1990年代。ジャズ、フュージョン、エレクトロ、ヒップホップといった感じ。

Steven Julien 「Bloodline」

Steven JulienのSound Cloud

――日本の音楽は好きですか?

スティーヴン:ものすごく大好きさ。特に坂本龍一の大ファンなんだ。彼の作品は、どの時代も、どのシングルも大好きだ。すごくファン。彼と仕事をすることが俺の夢でもある。それほど坂本龍一の作品はすべて好き。

――坂本龍一を知ったきっかけは?

スティーヴン:YMOの「ファイアー・クラッカー」。ドゥドゥドゥン・ドゥドゥドゥドゥ・ドゥンドゥン♪って。この曲が出た頃に知ったわけではないけど、子どもの頃にたぶん叔父が観ていた昔のラップビデオかブレイクダンスかなんかのビデオでこの曲を知って、すごく耳に残っていたんだ。それからレコードを買い始めて、YMOや坂本龍一のことを勉強し始めたんだよ。

――日本の機材では何が好きですか?

スティーヴン:日本の機材は、エレクトロニックミュージックを作ったよね。「ローランド」と、「ヤマハ」は2大機材だね。「ローランド」808なんか、クレイジーなほどトラップミュージックを生み出しているし。808は世界を支配している。生まれてきてから世界をロックしているんだ!

――スティーヴンはどの機材が一番好きですか?

スティーヴン:808かな!! それとMPC2000XLも大好きだね。今は「ローランド」、MPC、コンピューターにはロジックが入っていてアレンジに使っている。

ホーミーで成り立つ、「Apron Records」

――次は「Apron Records」を始めたきっかけを教えてください。

スティーヴン:「Eglo Records」を運営しているアレックスに俺が作ったディスコエディットの曲をリリースしないか聞いたんだ。 だけどアレックスには断られたんだ。なぜなら、サンプルをリリースすることはリスキーだから。そしたらアレックスが、「なんで自分でやらないの?」って言ってきたんだ(笑)。「訴えられたら困るし、自分でやれば?」ということが、俺を目覚めさせたんだ。「そうだよ、 自分でできるじゃないか!」って。

それですでに「Wild Oats」というレーベルをやっていたカイル・ホールに相談したんだ。彼はレコードのプレスからディストリビューションまで知っているプロデューサーだからさ。すると、いくつかコンタクトすべき連絡先を教えてくれたんだ。それでブローカーにアプローチして「300枚レコードをプレスしたい」と言ったんだけど、事務所にいる人達が「誰だ、この男は?」って。それで現金を彼らに渡したら「オッケー、クール!」となってプレスしてもらったんだよ。3枚目のレコードをリリースした時に、ようやく信頼関係ができて、レーベルに名前をつけてきちんとスタートさせたんだ。

――レーベルに所属している他のアーティストはどのように探しているんですか?

スティーヴン:みんな俺のホーミー、友達だね。あ、でも1人だけ見つけた人がいる。グレッグ・ビート(Greg Beato)というマイアミのアーティストなんだけど、SoundCloudで見つけたんだ。彼のプロフィール写真がニンジャタートルズで「このプロフィールの写真気に入った!」と思ったんだ(笑)。それで曲をチェックしたらすごくエナジーがあって、1発で決めたよ。

「Apron Records」からリリースされた作品

「Patta Soundsystem」と「Apron Records」の関係

――渋谷パルコでの「Apron Records」のポップアップでは、「パタ」とのコラボレーションアイテムを紹介していましたけれど、どのような経緯で「パタ」とはコラボを行うことになったのでしょうか?

スティーヴン:「パタ」から数年前にアプローチがあって、DJで俺をパーティにブッキングしてくれたんだ。その時に、「Patta Soundsystem」の1人と友達になって、一緒に踊って、俺達はファミリーになった。それで彼らがスコアをしないか聞いてきたんだ。それでレコードとTシャツとハットを一気にワンパッケージにしてやることにしたんだ。その話を2019年にしたんだけど、パンデミックもあってそれが2022年に入って落ち着いてきたから、4月にリリースしたんだよ。12インチレコード、トラックハット(キャップ)と、Tシャツを、レーシングカー・チームに見立てて“Better Together”っていうスローガンで制作したんだ。レーシングフラッグを使ったり、キャップはレーシングキャップをイメージして作った。なぜなら俺がカーガイ(=車狂)だからなんだ。とにかく車が大好き。他には、「パタ」 × 「ナイキ(NIKE)」の“Air Max 1”がリリースされた時に、キャンペーン用に曲をオリジナルで作ったこともある。

Steven Julien  「Better Together」

――好きな車はありますか?

スティーヴン:ポルシェかな。古いのから最新まで、ポルシェは全部愛してるよ。「Patta Soundsystem」と「Apron Records」とのキャンペーン映像で、ポルシェ 80’s 911に乗っているよ。あとBMWも好きで、映像の中でも運転している。2003 BMW E46 コンバーチブルが好きなんだ。

――ファッションは重要ですか?

スティーヴン:ファッションというよりは、ライフスタイルの1つとして重要かな。カルチャーがあってこそのファッションだからさ。自分が音楽活動をしていて影響を受けたものを託すというか、自分の中から出てきたものを着る感じだよね。もちろん服は好きだし、ファッションについては少しは理解しているけど、だけどそこまで俺はファッションガイではない。あくまでもライフスタイルとしてのファッションだね。

――ところでスケートボーダーとも交流がありますね。

スティーヴン:仲の良い友達に「パレス スケートボーズ(PALACE SKATEBOARDS)」ルシアン・クラーク(Lucien Clarke)がいる。彼もホーミー。彼らも音楽が好きだからね。ロンドンのアンダーグラウンドなカルチャーシーンは狭いから、みな互いを知っているし、つながっている。俺達は知り合って15年くらいはたつけど、ここ数年でまたさらに近い存在になっているよ。

――今後の予定はありますか?

スティーヴン:あるよ! まだ言えないけど、でかいコラボレーションが来年に控えている。ビッグでクレイジーで、ともかくエキサイティングなコラボになる。アルバムのリリースに関しては、カイル・ホールのレコードを近々リリースを予定しているのと、その後に、自分のものをいくつか。

――ところで約2週間ほど日本に滞在しますが、何かしたいことは?

スティーヴン:「Five G music technology」って原宿にある有名なシンセサイザーの店に行きたい。買うかわからないけど、たくさんあるって聞いているから、体験としてね。あとはフード、ショップ、パーティ。大阪に行ったら京都へも行きたい。お寺には行きたいな。

――音楽以外で興味があることはありますか? 普段の生活の中でメンタルをキープするために何かしていることがありましたら。

スティーヴン:いろんなことに興味があるけど、自然が好きだよ。 それと座禅……治療的なメディテーション、セラピーのようなやつ。バランスを保つために自然の中へ行って、そこで座禅しながらデモ(音楽)を聴きながら、深呼吸をする。それをすることが重要なんだ。

――都会育ちの音楽家らしいバランスの取り方ですね。

スティーヴン:そうそう。俺はロンドンで生まれて、ロンドンで育った、ロンドンが好きで、ロンドンローカルだからね(笑)。

Photography Yusuke Oishi

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「フェイスレコード」×「オーディオテクニカ」 渋谷と下北沢界隈のレコード店マップがリリース https://tokion.jp/2022/11/03/facerecords_audiotechnica/ Thu, 03 Nov 2022 07:30:00 +0000 https://tokion.jp/?p=154159 「フェイスレコード」等を擁するFTFは「オーディオテクニカ」と協業し渋谷と下北沢界隈のレコード店を掲載したレコードマップをリリースした。

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「フェイスレコード(Face Records)」等を擁するFTFは「オーディオテクニカ(Audio-Technica)」と協業しレコード文化の魅力を広めるため、渋谷と下北沢界隈のレコード店を掲載したレコードマップをリリースした。マップには渋谷・下北沢界隈のレコード店の他に、飲食店やアパレルショップ等も掲載されていて、対象店舗で使用できる¥100 OFFクーポンが付く。

また、リリースに合わせてイベント「レコードジャケットを探せ!プレゼントキャンペーン」を、11月30日まで実施。名盤からレア盤まで、レコードマップに隠れているレコードジャケットのタイトルとマップの写真に「#レコードジャケットを探せ」を付けて投稿すると、合計30名に1980年代に人気を博した「オーディオテクニカ」のポータブルレコードプレーヤー「サウンドバーガー(SOUND BURGER)」をはじめとした、レコードマップグッズが当たるキャンペーンだ。

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川のごみから服を作る。シンガー・xiangyuと「パーミニット」デザイナー・半澤慶樹が「RIVERSIDE STORY」で伝えたいこと https://tokion.jp/2022/11/01/riverside-story-xiangyu-x-yoshiki-hanzawa/ Tue, 01 Nov 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=151204 xiangyuと半澤慶樹による「RIVERSIDE STORY」。シンガーとファッションデザイナーの2人が、なぜ川に落ちているごみから服を作るプロジェクトを始動させたのか。

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川のごみから服を作る。シンガー・xiangyuと「パーミニット」デザイナー・半澤慶樹が「RIVERSIDE STORY」で伝えたいこと

去る9月に、東京・恵比寿「KATA」にて開催された「RIVERSIDE STORY 渋谷川編 -川のごみから作る衣装展-」。この展示は、シンガーのxiangyu(シャンユー)と、ファッションブランド「パーミニット(PERMINUTE)」のデザイナー、半澤慶樹が主宰するプロジェクトで、文化服装学院の生徒も制作に参加し、川に落ちているごみから作られた服を発表した。

当事者の2人の話を聞くと、川のごみを拾って服に仕立てることは、環境問題やエコとは違ったメッセージが込められているという。その真意を深掘りすべく2人に、制作に至るまでと展示期間を振り返ってもらい、そこから感じたことを尋ねた。変わりゆく街の姿と人の価値観を、ごみからひもときたい。

Left→Right
xiangyu(シャンユー)
シンガー。自身が制作した服の展覧会で、水曜日のカンパネラのディレクター、Dir.Fから声を掛けられ、同ユニットのミュージックプロデューサー、ケンモチヒデフミのサポートによって、2018年から音楽活動をスタート。ダンスミュージックを軸にした楽曲を展開する。2019年にEP『はじめての○○図鑑』でデビュー。2021年に発表した『ミラノサンドA』は話題の末、ドトールの公式ソングに採用された。シンガーとしての活動に加え、映画『ほとぼりメルトサウンズ』では主演を務めるなど、音楽以外にも精力的に活動する。 
Twitter:@xiangyu_fish
Instagram:@xiangyu_dayo

半澤慶樹(はんざわ・よしき)
ファッションデザイナー。2016年から、ウィメンズファッションブランド「パーミニット」をスタート。“ユニークな実験を通して、そのプロセスから生命と衣服の新しいかたちを創造する”をコンセプトに掲げている。「Amazon Fashion Week TOKYO 2018 SS」でランウェイデビュー。「TAV GALLERY」でキュレーション企画展の開催や、パルコのキャンペーン広告でファッションディレクションを担当するなど、自身のブランド以外にも活動の幅を広げている。日本メンズファッション協会による「第15回ベストデビュタント賞」に選出。現在「パーミニット」は、コレクションをシーズンで区切らず、気温のレンジで提案している。
https://perminute.net
Instagram:@_perminute_

ごみからわかる街と人

——2人はシンガーとデザイナーで活動されていますが、そもそもどういったつながりなんですか?

xiangyu:私達は文化服装学院を卒業していて、その同級生です。4年生の時だけ同じクラスでした。

半澤慶樹(以下、半澤):共通の友達は多かったけど、卒業後に会うまではほとんど話したことがありませんでした。

xiangyu:同じクラスになる前から存在は知っていたけどね。慶樹は優秀だったから、いい作品を作っているとか、コンテストで入賞したとか、学校で有名だったんですよね。

半澤:僕も同じようにxiangyuはすごいって周りから聞いていて。在学中は放課後に遊ぶような関係じゃなかったけど、xiangyuがアーティストとしてデビューしてから、よく遊ぶようになりました。

——遊ぶようになったきっかけは? 

半澤:初ライヴじゃない?

xiangyu:そうそう。私の初めてのライヴに来てくれました。お客さんが2人しかいなかったけど、その1人が慶樹(笑)。

半澤:それで遊ぶようになったし、MVで衣装を提供させてもらうようにもなったんですよね。

xiangyu:「31」という楽曲です。あとライヴでも衣装を借りることが多いです。蓮沼執太フィルにゲストで出演した時だったり、特別なステージで「パーミニット」を着させてもらっています。

xiangyu 「31」

——活躍するフィールドが違っても、お互いのクリエイションを交えているんですね。ではどんな経緯で今回の「RIVERSIDE STORY」のプロジェクトが始まったのでしょうか?

半澤:普段から、あれがおもしろい、これが気になるって、LINEや電話でやりとりしているんですよ。今年の2月くらいに、人や街と、川に落ちているごみの関係性が気になるってxiangyuがポロッと言っていて。

——なぜごみが気になったのですか?

xiangyu:文化(服装学院)を卒業した年に、お花見とごみ問題がセットになっているとニュースになっていたので、ごみを拾って服にしようと思ったんですよね。

——その時から「RIVERSIDE STORY」と同じことをされていたのですね。

xiangyu:作ったら自分で着て、写真に残そうってくらいの、遊びみたいな感覚でしたけどね。上野公園と代々木公園に行ったらお花見をしている層が全然違っていて、それに伴ってごみも違うことに気付いたんです。そんなふうに街が変わると、人もごみも違うというのが印象に残っていました。

それで今年の2月、渋谷を散歩していたら川を見つけました。その川沿いを歩いてみるといろんなごみが落ちていたので、調べてみたら上野公園や代々木公園のごみの違いみたいにおもしろい発見があるかもしれないって、ぼんやり思い浮かんで慶樹に話したんですよね。でもそのタイミングでは、服にして展示会を開催するなんて発想までは考えていなくて、ただ「おもしろいから探ってみない?」くらいの軽い気持ちでした。

半澤:いつもこんな感じの連絡が来るんです(笑)。じゃあ、とりあえず散歩してみるか、と。僕も渋谷川の存在を知らなかったから、興味本位で行ってみることにしました。調べてみたら、渋谷川は途中で名前が変わって、浜松町あたりからお台場の海に流れ出ていたんですよ。

渋谷川

——初めて渋谷川を歩いてみていかがでしたか?

半澤:渋谷駅の近くは思っていたよりきれいで、海が近くなると何年も放置されている大きなごみが目立っていきました。実際に歩いてみると、そういったことを知ることができるのでおもしろかったです。

そして、実は渋谷駅周辺もきれいじゃないことに気付きました。ごみが隠されていたんです。たぶん心理的に、周りにごみが落ちていない場所でポイ捨てする時は隠すんでしょうね。海が近くなると大きいごみが捨ててあるから、大胆にポイ捨てされていて。2回、3回とフィールドワークをやっていくうちにわかってきました。

渋谷や恵比寿は、コンビニのごみが多いいんです。そして海に近づくほど、ごみは大きくなっていく。ダンボールの束やフットマッサージ機、自転車の車輪とかディスプレイなんかも捨てられていました。

xiangyu:そこまで大きいと、捨てようとする強い意志を感じるよね。

——ポイ捨てを超えて、不法投棄ですね。

半澤:渋谷は数週間以内のごみが多いけど、海のほうは数年放置されているものも多かったです。

xiangyu:大きい駅のほうは清掃員がいるから美化されているし、街自体が変わっていくから新陳代謝がよくてパッと見はきれい。でも、ごみは隠されている。人が少ない街に行くと、手入れされていなくて、ごみがよく目に付く。同じ川でも、街の姿でごみが変わっていきました。

川がきれいになるのは、プロジェクトの副産物

——どのタイミングから、拾ったものを服にしようと考えたのでしょうか?

半澤:なんらかの形で、拾ったモノを展示しようとプロジェクトの指針が決まって、僕らは洋服を作れるので、その方向に決めました。でも、どんな材料が集まるかわからなかったし、どんな素材になるか見当もつかなかったんです。とりあえず触って、ごみと仲良くなってみようと思い、最初にでき上がったのが、メインビジュアルのアートワークでした。

「RIVERSIDE STORY 渋谷川編 -川のごみから作る衣装展-」のメインビジュアル

xiangyu:そう。服より先にアートワークができて、自分達のやりたいモノ作りの輪郭が見えてきて方向性が決まった感覚がありました。

——このプロジェクトには、文化服装学院の生徒も参加されています。その経緯は?

xiangyu:ごみを持ち帰ったら素材にするために、洗浄して乾かさなきゃいけないんです。最初は私の事務所でやっていたんですけど、ごみの量が増えてきて広い場所が必要になりました。そこで文化の先生に相談したら、このプロジェクトをおもしろがってくれて、スペースの提供に加え、学生を参加させたいとも提案してくれました。私達が卒業した学科では、外部の人と一緒に作品を制作するコラボレーションという授業があって、このプロジェクトを授業の一環として取り扱ってくれることに。生徒は20人くらい参加してくれました。

——実際、生徒にはどのような形で参加してもらったのですか?

xiangyu:一緒に拾ったごみを洗浄し素材に変えて、落とし込む服のデザインを考えながら制作しました。

半澤:このプロジェクトでは僕とxiangyuがあくまでも中心ですが、トップダウンじゃなくて、みんなで手を動かし、みんなで考えたんですよね。

——参加メンバー全員で作っていったのですね。

xiangyu:一般的な服作りだったら、テーマに基づいたデザインを具現化するために素材を選定して加工していきますが、このプロジェクトではそれができませんでした。拾ったものを生かすので、あるもので制作していったんですよね。こういう素材ができたから、どう使うか考えるというのとは、逆の作り方です。誰かが作った素材を、みんなで発展させていく作り方で、それも楽しかったです。

半澤:最初は3~4体作れるかな、と思っていたけど、アイデアがたくさん湧いてきて、最終的に6体になりました。最初から終着点を決めていなかったので、今回展示した作品は完成形ではないかもしれません。

「RIVERSIDE STORY 渋谷川編 -川のゴミから作る衣装展-」の展示風景

——ごみだったとはわからないくらい作り込まれているのが印象的でした。

半澤:プロセスで意識したのは、“遠回りする”こと。やらなくてもいいことを、あえて手作業することで、モノに対する愛着が湧いて、ごみだったものの見方が変わっていくのが、このプロジェクトの本質でした。

例えば拾ったペットボトルを、そのままつないでいくだけでも洋服っぽくなります。でもそれだと分解すればまたごみに戻ってしまう。なのでひも状にして編んでみたり、分解してつなげていったりすることによって、そこまでにかかった時間も含めて、作った本人にとってペットボトルのごみじゃなくなりますよね。モノの見え方が変わって愛着が湧くことで、見えてくることがあるとやっていく中で気付くことができました。

xiangyu:できる限り自分達の手で細かくして、別の見え方になる素材を作ろうとしました。工場でリサイクル素材にしてもらって服にするのは、このプロジェクトにおいては違う気がしたので。

「RIVERSIDE STORY 渋谷川編 -川のごみから作る衣装展-」の展示風景

——自分で手を加えることで、無価値のモノに価値を見出すということですね。

半澤:川がきれいになって環境が美化されることは、このプロジェクトの副産物だと考えています。それよりも、今まで見向きもされなかったモノに手が加わったことで価値観が変わり、心が動く感覚が大事と言いますか。展示した服は買えるわけでもないし、普段着としては着られるものでもない。でも、人の手から離れた、かつてごみだったモノがまた人の体に帰着している様子に、展示を観た人にも何かを感じてもらうのが、このプロジェクトの一番の収穫と考えていました。

——今回のプロジェクトは、それぞれの活動においても新鮮だったのでは?

半澤:今までとは違う服の作り方で、ファッションとの向き合い方が変わったように感じています。想像通りに完成しないのは、大変だったけどそれもよかったです。より良くするために、洋服を作るだけじゃなくて、見せ方やプレゼンテーションまで一貫して考えるようになり、いろんな角度から語れる洋服を作れたのがおもしろかったです。

xiangyu:私は音楽をメインにアーティスト活動をしていますが、いろんなことに興味があって、それを全部やってみたいタイプ。それによって自分のバランスを取れていると改めて感じました。音楽の休憩でこっちをやって、こっちの休憩で音楽をやってと。常に手を動かしていたので、音楽の発想が広がった部分もあります。あと、文化の生徒達、みんなと一緒に制作できたのも、私1人じゃ思いつかない素材やスタイリングが生まれて、新しい発見がありましたね。

——今後も続けていくそうですね。

半澤:今回制作したのは着られないアイテムでしたが、実際に着用できるアイテムを作るなど、今後レベルアップしていきたいと考えています。理想としては、日本にはいろんな素材の産地があるように、あの川ではこういう素材、この川ではこんな素材、みたいにその土地で暮らす人の生活に準じた地域性を見出せたらおもしろいですね。

xiangyu:他の地域でやることで渋谷川と比較ができて、意外な発見があると思います。そして、文化の生徒が参加してくれたように、いろんな場所に仲間をもっと増やしていきたいです。

Photography Masahi Ura

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海外ブランドが手掛ける日本を題材にしたアイテム――連載「Tokyo Wish List」 https://tokion.jp/2022/10/13/tokyo-wish-list-79/ Thu, 13 Oct 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=146887 今の気分にフィットするアイテムをTOKION視点でピックアップする「Tokyo Wish List」。今回は、海外ブランドから発売されている日本がテーマのアイテムにスポットを当てた。

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海外ブランドのデザイナーの中には、日本のファッションやカルチャー、伝統を愛する人も多く、日本をモチーフにしたファッションアイテムも多数リリースされている。そこで、手に入れたいアイテムをTOKION視点でピックアップする連載「Tokyo Wish List」では、日本のカルチャー、伝統ファッション、職人技を取り入れて作られた海外ブランドのアイテムを紹介。
こだわり抜かれて作られたアイテムからは、世界で活躍するデザイナー達の日本愛を感じることができる。

OAMC × provoke

50年以上前に日本で出版された伝説的写真同人誌とコラボレーション

ジルサンダー」のクリエイティブディレクターも務めているルーク・メイヤーが2014年に設立したブランド、「OAMC(オーエーエムシー)」。パリでデザイン、ミラノで生産を行い、ワーク、ミリタリー、ストリートなどさまざまなスタイルを踏襲したシンプルで上質なアイテムを展開する。

本アイテムは、日本でかつて出版されていた写真同人誌『provoke』とコラボレートしたコレクションの1品。『provoke』は、中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦らによって1968年に創刊され、2号目からは森山大道も参加。“思想のための挑発的資料”を副題に掲げ、3号のみの出版だったものの、写真誌の枠を超えたインパクトを世の中に残し、現在も国内外で高い評価を受けている。

紹介するのはスウェーデン軍のヴィンテージコットンスノーパーカをミネラルグレーでオーバーダイしたパーカ。『provoke』のフォトを配し、裾には岡田隆彦の詩が落とし込まれている。

OAMC オフィシャルサイト https://jp.oamc.com

BLESS

花柄ジャケットのソースは、日本の伝統作業着「もんぺ」

「ブレス(BLESS)」は、デジレー・ハイスとイネス・カーグの2人がデザインを手掛けるベルリンとパリを拠点とするブランド。“ユニセックス・エイジレス・タイムレス・ボーダーレス”をキーワードに幅広い年代のさまざまな方に長く愛されるアイテムを提供している。

その「ブレス」が日本の古き良き作業着である「もんぺ」から着想を得たアイテムをリリース。もんぺでよく見られる花柄のキルティング生地は、自分達でデザインを起こすのではなく、日本のもんぺ・農作業着メーカーのもんぺアイテムを彼らなりに再構築している。もんぺならではのレトロな雰囲気があるアイテムに仕上がるとともに、日本の伝統着に対するデザイナーの敬意も感じられる。やや長めのストンとしたシルエットや襟と袖のリブなどでファッション性も向上。
ジャケットの他、パンツもリリース。ヨーロッパの感性と日本の伝統が合わさった1着を華やかに着こなしたい。

ディプトリクス 03-5464-8736

AHLEM

日本への造詣が深いデザイナーが日本の職人に制作を依頼

「アーレム(AHLEM)」は、フランス出身でロサンゼルスを拠点に活動するデザイナーのアーレム・マナイ・プラットによるアイウェアブランド。2013年の設立以来、フランスの職人が手掛けるハンドメイドのアイテムをリリースしてきたが、2022年より日本の職人が手掛ける「チタンコレクション」を発表。

アーレムはかねて日本の文化に対する造詣が深く、ブランドロゴは1964年の東京オリンピックのロゴデザインにインスパイアされて作成しているほど。日本の職人にいずれアイウェアを作ってもらうことをブランド設立当初より願っており、約10年の月日を経てついに結実する形となった。

フランス以外の職人が初めて手掛けることになった本作は、デザイナーに大きな影響を与えてきた安藤忠雄の作品をオマージュして、ブランドの信念である“デザインと機能性を併せ持つ美しさ”を表現。シンプルで繊細なフォルムで、テンプルやノーズパッドの内側にはグラフィックが落とし込まれている。

グローブスペックス エージェント 03-5459-8326

Photography Erina Takahashi
Styling Takuta Raita
Text Kango Shimoda

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DJ KRUSHソロ活動30周年 たどってきた道と記憶―ヒップホップに魅せられた10代~1990年代半ば―前編 https://tokion.jp/2022/06/19/interview-dj-krush-vol1/ Sun, 19 Jun 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=123963 2022年、ソロ活動30周年を迎えたDJ KRUSH。東京・日本から世界へ羽ばたいたDJ/サウンドクリエイターがたどってきた道のり。前編は、DJを始めた頃のエピソード。

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DJ KRUSHがソロ活動30周年を2022年に迎えた。ジャパニーズヒップホップの夜明けから東京アンダーグラウンドで活躍し、そこから世界へ。DJ界の日本代表で、世界から見たらDJ界の東洋の魔術師。今やコアなDJ KRUSHヘッズは世界中に存在する。

これまでリリースしてきたアルバムは10数枚。楽曲制作に関してはオリジナル、リミックス含め、ヒップホップ、ジャズ、ロック、そして日本伝統音楽と、さまざまなジャンルのアーティストと共演し、DJに関しても唯一無二の独自の世界観を築き上げ、世界を舞台に活動をしてきた。そのDJ KRUSHに、この30年の話を……と言いたいところだが、この30年間の濃過ぎるDJ/サウンドクリエイター人生を数時間で聞くなんてとうてい無理な話かもしれない。それでも今、記録しておきたい。

そんな強い思いを胸に、新作アルバムを軸にして、今回は前・中・後編の3回でDJ KRUSHを紹介したい。前編では、DJを始めたきっかけから、1990年代前半にロンドンからアルバムを出した時の話まで。

映画『ワイルド・スタイル』に魅せられて、玉虫色のスーツから「アディダス」へ

――今年でソロ活動30周年を迎えられましたが、これまでどのような30年だったと思いますか。1stからアルバムを聴き返してみて、改めてアルバムごとに当時のKRUSHさんの状況が反映されているなと感じました。

DJ KRUSH:ソロ活動を始めた頃は、DJ人生の先のことまで考えて作っていないわけだよね。始めた頃からそうだけど、その場で起きていること、そこで感じたことを吐き出してきたんだと思う。だから毎回、音が変わっているだろうし、でもそれをやってきたことで感情と感性が磨かれてきたのかなって感じがしますね。

――改めて過去の話からお聞きできればと思いますが、子どもの頃はどんな音楽を聴いていましたか? そして、音楽にのめり込んだきっかけはなんだったのでしょうか?

DJ KRUSH:初めて音楽に触れたのは昭和だから、それこそテレビで『ウルトラマン』や『仮面ライダー』『およげ!たいやきくん』とか、あのあたりだと思う。それからちゃんと音楽に興味を持ったのは小学5年生くらいから。小学生の頃に鼓笛隊の小太鼓を担当していて、中学生になってからはレッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバス、ピンク・フロイドといったハードロックを中心に聴いていた。だけど中学2年くらいになるとやんちゃ坊主になり始めて、音楽よりも、ちょっと風を切って吹っ飛ばしたほうがおもしろいって感じになっていったんだよね。

その頃、俺は小さなアパートに住んでいて、親が1階の6畳一間に、俺達兄弟は2階の四畳半一間に住んでいたの。その俺達の部屋の隣に暴走族の人が住んでいて、ソウルミュージックのドーナツ盤をよく聴いててさ。そのレコードを貸してくれて、家で聴いているうちにソウルが好きになったんだと思う。その後、頭にパンチパーマをかけてるような世界に行っちゃったんだけど、ヤンチャしてた時は、他には日本のものは永ちゃん(=矢沢永吉)とか、松任谷由美ではなく荒井由美時代の頃のものとかも聴いてたよね。

――ではヒップホップとの出会いは、もう少しあとになりますよね。

DJ KRUSH:そう、もう少しあとだね。その時は暴走族というか“漢(おとこ)を極めよう”みたいな感じだったし、演歌も聴いていたから、カラオケに行けば演歌を歌っていた。

――それは、北島三郎的な。

DJ KRUSH:もちろん、サブちゃんも好きだったよ。でも難しくて歌えないから、吉幾三のようなマイナーな感じが好きだったな。だけどその時期は、音楽に関しては一番グレーゾーン、二の次だった。

高校には受かったんだけど、入学式で初めて担任の先生に会うわけじゃないですか。そうしたらいきなり先生に「ちょっと来い!」って言われて、分厚い名簿でいきなり頭を引っ叩かれて。俺が中学生の頃に悪さしていたのを見てたらしくて。それで俺は3ヵ月くらいで高校をやめてしまったんだ。だけど、仕事しないと金はないし、体を使うしかないからしばらく職人をやって、でもそれもあまり続かず……。というのも、それは“漢”を極めていないから(笑)。そんなふうにフラフラしているうちに、何年かたって映画『ワイルド・スタイル』に出会って、っていう話につながっていくんだけど。

――ヤンチャな10代だったんですね。

DJ KRUSH:その時はそれくらいしかとりえがないなと思って、やんちゃな道へ行ったけど、今考えると肝っ玉も座っていなかったし、根性もなかった。だけど『ワイルド・スタイル』を観て、昔好きだったソウルを思い出したんだよね。映画では「銃を持って戦う代わりに、マイクで戦え!」みたいなことを言っていて、出てくる人達の髪型もパンチパーマの自分に近かった。それで玉虫色であつらえたスーツを脱いで、「アディダス」に着替えたみたいな。同級生には「かっこ悪い!」って言われたけどね(笑)。

――『ワイルド・スタイル』を観て、衝撃を受けたことはどんなことでした? 

DJ KRUSH:最初はブレイクダンスに興味を持ったんだけど、体力ないから諦めて、それよりもグランドマスター・フラッシュがレコード2枚を、ターンテーブル2台使ってきれいにつないでいるのを観て、それがすごく衝撃的だった。映画の中でかかっていた音楽も当時リアルタイムで自分が聴いていた曲だったから、「こういうふうにレコードをつなぐんだ!」って衝撃で、それでDJをやりたいなと思ったんだよね。

「DJ1人でやっていける」と決意させた、エリックB&ラキムの「Paid In Full」

KRUSH POSSE名義で参加している1994年にリリースされたコンピレーション作『THE BEST OF JAPANESE HIP HOP Vol.1』

――DJを目指すようになってから買ったレコードは覚えていますか?

DJ KRUSH:シェリル・リンの「Got Be Real」とかが入っている『Ultimate Breaks & Beats』を、原宿の「デプト」が売り始めて、そこで買ったレコードで2枚使いをしたのが初期の頃かな。あとはシックの「Good Times」とか、ビーサイド / ファブ・5・フレディの「Change The Beat」とか、俗にいう2枚使いできるベタなものじゃないかな。あの頃は、2枚使いとこすりがおもしろかったから。

――私は1980年代末期から1990年代初期に、六本木にあったクラブ「ドルッピー・ドゥロワーズ」によく遊びに行ってたんですけど、暗い地下のDJブースの中からゴリゴリこする音が聴こえてくると、KRUSHさんとDJ HONDAさんがプレイしている日だったというイメージがあります。当時は、KRUSH POSSE(クラッシュ・ポッセ)を並行してやられていた感じですか? ライヴも多くされていたかと思います。

DJ KRUSH:HONDAくんと一緒によくこすってたね(笑)。あの頃は、MUROとDJ GOと一緒にKRUSH POSSEをやっていて、MUROがどう気持ち良くできるかってことをライヴでは軸に考えていたかな。MUROに合うトラックはどんな感じのものがいいかや、スクラッチうんぬんよりもリズムを外さないでビートをどうキープできるかってことを優先していたし、チームでやっていた頃はMCを中心に考えていたから、そのあとに解散してMCがいなくなってしまった時は、この先どうしていいのかわからなくなってしまった時期もあった。

――ヒップホップをやるには、MCが必要だと感じていらっしゃったんですね。

DJ KRUSH:当時45キングとか、ケニー・ドープとか、DJが作るトラックでヒップホップのルールでのループに近いものは出ていたけど、DJ1人で何かやるってことは俺自身はその頃考えていなかった。だけどそこから「やっぱりDJはおもしろい」と感じたのが、エリックB&ラキムの「Paid In Full」かな。オフラ・ハザをネタに使っていて、そんなの他にはなかったし奇抜だと思ったんだよね。そこからはネタモノやドラムだけのものを集めだしたりして、「Paid In Full」を自分なりにどう実現させたらいいかをやりだしたんだよね。だからあの曲で、DJ1人でもやっていけるんじゃないかって思ったんじゃないかな。

エリックB&ラキム 「Paid In Full」

――そこからソロ活動に入られて、1994年には1stアルバム『Krush』、1995年に2nd『Strictly Turntablized』、3rd『Meiso』と立て続けにリリースされました。2ndと3rdはロンドンのレコードレーベル、Mo’ Waxからリリースされましたが、レーベルオーナーのジェームス・ラヴェルとはどのようにして知り合ったのですか? 

DJ KRUSH:KRUSH POSSEが解散して1人になった頃、イギリスのアシッドジャズブームがあって、レーベルのTalkin’ LoudやMo’ Waxがアシッドジャズを出していたんだけど、ちょうどその頃に『Straight, No Chaser』ってイギリスのジャズの雑誌をやっていたポール・ブラッドショーが、俺のデモトラックが目一杯入った90分テープを手に入れたんだ。それが向こうのチャートに入って、それを聴いていたMo’ Waxのジェームス・ラヴェルと、Talkin’ Loudのジャイルス・ピーターソンが「これは誰だ!」ってなったみたいで。あの頃のジェームスは若くて元気もあったし、おもしろいことしているなと思って、Mo’ Waxのほうへ進んだんだよね。

――Mo’ Waxから2ndがリリースされた時、私はニューヨークに住んでいたんですけど、UK盤を豊富に取り扱う「8 Ball Records」というレコードショップがあって、そこで「日本のアーティストだよ」と、店員がレコードを勧めてくれたことがありました。

KRUSH:そういった逆パターンが結構あるみたいで(笑)。志人も同じで、彼がアジアを旅していた時に「Kemuri」(2nd収録曲)がかかっていたらしいんですよ。それで志人が「これは誰だ!」って聞いたら、「DJ KRUSHって、日本人を知らないのか!」と言われて知ったらしいんだ。そんなふうに海外で俺の存在を知ったっていう日本人がいるんだよね。

その時に頭の中にある世界を出すことしか、考えていない

――その後メジャーレーベルに移られましたが、その頃から世界を意識されていましたか?

DJ KRUSH:俺の場合は一貫して、その時に自分が感じていることをどれだけ出せるかだけを意識している。だから、この頭の中で描いている世界をいかに音にして届けるかってことしか考えていなかった。

世界で売れるとか売れないとか、本当は考えないとプロとしていけないことなのかもしれないけど。だから売る側のソニーや自分の事務所は、俺の音をどう形づけて売っていこうかってかなり苦労したと思う。だって決してメジャーな音じゃないもん。5th『覚醒』なんか特にそうだし、ソニーが頭を抱えたって言ってたからね。だけど俺なりに毎回考えているんだよ。俺の作品に参加してくれたDJ シャドウは、当時は知られていなかったかもしれないけど、C.L.スムースは音はゴリゴリだけど知られていたし、ショーン・J・ピリオドもレーベルであるRAWKUSの看板でやっていたわけだし。でも当時はコアだって言われてた。

――他にも共演された海外のラッパーで、思い出深い方はいますか?

DJ KRUSH:それぞれ思い出はたくさんあるよね。全然スタジオに来なくて、7時間くらい遅刻するやつとか。「ギャラ払わねえぞ!」って言ったら「日本人がそんなこと言うのか!」ってびっくりされたり(笑)。音楽的に自分がやりたいと思う人とやってきたし、あとは現地のスタジオで録った時は、現地のエンジニアにおもしろいアーティストがいないかとか聞いたりしてね。

――トラックは事前に送っていらっしゃっていたんですか?

DJ KRUSH:送ってはいるんだけど、あの人達は聴かないね(笑)。曲を書いて持ってくる人はほとんどいなかった。THE ROOTS(ザ・ルーツ)もそうだったし、C.L.スムースもそうだったし、たいてい現場で作るというか。スタジオに来てもらって、あいさつをして、「まずは聴いてくれ!」って音をフルテンで出して。そこから彼らは一気に書き出すんだけど、「お前、本当に日本人か!」、「ブルックリンに住んでんじゃないのか!?」とか言われて「住んでない! ……俺、練馬」みたいな(笑)。

DJ KRUSH
1962年、東京生まれ。DJ/サウンドクリエイター。1980年代後半よりDJをスタート。1987年にKRUSH POSSEを結成。1992年に解散後、ソロに転向。1994年1stアルバム『KRUSH』をリリース。1998年には、DJ HIDE、DJ SAKを率い、流-RYU-を結成し、21世紀に向けて発足したJAG PROJECTに参加。6thアルバム『漸-ZEN-』は、インディーズの「グラミー賞」ともいわれるアメリカのAFIMアワードにおいてベスト エレクトロニカ アルバム 2001最優秀賞を受賞。プロデューサー、リミキサー、DJとして日本を拠点に国際的な活動を展開しながら、映画、ドラマ、CM音楽制作などの分野でも幅広く活躍する。DJプレイにおいては大型フェスからクラブツアーまで、世界各国にてこれまで200以上もの公演に出演。
http://www.sus81.jp/djkrush
Instagram:@djkrushofficial 

DJ KRUSH『道 -STORY- 』
(Es・U・Es Corporation)
DJ KRUSHのソロ活動30周年となる2022年、「STORY/道」をコンセプトに国内外のアーティストを招いて音を紡ぐ作品をリリース。そのシリーズ第1弾となる12インチには、ralphJUMADIBA、志人がラップで共演

Photography Shiori Ikeno

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Spotifyがポッドキャスト番組『聴漫才』をスタート 見取り図やダイアンなど漫才師22組が約30分の長尺漫才に一発録りかつ音声のみで挑戦 https://tokion.jp/2022/06/01/spotify-chomanzai/ Wed, 01 Jun 2022 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=121038 6月1日21時の初回配信では笑い飯が登場。今後もNON STYLE、ダイアン、見取り図、ミキ、霜降り明星など平時の21時に毎日アップ。

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Spotifyは、吉本興業所属の漫才師22組が出演し、約30分の長尺漫才に一発録りかつ音声のみで挑戦するオリジナル・ポッドキャスト番組「聴漫才」を、6月1日から独占配信する。

6月1日21時公開の第1回エピソードには、笑い飯が登場。第2回以降は平日の21時に順次配信される。今後はNON STYLEやダイアン、見取り図、ミキ、霜降り明星などが登場する。

■「聴漫才」出演者:全22組(50音順)
アインシュタイン、アキナ、囲碁将棋、金属バット、コマンダンテ、霜降り明星、ジャルジャル、すゑひろがりず、ダイアン、滝音、チュートリアル、Dr.ハインリッヒ、トレンディエンジェル、とろサーモン、ニッポンの社長、NON STYLE、ミキ、見取り図、ミルクボーイ、ゆにばーす、ロングコートダディ、笑い飯

また本企画「聴漫才」以外にもSpotifyと吉本興業は、「ピース又吉の芸人と出囃子」など年内に3作品のポッドキャスト番組の制作も予定している。

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Monkey Timersの初アルバムから見える東京のリアルサウンドとファッションシーンの輪郭 https://tokion.jp/2022/05/19/interview-monkey-timers/ Thu, 19 May 2022 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=117703 東京のクラブシーンとストリートファッションの中心で活動してきたMonkey Timersが、そのリアルな空気を凝縮させた、結成13年目の初フルアルバムから見る東京の現在地。

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Rub N Tug(ラブンタグ)DJ Harvey(DJハーヴィー)Idjut Boys(イジャット・ボーイズ)などによる2000年代のニューハウス~ディスコ・ダブを源流とするアンダーグラウンドカルチャーを背景に、東京のダンスミュージックシーンで活動してきたDJ/プロダクションユニットのMonkey Timers(モンキータイマーズ)。

メンバーのTakekawa「バル」のスタッフでHisashi「ラミダス」のスタッフと、互いに東京のファッションシーンに欠かせないブランドのメンバーとしても活動し、パーティ&レーベル&次世代のキーパーソン達が在籍するコレクティヴでもある「DISKO KLUBB」の中心的存在としてシーンを歩んできた。

そのMonkey Timersが、結成13年目にして、初のフルアルバム『KLUBB LONELY』をリリースした。2000年代〜2020年代にかけて、東京のクラブサウンドとストリートファッションの両シーンに立ち続けてきた彼ら。

コロナ禍を進みながら完成させた本作からは、自らの経験とともに昇華させたMonkey Timersらしい日本的な音楽表現と、東京の今と少し先の未来の姿が見えてくる。2人のインタビューから、Monkey Timersを取り巻くリアルな東京のムードを感じてほしい。

一歩抜け出すには、やっぱりオリジナルで曲をリリースしていく必要がある

——結成から13年目にして初のフルアルバムを完成させたわけですが、なぜこのタイミングでのリリースになったのでしょう?

Takekawa:本来であれば、10周年のタイミングで出す予定で準備も進めていたんです。でも、ちょうどコロナ禍になってしまって……。当初はクラブ仕様の楽曲を中心にアルバムを構成するつもりでしたが、世の中的にもクラブの需要がなくなってしまったので、内容を変更することにしたり。楽曲そのものは1年半前くらいにできていたんですが、ミックスなどいろいろな作業を経て今になったという感じですね。

Hisashi:その一方で、世界中でヴァイナルの需要も高まっていて、工場によっては盤をプレスするのに1〜2年待ちの状況でした。そういうことも重なり調整に時間がかかった部分もありましたが、むしろこのタイミングで良かったかもしれません。ようやくイベントや野外フェスも再開してきたので、現場で聴いてもらえる機会も増えていくのかなと。今だからこそリリースパーティ(5月20日 渋谷WOMBで)も開催できますしね。

——アーティストにとって1stアルバムというのは、キャリアの中でも特別な位置付けになると思います。過去にもオリジナル楽曲を発表していますが、やはりアルバム形態での作品も望んでいたのですか?

Takekawa:そうですね。ただ、通常のミュージシャンであればどんどん楽曲を制作していくことができますが、僕らは2人とも普段アパレルの仕事をしているので、どうしても時間がかかってしまうんです。

Hisashi:当初は、純粋にクラブDJとして活動していけたらいいかな、という感じだったんですけどね。

——確かに、考え方によってはDJだけ続けていくスタンスや選択肢もあったわけですよね。でも、オリジナルの楽曲やアルバムを作ろうと思った理由が何かあったわけですか?

Takekawa:もちろんクラブDJとして活動していくことも1つの道ではあると思うんですが、音楽業でもしっかり仕事として成り立たせたかったので、その先を考える必要があって。

世代的なことでも、上にDJ NORIさん、瀧見憲司さん、Force Of Nature(フォース・オブ・ネイチャー)さん、Chidaさんなど確固たる人達がいる一方で、僕ら以降の世代は突出した存在がいないだんご状態だった。そこから一歩抜け出すには、やっぱりオリジナルで曲をリリースしていく必要があるかなと。

Hisashi:それに加えて、活動を始めた頃は「アパレル関係の人がDJもやっているんでしょ?」という見られ方をしていた部分もあって。でも、ちゃんと音楽をやっていると認められたかったので、そのためにはやっぱり音源を出さなければいけないなと。

実際にMIX CDや楽曲をリリースしたことで、そういう声がなくなりました。音楽とアパレルの2つの軸でやっていることを、オリジナル楽曲を出すことで認められたというか。

Takekawa:当時の若手は、MIX CDですら出しづらかったよね。

Hisashi:出せたとしても、アパレルの人がやってるMIXでしょ? っていう先入観があるので、まず聴いてもらえない。

2010年頃の東京のクラブシーンは、2000年代のニューハウス〜ディスコ・ダブは全然人気がなかった

——2人がDJを始めたきっかけや音楽的なルーツは、過去に別のメディアで紹介されているのでそちらでチェックしてもらえたらと思うのですが、結成当初の13年前の活動内容や現場はどんな状況でしたか?

Hisashi:並木橋の「bar shifty」で、平日に「Monkey Classics」というパーティを始めて、ほぼ同世代の友達で集まっていたという感じでしたね。その後は、周年パーティなどで先輩をゲストで呼んだりして。

Takekawa:Chidaさんや Force Of Natureの後押しがあったので、お客さんは2人の仲間の方だったりして、友達以外は自分達と同世代の人はほぼいなかった。当時の東京のクラブシーンは、僕らが好きだったRub N Tug、DJ Harvey、Idjut Boysなど2000年代のニューハウス〜ディスコ・ダブって全然人気がなくて……。

——その頃はDaft Punk(ダフト・パンク)以降の時代で、Kitsuné(キツネ)、Ed Banger Records(エド・バンガー・レコーズ)、DEXPISTOLS(デックスピストルズ)などが盛り上げていましたからね。

Takekawa:世の中的には完全にエレクトロの時代だったので、僕らはその真裏に入っちゃった感じ(笑)。

Hisashi:そういう状況でも自分達としては楽しくてすごくピュアでしたけどね。

——「Monkey Classics」は、後に「DISKO KLUBB」と改名され、同名のレーベル&コレクティヴにもなりました。そもそも、どういう経緯で始まったんですか?

Hisashi:結成して間もない頃に最初に制作したMIX CDの時に自主制作でしたのでそこでレーベル名を「DISKO KLUBB」にしました。それで1st EP『MONK』のリリースに合わせてMVを作ったんですが、主演の村上淳さんの他に、僕らの友達にたくさん出演してもらったんです。その後、原宿の「Ucess The Lounge(以下、UC)」でブッキングを担当していた黒崎さんから「あのMVに出演していたメンバーでパーティできないかな?」とお誘いいただきまして。

——UC時代の頃には、すでにたくさんのお客さんが入っていたような印象がありますが。

Hisashi:僕らにも少しだけ転機があって、それが西麻布の「Space Lab YELLOW」の後、「eleven」ができた頃ですね。ちょうど「Inspector Norse」をヒットさせたTodd Terje(トッド・テリエ)の日本ツアーが開催されて、僕らも前座で出演させてもらったんです。そこで多少ですが認知してもらえたところもありましたし、その日は僕らのお客さんだけでも250人くらい来てくれたと思います。

おかげでUCでパーティするようになってから、瀧見憲司さん、川辺ヒロシさん、KAORU INOUEさん、Force Of Natureさん、TRAKS BOYS(トラックス・ボーイズ)さんなど、先輩のアーティストはほぼ呼ぶことができましたね。

——他ジャンルですが、PUNPEEさんをゲストに迎えた回もありましたよね。その意外なつながりもおもしろいというか。

Hisashi:Monkey Timersとして茨城の映画祭のアフターパーティに呼ばれた時に共演したのが最初だったと思います。

Takekawa:僕はPUNPEEと一緒にツアーに行く機会があって、それまでDJとして違うジャンルの人と交わることがなかったんですが、彼の選曲やプレイを観て初めて落ち込んじゃって。同世代のDJでホンモノを観ちゃった……という感じで。当時の自分としても、DJなら同世代に負けないと思っていたのでショックだったんですよ。まだPUNPEEも全然売れていない頃でしたが、案の定、その後めちゃくちゃ売れましたね(笑)。

Hisashi:びっくりするくらいね(笑)。

Takekawa:その時の衝撃があったので、「DISKO KLUBB」にゲスト出演のオファーをしたんです。で、そのパーティでヒップホップのハウスネタで組んだその日仕様のセットを用意してきて、そこで「ヤバい!!」って、また落ち込みましたけど(笑)。

音楽とファッションが自然にリンクしていた環境にずっといれた

——その後、開催場所を青山の「VENT」に移し、今回のアルバムにも参加しているMr.Ties(Mr.タイズ)や、同じくアルバムのミックス/マスタリングを手掛けたJustin Van Der Volgen(ジャスティン・ヴァン・ダー・ヴォルゲン)もゲストに迎えました。その他、Gerd Janson (ガードジョンソン)Prins Thomas(プリンス・トーマス)John Talabot(ジョン・タラボット)Jamie Tiller(ジェイミー・ティラー)SAN PROPER(サン・プロペル)DJ TENNIS(DJテニス)TIM SWEENEY(ティム・スイーニー)Young Marco(ヤング・マルコ)Maurice Fulton(モーリス・フルトン)Tornado Wallace(トルネード・ウォーレス)など、各国のアーティストと共演してきましたよね。

Hisashi:そうですね。「VENT」になってからは、海外のアーティストを呼んでもいいということになったので、そこから徐々に規模や知名度も大きくなっていった感じです。

——ちなみに、「DISKO KLUBB」のメンバーになるための条件はあるんですか?

Hisashi:いやいや、特に条件はなくて友達や知り合いが合流してきたという感じです。JITSUMITSU(ジツミツ)はTakeの地元の後輩ですし、GYAO(ギャオ)は北九州に行った時に一緒にプレイして、その後に彼が東京に来ることになったので一緒にやろうって。

Takekawa:条件はないですが、「VENT」に移ってからはなんとなく役割は決めました。JITSUMITSUはグラフィックができるのでフライヤーやTシャツのデザイン、GYAOは今はアメリカにいますが、海外アーティストのブッキング、YAMARCHY(ヤマーキー)「ドミサイル東京」のプレスでもあるのでメディア対応してもらったり、それぞれできることをやりながらチームで動いている感じです。

——「ラミダス」のHisashi、「バル」のTakekawa、「エトス」のOMI、ブランドPRのYAMARCHY、「VCW」のKAZUHIKOといったように、各メンバーの職種をみると、ほとんどがファッション関係者であるのも特徴かなと。

Takekawa:僕が本格的にダンスミュージックに興味を持ち始めたのは、2005年に「ステューシー」が主催したRub N Tug、Michael K(マイケル・K)Paul T.(ポールT)などが出演した「MAJOR BLADE TUOR」だったり、職場の先輩である「バル」のEDAKABAが店内のBGMでかけていたRub N Tugの『Campfire』や、DJ Harveyの『Sarcastic Study Masters Vol.2』(「サキャスティック」が2001年に配布したノベルティMIX CD)でしたから。

周囲のイケてるおしゃれな先輩達が聴いていた音楽や遊びに行っていたパーティが、ファッション業界と密接につながっていたので、音楽とファッションが自然にリンクしていた環境にずっといたことになりますね。

Hisashi:僕も最初は兄の影響でJurassic 5(ジュラシック5)The Roots(ザ・ルーツ)といったヒップホップを聴いていましたが、今の会社の前身となる「ヘッド・ポーター」に入社して、お店のバックヤードにあったワイルド・バンチのDJ Milo(DJマイロ)=DJ Nature(DJネイチャー)などを聴いたり、藤原ヒロシさんの音楽を知ったり、「フラグメントデザイン」のKOJIROさんに夜遊びを教えてもらったりしてDJ活動につながっていきました。

イベントでいえば、「ステューシー」が2006年に開催したトーマスやエリックD、Paul T.らが出演した「LIFE PARTNERS STUSSY TOUR」も印象に残っていますね。

今のほうが昔よりもディスコの楽曲が盛り上がる

——まさに、ニューハウス〜ディスコ・ダブとファッションシーンのリンクを体現していたことになりますね。ちなみに、そこからさらにさかのぼって、Larry Levan(ラリー・レヴァン)などNYハウスのクラシックは通過しましたか?

Hisashi:めちゃくちゃハマりました。一時期、Monkey TimersとしてNYハウスを掘っていた時期もあったくらい。

Takekawa:どんどん掘っていって、David Mancuso(デヴィッド・マンキューソ)やLarry Levanとかにたどり着きました。ただ、ハッピーなディスコだけになってしまうと、僕ら的には少し物足りないんですよ。
僕らが一番影響を受けたのは、やっぱりRub N Tugなんですよね。もちろんForce Of Natureや初期のDJ Harveyも好きですが、彼らに共通していたのはとにかく男臭さやワルさがあること。そこにカッコ良さを感じていましたから。

Hisashi:「ステューシー」の「MAJOR BLADE TUOR」の時に、ブースでRub N Tugがけんかしながらプレイしている姿を観て「なんだこりゃ」と思ったりね。

Takekawa:そう考えると、やっぱり当時のRub N Tugかな。特に、トーマスのワルさにもっとも影響を受けているかもね。

Hisashi:そういうワルさがありながら、流れの中でしっかりハウスもかける。一晩のトータルミックスの中で、フッと差し込まれるみたいな。

Takekawa:そうそう。20曲の中に1曲かかるハウスに「あれ? 何これ、カッコいいかも?」みたいな。

Hisashi:そういう抜き差しにヤラれるという。2人でDJやっている時もそんな感じです。ずっとテクノをかけていて、そろそろ1曲ハウスやディスコを入れてみようか、とかブース内で話していますね。
しかも、今回のアルバムでDusty Springfield(ダスティ・スプリングフィールド)の「That’s the kind of love i’ve got for you」をカヴァーしているんですが、この曲もUSディスコではなくてUKディスコなんですよ。もちろんNYハウスも好きなんですが、根本的にはUK的なサウンドが好きなんだろうなという、自己発見も改めてありました。

Takekawa:ちなみに、今のほうが昔よりもディスコの楽曲が盛り上がるんですよ。昔は反応がなかったのに、今の若い子はそれを求めていたりして。

東京のクラブシーンを盛り上げる20代

——ということは、Monkey Timersの2人が上の世代から影響を受けたものを、今まさに20〜30代の世代が引き継ぎつつあるといった状況が、東京のシーンで起こっている感じなのでしょうか?

Takekawa:つい最近、瀧見憲司さんと話していたんですが、音楽が20年周期になっていて、ちょうど今の若い子が2000年頃のニューハウス〜ディスコ・ダブを聴いたり掘ったり、DJの子達がかけたりしていると。

Hisashi:実際、クラブでも盛り上がっていますからね。その若い世代のシーンに関しては、完全に渋谷の「翠月」がけん引していますけど。

Takekawa:今すごく勢いがあるCYKが28歳くらいで、Vinyl Youth(ヴァイナル・ユース)が21歳くらいですが、彼らがまさに東京のシーンを盛り上げています。自分達はもう若手ではないので、またタイミングを逃していますけど(笑)。

——いやいや(笑)。上の世代と下の世代をつないだのは、Monkey Timersかなとは思っているんですが。

Takekawa:この前ちょうど20代の子と話す機会があったんですが、彼らは「Boiler Room」がはやった時代の恩恵を受けている世代なんですよ。中学生の頃に、「Boiler Room」ばっかり聴いていたらしいですから。その中で、僕らが出演したタイミングも重なっているので、多少の影響はあったかもしれませんが。

——改めて、Monkey Timersの周辺だったり、今現在のニューハウス〜ディスコ・ダブ関連の東京シーンやコミュニティはどんな感じでしょうか?

Takekawa:僕らの同世代は少ないですね。

Hisashi:もともとは「DISKO KLUBB」をVENTで何回か開催してきた中で、新しい固定のメンバーを探してたところ、渋谷の「Bridge」でレギュラーをやっていた「エトス」のOMIくんから「おもしろいやつがいるから来てよ!」と言われて、そこで僕らより少しだけ年下のYAMARCHYを紹介してもらったんですよね。

彼は「カンナビス」と「ドミサイル東京」に携わるファッション業界の人間でもあり、「翠月」のブッキングを担当している音楽シーンの人間でもあるので、彼がハブとなっていろいろな人とつながっている気がします。もちろん僕らもそのコミュニティにいて、「翠月」で数少ないレギュラーアーティストとして「DISKO KLUBB」のスピンオフ的なイベント「DISKO (NOT DISKO)」をやらせてもらってはいるんですが。

Takekawa:東京のシーンでいえば、CYKは彼らの同世代でシーンを盛り上げようとしていますね。しかも、ハウスミュージックだけじゃなく、ラッパーもつながっているので、本当に音楽シーンができているような状況だと思います。僕らの世代はみんながけん制しあっていたので、ジャンルが違ったら一緒にやらないし、全部がバラバラでしたから(笑)。

——上の世代は、音楽もファッションも他ジャンルや横のつながりをあまり持たなかったというか。どちらかというと競争相手。今はみなさん大人になってそういうことは薄れたけれど、若い頃はありましたよね。

Takekawa:いつの間にか、そういった牽制がなくなりましたよね。

Hisashi:今の世代はそういう意味でもフラットですし、仲が良いですよね。

——コロナ禍もあって、ここ数年はクラブシーンの状況が見えづらい状況でしたが、今の話を聞くとそろそろ新しい動きが見えてきそうですね。

Takekawa:コロナ禍になって、大人がクラブへ行かなくなりましたよね。そういう意味ではシーンが一度淘汰されて、若い世代が中心になったと思います。それを象徴していることの1つが、やっぱり渋谷の「翠月」で、本当に同世代から上が少ないんですよ。ちょうどコロナの時期に準備していた若い世代が、いよいよ中心になりつつあるというか。

Hisashi:最近、海外の友人達から連絡があって、コロナが明けたら日本に来る予定なのですが、真っ先に「翠月」に行きたいって言っていました。東京の今のホットスポットという認識なんでしょうね。

Takekawa:若い子が多いですし、みんなオシャレしているし、かといって老舗のブランドを着てるイメージがなく、マニアックな曲がかかっている。それでも、フロアが盛り上がっていますから、少し前の状況ではなくなっています。

Hisashi:そういう意味で、今現在のファッションと音楽がしっかりリンクしている唯一の場所かもしれないですね。

アルバムは日本人らしさを想定した

——そういった状況の中で、これまで着々と歩んできたMonkey Timersが初のアルバムをリリースします。今の現場やシーンでどういった反応が生まれるか楽しみですね。

Takekawa:僕らの立場としては、正直、DJでできることが頭打ちになっていた部分もあるので、アルバムを発表して状況がどれくらい変わるのか見てみたい気持ちもあります。バンドや歌手にとってアルバムを出してライヴをする、というのはあたりまえかもしれませんが、僕らはDJユニットでそれを試みる。

しかもDJでかけるための楽曲ばかりではなく、リスニング用の楽曲を多めに作ったので、僕らとしても実験的なチャレンジもあったりして。

Hisashi:そういう意味でも、デジタル配信やサブスクなど今現状のすべてのプラットフォームで展開します。しかも、国内だけじゃなく海外展開も視野に入れていたので、ヴァイナルに関してはオランダ・アムステルダム設立の日本人が主宰するレーベル「Sound Of Vast」とのコラボプロダクトとして発売してますので、海外でどんな反応が得られるか楽しみですね。

——確かに、東京のリアルサウンドが海外にどう届くか気になりますね。

Takekawa:今回のアルバムは、ある意味で日本人らしさを想定して作っているんです。コード進行だったり自分達が影響を受けたディスコのサンプリングを上手く組み合わせたりして。

Hisashi:ジャンル問わず聴いてきましたが聞き慣れないというか難解な曲もあったりすると思いますが、そういう難しさは避けたかもしれません。日本人は音楽もファッションも、海外のものをエディットして出すのが上手なので、そういう感覚に近いのかなと。結果的に、Monkey Timersぽく仕上がっていればいいかな、と。

——ちなみに、Monkey Timersぽさとは?

Hisashi:アルバムに関してはリスニング用の曲も意識してますが、とはいえ現場で育ってきた身なので、使い方次第で現場でもかけられるものにもなっている。つまり、Monkey Timersがオープンtoラストでプレイしたら、今回のアルバムに収録したセットになるだろうなと。

Takekawa:しかも、今回はジャケットワークを「C.E」のSk8Thingさんにお願いしました。こちらは恐縮していたんですが、「若いアーティストがいるのに、逆に自分で大丈夫なの?」と、快く引き受けていただいて。Sk8Thingさんに事前に音源を渡したら「和物を感じた」と言ってくれたので、ちゃんとMonkey Timersぽさが表現できているのかなと。

——アルバムのタイトルを『KLUBB LONELY』にした理由は?

Takekawa:コロナ禍になって、みんなクラブが恋しくなっていたはずなんですよ。そういう状況を考えていたら、Lil’Louis(リル・ルイス)の作品で「Club Lonely」という曲があるじゃん! って、サンプリングさせていただきました(笑)。

——より一層、現場でのリアクションが楽しみですね。

Hisashi:東京・渋谷WOMBで5月20日のリリースパーティを皮切りに、全国の主要都市はもちろん、ジャカルタやバリなどすでに決定していますので、楽しめたらいいですね。

MONKEY TIMERS
DJ HarveyやIdjut Boysなどが先陣を切ったニューハウス~ディスコ・ダブを源流とするアンダーグラウンドカルチャーをバックグラウンドに、ダンスミュージックシーンのネクストフェイズを切り開くDJ/プロダクション・ユニットとして国内外で支持を集める。2009年に「DISKO KLUBB」を立ち上げる。
https://www.diskoklubb.com
Instagram :@diskoklubb_tokyo

『KLUBB LONELY』
(DISKO KLUBB/Sound Of Vast)
Monkey Timersが、結成13年目にしてリリースした待望のフルアルバム。2枚組アナログで全世界500枚限定セットでリリース。Lisa Tomlins(リサ・トムリンズ)をヴォーカルにフィーチャリングしたDusty Springfield「That’s The Kind Of Love I’ve Got for You」のカヴァーをはじめ、ベルリンを拠点にヨーロッパのシーンをリードする才人Mr. Ties、ワールドワイドな注目を集める岡山の才能Keita Sano、日系アメリカ人の新鋭ヒップホップユニット、MIRRROR(ミラー)など、国内外のヴォーカリスト、プロデューサー、ミュージシャンとのコラボレーションを展開する

■DISKO KLUBB & Sound Of Vast presents Monkey Timers『KLUBB LONELY』Release Party
日時:5月20日 金曜日
会場:東京・渋谷 WOMB
住所:東京都渋谷区円山町2-16
料金:前売り¥2,500、当日¥3,000
出演:
Monkey Timers、Force Of Nature、YAMARCHY & Jitsumitsu他
https://www.womb.co.jp

Photography Teppei Hoshida
Text Analog Assasin

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連載 内山結愛の「初聴き和モノレビュー」 Vol.2 細野晴臣「トロピカル三部作」 https://tokion.jp/2022/04/09/yua-uchiyama-vol2/ Sat, 09 Apr 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=107710 アイドルグループRAYのメンバーとして活動する一方で、Twitterの“#内山結愛一日一アルバム”とnoteに投稿している音楽ブログが局地的な人気を集めている内山結愛による音楽連載。

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とんでもなくお久しぶりになってしまいました……!(連載といいつつもほぼ1年ぶりになってしまったので改めて)「TOKION」で「初聴き和モノレビュー」を連載しています、内山結愛です。普段は大学に通いながら、RAYというアイドルグループで活動しています。

事前情報をあまり入れない直感ベースの語りと収録曲全曲レビューを特徴とする音楽レビューnoteを週に1度のペースで公開し、古今東西の名盤を聞きあさりながら日々音楽を楽しんでいます。

音楽レビューnoteが取り留めのない作品チョイスをしているのに対して、このコラムでは「日本の音楽ムーブメントの歴史をたどる」というはっきりしたテーマを設定し、音楽を聴くことの楽しさや、さまざまな音楽との出会いをみなさまにお届けできればと思っています。

第2回は細野晴臣の「トロピカル三部作」と呼ばれる「トロピカルダンディー 」「泰安洋行」「はらいそ」の3作品を取り上げ、レビューしていきます。(内山は作品収録曲を全曲レビューする性癖があるのですが、3作品を全曲レビューすると読者がおなかいっぱいになってしまうと想像し、全曲レビューは1作品に限定します!)。

さっそく、「トロピカル三部作」のスタートとなった「トロピカル・ダンディー」を聴いていきたいと思います。「トロピカル・ダンディー」は、1975年に発表された細野さん2作目のソロアルバム。はっぴいえんどの活動や、フォークでカントリーなソロ1作目「HOSONO HOUSE」を経て、どのようなサウンドが広がっているのでしょうか……!

「トロピカル・ダンディー」

これは、まさに、ト、トロピカル・ダンディー……!

「CHATTANOOGA CHOO CHOO〜♪」を出発の合図に日本から飛び出し、トロピカルで陽気なバカンスが始まる。グッと気温は上昇し、カリブの風に吹かれ、白い砂浜で日焼けしながら、ハイビスカスが刺さったカクテルを飲む……そんな光景がものの数秒で目の前に広がる。が、次の瞬間にはペルシアの市場や、ジメっとした熱帯地域に飛ばされていたりする。つまり、このトロピカルなバカンスはボケ〜っとしている暇はないらしい。

わざとらしいまでに、イメージ通りのトロピカルが次々と提供される。こんなうまい話があっていいのか……? 調べてみると、細野さんは「トロピカル三部作」の形容詞としてしばしば用いられる「エキゾチック」を“遠くにあるものを近くに持ってきて眺めること”と定義しているらしい。「みんなが想像するような海って、バカンスって、アジアって、エキゾチックな雰囲気って……こんな感じだよね……?」と、ニヤニヤ眉を上げて、こちらの反応を確かめているような、そんな視線の正体がわかった気がした。

本作は、古き良きアメリカンサウンドを背景に、沖縄やハワイ的風情漂うメロディ、ラテン音楽的な陽気さなど“遠くて近い”エキゾチックサウンドがさまざまに混在している。中でもラテン音楽については、1960年~70年代に当時文化の交差点であったニューヨークで「サルサ」として定着し、細野さんはその「サルサ(=ソース)」を手がかりに、独自のトロピカルサウンドが詰まった本作を「ソイソース(=醤油)ミュージック」と名付けたという。太平洋を越えやってきた、文化も地域性も違う音楽に醤油をかけて、細野さんの味に、音楽に、調理してみせた。

夢に見たバカンスへ連れて行ってくれる上に、時代をも股にかける。この音楽世界旅行は細野さんと共にここから始まっていく……!

■アーティストメモ
細野晴臣は東京都出身の音楽家。「エイプリル・フール」でデビューし、1970年にはっぴいえんどを結成。1973年にはソロ活動を開始。同時にティン・パン・アレーとしての活動も開始。さまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年にYellow Magic Orchestra(YMO)を結成。YMO散開(解散)後はいくつかのレーベルを立ち上げ、楽曲提供、ライブなど活発な音楽活動を続けている。

続いては、「泰安洋行」を聴いていきたいと思います。1976年に発表された「トロピカル三部作」の2作目で、さらにエキゾな要素が強まっているという本作。今度はいったいどんな場所に連れていってくれるのでしょうか……!

「泰安洋行」

はじめて知った“チャンキー”という言葉。

トロピカルな旅の思い出や、細野さんの音楽ルーツであるアメリカンミュージック、願望、憧れ、様々なものが絡み合う…音楽ジャンルのごった煮料理こと“チャンキーミュージック”……! 「トロピカル・ダンディー」でも見られた沖縄音楽やラテン音楽に加えて、さまざまなジャンルが掛け合わされているこのアルバムで、特筆すべきはニューオーリンズサウンドだ。

細野さんはニューオーリンズへの愛が深い(と感じる)。記事を読み漁ると、ニューオーリンズの巨星ドクター・ジョンに一番影響を受けたと話していたり、ドクター・ジョンの「Gumbo」を「ニューオーリンズの音楽を知るための教則レコード」と紹介していたり……調べれば調べるほど、ニューオーリンズとドクター・ジョンへの愛とリスペクトが激重の細野さん情報が出てくる。

細野さんが名付けたチャンキーミュージックは、そんなお気に入りの地であるニューオーリンズのごった煮料理「ガンボ」から、「ちゃんこ鍋」を連想し、そこに「ファンキー」を掛け合わせて誕生したという。ソイソースミュージックも、チャンキーミュージックも、ニューオーリンズサウンド的なごった煮感という意味で共通している。実際ドクター・ジョンの「Gumbo」を聴いてみると、「これが……こうなって……なるほど!!」と、細野サウンドとの繋がりに納得。最も豪快に、上品に、細野さん風味においしくチャンプルーされている「Rochoo Gumbo」は、何度でも聴きたくなってしまう。

本作の「ニューオーリンズっぽさ」は、自分にとっては時代も地域も異なるまさに“遠くて近い”リアリティだけど、一方で沖縄音楽的な要素は、鮮明で生々しい景色としてすぐそこにある“近い”もののように感覚できた。沖縄は唯一、高校の修学旅行で訪れたことのある場所だったからかもしれない。ゴーヤチャンプルーを食べて、シーサーを見て、星の砂が入ったキーホルダーを買って帰って……でも、それだけで本当にその土地のことを体験し、本当に理解できているのか。上滑りした体験じゃないかと不安に駆られ、たった数日間の記憶でこんな風に沖縄を“近い”ものと感じている自分にどこかムズムズしたりもした……けど! 修学旅行はとっても楽しかった……!! 旅特有のわざとらしさに身を任せるのも悪くない。今思えばこれはとてもエキゾチックな体験だったのだと思う。

“本質”とか、“本当”のことも大事にしたいし、イマジネーションを掻き立てる余白こそおもしろがって、楽しんでいきたい。でも「トロピカル・ダンディー」から続く、わざとらしさや根拠のなさも、なんだかおかしくて、憎めない。愛着さえ感じてしまう。この夢のような音楽旅行はきっと、この愛すべき根拠のなさによって成立している……!

「トロピカル三部作」を締め括る、1978年に発表された「はらいそ」。世界各国、もう十分いろんな場所へ連れて行ってくれた気がしますが、今回は一体どこへ連れて行ってくれるのでしょうか。このアルバムは全曲レビューしていきたいと思います!

「はらいそ」全曲レビュー

1.東京ラッシュ
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界観が頭に広がった。昭和の東京下町。ひょうきんな「パフッパフッ」の音が陽気で楽しくなっちゃう。細野さんの歌声は絶妙な脱力感と幸福感を含んでいる。

2.四面楚歌
すぐさま東京を飛び出し、シンセとガムランの音で一気に別世界へ。歌詞に登場する「天竺」「カリビア」「魔術師の国カルデア」……一体どこへ行くのかわからないけど、「そこどけ」と言いながら、旅立とうとする意思がひしひしと伝わる。終始穏やかでピコピコなシンセにワクワク。

3.ジャパニーズ・ルンバ
めっちゃ民族。歌詞が全部カタカナで、海外の人が話す不器用な日本語みたいで可愛いらしい。中華なメロディも感じるし、ラテン、ハワイっぽさも感じるし、ここどこだ……!? ごちゃ混ぜ! 必殺技のチャンキーミュージックが溢れ出している。コンバンワ……バンワ……オヤスミナサイ……。

4.安里屋ユンタ
沖縄民謡のカバー。もうサウンドトリップが止まらない。「今……ここどこ……!?」で頭いっぱいになってたけど、ふと細野さんの歌声の多彩さがとんでもないことに気付く。

5.フジヤマ・ママ
手拍子と怪しげなメロディで始まる。細野さんの歌の表現、引き出しが無限。歌舞伎? みたいな歌い方だなと思ったら、次の瞬間には幼稚園児みたいなかわいらしい歌声になってパニック。バックの演奏は相変わらず陽気でハッピーオーラが溢れている。マイナスイオン。

6.ファム・ファタール〜妖婦
野鳥が飛んでる。アマゾン。今度はどこに連れて行かれたんだ……? 「ここは地の涯 街に潜む謎のオアシス」というヒントしかない。この曲は後にYMOを結成する坂本龍一さん、高橋幸宏さんがレコーディングに参加しているらしい。細野さんの中にはこの時からYMOの構想があったとか……! 妖艶な熱帯地域。想像掻き立て上手のパーカッション。デジタルな鳥がずっと飛び回っている。

7.シャンバラ通信
ついに地球から飛び出して宇宙に行ってしまった。焦燥感あるリズムと鐘のような音。宇宙と交信しているのかもしれない。無機質。後半段々と狂い始め、無邪気に暴力的になる。これもまた細野さん。多面的すぎる……底知れない……。

8.ウォリー・ビーズ
地球に戻ってきた……! このゆったりした細野さんの歌声に安心する。でも、ここはどこだ……(何回目)? 砂漠があるらしい。まんまとチャンキーミュージックに翻弄されている。楽しい。音は中華。他のトロピカル作品に比べて、このアルバムはシンセが多く使われている気がする。

9.はらいそ
旅が終わってしまう。私たちのトロピカルが締め括られてしまう。「バイバイ バイバイ Good-bye」なんて歌わないで……。濃厚でゆったりとした歌声に揺られていたい。中盤で過去最高にシンセに包まれる瞬間があってビックリする。ずっとこの夢のようなパラダイスが続くような気がしちゃう。謎の足音。無音になり、走る足音が近づいてきた! と思ったら、「この次はモアベターよ!」と言われる(YMOを示唆しているらしい)。セーラームーンの「月に代わってお仕置きよ!」感がありなぜかキュンとした。

タイトルは、ポルトガル語で「パラダイス(paradise)」にあたる「パライソ(paraíso)」が訛った、キリシタン用語での「天国」のことらしいです。

ファンタジックで夢のような時間……確かに天国だった……!

このアルバムでも、さまざまな音楽ジャンルをごった煮した「チャンキーミュージック」が繰り広げられていて、ナイスソイソースでした(?)。

本当になんとなく、『トロピカル・ダンディー』や『泰安洋行』と比べて、音の質感がスッキリしたというか、デジタルな感じがして、気になって調べてみると、クラウンレコードからアルファレコードに移籍したことにより、スタジオと機材が変わったことがわかりました。また、この作品から多用され始めたシンセサイザーや、整理されたビート感、坂本龍一さん、高橋幸宏さんがレコーディングに参加した「ファム・ファタール〜妖婦」など、諸々がYMOに繋がっていくための布石だったのかなと思いました。

「本物を知らなくても、想像さえできれば、信じる心があれば、きっと楽しむことができる」

3作を通して駆け足で細野晴臣さんの音楽、「トロピカル三部作」を体感しました。

『トロピカル・ダンディー』『泰安洋行』『はらいそ』の三部作は、(実態や本当のことなどは一旦横に置いておいた)みんなの思い描く通りのパラダイスが広がっていたように感じました。東京、ニューオーリンズ、中国、ハワイ、沖縄、インド、ヒマラヤ……(多分もっとある)と、いろんなところへ連れて行ってくれた音楽世界旅行、本当に別れ惜しい……。

そういえば、高校生の時によく友達とサイゼリヤに行って頼んでいた「ミラノ風ドリア」。あれも、実際のところ「ミラノ」ってなんなのか、どこらへんに位置するのかなんて正直わかっていなかったけど、「ミラノ風」という、“本場“っぽい……確かそうなネーミングセンスに惹かれて、信じて、楽しんでいたことを、このトロピカル三部作を通して思い出しました。

海外の人が日本をイメージするとしたら、今も「忍者」「侍」だったりして……そんな想像も膨らんでしまう。

本物を知らなくても、想像さえできれば、信じる心があれば、きっと楽しむことができる。

……ちょっと怪しい宗教みたいになってしまいましたが! 細野さんが自覚的に作ったフィクションは、チャンキーでソイソースな細野晴臣サウンドがある限り、どこへだって行ける! そう強く思いました。

久しぶりになってしまった第2回、ボリュームたっぷりでおなかいっぱい大満足です。次はどんな音楽と出会えるのでしょうか……ドキドキ! 次回もお楽しみに!

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連載 内山結愛の「初聴き和モノレビュー」 Vol.1 サイケ・ジャパノイズ https://tokion.jp/2021/05/02/yua-uchiyama-vol1/ Sun, 02 May 2021 06:00:41 +0000 https://tokion.jp/?p=30187 アイドルグループRAYのメンバーとして活動する一方で、Twitterの“#内山結愛一日一アルバム”とnoteに投稿している音楽ブログが局地的な人気を集めている内山結愛による音楽連載。第1回は「サイケ・ジャパノイズ」編。

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初めまして! RAYの内山結愛です。普段は大学に通いながら、RAYというアイドルグループで活動しています。

事前情報をあまり入れない直感ベースの語りと収録曲全曲レビューを特徴とする音楽レビューnoteを週に1度のペースで公開し、古今東西の名盤を聴きあさりながら日々音楽を楽しんでいます。

音楽レビューnoteが取り留めない作品チョイスをしているのに対して、このコラムでは「日本の音楽ムーブメントの歴史をたどる」というはっきりしたテーマを設定し、音楽を聴くことの楽しさや、さまざまな音楽との出会いを皆さまにお届けしたいと思っています。

記念すべき第1回は「日本のサイケからジャパノイズ」と題し、裸のラリーズ『THE ARCHIVES OF DIZASTAR SOURCES vol.1』、BOREDOMS『ソウル・ディスチャージ’99』、灰野敬二『滲有無』の3作品を取り上げ、レビューしていきます。(内山は作品収録曲を全曲レビューする性癖があるのですが、3作品を全曲レビューすると読者がお腹いっぱいになってしまうと想像し、全曲レビューは1作品に限定します!)

裸のラリーズ『THE ARCHIVES OF DIZASTAR SOURCES vol.1』全曲レビュー

裸のラリーズを聴くのは初めてです。内山とサイケノイズの初めての出会いとなる1枚。名前からすでに野蛮さを感じます。ドキドキわくわく!

DISC1:#01 STUDIO & SOUNDBOARD 1969 – 1975

1. 夜よりも深く 黒い悲しみのロマンセ(NOVEMBER 1975 SOUNDBOARD)

遠くの方でぼんやり鳴っていたノイズが、飛沫を上げるように近づき始まる。スローテンポ。昭和レトロで哀愁漂う雰囲気。ローファイ。言葉は音割れしながらもなんとか聞き取れる。歌詞カードがないのかなり攻めてる……。音量調節どこが正しいのか悩み続けてしまうような不安定さ。2:55〜硬質で鋭いノイズが耳をぶった斬る。寂れたメロディーが悲しくも切ない。抑揚やイントネーションが独特なボーカル。終始異様な空気感に包まれている。

2. 夜、暗殺者の夜(MAY 1975 STUDIO)

黒々しい夜にノイズが吠えている。0:43〜あんなにノイズぐわんぐわん鳴らしていたのに、楽しげで陽気になる。ザ・ドリフターズの「いい湯だな」的な雰囲気。音質がすごい……すごいものを聴いている。陽気さを喰らい尽くすように、覆い被さるノイズ。様子のおかしい昭和歌謡。言葉の置き方は軽やか。間奏のギターの存在感が格好良い。間奏はほとんどノイズに乗っ取られてる。7:49〜突如轟音の向こう側を目指し始める。一生分のノイズを浴びる。

3. お前を知った(The Last One)(JUNE 1974 SOUNDBOARD)

途中から始まったかと思うくらい性急に流れ出すメロディー。歴史を感じる音質。ボーカルのエフェクトが強烈。かち割れながら響いてる。耳。耳が……!!黒板を爪で引っ掻くよりもヤバいノイズ。脳味噌にアイスピック刺されているような感覚。曲が流れ終わっても耳の中で残り続けるノイズ。

4. 造花の原野(JULY 1974 STUDIO)

初っ端から容赦ないノイズ。足取りの重いスローテンポ。コンクリート切ってる。耳をノイズで切り裂かれる。攻撃性の限界がない。ボーカルは緩やかに錯乱している。

5. Improvisation(DECEMBER 1969 STUDIO)

これまでの甲高い系ノイズではなく、地盤を揺るがすような骨太ノイズ。タイトルの「improvisation」通り即興なのだろうか……

6. 断章(WINTER 1970)

暴力からの優しさは怖い。飴と鞭のバランス、鞭に偏りすぎだけど、その分飴を甘く感じるので良い。音質は相変わらず濁りがあるけど、穏やかで柔らかなボーカル。たまにノイズの片鱗を感じ身構える。夢の中みたいな浮遊感。甘く物悲しげに漂うメロディー。

7. 黒い悲しみのロマンセ(SEPTEMBER 1975 STUDIO)

1曲目の“夜よりも深く“ないバージョン。棘が全部取れてかなり穏やかで、違う曲のように感じる。哀愁はダダ漏れ。メロディアス。3:07〜ギターが寂しく咆哮。力強さの中に弱く繊細な部分が見え隠れする。

DISC 2:#02 STUDIO & SOUNDBOARD 1973 – 1977

1. The Last One(JULY 1973 STUDIO)

爆撃。爆撃。ノイズ。ノイズ。激烈。ギターのキュイーンが格好良い。思わず体を反ってしまう感じ。激しく混沌とした音像の中でも、確かにメロディーが存在する。中盤に訪れる長い間奏の展開に、高まり胸躍る自分がいる。7:21〜テンポアップし、ノイズの渦。反響する天の声みたいなボーカルに包まれる。

2. 鳥の声(JUNE 1974 SOUNDBOARD)

怪しげなギターが伸びやかに鳴り響く。幻想的。1:06〜心の準備してない時にキーンと駆け抜けるノイズ危険。ダウナーだけど美しい。実体を感じさせないような、リバーブの深くかかったボーカル神々しい。歪んでいくギター、現実をもどんどん曖昧にしていく勢い。

3. 白い目覚め(OCTOBER 1976 STUDIO)

一筋の光が差し込む。救い……溶けてしまいそうなほど、煌めき流れていくギターの音。ボーカルは揺れる水面のよう。女性の声に聴こえる。1:52〜怖い危ない!危険な予兆を感じてドキッとした。2:26〜やはりノイズがこんにちは。破壊。雰囲気は変わらないままだが、粛々と不穏さに侵食されていく。

4. 黒い花びら(JULY 1974 STUDIO)

8秒間の静寂のあとに聞こえ出す、荘厳な儀式のようなメロディー。どことなく「和」を感じる。ギターの1音1音が太く、そしてメロディック。ドラムが聞こえないからか、音に締まりがなくどこまでも広がっていくよう。静寂なのに、音割れ限界な感じ。後半から軽めのドラムが聞こえてくる。30秒ほどの静寂に包まれ終わる。

5. 夜よりも深く(FEBRUARY 1976 STUDIO)

夜よりも深くなったり、ならなかったり……。激しくないのに音はひび割れ、攻撃力高まるギターの音。ボーカルのエフェクトはやはり強めで、サイケデリック感増し増し。1:30〜イヤ゛ァア〜。「ブァーーー」って掻き鳴らされる爆撃ノイズには降伏する以外助からない。切なげ哀愁サウンドと大洪水ノイズが交互に攻めてくる。なぜか色気を感じる。DISC1で既に一生分のノイズを浴びてるのに、この曲の中盤で人間のノイズ許容量は限界突破。ノイズの暴力。ノイズは暴力。怒涛のノイズにのみ込まれ、ノイズと1つになった頃、曲が終わる。

■アーティストメモ
裸のラリーズは、1967年に京都で活動をスタート。日本国外では主に「Les Rallizes Dénudés(レ・ラリーズ・デニュデ)」という名前で知られている。「日本のロック史上最も謎の存在として最高のサイケデリック・ノイズ・バンド」という枕詞がたびたび用いられる伝説のグループ。

音質が凄かった……。歴史的に大変貴重な資料を聴かせて頂いたような気持ちです。実際、このアルバムが生産された数も物凄く少ないみたいなので、あながち間違いではない! ”日本のロック史上最も謎の存在”という、まるで都市伝説のようなグループが残した確かな魂を、心して受け止めました。

強烈なノイズの後ろで呑気に漂う甘美なメロディー、という構図が不気味で、危ないと思つつも、もっと深いところまで迫りたくなるこの感じ。甘い蜜で誘い、寄ってきた虫を食らう食虫植物みたいだ。これがサイケデリック・ノイズ……

一度聴けば耳にこびりつく轟音サイケデリック・ノイズで、皆さんも是非、轟音の向こう側へ。

続いてはBOREDOMS『ソウル・ディスチャージ’99』

BOREDOMSは『Pop Tatari』だけ聴いたことがあります。『ソウル・ディスチャージ’99』はメジャーデビュー前の作品とのことで、どんな初期衝動が収められているのか、楽しみでもあり、恐ろしくもあります。ブルブルわくわく!

……あふれる衝動が詰まった力強い咆哮の数々と、即興的な衝動性がありながらも、感じる一体感。以前「Pop Tatari」を聴いた時に、”本気で真剣にふざけているようなアルバム”とレビューした自分と握手したい。

聴いているうちに高まる暴走欲。ポップでクレイジーな表現が、自由へ誘い、心を解放し、好きなように生きていいんだとさえ思えてくる。ここまで清々しい魂の解放はなかなかない。

人間が限界まで犬の吠える物真似をしたような「Z & U & T & A」、北斗の拳のような「あたたたたた!!!」が登場する「TV Scorpion」。確かに人間だけど、人間ではない獣のような雄叫びもしばしば。どの曲もブッ飛んでいて、おもしろくて、それでいて超アッパーで格好良い……これは間違いなくソウルがディスチャージされている!

人生に迷ったらぜひとも聴いてほしい1枚。

■アーティストメモ
BOREDOMSは、1986年に結成された日本のロックバンド。個性豊かなメンバーと特殊な音楽性の一方で、メンバーチェンジや、バンド名の表記変更などが何度も行われた。Nirvanaの全米ツアーのオープニングアクトを任されるなど、海外からの評価が高く、海外の音楽フェスにも多く招待されている。

最後に灰野敬二『滲有無』

恥ずかしながらお名前すら初めてお聞きした灰野敬二さんの作品。CDを開けても閉じてもひっくり返しても真っ黒なデザイン。どこかイヤな胸騒ぎを覚えつつ、どんな音楽が聞こえてくるか、ゾクゾクわくわく!

……これは呪われたCDです。

そう紹介しても、誰もが疑いもしない音像の数々。底なしの不気味パラダイス、不気味のオンパレード。

小さな違和感が空気に充満し、はち切れそうな不穏さを漂わせ、約53分の暗闇が始まっていく。確かに日本語を喋っているのに、自分が知っている日本語の形を成していない。今にも怪談が始まりそうなサウンドと相まって、その時点でゾクゾクと鳥肌が立つような恐怖に襲われる。

しばらく微かな音量に耳を澄ましていると、突如怒鳴り声を上げ、喚き出したりもする。正直言って、どんなホラー映画よりもタチが悪い。これはジャパニーズホラー……いや、ジャパノイズ・ホラー!

その後も絶え間なく、不可思議な旋律に悲痛な叫びを乗せ、怨念を撒き散らすが、おかしなことに美しさすら感じるようになる。聴き終わった後の、聴いてはいけないものを聴いてしまった感とこれ以上踏み込んではいけない感。自分の身は自分で守る……。

(※実際に「笑っていいとも」で、B’zのCDを買ったのに再生してみたら全く違う内容で、再生するたびに内容が違うというおぞましい「呪いのCD」として『滲有無』が紹介され、話題になったこともあるらしい。それにしても、B’zとはかけ離れすぎている……)

■アーティストメモ
灰野敬二は、1971年から活動しているミュージシャンで、日本のアヴァンギャルドな音楽史において最古参の人物。リリースした音源のほとんどがインディペンデント流通で、その数は非常に多く、全体像を把握するのは困難とされている。Sonic Youthのサーストン・ムーアをはじめ、世界的に数多くの信奉者を生んだカリスマ的存在。

まさに百ノイズ百様(語呂が悪い……)!

3作を通して駆け足で「日本のサイケノイズからジャパノイズ」を体感しました。”ノイズ”という表現の幅広さに驚かされっぱなしで、刺激的な経験となりました。

爆撃轟音なノイズもあれば、繊細で色気のあるノイズ、耳鳴りのようなノイズ、幻覚的で陶酔するようなサイケノイズも。百人百様という言葉があるように、まさに百ノイズ百様(語呂が悪い……)!

細部まで作り込まれている作品も中にはありますが、衝動的かつ即興的だからこそ、ノイズとは言葉のいらない感情表現であり、そこから生まれる野性的で肉体的なリズムが魅力だと思いました。

「ノイズ」というジャンルは一見とっつきにくさもありますが、とにかく自由。憧れるほどに自由。「食わず嫌いしていた食べ物が、食べてみると案外おいしかった!」なんてこともあるので、聴かず嫌いをしている方もそうでない方も、是非気軽に聴いてみて欲しいです。

ウオ~~第1回目にしてたくさんノイズを浴びた! 来月はどんな音楽と出会えるのでしょうか……ドキドキ! 次回もお楽しみに!

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伝説の日本人ラテン歌手YOSHIRO広石。81歳にして尽きることのないラテンミュージックへの情熱 https://tokion.jp/2021/04/20/latin-singer-yoshiro-hiroishi/ Tue, 20 Apr 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=27865 1964年の東京オリンピックの頃、急速に再興する日本から単身で南米に飛び込み、スターになったラテン歌手YOSHIRO広石の体験記を元に、知る人ぞ知るミュージシャンの素顔に迫る。

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東京オリンピックの開催は未だ光は見えない状況だが、1964年に開催された東京オリンピックは当時、「有色人種」国家における史上初のオリンピックという意義を持ち、アジアやアフリカにおける植民地の独立が相ついだことで、過去最高の出場国数となった歴史に残るものだった。日本の転換期だったこの時代に、ある日本人が南米でラテンミュージック歌手として華々しい活動をしたことが記録に残っている。『YOSHIRO広石 / YOSHIRO~世界を驚かせた伝説の日本人ラテン歌手~』は私達の多くが知らない、日本の伝説の歌手の壮絶かつユニークな軌跡を追った、貴重な体験記だ。思い出野郎AチームのDJサモハンキンポーと齋藤録音、装丁家の國枝達也、音楽プロデューサーの高木壮太等が主宰する焚書舎から出版されたこの本を、著者、YOSHIRO広石に語ってもらった。

死ぬことが美しいことだと信じていた早熟な子供時代

――YOSHIROさんの幼少期の環境から掘り下げていきたいと思います。

YOSHIRO広石(以下、YOSHIRO):僕の家族は、優しくて、かわいがられ過ぎたくらい。自分のセクシュアリティがマイノリティーであることに自分自身が早い段階で気付いていて、そんな僕に好きなことをやらせてくれる両親でしたね。まだ戦争の爪痕が残る昭和20年、小学生だった僕は集団行動が苦手なタイプで、朝礼の時にも校長先生に「坊主ならばいい学生だって証明してください」と言ったり、生意気というか早熟な子どもでした。当時はインターネットもないし、同性愛についての情報も少なくて。図書館で調べたり本を読む中で、自分の存在を悪だと思い込んで、この先どうやって生きればいいのだろうと考えたり、三島由紀夫や芥川龍之介の小説から影響を受け、死ぬことが美しいことだと信じたりしていました。だから、この場所(大分)から離れて遠く遠くへと逃げていきたいなと。

――学生時代から大阪などの都市にも出てましたよね。その軍資金はどうしていたんですか?

YOSHIRO:その当時、家は金銭的に余裕があって、旅費などはお小遣いから捻出したり、その場でお金がなくても親が代わりに送金してくれたり、その当時はお金で困った記憶はないですね。別府から関西汽船に乗りこんで、夜に出港した船が朝には神戸港に着いて、そこから電車で大阪へ向かって。ジャズのレコードがかかっていたり、バンドが生演奏していたり、そういったものは当時ひとまとめにジャズ喫茶と呼ばれていました。東京や大阪にはそういった場所がたくさんあり、一流の人も出入りしていました。勘を働かせて、ふらりと入ったジャズ喫茶にあの朝丘雪路さんがいて、僕はどうしても歌いたいってその店の人に頼み込んだら、子どもだからおもしろがられていたのか、すんなりOKが出て。歌ったら拍手喝采とは言わなくても、優しいお客さんが一応拍手してくれましたよ。きっと朝丘さんも見ていてくれたんじゃないかな。そして、中学1年の時に僕はその道に進もうと心に決めました。親も僕が同性愛者だと気付いていたと思いますし、いろいろあったけど、僕の決意が揺らがないことに理解を示してくれてました。学校に行ってても自分のセクシュアリティがバレてしまったたらどうしよう、そんな強迫観念があって、逃げるように東京へ向かいました。その時には歌の世界に入れる確証はなかったけれど、バレエダンサーにでもなれたらいいなと。

――東京に来てからはどんな生活でしたか?

YOSHIRO:東京に来たのは昭和32年。昭和初期に上海で花形ジャズシンガーだった水島早苗さんのところに入り込んで、まずは歩き方や裏拍などの基礎を学んで。その時はラテンではなくジャズ・シンガーを狙っていました。米軍キャンプのステージに立つ予定だった人が急病で、ピンチヒッターとして歌うチャンスを得てから、米軍キャンプで経験を積むようになって。プラッターズナイトでは、短い期間で5曲プラッターズの曲を覚え、レパートリーもどんどん増えていきましたね。

ワクワク感、運命に導かれ南米へ

――この体験記を読むと、YOSHIROさんって強運の持ち主だなと。そのチャンスをつかみ取るためには度胸も必要だったと思いますが。

YOSHIRO:飛び込まざるを得なかったというか、その音楽の世界に飛び込まないと生きる道がないと信じていましたし。冒険や挑戦することはとてもワクワクするし、そのワクワク感に導かれていたのかなと。もちろん相当な苦労もありましたけど。

――南米に行く前はラテンミュージックへの興味は?

YOSHIRO:実は、ラテンというジャンルも知らなくて。昭和30年、ペレス・プラードの映画で世界的に「セレソ・ローサ」が大ヒットを飛ばし、日本でもマンボが一般的になって三人娘(美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ)もカバーしましてね。でも、日本ではラテンではなく、ポップスというくくりだった。

僕自身はラテン系の軍人も多い米軍キャンプで開催されたラテンナイトで歌ったり、東京キューバンボーイズでも歌えるようになってから、自然とラテン歌手として活動するようになってました。そして、昭和35年にNHKでラテン歌手としてデビューはするんだけど、日本の歌謡曲が苦手で、とにかくその当時の歌謡曲は単純で洒落てなくて、自分には合ってなかった。一応、5年くらい、期待の新人みたいな枠で売り出されていて、他の人は売れていくけど、僕は歌謡曲をやらなかったからか、なかなかヒットを飛ばせなくて。米軍キャンプでの僕のステージは当然全員がアメリカのお客さんで評価はすごく良かった。だったら外国に行った方が早いんじゃないかって。

――ベネズエラの人気テレビ番組に出演するのは何がきっかけでしたか?

YOSHIRO:東京オリンピックの年にコーヒールンバの女王と呼ばれたエディス・サルセードとステージを共にした日、僕が自費でプレスしたプロモーション用のソノシートを彼女に渡したんです。それで翌日、彼女から突然連絡が来て。旧NHKがある内幸町に出向いて話をすると、あなたベネズエラに行く気はないですか?って。もちろん行きたいけど、どうやっていくの!?ってなって(笑)。現地の超人気番組だったラジオカラカスTV「エル・ショー・デ・レニー」のレギュラーだった彼女は来日前に、ベネズエラから売り出せる日本の歌手がいたら連れてきてほしいと頼まれていたと。

これは東京オリンピックの10年後だったら実現しなかったはずです。日本はアメリカに戦争で負けて、復興する国として、反米意識のあるラテンアメリカから注目されていて。それと同時にアメリカも南米も経済が右肩上がりで。いいタイミングだった。

日本を独自解釈したユニークなパフォーマンスでスター歌手に

――本で描かれているYOSHIROさんは随分ぶっ飛んでますよね。

YOSHIRO:普通のことをやっても注目されないだろうと。歌舞伎関係の人に衣装の引き抜きの手ほどきをしてもらったり、下駄でタップダンスやローラースケートなど、いろんな要素を取り入れてパフォーマンスしました。歌で勝負しても現地の歌手にはかなわないし、ただ着物を着て歌っただけじゃ、1日で飽きられる。和の要素を取り入れた派手な衣装で、カメラが追いつけないほど暴れ回りながら踊ることで、視聴者の予想を良い意味で裏切れた。プリンセス天功もアメリカで人気が出たけど、あちらの人が思い描く日本人像を演じることはとても重要だった。扇子をクルクル回していると、落としちゃったりもするんだけど、それで笑いをとってね。

――瞬時に対応できるのがすごいですね。

YOSHIRO:失敗で笑いを巻き起こすこともできたし、何よりも成功話を本に書いたって、読む人はおもしろくないでしょ。人の不幸は蜜の味だし、失敗談がおもしろい。確かに成功はしたけれど、大金を得てもすぐ失ってしまったり、ずっと波乱万丈でした。日本は治安が良くて、安心して歩けますよね。外国だと相手がピストルを持っている可能性もあるし、ディスカッションも加熱し過ぎると危険だなと。

――現地の人達の仕事に対する姿勢の違いは感じましたか?

YOSHIRO:時間に対する概念が決定的に違う。驚くほどにルーズで、1、2時間の遅刻は当たり前。生放送のテレビ番組でさえ、5分くらい平気で遅れたりする。今は違うと思いますが。日本の場合はクラブやキャバレーなどで歌う歌手に対してのリスペクトは感じなくてつらかった。ホステスなど女性が接待で席につくし、ショーがメインではなくオマケみたいな。会社の偉い人や政治家はジャズに興味なんか持たないでしょうしね。プロの歌手にとってはやりづらい環境でした。

――歌手生活の中で回った国々で、特に思い出がある国はどこでしたか?

YOSHIRO:それは時代によって変わっていきますね。一番成功してお金をもらえたのはベネズエラで、今では世界のなかでも一番に破綻した国になってしまいましたが。当時ベネズエラは経済活動の95%を石油に頼っていて。社会主義に切り替えてからは難しくなったと思います。

――日本と南米の行ったり来たりをくり返す中で、日本の変化をどう感じていましたか?

YOSHIRO:日本を一番長く離れていたのは3年間でしたが、街の風景は変わったと思いますね。僕は新宿にいることが多かったけど、渋谷の道玄坂にはキャバレーがあってね。戦後の闇市から、あんなふうに変わるなんて。ただ、歌う場所はすごく少なくなりました。一流のミュージシャン達のギャラも安くなって。カラオケが一世を風靡して、打ち込みのああいう安っぽい音楽が増えましたよね。僕はカラオケに誘われたとしても、行かないです。プロじゃない人の歌を聞いてもおもしろくないし、歌ってもお金もらえるわけでもないですし。それに、悔しいけど、素人のほうがうまかったりしてね(笑)。

――現在の日本のラテンミュージックシーンのリスナーはどれくらいいるんでしょうか?

YOSHIRO:一定数はいるけど、非常に少なくはっきりした数字はわかりません。今はYouTubeやネット配信が主流でCDの売り上げも落ちていますね。そんな中で、DJサモハンキンポー(焚書舎)が7インチレコードをリリースしてくれるのはありがたい。ルパン三世のテーマソングを再レコーディングし、「かもめやかもめ」もリズムや歌い方を僕らしいアレンジを加えたものも近々リリース予定です。それにこの本も本格的に流通するみたいなので、またあの頃のようにワクワクしています。でも、ちょっと辛いのは4月に81歳になるので……。

――81歳!それは凄い

YOSHIRO:リズム感やキレをキープするために、オリンピック選手並に腹筋などのトレーニングが必要なんです。歌に関しては、年齢を重ねると渋さが増して味になりますが。若い時の良さもあるけど、声の限り歌っていてあまりおもしろくないんですよ。僕には海外での生活やショービジネスがあっていたけれど、不運にも熱帯病にかかって闘病生活を強いられる時期もありましたし、アルコール依存症も経験していて大変でした。それは、物心つく頃からゲイだと自覚していたので、自己肯定感が欠けていたからかもしれません。それでも、僕は歌手の道を選んで正解だったなと。ゲイであることで、普通の人だったら生み出せない高揚感や繊細でエロティックなムードを醸し出すことができますから。

YOSHIRO広石
1940年生まれ。日本を代表する国際的なラテン歌手で1965年べネズエラのTV局に招かれたのを機に、北、中南米で高い人気を得る。その後現在まで日本、海外をいったりきたりの活動。現在まで15カ国以上でアルバムが発売されている。1999年文化庁芸術音楽部門優秀賞を受賞。2005年度、キューバより音楽功労賞受賞。

Photography Mayumi Hosokura

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