世界的な混乱状況下でも環境に適応していく。「Stack Magazines」のスティーヴン・ワトソンが選ぶ、今読みたいリトルプレス

ここ10年で、“zine”と呼ばれるパーソナルな出版物が市民権を得て、ブックフェアでもシェアを広げてきた。現在では無数に存在するインディペンデント系出版レーベル達は、それぞれに個性を磨き上げ、時にはメジャー雑誌を凌ぐクオリティで私達を刺激してくれる。イギリスを拠点に世界中に購読者を抱える「Stack Magazines」は、毎月素晴らしい解説とともに、独自の視点でセレクトした雑誌を届けるサブスクリプション・サービスを提供するウェブサイトだ。創設者のスティーヴン・ワトソンが、『TOKION』のためにニューノーマルな世界を生き抜いていくためのアイデアやヒントを授けてくれるリトルプレスを提案する。

COVID-19によるパンデミックの影響はネガティブなものが大半ではあったが、どんな悪い状況の中でも希望の光を見出せるように、世界的に有害物の排出量が減ったことにより大気汚染が改善し、オフィスという縛りからわれわれは解放されるなどのポジティブな側面もあった。そしてコロナの影響は世界中のさまざまなインディペンデント系の出版レーベルにもおよんだ。予想に反し、彼らからわれわれに届いたのは魅惑的なニュースだった。ジャンルに特化したニッチでサブカルチャーな世界を探求するインディペンデントな出版レーベル達から生み出される美しいリトルプレスは、2020年に引き起こされた世界的な混乱状況下であっても、環境に適応していけるよう私たちを導く、完璧な媒体だ。  
その媒体を生み出すプロセスにおいて「ch(checkの短縮形)」といえば、最終チェックを経て、印刷データが印刷工場に送られることを示すとても重要な工程だ。いざ、印刷されてしまうと何百、何千という本が行き渡ってしまう。だからこそ、その本に関係する全員が、完璧な作品を世に残すために、抜かりないように入念にチェックする。インディペンデント系出版レーベルは、出版までのリードタイムが数週間もしくは数ヵ月で、書店に並ぶまでの時間は比較的短い。さらに、テレビやビデオ、音楽などのメジャーなメディアと比較すると、人員や制作プロセスも自分達でコントロールできるため、孤立した環境であっても制作することが可能だ。

「Stack Magazines」が取り扱っている出版レーベルの多くはオフィスを所有する余裕がないため、自身の寝室や台所のテーブルなどが職場となる。編集者は写真家、イラストレーター、作家、デザイナーなど、世界中で活躍するアーティスト達とリモートで仕事をすることに慣れており、彼らはデジタルツールを駆使し、フィジカルな出版物を生み出すことができる。
もちろん、 インディペンデント系出版レーベルがコロナによる制限で被った不利益はゼロではない。しかし彼らはその不利益さえも創造力をかき立てる燃料とし、出版物で何かしら貢献できるのではないかとアクションを起こしている。私達はこの数ヵ月に派生したさまざまなパンデミック・パブリッシング・プロジェクトを追跡してきた。それにまつわるSNSなどの投稿をスクロールすると、一連の制限に触発された、本質的には共通しながらも幅広い反応が示されている。
アートや文学をテーマにした『Soft Punk』が第1.9号として「The Corona Papers」を出版するなど、この渦中に既存の雑誌が特別号を出版する傾向にあった。『Soft Punk』はこの夏に第2号をリリースする予定ではあったが、コロナで世界が混乱に陥る中、パンデミックに焦点を合わせるために第2号の発売計画を保留にし、迅速に特別号のプロジェクトをスタートさせた。彼らはニューヨークの路上で撮影された秀逸なドキュメンタリー写真に、突如家に閉じ込められた奇妙な感覚や、トランプ大統領がかじ取りする船に乗り、未知の世界へと航海する不安に満ちた感覚を探求した一人称のエッセイを組み合わせている。
その他のトレンドとして、コロナウイルスで犠牲となったグループを支援する資金調達のための出版物やブランドによるプロモーション・ツールとしての1冊限りのプロジェクトも見受けられたが、今回はそれぞれに独自のアプローチを示す2つの作品にフォーカスしたい。

ロックダウンの中で生まれた文化的タイムカプセル『Limbo』

ショーがキャンセルになり、予算などが大幅に削減されたことによりアーティスト達は他の職業と比較しても大きな打撃を受けた。彼らのような収入が不安定なフリーランス達は政府による補助金があったとしても、それまでの収入には遠くおよばないことはよくある話だ。『Limbo』編集長のニック・チェーピンは最近まで現代美術の権威である『Frieze』において出版ディレクターを務めていた。コロナウイルスが猛威を奮う中で彼は、アーティストを支援する資金を集めるために、新たな雑誌を出版する機会を見出し、制限された状況下で卓越した作品を生み出した。
失業した多数のアーティスト達の作品、そしてヴィヴィアン・ウエストウッド、ウルフギャング・ティルマンズ、ミランダ・ジュライなど著名なアーティスト達をフィーチャーした『Limbo』は、雑誌自体が“ロックダウンの中で生まれた文化的タイムカプセル”となった。 広告収入と出版物の売り上げが雑誌の収益となり、寄稿者と編集チームで分けることになっていたにもかかわらず、ニック曰く著名なアーティスト達の多くはそのギャランティの受け取りを拒否した。

「著名なアーティスト達から協力を得ることは、この雑誌を成立させるためには必要不可欠だったんです。しかし、この雑誌のイニシアチブを握るのは、まだキャリアを完全に確立できていない新鋭アーティストなのだと、この雑誌の制作プロセスから学びました」と編集長ニックは語る。「私達は参加してくれること自体が夢のようなビッグネームな著名人、どんな雑誌にも引っ張りだこなアーティスト、そしてまだ無名な人々に至るまで、幅広く網羅するリストを作成しながら、その人選のみんながこの特殊な現況にそれぞれの興味深いリアクションをしていることを確信していました。1人か2人、ビッグネームな人々からの返答が得られればと期待を抱いていましたが、予想に反して依頼をした全員が快諾してくれました。コントリビュートしてくれた著名な人々の大半は『このプロジェクトはとても素晴らしいからぜひ力を貸したいと思う。それにギャランティはいらないよ』と言ってくれたんです。雑誌に参加した約100人の内、半分の約50人は寄付または支援をしてくれ、残りの約50人で利益を配分することになりました」。誌面はアイデアにあふれ、ユーモアたっぷりかつアナーキーな雑誌となっている。

掲載された作品は確立されたプロジェクトに基づいたものではないため、テーマやトーンは統一されていない。その代わりに、ページをめくるたびに独自の世界観を持つアートプロジェクトに出会え、至福の喜びがある。さらに、デザイナーのデビッド・レーン(雑誌『The Gourmand』の創設者兼クリエイティブ・ディレクター)が、アイデアをスピーディに深掘りすることによって、集まった作品の魅力を最大限に引き出している。彼は4人のアーティストの作品をコラージュし、4パターンのカバーデザインを生み出し、雑誌全体に流れる焦燥感を表現した。

孤独なロックダウンの日々に差す希望の光『Barter, Baby』

『Limbo』の原動力は、アーティスト達を1つにまとめようとしたニック・チャーピン編集長の熱意によるものだったが、次に紹介する『Barter,Baby』は、日常とかけ離れた隔離された時間の中で、親密な瞬間のいくつかを記録しておきたいというパーソナルな欲求に動機づけられた、パンデミック・パブリッシングの中でもとても優れた作品だ。ニューヨークでフード・スタイリストとして活動するヴィクトリア・グラノフとロンドンを拠点とするフード・フォトグラファー、ルイーズ・ハガー、2人の女性がロックダウンの過程の中で人々と交換した物がリトルプレスに記録されている。
2人が交換したのは主に食材や台所用品、そしてトイレットペーパーやハンドメイドの手指消毒剤など。スーパーマーケットで品薄となったそれらのアイテムは友人や隣人達と互いに助け合った日々を思い出させてくれる。交換したアイテムの写真がページ全体に印刷され、そこに短いメモが添えられている。写真のキャプションのような短いものでありながら、それぞれは個性的でとても魅力的だ。
サワーブレッドの発酵種が泡立っている写真に「2020年4月7日火曜日:暗闇の中で、エリザベス・ストーモントが私の家の玄関先にサワーブレッドの発酵種が入った瓶を1つ、置いてってくれた」とテキストが添えられたページもその一例だ。その対になるページにはそのアイテムと交換された物の写真に「私はその代わりとして外の門にクランペットの型を2つ、ぶら下げておいた」とコメントが加えられていた。そのコメントで、かつてわれわれは人と交流し、接触することも普通だったことが思い出し、夜に友人の家に寄り、こっそりと物を交換し合う、そんな女性の親密な感覚をいとおしく感じた。

新聞用紙に印刷され、2、3箇所ラフに綴じられただけのシンプルな製本。彼女達が出会った物の写真やメモだけでなく、家で過ごすささやかな計画を実行するためのレシピやアイデアが記された『Barter, Baby』は孤独で長い日々を乗り越えるのにぴったりな作品となっている。
例えば、サワーブレッドの発酵種のページのあとにはその種の起こし方や、ライ麦のサワーブレッドを焼くレシピが添えられている。トイレットペーパーのページにはオリジナルのかぎ針編みのトイレットペーパー・カバーの作り方が掲載されている。

読者がヴィクトリアとルイーズのレシピを実践するかどうかは定かではない。しかし、制限や拘束ばかりで不満が募っていたこの春、あなたの生活で重視していたのは、物? 人? それとも体験だっただろうか? “欲しい物”を厳選し、“必要な物”リストへと移行する中で、加わった物、もしくは消えた物はあっただろうか?(例:加わった物「小麦粉」、消えた物「かわいい靴」)そんなふうに『Barter, Baby』は周りの環境の変化に応じて、われわれの価値観を順応させていく方法を提案してくれている。

author:

Steven Watson

良質なインディペンデント系雑誌を探究し、世界中の何千人もいる購読者に届ける「Stack Magazines」の創設者。他のストアなどではあまり取り扱われないような、インディペンデントな雑誌とのサプライズな出会いを提供している。「Stack Magazines」のオンラインショップでは数百におよぶインディペンデント系雑誌を販売しており、ビデオレビュー、ポッドキャスト、インタビュー、プロフィールが掲載されたブログからはインディペンデント系雑誌の最新情報を得ることができる。 Photography Getty Image

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