かつて存在した日本の情景を音楽で表現する アーティスト・冥丁の視線が捉える環境と時代

2018年に突如リリースされた1stアルバム『怪談』が『ピッチフォーク』の2018 年度「ベスト・エクスペリメンタル・アルバム」の 1枚に選出され、翌年発表の2ndアルバム『小町』も、国内外のリスナーや批評家から高い評価を得るなど、現在のアンビエント/エレクトロニック・ミュージック・シーンにおいて最も熱い注目を集めるアーティストの1人である、冥丁。

“LOST JAPANESE MOOD”という特異なコンセプトを掲げ奏でられるその音は、ここ日本のリスナーにとってはどこか集団的記憶の根源に触れるような「懐かしさ」を、海外のリスナーにとっては、失われた1つの文化への興味と哀感を、単なるエキゾチシズムを越えた鋭利さをもって喚起してきた

9月27日にシンガポールの名門『KITCHEN. LABEL』からリリースされる最新アルバム『古風』は、同テーマの終章と位置づけられた作品でありながらも、かつての日本映画や記録映像などから引かれた具体音のサンプリングや、時にヒップホップに通じるような明示的なビートなど、前2作とは異なった手法を大胆に取り入れた意欲的な内容となっている。

これまで表立ったメディア露出もなく、どこか謎に包まれていたこの広島県在住の音楽家へ、その活動経歴をはじめ、“失われた日本のムード”とはいったいどんなものなのか、そして、自身にとって「アンビエント」とはなんなのかなどについて、じっくりと話を聞いた。

「もともとエスモードジャポンに通いファッションの世界を目指していたこともあって、そこまで熱心に音楽を聴いてきたわけではないんです。でも、そんな中20歳くらいの時に聴いたジョン・フルシアンテのソロ・アルバム『Niandra LaDes and Usually Just a T-Shirt』(1994年)にすごく衝撃を受けてしまって。すぐにギターを買いに行って、そこからは勉強もそっちのけで、音楽漬けになっていきました。

卒業後、一時期は音楽以外の仕事をやっていたんですが、今から10年ほど前、本格的に作曲をしてみようと思い立ったんです。その頃は、『Warp Records』のアーティストだとか、素晴らしい音楽家から刺激を受けることも多くて、自分なりのスタイルを模索していました。ヴィンテージのカセットMTRを2台買ってきて、ギターを変調させながら録音していました。それをMPC(サンプラー)に取り入れて、編集したり。現在はその手法を発展させてDAWを使って作っていますけど、今に至るまでシンセサイザーは手にしたことはないんですよ」。

以後、舞台音楽や店舗のBGMを手掛けるプロの作曲家として活動するようになった。2018年に『怪談』でアーティスト・デビューを果たした経緯についても聞いてみた。

「仕事とは別に自分の音楽を作り続けてはいたんですが、誰にも聴かせたことがなかったんです。でも『怪談』は初めて満足のいく出来栄えの作品になったので、Bandcampにアップしてみたら、シンガポールのレーベル『Evening Chants』がたまたま発見してくれて、リリースに至りました。自分の音楽がそうやって広がっていくことは大きな驚きでした」。

“LOST JAPANESE MOOD”を実現させる鋭い時代感覚と幼少期の原体験

“LOST JAPANESE MOOD”というコンセプトはどのような経緯で誕生したのだろうか。

「僕は基本的に洋楽ばかりを聴いてきた人間なんですけど、ふと国内に目を転じると、どうもいびつな状況があるような気がしたんです。“日本の音楽”でありながら、そのほとんどがおそらく無自覚に“東京の音楽”になってしまっている。海外の音楽を聴くと、その土地ごとの要素が少なからず溶け込んでいるように感じるけど、日本の音楽は、たとえアーティストが東京に住んでいなくても頭の中で組み立てられた“架空の東京の音楽”ばかりを鳴らしているという気がしてしまうんです。邦楽のルーツをさかのぼるにしても、あくまで“西洋のポップス”の枠組みばかりで、それが時に“日本らしさ”だと考えられてすらいる。たとえば雪をかぶったお地蔵さまとか、田園の水面に月が映る様子とか、僕達の世界に本当は今も実際に現存し続けている本源的な風景だとか記憶の階層には意識が向いていないように思えてしまって。

そういう、『なんとなく作られ、演奏されている』日本の音楽に対して少なからず怒りのようなものがあって、自分が音楽を作るのであれば、そもそも『現在の日本で音を奏でる』とはいったいどういったことなのかというレベルまで歴史を含めて掘り下げるべきだと考えていたんです」。

そのような“かつての日本”へ実体的にアクセスし作品へ昇華するというのは、現代ではなかなか困難なように感じるが、それを可能にさせたのは、何よりも彼自身が経験した「記憶」だったという。

「少年時代を過ごした実家が、すごく古い家だったんです。中学生くらいまで薪をくべてお風呂を沸かしていましたから(笑)。地下に穀物や野菜を貯蔵しておく洞穴付きの蔵があったり、祖母が近くのお寺に勤めていたので、毎日僕も一緒にお線香をあげに行ったり……。原体験として、そういう『日本』の風景があるんです」。

こうした過去への視点というのは、ちまたに溢れてきたように、時に単線的なノスタルジーに陥ったり、あるいは「あの頃の日本は良かった」というような自己肯定(憐憫)を呼び込んでしまうものでもあるかもしれない。しかし、冥丁の音楽においてはそういった甘さは厳しく退けられ、むしろ現在への切迫した意識というべきものを感じる。こうしたことに関連して思い起こすのが、ケアテイカーやベリアルといった、「ノスタルジー」を反転的に引き据え、ある種の亡霊的世界観を描き出したイギリスのアーティスト達だが……。

「彼らの作品との共通点を指摘されることもあるんですが、特に意識したことはないんです。そもそもケアテイカーの名前も、今年の3月にバルセロナのコンベンションに参加した時に海外のエージェントから教えてもらったくらいで(笑)。
僕が作っている音楽は、『諸行無常』という古くからある概念と親和性があるように思います。物事が生成して、枯れて、なくなっていく。だから、あえて『古き良きものを保存すべし』と言っているつもりもない。それよりも、例えば人気のない山奥の古い家に漂う空気とか、そこに張っている蜘蛛の巣の質感とか、かつて住んでいた人が残していって今は黄ばんでしまった紙の色や匂い、そういったものを音としていかに捉えうるのかを実践するという意識が強いです」。

その中で、『古風』で特にフォーカスされているのが、かつて存在した「人」への視点といえる。わけても、「花魁Ⅰ」「花魁Ⅱ」「女房」などのような女性達をテーマとした曲が印象的だ。

「江戸時代の承応・明暦年間に吉原で人気のあった勝山という遊女や花魁の女性達、さらには川上音二郎の妻の(川上)貞奴とか、女性達の人生を調べていくうちに、すごく触発されました。その当時を描いた絵とか、写真を見ていると、すごく感情移入してしまって。壮絶な体験をしながらも、自分の人生を懸命に生きようとした人達……。特に、江南信國という明治時代に活躍した写真家が写した女性達の姿を見て、ハッとしました。現代にももちろん素晴らしい写真作品は多いけれど、彼の写真には、『二度とこのような光景がありうることはない』ということが深く刻まれていて、かえってその被写体についてのイメージを喚起する力が強いような気がするんです。

そこから受ける印象を音で表現しようと考えた時、これまでの手法では及ばないなと思って、今回新たに、かつて第三者が残した音源からサンプリングするという手法を導入することになりました。そんなことは初めてなんですけど、作りながら何度か感極まって涙が出てきたこともありました」。

空間と時間両方の境界線をぼやけさせる楽曲群、そしてアンビエント/エレクトロニックの可能性

昨今、音楽シーンではアンビエント・ミュージックの復興が大きく取り沙汰され、彼の作品もそういった文脈で評価を受けることが多い。冥丁本人は「アンビエント」という概念をどう捉えているのだろうか。

「正直に言うと、今アンビエントが世界的に盛り上がっているというようなことも、『怪談』をリリースする時に海外のスタッフから聞かされて初めて知ったんです(笑)。自分の音楽がそういうふうに聴かれているというのは少し不思議な気もしつつ、一方で納得できることでもある。僕の音楽も、一般的な意味での音楽作品以外の事象、例えば古い日本にあった環境を音として表現しようとしているものですしね。『小町』を作った時は、京都の宇多野という地区に毎晩のように通って、そこにある空気や環境をどうやって音にしようかと考えていました。実際に環境や風景に「触れてみる」ことから楽曲制作を始める。だから、その時点で自分の音楽はアンビエントとしての機能を持ち得ていると思います。『怪談』の時は、まず当時の自分の置かれている環境を、目指すべき作品性に合わせていくことからアプローチしました。体重を10キロ以上落として、髪も伸ばし放題にして、夜中にしか作業しませんでした……(笑)。

でも、『古風』に関して言えばヒップホップ的な要素もあると思うし、一概にジャンルとしてのアンビエントということでは捉えられない部分もあるとは思います。自分も、レーベルのスタッフも、一体この作品はどんなジャンルなんだろう? と首をひねっています(笑)」。

アンビエントが、作品と環境の横軸的境界を曖昧にする作用があるのだとすれば、確かに冥丁の音楽もそうだといえるだろう。それと同時に、彼の作品においては、空間の境界だけでなく、縦軸的な時間の境界をも融解させるような感覚も蔵している。この点こそが、“LOST JAPANESE MOOD”の一連作が持つ特異性でもあるだろうし、現在に対する批評性の如きものも浮かび上がってくるようだ。

「アンビエントやエレクトロニック・ミュージックというのは、今の時代だとその可能性がより開かれている表現のように思います。というのも、今の日本のポップス系の音楽を聴くと、特に歌詞において、どうしてもミュージシャン本人の切迫した意識や閉塞感がダイレクトに描かれていることで、その人自身の自意識が過剰に出てしまっていうように感じるんです。結局それは、何かしらのメッセージ性を超えて、『自分を理解してくれ』というようにも聞こえてしまうんです。そこには繊細で、健康的ではなくなった日本社会の現状が反映されていると考えています。ミュージシャンは敏感な人ができる仕事だと僕は思います。彼らが歌詞にしている内容は現在のリアルな日本です。しかしそこは閉塞感に満ちているので歌詞も必然的に繊細で自意識が過剰になり、それが支持されて拡散されれば閉塞感はどんどん加速する、そのような文化の流れができているように感じてしまいます。本来エンターテインメントは社会の息抜きであったはずなのに。

その点、エレクトロニック・ミュージックというのは、そもそもそういった自意識を担保しながら作れる仕組みになっていない。特定の『言葉』以前のレベルでの『ある違う視点』を提示して、『逃避』ということとも違った、日常に健やかさを取り戻させるようなオルタナティブな作用が、今エレクトロニック・ミュージックができることの1つなんじゃないかなと思います」。

今後どんな展望を描いているかについても聞いてみた。

「たくさんやってみたいことはあります。まずは海外のアーティストをプロデュースしてみたいです。僕はK-POPをよく聴くんですが、彼らが時に歌う日本語詞に、日本語のネイティブが歌うもの以上に感動してしまうんです。それは、母国語を話す時に顔を覗かせてしまう言語を操る上での自意識のようなものが排除されていて、『今これを歌うんだ』という純粋な姿勢が表れているからなんだと考えています。以前、知り合いのロシア人のアーティストに『万葉集』の一節を音読してもらったことがあるんですが、これまでに体験したことのないような不思議な感覚があったんです。それを音楽として発展させられたら面白いなと思っています」。

冥丁
広島在住のアーティスト。これまでに妖怪をテーマにした『怪談』(2018)や、夜をテーマにした『小町』(2019)の 2 枚 のアルバムを海外レーベルよりリリース。2020 年にはスペインの「Sonar festival 2020」の 公式 PR 動画に楽曲が採用され、3 月、バルセロナで開催された「MUTEK ES」 に出演。演劇や映画、ファッションなどのさまざまな分野への楽曲提供・選曲なども行っている。

author:

柴崎祐二

1983年埼玉県生まれ。2006年よりレコード業界にてプロモーションや制作に携わり、多くのアーティストのA&Rディレクターを務める。現在は音楽を中心にフリーライターとしても活動中。編共著に『オブスキュア・シティポップ・ディスクガイド』(DUブックス、2020)、連載に「MUSIC GOES ON 最新音楽生活考」(『レコード・コレクターズ』)、「未来は懐かしい」(『TURN』)などがある。 Twitter @shibasakiyuji

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