東京・六本木の「タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム」で個展「やさしいだけ」を開催している写真家の松岡一哲。2018年には妻のマリイをテーマにした初の写真集「マリイ」を出版し、多くの注目を集めた。同展は、「マリイ」掲載作品と新作から、「やさしいだけ」というテーマの下にまとめられた約17点が展示されている。なぜ過去の作品を再編集し、なぜ「やさしいだけ」というテーマにしたのか。そこに込めた思いを聞いた。
——個展「やさしいだけ」を行うきっかけは何だったんですか?
松岡一哲(以下、松岡):タカ・イシイギャラリーのタカ(石井孝之)さんが写真集「マリイ」を気に入ってくれて、昨年の9月にタカさんがやっているラジオに呼んでいただいて、その時に個展の話になったんです。もともとはもう少し早めにやる予定だったんですが、新型コロナの影響もあって、このタイミングでの開催になりました。
——テーマの「やさしいだけ」にはどういった思いが込められているんですか?
松岡:もともと2014年に東京・学芸大学の流浪堂という古本屋で同名の個展を行ったんですが、その時は「知性や感性を競い合う美しさではなく、やさしいだけの美しさを表現したい」という思いがあったんです。改めて今回の展示のタイトルを考えている時に、またこの言葉が輝き出して、自分としてもしっくりきたんです。
——今回の個展は「マリイ」の写真と新作で構成されていますね。
松岡:「マリイ」からは9点ほどで、あと6点は新作です。何を飾って、何を飾らないか、その展示のバランスはすごく難しくて、それこそ展示の直前まで悩みました。これまで何回か個展は行ってきたんですが、僕の場合はその都度、大きくテーマが変わるわけではなく、ゆるやかに変化するといった感じなので、「マリイ」の作品と新作もうまく融合した展示になっていると思います。新作に関しては、もともと撮影していた作品もありますが、展示が決まってから撮影したものもあります。
新作はすべて長年愛用している35mmのコンパクトカメラ「オリンパス ミュー」で撮影しています。デジタルでも中判でも撮るんですが、作品として出す時はなぜかこのカメラで撮影したものが多くて。僕は写真を立体的にではなく、平面的なイメージとして見せたいので、よりフラットなコンパクトカメラのほうが合っているんだと思います。
——写真集「マリイ」は企画・構想から5年以上をかけて制作されたそうですね。松岡さんはマリイさんをずっと撮影し続けていたんですか?
松岡:編集者の服部みれいさんに「『マリイ』をテーマに写真集を出版したい」と言われて。でもそうはいっても、最初は妻を撮ることに恥ずかしさもあり、なかなか撮れなくて、でも寝ている時や犬と一緒にいる時など、リラックスしている時なら自然に撮影ができたんです。そこから撮影を始めたという感じですね。写真集の全ページにマリイが写っているわけではないですが、マリイが写っているネガからセレクトしています。だから彼女が写っていない写真も、一緒にいる時に撮影したもので、彼女と一緒にいる時間だとやさしくなれるというか、その時の空気感は独特なものがあります。
——写真集「マリイ」は500ページ以上ありますが、よくOK出ましたね。
松岡:最初は僕もOKは出ないと思っていました(笑)。デザイナーと相談して、こんな感じでやりたいというパイロット版を編集長に見せたら、OKが出たんです。枚数が多くて、物語っぽく見えるんですが、1枚1枚でも成立する写真だと思っています。どことなく現実から浮遊させた世界観で、紙も薄くして、ページをめくった時の感覚を大事にして作りました。
——仕事で女優やタレントを撮影することも多いですが、マリイさんを撮影する時とでは何か違いはありますか?
松岡:自分ができる限り美しいものを撮ろうという気持ちは一緒です。そのアプローチ方法は違いますが、意識の違いはないです。それはどの撮影でも同じで、仕事から生まれた作品もあります。
——写真を撮る時に意識していることはありますか?
松岡:何かしらあると思うんですが、言葉にするのが難しいですね。でも後で考えてみると無意識に手先や指先、眼差しなどは追いかけています。
——以前、「希望というものを、そのまま写真に写す」と言っていましたが、その言葉の真意は?
松岡:写真は写実である一方でファンタジーでもある。僕の場合は現実の中に少しだけ新しい世界を見せるというか。例えば、自分の好きな映画を観終わった後って、その映画の世界観を少しキープできるじゃないですか。その世界には希望があって、勇気づけられたりもする。それってやさしくて、美しい。そういう感覚を写真で表現できればいいなと思っています。