写真連載「言葉なき対話」Vol.4 ニューノーマルの時代に問う写真の次なる視座

パンデミックの発生以来、筆者が暮らすオランダでは3度のロックダウンが敢行され、そのたびに美術館や博物館などの文化施設は一時閉館を強いられてきた。今回はそんな状況下で滑り込めた展覧会の1つを紹介したい。オランダ・アムステルダムに位置するハウス・マルセイユ写真美術館での企画展「Infinite Identities – Photography in the Age of Sharing」(和訳:無限のアイデンティティ – シェア時代の写真)だ。

本展は「従来の美術館が担ってきたプロセスをインターネットとソーシャルメディアは将来的にどの程度激変させるか?」というテーマの下、ツールとしてInstagramを駆使する8名のアーティストおよび写真家の作品を紹介するものだが、オランダは現在3度目のロックダウンの最中にあり、本展も一時中止を余儀なくされていることから、くしくも展示テーマを現在進行形で考えさせるものとなった。

以下、出展作家の中で印象に残った3名に絞って紹介したい。

ソーシャルディスタンシングの世界が織りなす旋律

トーマス・ローア(1980-)はロンドンからパリに引っ越した直後、ファッション・フォトグラファーとしての多忙な日々に終止符を打った。Covid-19の感染防止を目的としたロックダウンは、人々の行動範囲を大幅に制限した。その瞬間を記録したいと考えた彼は、自宅のバルコニーから視界に入るストリートをめがけて撮り始めた。

そのツールとして、ローアはプロ仕様のカメラではなくスマートフォンのカメラアプリを選んだ。ただ撮るだけでなく、撮った写真を自分自身の体験としてリアルタイムで共有することが重要だと気付いたからだ。かくして2020年3月16日から5月11日までの56日間に及んだロックダウン中に35,000枚もの写真がスマートフォンで撮影された。自宅からでもフィードバックが得られる最良の方法として、ローアはそれらをInstagramに毎日投稿した。

ローアがベランダから撮影し続けた写真は最終的に作品集『View Point』として出版された

当時の彼にとってバルコニーは外界への唯一の窓であり、その制限は写真に一定のフォーマットをもたらした。まるで空を羽ばたく鳥のような俯瞰視点が映し出したのはソーシャルディスタンシングによって一定の距離を保った人々の姿だ。それらは横断歩道の縞模様と相まって楽譜を連想させる。街がロックダウンによって静まり返ったなかでもなお人々が織りなす旋律が視覚を通じて聞こえてくるかのようである。

主客未分の境地に見る写真の未来

ニューヨークを活動の拠点とするアメリカ出身のフォトグラファー、ニック・セティ(1989-)はインドから移民としてアメリカに渡った両親を持つ一方で、母国語を学ばずにアメリカ人として育った。2007年、家族とともに祖国・インドで1年暮らすことになった彼は、言葉が通じない現地の人々と知り合うために写真を撮り始めた。それは彼にとって十分に手応えが感じられるものだった。

かくして写真をビジュアルランゲージとして扱うことの喜びを知ったセティは、以降10年間にわたってインドとアメリカを何度も往復しながら写真を撮り続けてきた。言葉の代わりにカメラとiPhoneをコミュニケーションのツールとして駆使し、時にはカメラを人々に渡して自由に撮影させたり、Snapchatのフェイススワップを使って人々と顔を入れ替えてみせたりと、彼の写真には被写体との親密さがあふれると同時に、撮る/撮られるの立場を曖昧にさせたことで主客未分の境地が浮かび上がった。

Snapchatのフェイススワップを使って、インドの街で出会った人と顔を入れ替えた写真。ヒンディー語が話せないセティは、写真をビジュアルランゲージとして巧みに操ることで、彼のルーツであるインドの人々とコミュニケーションを図ってきた

母国を知ることなく育ったセティが10年をかけてインド中を巡った旅とはすなわち、自身のルーツを探し求めるものだったに違いない。しかし彼はその過程で、写真を表現手段に選ぶ人々が陥りがちな自己表現に固執するのではなく、あくまでも被写体とコラボレーションすることに重きを置いた。そうすることで文字通り現地と混ざり合ったのだ。私達はInstagramやそのストーリーで日々公開されるセティの写真を垣間見ることで彼の旅を追体験できるばかりか、コメントやライクによってリアクションをセティに送ることができる。撮影者と被写体、そして観客が高いエンゲージメントによって結ばれたセティのアートワークの在り方は、肖像権問題がしばしば議論されてきた写真表現の新たな道筋とその可能性を示唆している。

自己表現の時代に忘れがちなドキュメンテーションの力

2020年8月4日、レバノンの首都ベイルートの港で大爆発が発生。死者200人以上、負傷者6000人以上にのぼる大惨事を引き起こし、30万人以上が家を失った。写真家のミリアム・ブロス(1992-)はその現場と被害者を撮影して回った体験を経てこう語る。「イメージはもはや私に関するものではありません。イメージそのものが最優先事項なのではなく、ドキュメンテーションこそが重要なのです」。

かくしてブロスはイメージを作り上げることへの意識から距離をとり始めた。それまでの彼女も撮影後に被写体の連絡先を訊くようにはしてきたが、重要なドキュメントを形成するのは被写体の証言であると知った現在は、撮る前にまず彼らの話に耳を傾けるようになった。

ベイルート港爆発事故の翌日、その被害者らを救助してきたパレスチナ協会のメンバーが事故現場で祈りを捧げる様子がブロスのInstagramに投稿され、大きな話題を呼んだ

写真は時代を記録するメディアとして発達してきたが、カメラが大衆に普及したことで、それはいつしか身近な自己表現のツールとして親しまれるようになった。Instagramも一般的にはそうした目的のために使われるが、ブロスのInstagramアカウントは自身の作品を見せるための単なるプラットフォームとしてだけでなく、レバノンの現況に対する世間の認識を高めることに貢献している。洗練されたイメージ作りよりも、目の前の現実に対する誠実さを優先した彼女の写真からは、先述したセティと同様に、カメラの前に立った人々との親密さがうかがえる。

昨年発生したパンデミックは世界の当たり前を一変させた。筆者が暮らすオランダでは昨年3月と10月にロックダウンが実行されたが、それでもCovid-19の感染者急増に歯止めをかけることはかなわず、12月中旬より3度目のロックダウンが継続中だ。ロックダウンの度に生活必需品を取り扱わない店舗は軒並み閉鎖され、美術館などの文化施設は一時閉館を強いられてきた。

これまでのアートシーンにおいては美術館やギャラリーが作品発表の絶対的な磁場として機能してきたが、昨年のパンデミックをきっかけに美術館やギャラリーが開閉の反復を余儀なくされたことで、オンラインの活用はアーティストにとってますます重要なものとして認識されたはずだ。なかでも絶大な人気を誇るInstagramは、アートワークを発表するパブリックステージとしても機能し始めている。私達は本展が掲げたテーマの答えをまさに今この身で体感している。

3名のInstagramアカウントは以下の通りだ。それぞれのページにアクセスしてもらいたい。美術館が閉ざされている今、彼らの活動の実体はオンラインでのみ確かめられるのだから。

トーマス・ローア– @thomaslohrstudio
ニック・セティ – @sicknethi
ミリアム・ブロス – @myriamboulos

■「Infinite Identities: Photography in the Age of Sharing」
会期:2020年11月28日〜2021年2月28日
会場:Huis Marseille(オランダ)

Photography Tomo Kosuga

author:

トモコスガ

1983年、東京都生まれ。2018年、オランダのアムステルダムに移住。フリーランスのアート・プロデューサーとして展覧会や出版物のプロディースを手掛けるとともに、写真家の故・深瀬昌久が遺した写真作品の管理団体「深瀬昌久アーカイブス」創設者兼ディレクターを務める。著書に『MASAHISA FUKASE』(英語・仏語版:Éditions Xavier Barral、日本語版:赤々舎、2018)がある。YouTubeチャンネル「トモコスガ言葉なき対話」にて写真表現の現在を日々発信中。 https://www.youtube.com/user/tomokaflex

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