アート連載「境界のかたち」Vol.3 日本発のクィア系アートZINE「マルスピ」遠藤麻衣と丸山美佳が語る、日本アート界の問題意識

ビジネスからサイエンスに至るまで、アートの必要性を説くシチュエーションが激増している。コロナ禍で見える世界は変わらないものの、人々の心情が変容していく中で、その心はアートに対してどう反応するのか。ギャラリストやアーティスト、コレクターらが、ポストコロナにおけるアートを対象として、次代に現れるイメージを考察する。

第3回は日本発のクィア系アートZINE『MULTIPLE SPIRITS/マルスピ』を創刊した、批評家・キュレーターの丸山美佳と、アーティストで俳優の遠藤麻衣の2人が登場。

「元始、女性は太陽であった」とは、1911年の『青鞜』発刊に際して平塚らいてうが書いた言葉である。そこから時代を下ること一世紀以上。2018年に創刊されたZINEは、「日本発のクィア系アートZINE」として『青鞜』創刊号の表紙をアプロプリエーションしている。

近年日本では、世界中の席巻する第四波フェミニズムと呼応するかたちで、ジェンダーやセクシュアリティへの関心が高まっている。書店では毎週のように新刊の関連エッセイや学術書が並び、ドラマや映画でもセクシャルマイノリティを描いた作品の数は10年前とは比べ物にならないほど増えている。

転じて、アート界はどうだろうか。2019年に開催されたあいちトリエンナーレでは、「ジェンダー平等」を掲げて参加作家の男女比率を50/50にするアファーマティブ・アクションが講じられたけれど、それに対する反発も少なからずあった。

複数性や複合的なあり方を意味する名を冠したZINE『MULTIPLE SPIRITS/マルスピ』は、こうした状況のなかで創刊された。立ち上げたのは丸山美佳と遠藤麻衣。創刊号は家のプリンターで印刷して、自分たちでホチキス留めた。

現在2号まで刊行されているが、その中身は、国内外で活躍するアーティストのインタビューから、人新世(アントロポセン)や共産圏のフェミニズムに関する論考の翻訳、おしゃべり形式の対談まで、硬軟織り交ぜた内容となっている。

「マルスピ」はどのような問題意識のもとに立ち上がったのか? 「日本発のクィア系アートZINE」であるのはなぜか? その背景には、海外のフェミニズム・クィア理論との出会い、そして「ジェンダー論争」以降日本アート界で支配的だった言説に対する問題意識があった。

――どうして「マルスピ」を始めようと思ったんですか?

丸山美佳(以下、丸山):私はウィーンに住んで今年で6年目なんですけど、2018年に麻衣ちゃんが留学でウィーンに来たのがきっかけでした。当時は仲がいいというわけでもなかったんですけど、フェミニズム表象を扱った作品を作っているのは知っていたので、私が在籍しているウィーン美術アカデミーの先生であるマリーナ・グルジニッチを紹介したんです。スロベニア出身の哲学者でアーティストとしても活動している人なんですが、彼女のクラスはアーティストも研究者もアクティビストもみんないっしょくたに議論をするかなり開かれた場所なんです。

遠藤麻衣(以下、遠藤):ウィーンに留学するちょっと前に、《アイ・アム・ノット・フェミニスト!》という作品を フェスティバル/トーキョー17で発表したんですけど、この作品は、当時の夫と婚姻契約を作り、結婚式を演劇祭で行うというものでした。でもそのあとすぐ、作品とは別の私的な理由で離婚をして。作品と生活があまりにも近くなってしまって、今後何を作ればいいか、この先どんな生活をしていったらいいかがわからなくなってしまいまいした。そのタイミングでウィーンに行くことになったんです。

丸山:それでその悩みを聞いたり、腹を割って話したりすることがあったんです。私はウィーンに来てからとくにクィア理論やメディア理論を横断する活動に関心を寄せているんですが、日本語で話されていることと、ウィーンで議論していることにどうしてもギャップを感じでしまっていて。日本語で芸術実践と繋げてそういう話ができる場所をつくりたいと思っていたんです。けど、1人ではできない。麻衣ちゃんの悩みを聞きながら、お互いの活動は違うけれど共通する問題意識みたいなものを感じたので、「ジン作らない?」って誘ったのがはじまりです。

遠藤:お酒を飲みながら、いいねいいね! って意気投合して。2018年当時は、日本語でフェミニズムやクィアの文脈でアートが今ほど語られていなかったので、自分たちのリアルに沿った言葉を探したいというモチベーションもありました。

――ウィーン美術アカデミーはどんな学校なんですか?

丸山:美大なんですが、実践だけでなく理論も重視していて、ジェンダーやクィア理論もかなり充実しています。それが前提として共有されているので、アーティストであっても議論を求められるし、ジェンダーやセクシュアリティを扱った芸術実践もとても多い。あとは移民なり難民なり留学生なり、いろんなレベルでオーストリアに滞在している人も多いので、ジェンダーやクィアといっても異なる文脈で議論することの難しさもあります。

遠藤:私は東京芸大の交換留学制度を利用して行ったんですけど、芸大は教授の男性の割合が圧倒的に多いんです。アカデミーは真逆で、教授から事務職員まで含めて8割が非男性。私も自作と関連して、ジェンダーやセクシュアリティについてどういう意見を持っているかとか、日本ではどう議論されているのか、って周りからもよく訊かれました。でも、自分の作品を通して日本社会を対象にした意見を求められることがそれまでなかったので、はじめのうちは「日本のアートではまだ議論が不十分だ」とか、「自分はそのような日本の状況を内面化している」とか、紋切り型の返ししかできない自分にもどかしさを感じましたね。それとマリーナは、大学は知を求める人に開かれているので、私の生徒でなくても、学生ではなくても参加したい人はいつでも来たらいいって言っていて、めちゃくちゃかっこよかったです。日々、いろいろな人が出入りしていました。

――ステートメントで「日本発」を謳っているのはなぜでしょうか?

丸山:ふたりとも日本文化、特に90年代の少女文化のなかで育ったというのは間違いなくあって、美術やジェンダーについて話すときに、そういう文化の影響を避けては通れないと思ったのがまずひとつ。クィア文化との接続点でもありますしね。それから、知識がどういう土壌のうえに育っていくのかを重視したいのもあった。普遍的な知識っていうものはないと思うんです。私はブラック・フェミニズムなり南米のフェミニズムなり、自分たちの手で自分たちの言葉を獲得してきた歴史や実践に影響を受けているし、憧れもあります。なので「日本発」という言葉は、日本文化を発信するということではなく、日本語話者である自分たちの言葉を紡いでいきたいという思いなんです。もちろん日本の家父長的な言説のあり方を問題視していることは前提としてありますが。

あと、翻訳の問題も存在していて、英日バイリンガルなので日本語話者以外も意識しています。日本の文化で育った私たちは海外に出たり他文化に触れるときに、いろんなレベルで日本的なものに直面せざるを得ないところがあって。例えば、ジェンダーやセクシュアリティを考えるときには、日本の帝国主義や植民地主義、あるいは人種差別は避けては通れない。自分が透明な人間であることはできないし、日本の文化的な土壌を自覚せざるを得ない場面がすごくあるんです。だから、そういう視点も含めて芸術実践と言葉を繫ぐ場所を作っていきたいと思っています。

――ステートメントには「私たちは歴史的なフェミニズムの流れの中にもいると考えています」とも書かれています。

丸山:ジェンダーやセクシュアリティに関しては、先人たちの取り組みなしには突破できなかった壁が多くあり、クィアもその視点から捉えています。日本の文脈で言えば、フェミニズムやジェンダーはアート界でも90年代はよく取り上げられるテーマだったと思うんです。展示もあったし活発な言説もあった。

――どんな状況だったのでしょうか?

丸山:90年代は、千野香織さんや若桑みどりさんが立ち上げた「イメージ&ジェンダー研究会」が設立されたり、今でも活躍されていますが、帝国主義と接続しながらジェンダーの問題を提起していた嶋田美子さんがいたり、長谷川裕子さんがキュレーションした「デ・ジェンダリズム 回帰する身体」展(1997年)が開催されたり。パフォーマーのイトー・ターリさんがWomen’s Art Net Workを設立しり、ダムタイプのS/Nが発表されたのもこの時期ですよね。

遠藤:1991年の東京都写真美術館での笠原美智子さん(1989年から東京都写真美術館で学芸員を務め数々の展示を企画した、現在はアーティゾン美術館副館長)による企画展が日本の美術館で初めてフェミニズムやジェンダーの観点による展覧会だったそうで、笠原さんによると、それまでの日本にもフェミニズムに対するフォビアがあったそうです。欠落していた視点がたくさん芽生えた時期だったと思います。

丸山:当時は芸術におけるジェンダーやセクシュアリティの問題が活発にされていたようなんです。それが2000年代に入ると、なくなってしまう。ひとつの原因が「ジェンダー論争」と言われていて、日本のアート界の批評家・評論家たちが、フェミニズムは輸入された概念だから日本にはいらないんだ、といったことによって、言説が尻すぼみしてしまった。もうひとつは、日本社会全体でフェミニズムに対する大きなバックラッシュが起こりました。私たちはその下の世代に属しますが、ジェンダー問題について語らないどころか、女性の作家たちと話していても、男性中心主義的な目線から「女性特有の」とか「女性性がもたらす表象」といった言葉で作家活動が一緒くたにされてしまうことに違和感がありました。「女性らしい」という言葉で隠してしまった裏側には、本当は多様なものがあるのに。

――認識の解像度が粗いから、雑な語彙でしか表現できない。

丸山:言葉がないと感じました。だからさっき、言葉を紡がないといけないと言ったのは、そういった「女性らしい」という言葉に隠されたものが何なのか、自分たちも知りたかったからでもあって。

――なるほど。

丸山:例えば、笠原美智子さんがいた写真界と、そういう人がいなかったアート界って、言説や女性の作家の活躍においては差があるのではないかと、麻衣ちゃんと考えたことがあるんです。長島有里枝さんが『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(2020年)で書かれていたように、90年代の写真界もかなり男性中心的ですが、一方で笠原さんのようなキュレーターがいたから、長島さんやオノデラユキさんといったアーティストが第一線で活躍できたという面もあると思うんです。その反面、あの世代で日本で活躍している女性の現代美術作家ってすごく少ない。

――1人いるだけで全然違ってくる。

丸山:笠原さんはジェンダー理論の専門家であるし、写真美術館に学芸員としていて、フェミニズムやジェンダーを写真と接続して言説を作っていったのは大きかったと思います。私たちもその言説と実践にアクセスすることができますよね。

――遠藤さんは作り手として感じていることはありますか?

遠藤:ここ数年で、制作している現場での意識や考え方がすごい速さで変わってきているのは感じますね。しかも、ジェンダーやセクシュアリティをテーマにするだけではなくて、形式や構造や作る過程そのものをラディカルに考えている。例えば「マルスピ」2号に寄稿してくれたキュレーターの内海潤也さんは「フェミニズム・キュレーション」っていうコンセプトを立ち上げて、男性中心的で単線的な展覧会の枠組みそのものを批判していたり。あと、批評家の福尾匠さんと黒嵜想さんは、批評の男性的な語りに疑問をもって「マルスピ」2号で「おしゃべり」という形式を用いたことに興味を持ったと言っていました。

丸山:私たちもそういった表現活動に出会いたいし、共有したいし、もっと知りたいと思うんです。少女文化を正面から扱うのも、市原沙都子さんと高田冬彦さんのコラボレーションやそれぞれ2人の実践に影響を受けているからだし、「おしゃべり」をあえて強調しているのも、百瀬文さんや地主麻衣子さんの活動があったからなんです。一緒に翻訳をしているキュレーターの根来美和さんなども、抑圧されてきた言説に自覚的で、だからこそ方法は違えど、表現なり言説なりとして話さなきゃいけないっていう認識は共有しているんじゃないでしょうか。それは、今アートコレクティブが活発になってきていることとも関係があると思います。90年代もそういう横のつながりがあって、大きな流れを作っていったと思うんです。なくなってしまったからこそ、抑圧されてしまったことを、違う形でやっていこうというか。

遠藤:それはありますね。ジェンダー論争のとき、フェミニズムやジェンダーを扱う展示が増えたときにあがった批判ってフェミニズムは「借り物の思想や知」で、現実に促してないというものだったんですけど、そういう批判をする側の論理も「マルスピ」はもちろん踏まえてはいる。かといって、日本対西洋みたいな古い二項対立はすでに無効だと思うし、もっとトランスナショナルに、共有できる話をしていきたい。私が日本にいて、美佳ちゃんがウィーンにいて、2つの拠点があるというのはそういう点でとても風通しがいいんです。

丸山:ウィーンに来た当初日本で話されている芸術とジェンダーの話って90年代以降アップデートされてないんだと気づかされたんです。先生にも「まず考え方をアップデートしなさい」って言われて。日本でジェンダー理論があまりされなくなってからも、フェミニズムとクィアの接続点が発展し、有色人系のフェミニズムや、南米や東南アジアの新しい言説は生み出されてきたわけですよね。それは芸術の現場でもそうです。日本でも様々な活動は続けられているのに、まるでジェンダーの問題は終わったことであるかのように語られてしまっていたんだと思います。

――ジェンダー論争以降、日本は鎖国状態に……。

丸山:あいちトリエンナーレもあって日本でも以前よりジェンダーを扱った作品や議論が増えたと思いますが、昔と同じような議論が繰り返されているのも見かけます。もちろん歓迎すべき変化ですが、どうしてジェンダーだけを問題として取り上げる視点になってしまうのかと疑問にも思います。「マルスピ」ではインターセクショナリティ(交差性)を重要視していて、さまざまな問題がどう関わっていて、どう交差しているのかが重要だと思っています。これまでのフェミニストやクィアの歴史に私たちは立っているという意識はそこにあります。そのうえで、同じことを繰り返すのではなく、今ある可能性を使って、自分たちが経験していることを考えていきたいし、他の人がどう考えているのかを私たちも知りたい。

――今後やっていきたいことは何でしょうか?

遠藤:マルスピは、日英のバイリンガルだけど、英語圏でない人たちと文化交流をしたいし、すでに起っている文化交流をリサーチしていきたいです。言語を「壁」にしたくないですね。2019年にはソウルにいって、アーティストに直接会って話を聞いたり、ソウルのフェミニズムやクィアをテーマにした展覧会を見に行ったり、鍼灸を受けたりしたのですが、今後も気になったことにはジャンル問わず交わってゆきたいですね。

丸山:「マルスピ」をきっかけに出会いや交流がグッと増えたんです。特に、韓国とか中国とか、東アジアのつながりを大事にしていきたい。それから、日本の90年代に行われた議論との断絶は気になるので、そういう活動してきた方たちともつながっていきたいと思っています。あと、早く3号は出したいですね。2人とも博士課程を終わらせようとしていて、最後の編集に手がつけられてないんですけど……でも、お互い、無理をしないのを鉄則にしているので(笑)。

丸山美佳
長野県生まれ。横浜国立大学修了、現在ウィーン美術アカデミー博士課程在籍。東京とウィーンを拠点に、批評家・キュレーターとして活動している。主な展覧会に「When It Waxes and Wanes」(ウィーン、2020)、「Protocols of Together」(ウィーン、2019)、「Behind the Terrain」(ジョグジャカルタ、2016/ハノイ、2017/東京、2018)、「Body Electric」(東京、2017)など。主な寄稿先に「artscape」「美術手帖」「Camera Austria」「Flash Art」など。http://www.mika-maruyama.com/

遠藤麻衣
兵庫県生まれ。現在、東京芸術大学美術研究科博士後期課程美術専攻在籍。映像、写真、演劇などのメディアや方法論を横断しながら、いまここにある身体が発するメッセージと、社会規範や芸術のフォームとのずれを遊戯的に重ね合わせて表現を行う美術家・俳優。近年の主な展覧会に、「彼女たちは歌う」(東京藝術大学大学美術館陳列館、2020)、「新水晶宮」(TALION GALLERY、東京、2020)、「When It Waxes and Wanes」(ウィーン、2020)など。主な個展に「アイ・アム・ノット・フェミニスト!」(ゲーテ・インスティトゥート東京、2017)など。http://www.maiendo.net/

Edit Jun Ashizawa(TOKION)

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author:

平岩壮悟

1990年、岐阜県高山市生まれ。i-D Japan編集部に在籍したのち独立。フリーランス編集/ライターとして文芸誌、カルチャー誌、ファッション誌に寄稿するほか、オクテイヴィア・E・バトラー『血を分けた子ども』(藤井光訳、河出書房新社)をはじめとした書籍の企画・編集に携わる。訳書に『ダイアローグ』(ヴァージル・アブロー、アダチプレス)がある。 Twitter:@sogohiraiwa

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