ザ・クロマニヨンズやOKAMOTO’Sのレコジャケ制作の裏側を映画化 菅谷晋一の楽しさあふれるデザインの世界

ザ・クロマニヨンズOKAMOTO’Sなどのレコードジャケットを手掛けるデザイナー・菅谷晋一。店頭に並ぶ際には平面のアートワークだが、実際は、絵を描いたり、オブジェを作ったり、写真を撮ったり、版画にしたり、コラージュしたりなど、完全な1点ものを1人で作っている。そんな制作過程を追ったドキュメンタリー映画『エポックのアトリエ 菅谷晋一がつくるレコードジャケット』が現在公開中。その本人が、音楽愛から生まれる独自のデザイン世界を語る。

何でもいいので、音楽に関わる仕事をやってみたいなと

――まずは、手の内を見せてしまいかねないドキュメンタリー映画のオファーをなぜ受けたのでしょうか?

菅谷晋一(以下、菅谷):周囲の人達から「菅谷さんの制作方法って変わっているよね」と言われていたので、改めて自分の仕事を俯瞰で見られるのはおもしろいかなと思ったんです。

――デザインといってもさまざまな分野がありますが、音楽のジャケットワークに興味を持ったきっかけを教えてください。

菅谷:最初は、純粋に音楽が好きだったんです。子どもの頃に、「サンヨー」のカセットテープ工場に社会見学に行って、記念に音楽が入っていない生テープをいただきました。それを友達のお兄ちゃんに渡したら、今まで聴いたことのない洋楽の曲がたくさん入って返ってきたんです。
特に、ランDMCとエアロスミスの「ウォーク・ディス・ウェイ」に衝撃を受けて、そこから主に洋楽ロックにのめり込んでいきました。ガンズ・アンド・ローゼスだったり、当時人気だったロックバンドの源流となったブルースだったり、ニューヨークやイギリスのパンクとか、とにかく聴きまくりましたね。

――洋楽を聴くようになった流れで、必然的にジャケットも好きになっていったわけですか?

菅谷:僕が子どもの頃は、7インチのレコードもあれば、シングル版の8センチのCDが登場したり、メディアの形態がいろいろと変わる時期だったんです。集めていくと棚の中の統一感がなくなって、そのガタガタな状態が凄くいいなと感じて。

――そういう中で、特に印象に残っているジャケットは何ですか?

菅谷:ローリングストーンズの『メインストリートのならず者』(原題:Exile on Main St.)かな。そのジャケットの写真を撮ったロバート・フランクは、ただ撮影するだけじゃなくネガやポジなどのフィルムに落書きするなど、普通の写真家とは違うアプローチをしていたんです。なので、自分もまず写真を始めて、後々デザインのほうにも進んでいきました。

――本格的にデザイナーを目指したのはいつだったのですか?

菅谷:ちゃんと考え始めたのは大学生の頃。ただ、何も知識がなかった。レコード会社にデザイン部門のようなものがあって、そこでジャケットが作られていると思っていました。でも、信藤三雄さんがメディアに出ていて、ジャケットのデザインを作る専門の職人がいることを知ったんです。彼が手掛けるジャケットは、彼が作ったとわかるほど特徴的だったので、衝撃は大きかったですね。

――大学では、建築を学ばれていたんですよね?

菅谷:もともとは建築家になりたかったのですが、在学中はデザイン建築も学んでいて、デザイン系の友達とばかり遊んでいました。結果的にデザイナーになりましたが、今でも当時の経験は活かされていると思います。
建築は人の生活の基本を考える職業なので、CDジャケットの色1つ考えるにしても、実際に商品が並べられるレコード屋さんの壁の色や重機の色を考慮して、その中でどれだけ目立つものにできるかを考えたりもしますから。

――今回の映画の中でも紹介されていますが、実家の稼業を継がれた時期もありました。その後、本格的にデザイナーとしてキャリアを始めたのが、「ボンジュールレコード」(※音楽やファッションに対して感度の高い人々から人気を集めるセレクトショップ)へ就職活動したタイミングからだと思います。そもそも、バイヤーの募集に応募されたんですよね?

菅谷:まずは何でもいいので、音楽に関わる仕事をやってみたいなと。もちろんデザインをやりたい気持ちがあったので、面接の時に今まで自分で作った架空のジャケットデザインをポートフォリオとして持っていったんです。
結果的に、そのポートフィオリオのおかげでデザインをやらせてもらえることになったんですが、もし「バイヤーできる?」と聞かれたとしても、やったことないけど「できます!」って答えていたと思います。デザインも同じですが、やったことないけど、結果的に責任を持って最後までやり切れば良いわけです。つまり、のちのち“はったりの回収”をすればいいんですよ(笑)。まずはやっちゃうこと、が大切じゃないかなと。

フラットに音楽を聴いて、どれだけ自分が感動できるのかを大切にしています

――改めて菅谷さんがジャケットワークを手掛けるプロセスをお聞きしたいのですが、まずは対象の音源を聴くことから始まりますよね。

菅谷:そうですね。自分自身がスポンジのようになって、その音楽を吸収して、そこから搾り出されてくるものをどう形にするかを考えています。

――音楽は形がないものですが、デザインによって可視化されるものもあると思います。音からデザイン、その間をつなぐものは何でしょうか?

菅谷:どうでなんでしょう。ただただ、感動なのかなぁ。その言葉どおり、感じて心が動く。楽しかったり、嬉しかったり、感情に触れる針をどれだけ大きく保てるか、ですかね。なので、フラットに音楽を聴いて、どれだけ自分が感動できるのかを大切にしています。

――日々の生活においては、そういったアンテナは働いているんですか?

菅谷:モノ作りをしない時は、ボーっとしてます(笑)。

――例えば、レコード・CDショップで流れている音楽に反応することは?

菅谷:仕事と関係ない音楽を聴いて、デザインのアイデアが浮かぶとかはあまりないです。でも、この曲はどんなジャケットなんだろう? と思うことはあります。本当に音楽バカなので(笑)。

――菅谷さんの仕事で代表的なものが、ザ・クロマニヨンズのアートワークです。驚いたのは、すべてのデザインを任されているということ。言い換えれば、丸投げされているわけですよね。

菅谷:そうですね。今回の映画の中で僕は“大喜利”という言葉を使っているのですが、相手方も何が出てくるのかを楽しみにしてくれている流れができているんです。本当に恵まれているんですよ。

――そのような信頼関係は、どのようにして築かれていったのですか?

菅谷:最初からあった気がします。クライアントから仕事を依頼されると、多くのデザイナーさんは、おそらく複数のパターンを用意して提案すると思うんです。でも、僕の場合はたった1つの作品だけを作り納品します。選択肢はありません(笑)。
彼らと最初に仕事をしたのは、ハッピーソングレコードのロゴマークをデザインしたことなんです。その縁もあって、ザ・ハイロウズの『ドゥ!!ザ★マスタング』で馬の写真が必要になった時に「菅谷くんに撮影してきてもらえば」という感じでお話しをいただいて。それもきっと「彼ならおもしろそうなもの撮ってきそうじゃない?」みたいな軽いノリだったはずなんです(笑)。で、僕はそのお題に応えるみたいな。そう、大喜利は最初から始まっていましたね。

――ご自身としては、依頼者やファンの期待に応えたいという気持ちと、自分がこうしたいという気持ち、どちらのほうが強いですか?

菅谷:どちらもあります。自分が作りたいものを正直に作るほうが少し大きいですけど。なぜなら、笑ってもらいたいから(笑)。

――菅谷作品には“笑い”が必要ということですか?

菅谷:大事ですね。例えば、落語とかってバカバカしい要素がありますよね。1つ無駄なものを入れると、そのバカバカしさが膨らむというか。ザ・クロマニヨンズの『パンチ』のジャケットも、普通にキャンパスに絵を描いてもいいんです。でも、実際に立体のオブジェを作ったほうが絶対におもしろいというか。作りたくなっている自分もいるんですけど。そう思うと、僕の場合は“バカバカしい笑い”が大切なのかなと。

――結構、大きなオブジェですよね。

菅谷:サイズに関しては、あまり考えていないかもしれないです。材料に使った水道管が、たまたまあのサイズだっただけで(笑)。『ジャングル・ナイン』のジャケットに使われた像も、最終的にはレコードやCDサイズに収まるデザインなのに、現物は2メートルくらいあります。それはもう、バカバカしさからくる迫力ですよ(笑)。そのためには手間は惜しまない。カッコ良く言えば、自分が納得するものだけを作る。モノ作りしている人の多くが、そういう気持ちで作っていると思います。

――作品によっては、割り箸やGペンを使っていたりもします。道具や手法は、作品によって変わるのでしょうか?

菅谷:基本的に、手法は何でもいいと思っています。もちろん普通の筆を使う作品もありますが、普通の筆だとある程度コントロールが効いてしまっておもしろくない。そう思ったら、割り箸など別の道具を使うことで、自分が思ってもいないような線になったりするんです。しかも、途中で紙が破れたり、インクが滲んでしまったり、そういうことも僕の中ではバカバカしさの部類に入る。とにかく、バカバカしさを挟みたいというか(笑)。そのことで、作り終わった後に「あぁ、おもしろかった、楽しかった」という感じで、バカバカしさの後にやってくる笑いが自分の中に生まれるんですよ。

――アナログデザインとデジタルデザイン、双方における菅谷さんの考え方やこだわりはありますか?

菅谷:デザインの考え方って、Macが登場して変わったと思うんです。もともとは写真を撮る人、デザインをする人といったように分業されていたはず。でも、Macがあれば1人で完結してしまう。そういう意味で、僕自身はずっとアナログ的な作業もやってきましたし、デジタルだからできるデザインもやりたいので、両方あることが自然な環境なのかなとは思います。
一方で、デジタルデザインに関しての危機感もあるので、だからこそ手で作ることを辞めないのかもしれません。インクが乾くまで待つとか、予期していなかった歪な形になるとか、そういうものも楽しみたいですから。僕もデジタルネイティブではあるので、余計にそういうことがなくなってしまう危機感を知っているのかもしれませんね。

――例えば、コピー&ペーストができない作品だからこその価値、というのもありますか?

菅谷:結局、できる作品は1点ものなので、そこは大事かもしれませんね。毎年、春になると僕のところで働かせてくださいという連絡をいただくのですが、最近はやっぱりペンタブレットなどで絵を描いている人が多い。そういう人には必ず「紙に描いて残しておいたほうがいいよ」とアドバイスします。

――劇中でも映っていますが、菅谷さんも最初に必ずスケッチしていますよね。

菅谷:頭の中のアイデアが逃げないようにしています。最初に音源をいただいて1~2回だけ聴くんですが、最初に来たガチーン! という衝撃を逃さないように、スケッチや言葉で書き留めておきます。やっぱり自分の中では、最初のインパクトが大事かなと。

――寝てらっしゃるシーンも多く出てきますよね。

菅谷:あれもアイデアを逃さないことにつながります。コンピューターの周りって情報が多くて、いろいろなものが見えてしまう。そういう時に目を閉じて、最初のことを思い出す環境を作る。そのまま寝ちゃうことが多いのですが、寝て起きた時にアイデアが固まっていることも多いんです。

――描く・作る・デザインするといった他に、ザ・クロマニヨンズのアートワークに登場するUMAの高橋ヨシオにはオリジナルの物語が存在しますよね。そういったストーリーテリングも、菅谷さんの作品の一部ですか?

菅谷:あれは自然にできていった流れではあります。クロマニヨンズのアルバムって、タイトルに意味は無いんですよ。おそらく、もともとの意味があったらストーリーはできていないと思いうので、意図せず自然にできちゃった感じです。
ただ、僕の中では毎回アルバムを買ってくれている人は、高橋ヨシオのストーリーを理解してくれていると思い込んでいました。でも、実際はまったくわかってもらえていなくて(笑)。同時に、わかってもらえていないことがおもしろいんだ、ってことにも気付いたんです。現に、それぞれがイメージを膨らまして、キャラクターに勝手に名前を付けている人もいたりして。そういうことであれば、僕は僕でストーリーを進めて、その答え合わせを今回の映画の中で話そうと。ただ、それが正解じゃなくて、個々が自由に想像してくれて自由に楽しんでいただければいいなと思っています。

――OKAMOTO’Sとのお仕事は、どういうスタンスでやっていますか?

菅谷:同じですね。完成したキャンバスを担いで持っていき「今回はこういう作品ができました!」と納品する。個人的には、やっぱり自分が手掛けた『オペラ』が好きですね。あの作品は“ロックオペラ”というコンセプトがあったので、それを自分なりに表現しました。

――菅谷さんにとって、OKAMOTO’Sというバンドは?

菅谷:彼らはカッコ良くて器用なバンドで、やっぱり楽しい! というひと言に尽きます。

――では、菅谷さんにとってザ・クロマニヨンズは?

菅谷:最高! としか言いようがないですね。まず、最初に仕事をさせてもらったザ・ハイロウズを初めて聴いた時に、自分が今まで聴いていた洋楽のエッセンスが随所に入っていると感じたんです。しかも、一緒に仕事をするまでは、レコードで音源を聴くことが一番楽しいことだと思っていました。でも、彼らのライヴを観て、ライヴの楽しさを知った。ザ・クロマニヨンズとなった今も、ずっとその楽しさを更新し続けてくれている感じです。

映画を観て感じたのは、人と人の出会いやつながりのありがたさ

――もはや、バンドもレコード会社もマネージメントも、単なる仕事相手ではない関係性のように思います。菅谷さんにとって、一緒にお仕事しているみなさんはどんな存在なのでしょうか?

菅谷:うまく言葉にできないですね。最初にお話ししたように、当初はこの映画を通して自分の作品制作のプロセスを俯瞰的に見ることができたらおもしろいなと思っていました。もちろん、そういう側面もありましたが、映画を観て感じたのは、人と人の出会いやつながりのありがたさです。改めて、自分は本当に恵まれているんだなと思いました。

――密着撮影が始まったのはコロナ前だと思いますが、コロナによって作品制作に変化はありましたか?

菅谷:モノ作りに関しては、あまりないかもしれません。しかも、僕の役割としても、そういう状況の変化で何かを変える必要もないのかなと。ただ、この先はどうなるかわからないですが、なるべく変わりたくないというのが本心なのかもしれません。

――ちなみに、クライアントワーク以外でプライベートな作品は作っていらっしゃいますか?

菅谷:自粛期間中に、1点だけコロナ関連の絵を描きました。モチーフはアメコミの1コマなんですが、なぜミュージシャンがライヴをできなかったり、エンターテインメントができなくなってしまったのだろう、そういう想いを込めて「Why??」と入れました。最初は涙の描写は描いていなかったのですが、それは志村けんさんが亡くなられたので足しました。同時に、COVID-19の文字も入れたのですが、描きたいから描いたというシンプルな理由です。その他にも、常に何かしらの作品は作っています。それが実際の作品に反映されたりもしていますね。

――今後やってみたい手法とか表現方法はありますか?

菅谷:手法も素材も試したいものたくさんあります。サイズが大きなものも作りたいですね。

――もし機会があれば、菅谷さんの作品を間近で見られる場もあったら嬉しいなと思っています。

菅谷:個展はやってみたいですね。今はコロナで難しい状況かもしれませんが、みなさんにも実際の作品に触れてもらいたいです。アトリエで作品を作ったものの、サイズが大きすぎて外に搬出できない、そういうバカバカしいハプニングが起こりそうな気もしますけど(笑)。

菅谷晋一
1974年3月30日生まれ、東京都出身。絵を描き、オブジェを作り、版画を刷り、写真を撮り、コラージュをし、映像のディレクションまで、ビジュアルをあらゆる手段で表現する。エポックのアトリエでは、音楽関係、装丁、ファッション、コーポレート・ アイデンティティ、ビジュアル・アイデンティティなどジャンルを問わず、日々1人で作り出している。現在、制作過程に密着したドキュメンタリー映画『エポックのアトリエ 菅谷晋一がつくるレコードジャケット』が劇場公開中。
http://www.epok.tv
https://epok-film.com

Photography Tetsuya Yamakawa
Text Analog Assassin

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author:

相沢修一

宮城県生まれ。ストリートカルチャー誌をメインに書籍やカタログなどの編集を経て、2018年にINFAS パブリケーションズに入社。入社後は『STUDIO VOICE』編集部を経て『TOKION』編集部に所属。

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