羊文学のアルバム『POWERS』は、スタジオ内に反響するフィードバック・ノイズで始まる。そこから4カウントを合図に放たれる、フロアタムの重たいリズムとベースのルート音、そしてファズ・ギター。スタジオに集うことすらままならなかった2020年の閉塞感を切り裂くような轟音で、記念すべきメジャー・デビュー作の幕を開けた羊文学。そんな最新作について3人に話を聞いた。
「アルバムの始まりにこれといった意味はないんですけど、この一発目で全部がひっくり返ったらいいなっていう気持ちは、確かにありました。やっぱり部屋にこもってばかりいるとストレスもたまるし。あと、これはもともとの性格でもあるんですけど、私はつい破壊しにいきたくなるタイプなので(笑)」(塩塚モエカ)
『POWERS』は、この社会に生きる人々の悲喜交々を描いた作品だ。同時に、このアルバムには自分自身の姿がそのまま投影されていると、塩塚は言う。
「今回のアルバムには、これを作っていた時期の私が詰まってるんです。どの曲も今までと同じように私が思ったことを書いている。でも、あとからそれを読み返してみると、なぜか主人公が他の人になってるんですよね。しかも、どの人もみんな悩んでる。『あいまいでいいよ』にしてもそうですね。つまりそれって『あいまいじゃダメなのかも』と思う瞬間があるってことだから」。
アルバムの制作時にこれといったコンセプトは設けていなかったが、曲順に関しては塩塚の中で確信があったようだ。
「これまでの羊文学のCDって、一番暗い曲のあとに明るめな曲がきて、なんだかんだ最後は爽やかに終わる感じだったと思うんです。それこそ以前の自分だったら、『ghost』の後に『あいまいでいいよ』をもってきてたんじゃないかな。でも、今作は『mother』で始まって『ghost』で終わらせたいなと思ったんです。そうすれば、どの曲もいろんなことを言ってるけど、それが1つの物語みたいになるんじゃないかなって」(塩塚)。
楽曲を共有した3人は、そこに的確な音色とリズムを添えてゆく。
「理論的なことはあまり言えないんですけど、今回はどの曲もイメージをはっきりとつかめていたので、それに合う音を見つけるための試行錯誤をたくさんしました」(河西ゆりか)。
「僕個人が好む音と楽曲が求める音の相性がとても良かったので、今回の音作りはとてもスムーズでした。例えば僕は低めのサウンドがわりと好きなので、そういう基準でスネアのピッチについて考えたり、シンバル系も暗めの音にしてみたり、12曲それぞれに合った機材と音を選べたんじゃないかなって」(フクダヒロア)。
「自粛期間中に『3人でDTMでもやってみようよ』みたいな話にもなったんですけど、結局は何も生まれなくて。やっぱり私達に宅録という選択肢はないし、スタジオでセッションできなくなったら、バンドは終わっちゃうんだなって。なので6月頭に3人でスタジオに入った時は、ちょっと特別なものを感じました。イメージしたものが共有されて、それがリアルタイムで一気に形になっていくのって気持ちいいし、やっぱり音が大きいってことは素晴らしいなって」(塩塚)。
『POWERS』内に存在する葛藤、オンライン・ライヴの可能性
アルバム・タイトル『POWERS』には、ご覧の通り複数形の“S”が付いている。そこには前作『若者たちへ』との連続性もうかがえるが、実際はどうなのだろう?
「単純にどの曲もパワーがあるから『POWERS』かなと思ったんですけど、そもそもパワーに複数形の“S”は付くのかなと思って。それで調べてみたら、POWERSには“権威”とか“圧力”みたいな意味合いもあるみたいで。それと同時に“S”は“魔法の力(MAGIC POWERS)”にも付くらしいんですよね。私はこのアルバムがお守りみたいになってほしいと思っていたから、これはいい言葉だなと思ったし、1つの言葉にそういう相反する意味があるってところも、このアルバムの中にある葛藤なんかと通じるような気がしたんです」(塩塚)
確かに塩塚のリリックは両義的なものが多く、例えばそれはクリスマスをモチーフに世界が終末へと向かっていく不安を歌った「1999」などが象徴的だ。一方、途中でビートが鮮やかに切り替わるタイトル・トラック「powers」に関しては、未来へのかすかな希望をいつになく率直に歌っているようにも聞こえる。
「もともとこれは『人間だった』(2019年末にシングルとしてリリース)と同時期に書いてた曲なんです。当時は香港で大規模なデモが起きてた頃で、私自身も社会についていろいろ考えてて。それで『もっと声をあげれば未来は良くなるかもしれない』みたいなことを思いながらこの曲を書いたんですけど、あとで冷静になって聴いてみたら『全然そんなことないわ…』みたいに感じちゃって、それでいったんボツにしたんです。でも、それこそ今年は落ち込むこともすごく多くて、私自身『ここで励ましてくれる人がいたらいいのに』と思うことがたくさんあったので、無責任なりに『大丈夫だよ』と言ってくれる人も必要だよなと思って。アレンジもちょくちょく変化したし、この曲は完成するまでいろいろありました」
2021年が明けた現在も世界的パンデミックは収束の気配すらなく、アーティストにとっては苦難の時期が続いている。そうした中、昨夏にいち早くオンライン・ツアーを敢行した羊文学は、その先に新たな可能性も見出したという。
「これまでは制作とライヴが活動のすべてだったけど、そこにオンラインライヴが加わったことによって、以前は想像もしなかったようなことがこれからできるんじゃないかなと思ってて。それこそVRでライヴができるなんて考えたこともなかったし、普段のライヴでは組めないようなステージ・セットもオンラインならできちゃうので、そこはもっと研究してみたいですね」(塩塚)
「アーカイブも残るので、普段のライヴとはまた違った緊張感がありました。どこにいる人にも見てもらえるっていうのも、大きなメリットだと思う」(フクダ)。
「ライヴというより、レコーディングに近い感覚だったかも。メンバーの立ち位置も普段と違うし、収録した後にミックスを調整したりもするので、作品作りみたいなところもありました。でも、やっぱりステージに立つ時の気持ちはずっと忘れたくないですね」(河西)。
「少しずつ成長しながら、いつかは大人の女性になれたら」
メジャー・デビューという節目を迎えた羊文学。一方で将来への漠然とした不安と焦燥、そして3人で音を重ねる瞬間のピュアな興奮が刻まれた『POWERS』を聴いていると、彼らはモラトリアムの最中に前作『若者たちへ』を作った頃と、実は何も変わっていないようにも感じる。「青春時代が終われば」。前作『若者たちへ』に収録された「ドラマ」で塩塚はそう歌っていたが、この青い時代にもいつか終わりがやってくるのだろうか。
「そのうち終わると思ってるんですけど、なかなか終わらなくて。服装なんかも含めて、大人になりたいけどなれないっていう葛藤はずっとあります。ただ、もしかすると学生の頃よりもまるくはなってきてるのかな? それこそ以前は世の中に対していっぱい文句があったんですけど、最近は徐々に言いたいことも減ってきてるし。みんながこんなにラヴソングを書くのは、人生で一番おもしろいイベントが恋愛だからなんだなってことも、だんだんわかってきました。ただ、それもそれでまた悩むことが出てくるんですよね。そうやって少しずつ成長しながら、いつかは大人の女性になれたらいいなと思ってます」(塩塚)