ニューヨークでロックダウンが開始された2020年3月、元チボ・マットのヴォーカルとしても知られるミホ・ハトリはニューヨークの自宅にこもり、日本アニメの観賞にひたすら没頭していた。そこでアニメの中に日本人的な発想を見出したハトリは、ソロ・アルバムの制作に着手。そして『Between Isekai and Slice of Life ( ~異世界と日常の間に~) 』というアルバムを完成させた。本人曰く、今作はアニメにおける “異世界系(=パラレル・ユニバース)”と “日常系(=スライス・オブ・ライフ )”という2ジャンルにインスパイアされたキュレーション・アルバムだという。二極化した世界の間にあるどこかにアイデンティティを見出すこと。そんなテーマを掲げた本作について、ニューヨーク在住のミホ・ハトリにZOOMで話を聞いた。
日本のアニメに見出した、日本人的アイデンティティとは
——今回のアルバムを作るにあたって、ハトリさんはどんなアニメからインスピレーションを得たのですか?
ミホ・ハトリ(以下、ハトリ):元をたどると、私は小さい頃からジブリ作品の影響をものすごく受けていて、それこそ『風の谷のナウシカ』から始まった人間なんですね。あと、いわゆるオタク・カルチャーにも興味があって、ニューヨークでも友人とオタク研究会を開いてたことがあったり(笑)。
——そこではどんな研究を?
ハトリ:主に美術を通して見るオタク・カルチャーですね。なぜそれを始めたかというと、きっかけはニューヨークのジャパン・ソサエティで開催された、村上隆の『リトルボーイ』展だったんです。あのショーを観に行ってから、アニメの見方がガラッと変わっちゃって。
——どう変わったんでしょう?
ハトリ:なんていうか、アニメから日本人のアイデンティティを見出すような楽しみ方を見つけたんです。そもそも私はそういうことに興味があるから音楽をやってきたところもあるんですけど、アニメにはそんな日本人のアイデンティティが詰まってるように感じたんですよね。それ以来、アニメがただ観るものではなくなったというか。
——ハトリさんは日本のアニメに何を見出したんですか?
ハトリ:私はアニメを通じて今の日本人について勉強してるんだと思う。それは言葉遣いや恋愛観、善悪の在り方なんかもそうだし、絵柄やキャラクター・デザインも、最近のアニメは90年代や2000年代とは全く違いますよね。さすがにアニメばかりだと偏っちゃうから、もちろん流行ってる音楽なんかもチェックしてますけど、そういうオタク的な視点でアニメを見ていくと、今の日本人の感覚が学べるんじゃないかなって。
——では、最近の日本アニメにハトリさんはどんな変化を感じているのでしょうか?
ハトリ:フェミニンな男性や同性愛を描いた話もあるし、とにかく多様化してますよね。あと、そもそも私が今またアニメにハマったきっかけは『鬼滅の刃』なんですよ。同級生のインスタグラムを見てたら、どうやら日本のキッズは今このアニメに夢中らしいぞと。それで実際に観てみたら、もうガツンとやられちゃって。
——『鬼滅の刃』のどんなところにガツンときたんですか?
ハトリ:ストーリーと、それに共鳴しているキッズ達の感性ですね。今の子ども達が見ている世の中は、私達が見てきたものとは全く違うじゃないですか。とにかく情報量が多いし、この複雑な現実を子ども達もよく理解してる。そんな子ども達が、鬼になってしまった禰豆子や、どんなことがあっても諦めない炭治郎の優しさ、彼らのチームワークに共鳴してるのって、ものすごくモダンな感受性だと思うし、そこには希望があると思ったんです。
「日常」と「異世界」の間にあること。「クレオール」であること。
——今回の“Between Isekai and Slice of Life”というアルバム・タイトルは、そんなアニメの2ジャンルに由来しているそうですね。「日常」が「Slice of Life」と英訳されることにも驚きました。
ハトリ:すごくおもしろい言葉ですよね。英語ならではのセンスというか。
——ハトリさんはどんな発想から、今作の「異世界と日常の間に」というコンセプトにたどり着いたのでしょう?
ハトリ:私達は、例えば善悪とか男女とか、そういう二元化したシステムの中で生きてますよね。でも、実際の世の中はそんなに単純じゃないし、私自身も今まで生きてきて「それでいいのかな?」と思う時がよくあって。で、そんな私にインスピレーションを与えてくれたのが、詩人で思想家のエドゥアール・グリッサンだったんです。
——グリッサンはカリブ海フランス領マルティニーク島出身の思想家ですね。
ハトリ:カリブ海地域には奴隷制度や植民地化という暗い歴史があるんですけど、グリッサンがそこで「クレオール」という言葉を見出したことに、私はとても感動したんです。「クレオール」というのは、“どちらでもない”という立場に自分を置くこと。それってすごくマチュアな(成熟した)考え方だし、私が音楽でやるべきこともそれだと思ったんです。つまり、生き様や信念を音楽で伝えること。そこに自分のアイデンティティがあるんじゃないかと思って、このアルバムを作ることにしたんです。
新作は常に“between”であり続けてきた自分にとっての集大成的作品
——今作からは音楽的にもカリブの影響を感じました。
ハトリ:ニューヨークに住んでると、カリビアンのビートってすごく身近なんですよ。この辺りにはキューバやプエルトリコ出身の人がたくさんいるし、「Formula X」のMVを撮ってくれた映像作家のウッズ君もハイチ系ですから、やっぱり周りにいる人達の影響は大きいですよね。それに、きっと日本人もカリブから学べることがあるんじゃないかな。
——どういうことですか?
ハトリ:日本は明治維新以降、ずっと西洋に追いつけ追い越せという思想で歴史を動かしてきたでしょ? ここら辺でそのコンテクストから自由になって、改めて自分達の立ち位置を考えてもいい時期なんじゃないかなって。要は日本人独自の考え方や感覚をもっと世界に出していいと思うんです。で、多分そこで今一番頑張ってるのがアニメだと思うんですよね。
——なるほど。
ハトリ:私は日本で生まれて日本で育ったけど、自分はずっと“between”だと感じてきた。だから、私にとってニューヨークが住みやすい場所なのは理に適ってるんです。だって、ここは“between”な人ばかりが集まってくる場所ですから。でも、実際は日本にも自分が“between”だと感じてる人はたくさんいる。私はその兆候を日本アニメの中に見てるんです。私には故郷への愛があるから、日本にはそういう“between”を受け入れられる国になってほしいんですよね。
——AIと思しき女性とのやりとりを描いた「Tokyo Story」も、日本のアニメをモチーフにした曲なんですか?
ハトリ:「Tokyo Story」は、未来の落語みたいな曲ですね。同時にこれは小津安二郎『東京物語』の100年後を描こうとした曲でもあって、当初は「Tokyo Story 2053」という副題をつけてたんです。昭和の雰囲気を完璧にキャプチャーした『東京物語』の未来予想を歌にしてみよう——そういうアイデアから生まれた曲ですね。あと、この歌詞は友人から聞いた話が元になってるんです。ある日、友人のお母さんがデパートの受付嬢に道を尋ねて、そこでしばらく彼女と会話をしたんだけど、あとになって、その受付嬢はAIだったことがわかったんです。今となっては笑い話だけど、友人のお母さんは相手がAIだと気付かなかったことに、とてもショックを受けてしまったみたいで。その話を聞いた時、これは歌にしなきゃと思ったんです。
——昨今は“between”なポップ・ミュージックが次々と生まれているようにも感じます。それこそ特定のジャンルには括れない音楽が増えているというか。
ハトリ:おもしろいよね。今の若い子達は好きな音楽もバラバラだし、ロックしか聴かないような子とかも全然いない。それはすごくいいことだと思うし、それこそ私の身近にいる若い友人達はみんな「“between”なんて当たり前じゃん」みたいな感じなんです。それは社会との関係性においても言えることで、ジェネレーションZの子達は社会がすぐに変化してくれないってことを、よくわかってるんですよね。しかも、彼らはそこでシニカルにならず、社会と自分のバランスをうまく取りながら大人になろうとしてる。私がこのアルバムで伝えたかったのも、そういうことなんです。この社会とうまく付き合いながら“between”で生きていこう、という提案ですね。
——今作に限らず、ハトリさんはこれまでの作品でも“between”を表現してきたようにも感じます。
ハトリ:うん。私は今作のマスタリングが終わった時、「このアルバムは今までの結論だ」と思ったんです。自分と音楽の関係性をずっと探してきたんですけど、それが今回ようやく見つかった気がするし、このアルバムはこれからの自分をきっと導いてくれる。そういう記念すべきアルバムになったと思います。