下津光史のソロアルバム『Transient world』に見えるコロナ禍が与えた創作へのモチベーション

ロックバンド、踊ってばかりの国のフロントマン、下津光史。現代を生きる歌うたいがソロアルバム第2弾『Transient world』をリリースした。同時にこれまでの楽曲の歌詞を掲載した詩集も発表。それぞれの作品には、コロナ禍で自身が感じた思いが凝縮されているように感じる。
ソロとバンドの両方で活動を続けながら、2020年という1年を経て、下津光史という表現者は何を見て感じたのか。

ルーツにある音楽性を反映させたアルバム

――最新ソロアルバム『Transient world』を巡って、この時代に下津さんがどういうことを思い、何を考えているのかをお伺いしたいと思います。

下津光史(以下、下津):よろしくお願いします。

――まず、本作は全編1人で演奏されたのだとか?

下津:はい。とは言ってもなんでも1人で演奏できるわけではないので、7曲目の「愛しのコンピュータ」では、地元の友達でもあるucary valentineに参加してもらって、鍵盤からコーラス、ノイズを担当してもらいました。2曲目の「Michel」、5曲目の「満月」でフルートを弾いているのはbetcover!!ヤナセジロウくんです。

――音楽的な要素としての部分は友人に参加してもらって、その他は全部自分だけで?

下津:そうですね。お昼12時あたりにスタジオに入って出るのは夜10時くらい。エンジニアは谷山くん(谷山竜志、踊ってばかりの国のベース)だったんですけど、文句言わずに付き合ってくれてありがとうございます!! って感じです。4日間ほどでぎゅっと凝縮させて録音したんですけど、耳から血が出そうなくらいハードでした(笑)。

――4日間と聞くと、すごく短期間で制作された気がするのですが何か理由が?

下津:あんまり長い期間やってると自分が何をやってたのかわからなくなっちゃうんですよね。土が乾く前に形を仕上げるみたいな感じですかね。これは『Transient world』に限らず、いつもそうなんです。じゃないと支離滅裂な作品になっちゃいそうで怖くて。

――前回のソロ作『下津光史歌集』は弾き語り作品ですが、本作はバンドサウンドで作られていますね。ドラムなどの音を自身で入れたのはなぜですか?

下津:俺が好きなアーティストが、全部自分でやっている人が多かったんですよね。それにならってみたんですけど……。最初にクリックを聞きながらギターを録って、あとからドラムとベースを入れるって流れでやったんですが、もう二度とやりたくないですね、マジで孤独やなって(笑)。

――なるほど(笑)。

下津:並行して踊ってばかりの国の制作もやってたんですけど、ソロと比較すると、バンドではめちゃくちゃ濃密な時間を過ごすわけなので、その対比でダメージをくらった感覚というか。ソロの制作を進めている最中に、バンドのスタジオに入った時なんて、最初の1時間くらいは、頭の中がわけわからない状態になっていましたからね。時間が経って、メンバーの顔をやっと理解していくような感じで。

自分がやることは曲の0から1を作るだけ

――ソロ活動もされているバンドマンは、それぞれでスイッチを切り替えるって、よく聞くのですが、下津さんの場合は、とりあえず双方の現場に入って順応していくような感じですか?

下津:そうですね。その現場にいる人、踊ってばかりの国のメンバーだったら、そのグルーヴがあるんで、そこに対応した表現に自然となっていくんですよね。メンバーが「この曲、いいやん」って言ってくれたらそればかりやるし、GODで言えば、また違ったソリッドな曲をピックアップしてやっていくし。でも、僕が曲を書く時にやることって、0から1を作るだけなんですよ。だから、1から100をどこでやるかっていうことですね。スイッチというよりも、曲が完成していくまでの分岐点がどこにあるのか、という感じです。

――むしろ、1から100までの作業は各々のバンドメンバーに委ねたいと?

下津:はい。俺は0から1を作ることにしか興味があんまりないので、それ以上の部分は自分ではない人の思考を入れたいですね。バンドが楽しい理由の1つはそこにありますから。

――『Transient world』の話に戻るのですが、2020年のコロナ禍で自身が感じていたものが反映されている部分はありますか?

下津:1回目の緊急事態宣言中、外出できなかった頃、超暇だったんですよね。そこで谷山くんに借りたカセットが出てきて、アナログにハマっちゃったんです。アナログの概念がかっこよすぎるなって。それからレコードを300枚くらい買っちゃいましたから(笑)。小さい頃に聴いていた音楽をレコードで買い直して聴いて、ということをずっと繰り返しながら、ジャズの新譜を買ってみたりとか。聴くガジェットによって音が変わるなってことを体感していました。いわば自分の部屋で音楽の無限性を感じていたというか。そういう意味で『Transient world』は、温故知新的な考えで作った音楽なのかもしれないです。これもいつもと同じといえばそうなんですけど、より顕著に表れていると思います。

――レコードで聴いた音楽の中で、作品に反映されているのは具体的にどのような音楽ですか?

下津:昔、よく聴いていたヴェティヴァーってバンドと、あとはジャズですね。今作はテンションコードで遊び倒した曲もあるし、オープンコードを使ったものもあります。今まで自分が「難しそうやから、手出さんとこー」って考えて避けていたことを1個1個拾い直して表現してみた感覚です。だから、『Transient world』はロックンロールではないかも。トラッドフォークとかに近い。俺のもともとのルーツはそっちですから。

――サウンド面では、実に賑やかな雰囲気があり明るさを感じます。一方で歌詞では音と異なる表現をされていますが、具体的なワードも多くリスナーとしては考えさせられる部分も多い作品だと思いました。

下津:例えば、5文字の言葉があてはまるメロディがあったとしても「こんにちは」はハマらないけど「こんばんは」だったら合う、みたいなことがあるんですよ。それを1つずつあてはめていって、かつ意味もある言葉を見つけていく作業を昔からやってます。なので歌詞に関しては言葉遊びしながら鋭利なことを歌うのが好きなんですよね。

――歌詞を考える時はどんなシチュエーションが多いのでしょうか。

下津:思いついたら書くというスタイルですね。生きていたら自分でも理解できないいらいらがあったりするじゃないですか。そういった鬱憤が溜まりに溜まって爆発しそうになったら歌を書いてますね。書いて「自分はこんなことが言いたかったんだ、ああ……しんどかった」ということの連続です。書いたら元気になって、溜まってきたら人当たりが強くなって、また書いて優しい気持ちになれて。それの繰り返し。なんか、もう本当に申し訳ないですよね(笑)。すみません、世界。

合言葉は“コロナ”で人類1つになってたら寒い

――今、パンデミックによって世界が大きく変わった時代を迎えていますが、現代に対して思うことはありますか?

下津:人間がすべてに対して無関心になっているように感じられる中で、そこに自分が関わらなければいい、といった風潮がありますよね。それって1人で生きていくって感じがありますけど、そんなこと絶対に無理だから。そんな世界にムカついていますね。同時に自分もそれに対応して生きていることにもムカつくし。これ以上、こんな状況が酷くならないように一丸となって頑張ろうぜっていうのとかもクソやなって(笑)。こんなことで人類1つになってたらあかんよな、とは思いますね。合言葉が“コロナ”じゃ寒いよなって。もっといい景色があるはず。

――そうしたコロナ禍に対して歌った楽曲が9曲目の「bird song」だと思ったのですが。

下津:「bird song」は、自分がコロナ禍でどう思ったのかを全部吐き出してます。「誰が儲けてるかな、これ。へっ! 俺は歌うよ」って感じですかね。

――“警官が子どもを突き飛ばして”という歌詞が刺さる8曲目の「Rainy sunday blues」。これも今の世情を感じるものがあったのですが。

下津:ここで書いていることは今に始まったことではないので、コロナ禍を踏まえての内容とはちょっと異なるというか。自分が生きていて思ったこと、ムカついたことを書いて、そのために自分はどう生きていくかといったことを表現しているんです。この曲に関してはトーキング・ブルースにしたかったんですよね。

――やはりコロナ禍も相まって、外出もできなかった分、内に秘めた思いが作品に反映されているんですね。

下津:そうなんですけど、この状況において、意外といろんなところに行けたんですよ。踊ってばかりの国はコロナ禍にもかかわらず、沖縄に2回も行けたし、個人的にもよく海に行った1年でした。5曲目の「満月」は、ボ・ガンボス(1995年に解散したロックバンド)のどんとさん(ボ・ガンボスのヴォーカル&ギター)の自宅だった場所で書いた曲なんです。目の前が海ですごい守られた場所で。そこで、明後日東京に戻るけどこの場所と東京が同じ国だなんてヤバいな、俺は東京に侵されてるなって思ったんですよ。

――そうなんですね。ではソロアルバムと同日に発売される詩集『下津光史歌詞集』についても教えてください。過去に発表されているすべての歌詞を掲載した内容になっているのだとか?

下津:132曲、シングルとアルバムで被ってたりする曲はアルバムバージョンを優先して入れています。

――このタイミングでの発表になったのは、どういう理由が?

下津:この話は自分の中にだけに閉じ込めておこうって思っていたんですが。去年、この詩集の話が持ち上がるちょっと前に、踊ってばかりの国のメンバーとめっちゃ濃い話し合いになったことがあったんです。バンドをやっていくのか、活動を止めるのか、ということまでを話しました。その時に、明日から俺は歌うたいじゃなくなる可能性もあるんだって感じたんです。そう考えると、2009年から歌を出し続けてきた約10年間を一度まとめておかないと、あとあとわけがわからなくなるかもしれない。だったら、アーカイブを作っておこうって。感情的にも物理的な面でもまとめられそうだし。そんなことを考えていたら詩集の話がきたので、ぜひやらせてください! って流れですかね。

――下津さんの10年が詰まったものになりますね。

下津:振り返ってみると、自分がこの10年間何をしていたのかって記憶は断片的なんですよ。でも、自分が書いた歌詞を読み返してみると、その当時何を考えていたのかが蘇ってくる。いわゆる思い出のアーカイブなのかもしれませんね。

「自分、生きてるで」って思えるのはバンド

――昨年、バンド内で深い話にならなければ、改めて詩集を作ろうという考えには至ってなかったかもしれない?

下津:そうですね。今まで通りにバンドができていたら、その話し合いもなかっただろうし、こんな風潮になっていなかったら詩集を作っていないと思います。つくづくアウトプットし続けなくては生きていけないんだな、自分は……って痛感させられた2020年でした。

――コロナ禍が下津さんやバンドにとって、どれだけのインパクトがあったのかが伝わってきました。

下津:コロナは大きかったですよ。メンバーもそれぞれ家族がいますし、自分が大切だって思える人がいなくなったら歌う理由なんて、まったくなくなりますから。そういう意味でもちょっと怖かったですね。バンドがなくなるんじゃないかって雰囲気が一瞬出ただけでも、絶望。サウナの頻度が上がりましたよ。体を整えるために(笑)。

――では、コロナ禍を乗り越えた未来、どんなことをやりたいですか?

下津:渋谷スクランブル交差点で爆音ライヴ。

――あはは(笑)!

下津:警察が来てもシカト。そういうのがやりたいです。……いや、あかんな、これちょっとやめとこ(笑)。なんでしょうね、やっぱり楽器を持ってメンバー全員で全国に演奏旅行に行きたいです。疲れたら家に帰る。これまでやってきたことを普通にしたいですね。

――最後に、今日は最新作のお話に加えてソロとバンドについてお伺いしましたが、改めて、それぞれの形態で音楽を表現する理由を教えていただけますか?

下津:ソロは僕のルーツにあるフォーク、ブルースやレゲエなど、小さい頃から聴き馴染みのある音楽の中で、自分が居心地が良いと感じられる音楽ばかりをやると決めています。極端に言えば、ソロ活動は自分を癒しているだけって感じなんですよ。本当にエゴの塊になれるし。一方でバンドは、社会とつながるための大切なツール。僕にとって世界との接点はバンドしかないようなものですから。「自分、生きてるで」って思えるのはバンドだと思いますね。

下津光史
1989年生まれ、兵庫県尼崎出身。ロックバンド、踊ってばかりの国のヴォーカル&ギター。さらにjan and naomiのjanや、Gateballersの濱野夏椰らがメンバーとして所属するバンド、GODとしても活動を展開する。2018年には、1stソロアルバム『下津光史歌集』を発表し、ソロでの活動もスタートしている。
https://odottebakarinokuni.com/
Instagram:@shimotsukoji

Photography Rintaro Ishige
Text Ryo Tajima

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author:

相沢修一

宮城県生まれ。ストリートカルチャー誌をメインに書籍やカタログなどの編集を経て、2018年にINFAS パブリケーションズに入社。入社後は『STUDIO VOICE』編集部を経て『TOKION』編集部に所属。

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