写真家・石川竜一が自然をサバイブして切り撮った「生」の境界線。渋谷の真ん中で披露する命に対する違和感

沖縄を拠点に活動を続け、ひとびとの生々しい空気感や各地の土着感を収めてきた写真家の石川竜一。2014年には、写真集『okinawan portraits 2010-2012』『絶景のポリフォニー』で木村伊兵衛写真賞を受賞。2016年の写真集『CAMP』では、山や森での生活に挑み、自然のありのままの姿を撮影。そしてこの度、その最新作として『いのちのうちがわ』[個展は4月18日(日)まで@渋谷SAIにて、同名写真集・赤々舎から発売]を発表した。作品からは狩猟に同行し動物を解体しながら、見て感じた「食べる・生きる」の断片が垣間見えてくる。

自分が理解できていないことと向き合うことをすごく大切にしている

ーー2016年に発表された『CAMP』では、サバイバル登山家の服部文祥さんと一緒に山や森に入り、生活をしながら自然の姿を捉えましたよね。今回の『いのちのうちがわ』は、その延長線上にある試みなのでしょうか?

石川竜一(以下、石川):そうですね。『CAMP』に取り組んだ当時は、自然の中で自分が何を見ればいいのかわからなくて、目の前にある状態をただ撮影していただけでした。でも、改めて見返してみると、今回の『いのちのうちがわ』の断片が少し出ていたように思いました。

ーーということは、山や森での撮影に手応えを感じていたわけですか?

石川:いや、僕の中ではまだ山や自然に対する理解は浅くて、いまだに山に入りたくないと思うくらい過酷でつらいんです。でも、自分が理解できていないことと向き合うことをすごく大切にしていて。というのも、嫌とか大変なことは自分の理解が足りない、ということだと思っているので、それがなくなるまで続けてみようかなと。それで、『CAMP』以降も服部さんにお願いして山に入っていました。

ーー今回の作品は、主に動物の体内に焦点を当てていますよね?

石川:服部さんから、ただ山に入るのではなく狩猟も一緒に行こうと誘っていただいて。最初は普通に写真を撮っていましたが、服部さんが鹿を狩った後に、おなかを切って内臓を出して雪の上に置いたんです。その時は流れの一部として撮影していたのですが、ちゃんと見た時に「うわっ…」と思って。

それは視覚的なことだけじゃなく、その場にいると匂いも感じるんです。どう表現していいのか難しいですが、見たくない、避けたいという感情と一緒に、興奮というかエロチシズムを感じたというか。見たくないけど見たい、というか。それで、実際に触ってみて写真を撮ったんです。

ーーそれがきっかけで、今回の最新作につながっていったというか。

石川:それがすべてではないです。はっきり言えるのは、動物の体内の写真を撮ることが目的ではないということ。いつものように山に入って、普通に風景なども写真に収めつつ、狩猟がある場合はその一貫で動物も撮影していったという感じです。

ーー狩猟の現場に立ち会うことで、どんな変化が生まれましたか?

石川:正直、動物を殺して食べることって、どこか複雑な気持ちもあって。とは言いつつも、普段から食べているので、そういうものだよな、と受け入れる必要もあるというか。僕自身は狩猟の免許を持っていないので、実際には服部さんが狩りをするんですが、自分でも可能な限り後処理をしたり、自分が狩りをしたという意識を持ってやっていました。

ーー生きるために必要な行為を、実際に体験していったということですよね。

石川:しかも狩猟の世界では、動物をあやめた後に内臓を取って捨てることってあたりまえなんです。そうすることで、他の動物のエサになるという自然のサイクルが保たれますから。ただ僕は、肉だけじゃなくレバーも心臓も食べてみました。後ろめたさを含めて。他の人が処理して加工されたものを食べるよりも、自分で狩りをして食べることが大切だと思いましたし、シンプルにそっちのほうがおいしいんですよ。

ーー先ほども仰ってましたが、あくまでも写真を撮るために狩猟に同行したのではなく、まず生きるために必要なことを実践してみたわけですね。

石川:確かに写真も撮りに行っているのですが、山に行く時は作品を作るためという意識はなるべく持たないようにしていました。なので、服部さんから「山へ行くけど、一緒にどう?」と誘われた時と、純粋に食料がなくなった時だけ行くようにしていました。

ーー本気の自給自足ですね。

石川:普段は貧乏な生活をしているので、スーパーの牛肉なんて買えなくて(笑)。なので、本当に「肉が食べたい!」と思った時だけ、服部さんに連絡して「山に行く予定ないですか?」って聞いていました(笑)。

ーーちなみに、ストリートスナップやポートレートを撮る時は、写真を撮る行為という部分は意識しているんですか?

石川:スナップやポートレートも、写真を撮ることを目的にしないように心掛けてきました。写真のためにどこかへ行ったり、あえて何かをするのは避けようと。ただ、そこは明確に分けられない部分もあって。やっぱり興味があるから、好きだと思うから撮るわけです。でも、作品を作るために動くことってつまらないじゃないですか? そのために生きているわけではないから。

人や自然が作ろうとしているものって、一体なんなんだろう!?

ーー今回の『いのちのうちがわ』は、まさに生命の内側に興味を持ったわけですが、『CAMP』の時もその断片があったわけですよね?

石川:確かに、『CAMP』でも魚やカエルの写真は入っているんです。当時は、風景、水、石などを見て、なんとなく動物の内側との近さを感じていました。でも今回は、逆に動物の内側を見ていくことで、やっぱり自然の景色とめちゃくちゃ似ていると思うようになったんです。それで、内側をもっと開いて見てみたいなと。

ーー内臓と風景が同じように見える、とはどういうことですか?

石川:例えば、鹿の内臓と石の質感、木の枝が織り重なっている感じと内臓の網脂や毛細血管の感じなど、それぞれが似て見えてくるんですよ。そのバランスを考えながら撮影してみると、双方がグラデーションのようになり、木や石が内臓の一部に、内臓が木や石の一部に見えたりしてくるというか。

ーー確かに、実際の写真を見るとその感覚を理解してもらえるかもしれませんね。

石川:本当に不思議なんですよ。動物の内臓も植物の形も、自然とその形を与えられているのに、なぜか形のつながりがあるというか。しかも、自然なものだけじゃなく、人間が作った車のエンジンやホースなど無機物なものとのつながりも見えてくるというか。そう考えていくと、人や自然が作ろうとしているものって、一体なんなんだろう!? と思ったりもして。

ーー狩猟によってさばかれた内臓は、雪、岩、落ち葉などの上で撮影されています。撮影場所は、事前に決めて臨んでいたのですか?

石川:いやいや、動物をいつ狩れるかわからない状況なので、事前には決められないですね。例えば、1頭の鹿を見つけるために1日中歩いても、遭遇するかしないかまったくわからない。しかも、普段は人が入る場所ではないので、かなり危険なんです。やっとの思いで狩ることができたとしても、どこに弾が当たるかわからないですし、さばくために運ばなければいけないので、思うような撮影はほぼできません。しかも、内臓は時間がたつと乾いてくるし、ガスが溜まって膨らんだり、常に変化していく。ゆっくり考えている暇がないので、瞬発的かつ感覚的にアドリブでやっていった感じです。

ーー何回くらい山に入ったのですか?

石川:5〜6年かけて20回近くなので、それほどたくさん行ったわけではないです。さっきも言ったように、作品のために山に行くという意識は持たないようにしながら、自分の生活に自然に入ってくるようにしていました。普通の人が普段食べる肉の量をまかなえるくらいです。

ーー狩猟地域に入ることは非常に大変だと思いますが、危険な目には遭わなかったですか?

石川:自分達の目の前に鹿が現れたことがあって、飛び蹴りして木の棒で叩いたことがありました。僕は猟銃を持てない身なので、本当に恐かったですね。それと、マムシに狙われた時も危なかったです。動物そのものも恐いですが、簡単に山里に下りられる場所ではない大変さもあるんです。

ーーそういう環境はもちろん、作品を作ることが目的ではない状況の中で、実際にシャッターを切る・切らないという判断はどうしていたのでしょうか?

石川:そこの部分は、本当に自分でもわからなくて……。今回でいえば、狩った動物すべての内臓を撮影すれば、今まで話してきた「すべての死を無駄にしない」ということにつながるはずです。でも、撮っていないものもあるわけで。改めてなぜか? と聞かれると、その時は寒かったからとか、つらかったからとか、本当にいろんな理由が重なっていて。うん、やっぱり「これは撮ろう!」って狙ってできるものじゃないのかなとは思います。

ーー感覚や本能のまま、ということですか?

石川:今回の写真の1枚に、鹿の胎児を撮影したものがあるんです。もちろん、鹿の中に胎児がいるなんて知らずに狩ったわけですが、そういうことって事前に想像できるものではないじゃないですか。出てきた時は本当にびっくりしましたが、猟師の方にとっては普通にあることだと聞かされました。「こういうこともあるのか……」と思いつつ、心のどこかで見られるのであれば見たい、という感情も生まれてきて。実際に見てみると、肝臓は大きいけど、まだ使われていない胃袋や腸はすごく小さいことを知ることができたり。なので、ほとんどが結果的に撮影したという感じというか。

ーーそういう撮影に対する姿勢は昔からですか?

石川:そうですね。『CAMP』の時も、大量のモリアオガエルが産卵のために集まっていたのですが、そこを目掛けて鳥達が突ついていたんですよ。食べるためでもあるけど、ただ単に突つかれているカエルもたくさんいて。その光景を見て、食べる・生きるためだけに殺すだけじゃなく、他の理由で殺されるということも動物の本能にはあるのかなと。もちろん、自然の摂理だからといってやることを正当化してもいけないと思う。そうじゃない方法もあるんじゃないか、とかいろいろな視点で考えなきゃいけない。もっとちゃんと勉強していきたいですね。

ーーまさに、今回の展覧会用のメッセージにも「自然のうちがわに触れ、その圧倒的な力を思い知らされたとき、物事の区別は緩やかなグラデーションで繋がって、自分自身もその循環のなかにいるのだと感じる」と書かれています。自然のサイクルには逆らえないというか。

石川:今回の写真には、自然に白骨化した鹿の骨もあるんですが、そうやってごく自然に死ぬことと、人間が食べるために仕方なく狩られて死ぬことは同じじゃないのかな、と思ったり。

あと、ニジマスを捕まえてさばいた時に、胃袋の中にカメムシだけが入っていたんです。他においしそうで栄養がありそうな昆虫や植物もあるはずなのに、なんでカメムシだけ? って。本当に不思議ですよね(笑)。
人間だって、本当にこれからどうしていけばいいんですかね? そのうち、みんなサプリメントだけで生きていくのかなぁ? とか。でもやっぱり、家畜されたものより自然で生きている動物のほうがおいしいと思うんです。だから、鹿だけじゃなくカラスや蛇など、いろいろな動物を食べましたよ。本当においしいので機会があればぜひ。

自然と向き合うことで、食べることに対しても意識が変わりました

ーーそんな風に、生きる・死ぬことについて普段から考えたりしていますか?

石川:昔はよく考えていました、基本は根暗なので(笑)。ただ、深く考えていたわけでもなく、今でも知識を深め切れているか、というとそうじゃないんですけど。

ーー石川さんは撮影が目的で山へ入っているわけではありませんが、写真家として『いのちのうちがわ』というものが1つの形になりました。この体験を通じて、どんな収穫や発見がありましたか?

石川:まず、服部文祥さんと出会ったことで、自分の意識が変わりました。それまでは、自然にも興味なかったし好きでもなかったですから。そして、自然と向き合うことで、食べることに対しても意識が変わりましたね。あたりまえのことですが、食べ物を大切にしようとか、そういう感覚って非常に大きなことで。今でもジャンクフードは好きですが、今までだったらおいしければいいじゃん、って感じで無意識で食べていました。でも、改めて食べ物と向き合っていくうちに、なぜ必要か? を考えるようになった。それって、生きることに向き合うことと同じですからね。

そういうことを考えながら、生きるために山に入るんです。でも、足を踏み外したら死に直面する状況が普通に起こる。本当にヤバイと思うことを何度も経験したからこそ、自分の中で生きることをリアルに感じられるようになりました。

ーーその体験が凝縮された作品が、東京・渋谷のド真ん中にあるギャラリーSAIで披露されるということにも意味がありますよね?

石川:自分の考え方や感覚に共感してくれて、商業施設にあるギャラリーで展示してくれることは本当にありがたいことです。服部さんが「自然の中にいると生死が直接的に関わってくるけど、実は街の中でも同じなんだよ」と仰っていたのが印象的で。街にいてもいつ事故に巻き込まれるかわからないので、山が危険で街が安全というわけでもないというのは、まさにそうかなと思っています。

ーー個展会場で写真を見ると、そういうことをリアルに感じてもらえそうですね。

石川:でも、違和感を持つ人もいると思いますよ。そういうことって、写真を見ただけでわかるものでもないですから。もし僕がお客さんの立場だったら「石川竜一ってわかったような振る舞いしてクソだな!」と思うはず(笑)。なので、違和感は違和感として投げかけてもらいたい。それによって、僕自身ももっと考えて深めていく機会になりますから。そういう違和感を持ち帰ってもらえたら嬉しいです。

ーー今現在も山へ行っているそうですが、ご自身のライフワークになりそうですか?

石川:そこまで極められていないですね。自分1人で山に行けるようになればライフワークになり得るかもしれませんが、今はまだ服部さんがいなければ行けないですから。でも、自分の生活において自然に在る状態になったらいいなとは思っています。

石川竜一
1984年沖縄県生まれ。2010年、写真家・勇崎哲史に師事。2011年、東松照明デジ タル写真ワークショップに参加。2012年「okinawan portraits」で第35回写真新世紀佳作受賞。2015年、第40回木村伊兵衛写真賞、日本写真協会賞新人賞受賞。これまでに、写真集『okinawan portraits 2010-2012』『絶景のポリフォニー』『adrenamix』『okinawan portraits 2012-2016』(いずれも赤々舎)、『CAMP』(SLANT)を発表している。
Instagram:@zekkeisha

「いのちのうちがわ」
会期:~4月18日
会場:SAI
住所:東京都渋谷区神宮前 6-20-10 RAYARD MIYASHITA PARK South 3階
時間:11:00~21:00
休日:なし
入場料:無料
https://www.saiart.jp/

Photography Shinpo Kimura
Text Analog Assassin

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author:

相沢修一

宮城県生まれ。ストリートカルチャー誌をメインに書籍やカタログなどの編集を経て、2018年にINFAS パブリケーションズに入社。入社後は『STUDIO VOICE』編集部を経て『TOKION』編集部に所属。

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