ダフト・パンクはいかに音楽業界に影響を与えたのか 2つの視点から読み解く 

2月22日、突如解散したダフト・パンク。YouTubeに「Epilogue」がアップされるやいいなやSNSでは解散を惜しむ声が相次ぎ、普段音楽に対して言及していない人からも多くの投稿があった。ダフト・パンクは、1993年にギ=マニュエル・ド・オメン=クリストとトーマ・バンガルテルによって結成された。日本では、2000年、松本零士が手がけた「One More Time」などの一連のMVでも広く知られるところとなり、2001年の2ndアルバム『Discovery』の大ヒットによりミュージシャンとして確固たる地位を築いた。加えて彼らの象徴でもあるヘルメット姿は、ある意味でファッションとしても先進的に捉えられたことも、音楽面だけにとどまらない人気につながっている。今回、彼らの28年に及ぶ活動がいかに音楽業界で影響を与えてきたのか。音楽批評家のimdkm(イミヂクモ)に読み解いてもらった。

突然の解散による衝撃

2021年2月22日、ダフト・パンクが突如解散を表明した。YouTubeにアップロードされた「Epilogue」なるビデオで、唐突に、しかもあっけなく。「Epilogue」は2006年の映画『DAFT PUNK’s ELECTROMA(邦題:ダフト・パンク エレクトロマ)』のワンシーンを再編集した動画だ。荒野を歩き続ける2人組のロボットがふと立ち止まると、いくらかの逡巡を思わせる間を経て、片方がもう一方に自爆スイッチを押してもらい、爆散する。残されたもう一方はさらに荒野を歩き続けることになる。映画ではこのあと残されたロボットもまた印象的な末路をたどっていくのだが、「Epilogue」ではあえて爆散のシーンをクライマックスにおいたことで、奇妙に爽やかな印象が残る。まるで『気狂いピエロ』のラストみたいな。「え、ほんとに解散なの?」という困惑を呼んだ理由は、その唐突さだけではなく、「Epilogue」に漂う、笑いそうになるような不条理さだったように思う。

という具合に、解散の報せで世界に激震を与えたダフト・パンク。1993年の結成以来、ダンスミュージックのフィールドのみならず、世界的なポップミュージックの動向にも影響を与えるデュオとして活躍を続けてきた。華々しいキャリアは、2014年のグラミー賞での5冠達成や同授賞式でのレジェンダリーなパフォーマンス(ナイル・ロジャースやスティーヴィー・ワンダーをはじめとした大ベテランとの共演!)で1つの頂点に達したと言えよう。もちろん、ザ・ウィークエンドとのコラボレーションなどを通じて、その後も寡作ながら2010年代を通じて存在感を放ち続けたことは言うまでもない。それだけに、このまま数年に一度ふっと姿をあらわしてはインパクトを与えていくものかと思っていた。

ロックとクラブカルチャーの架け橋的存在に

この2人組といえばやはり、「ディスコ」の印象が強いかもしれない。しかし、ダフト・パンクは1作ごとにめまぐるしく変化する時代のトレンドと密接に関わってサウンドを変化させてきたし、それ以上に常に徹底的にエクレクティックであり続けた。「Get Lucky」のインパクトに隠れている面もあるが、あの『Random Access Memories』(2013年)だって、実際に収められているのはディスコ、エレクトロポップ、西海岸風のジャム、プログレ……など多岐にわたる。まさにさまざまな記憶にアクセスするかのようなエクレクティックさのあるアルバムだ。なんというか、音楽おたくの走馬灯みたいな趣がある。

いまとなってはわざわざ語られないポイントかもしれないが、こうしたアティチュードは、ロックとダンスを架橋しようとする人々にとって大きなインスピレーション源となっていた。まず、その点について少し掘り下げたい。

ジェームズ・マーフィー率いるLCD サウンドシステムによる2002年のヒット、「Losing My Edge」にはこんなくだりが登場する。「I was the first guy playing Daft Punk to the rock kids / I played it at CBGB’s / Everybody thought I was crazy(おれがダフト・パンクをロック・キッズに向けてプレイした最初の男だ/CBGB’sでかけたんだ/みんなおれがいかれたものだと思ってた)」。クラブカルチャーとロックを架橋するキーパーソンとして台頭し活躍してきたマーフィーが、ここぞというとき象徴的に言及するのがダフト・パンクであった、という点は見過ごしてはいけないポイントだ。さらにLCDには「Daft Punk is Playing at My House」という曲まである。

2manydjsとしての活動でも知られるソウルワックスは、ダフト・パンクのユニークなカヴァーを残している。2005年の『Nite Versions』に収録された「Teachers」だ。オリジナルは『Homework』(1997年)に収録されていて、ダフト・パンクが自分達に「教え」を授けてくれた先人達の名前を列挙する歌詞になっている。ソウルワックスはそのアイデアと基本的なフィーリングを踏襲しつつ、ほとんどロック一色に染まったそのラインアップはやや異様でもある。ラインアップの中には、当然出てきそうな1組――というのはつまりダフト・パンクなのだが――が欠けている。しかし、このラインナップが「Teachers」のカヴァーというかたちで表明されていることこそがもっとも重要なのだ。

そもそも「パンク」を名前に掲げているようなユニットだ(前身バンドを酷評する文言をそのままいただいた、そんな命名の経緯もよく知られたエピソードだが)。実際作品に耳を傾けてみれば、ロックの要素がそこかしこに含まれていることはよくわかる。曲名にロックを冠した「Rock’n Roll」(『Homework』収録)や「Robot Rock」(『Human After All』2005年収録)もさることながら、「Da Funk」(『Homework』収録)のリフや303にかかったノイジーな歪みはテクノやハウスの枠組みからあふれでそうな衝動があふれている。

あのフィルターディスコチューン「One More Time」で幕を開ける『Discovery』だって、「Aerodynamic」でのタッピングによるハードロックか何かかと思うばかりのギターソロや、「Superheroes」の疾走するエイトビートとアルペジオにはロック色が強く出ている。「Digital Love」のキーボードソロの響きはまるでギターヒーローのそれのようでもある。個人的な話をすると、『Discovery』を初めて聴いた当時はまるでロックに興味がなかったので、こうしたロック成分には正直当惑したものだった。なにしろ、全部「One More Time」みたいな感じなんだと思っていたのだ。

ともあれ、「Losing My Edge」にしろ、「Teachers」のカヴァーにしろ、同時代まで続くロック史とクラブカルチャーの精神が交差する地点に、ダフト・パンクは召喚されている。そこには作品に内在的な必然もあったし、なによりもダフト・パンク自身のアティチュードがそれにふさわしかった。

巧みなカットアップからたどるダフト・パンク流「フレンチタッチ」

もう1つ、ダフト・パンクを語る上で欠かすことができないものがあるので、その話もしたい。巧みなカットアップである。

ディスコミュージックからサンプリングしたループに、フィルターで巧みに展開をつけていく。そうしたフィルターハウスの基本的な技法は、ダフト・パンクをはじめとする1990年代~2000年代にフランスのプロデューサー達の躍進によって「フレンチタッチ」として一種ブランド化していくことになる。ダフト・パンクがそこに果たした役割は大きく、特に『Homework』と『Discovery』はまさにその権化というべき作品だ。そんなフレンチ・タッチにおいては、展開をつけるためにサンプルを刻んでリピートさせるなんてことは常套手段ではあったのだけれども、ダフト・パンクの凝り方はちょっと群を抜いている。もはや、切り刻むことの快楽こそが前景化している楽曲も少なくない。

例えば、ダフト・パンクの解散発表と前後してSNSを中心に話題になったとある動画では、「One More Time」のサンプリング元と比較して、あの印象的なループがいかにこみいったカットアップで構築されているかが視覚的に示されている。しかしこれもまだ序の口で、『Discovery』では「High Life」や「Face to Face」、「Too Long」、「Crescendolls」などで印象的なカットアップが聴かれる。「Harder, Better, Faster, Stronger」のサンプルとロボット・ヴォイスのかけあいもカットアップのスリルに満ちている。

これにはもしかしたら、DJプレミアがチョップ&フリップを開発したように元ネタをわかりづらくする意図があったのかもしれない。しかし、サイドチェインをかけて音を弾ませたり、フィルターをかけて音を変化させたりするのと同じようなプリミティヴな楽しみに没頭しているようにも感じられる。ほかにも、『Homework』収録の「High Fidelity」も、マイクロサンプリングに片足をつっこんでいるような手触りのカットアップに貫かれていて面白い。まるでAkufenだ。

それだけに『Human After All』のいささかなげやりにすら思えるシンプルな構成(ほとんどワンループの曲ばかり)には肩透かしを食らったものだが、『Alive 2007』に収録されたライヴパフォーマンスで素材としてがんがん切り刻まれるごとに輝き出していくのは抜群におもしろかった。

また、『Human After All』のリミキシーズはカットアップの観点からおもしろいポイントがある。このリミキシーズにはそれこそ当時活躍していた錚々たる面々が参加しているのだけれども、なかでもフレンチ・エレクトロの旗手というべきパラ・ワン(「Prime Time of Your Life – Para One Remix」)とジャスティス(「Human After All – Guy Man After All Justice Remix」)の仕事はすごい。これでもかというくらい刻みまくっている。ダフト・パンクが刻まないなら自分たちが刻んでやるとでも言うかのように。カットアップの作法自体はダフト・パンクとパラ・ワンとジャスティスでは少しずつ異なっているとはいえ、ダフト・パンクのサウンドに埋め込まれていた要素との共振が、ダフト・パンク以降のフランスのプロデューサー達に見られることは興味深い。

フレンチ・タッチ~フレンチ・エレクトロに流れるカットアップの系譜は、思わぬ契機からなぜか日本にも影響を与えてもいる。浜崎あゆみが2008年にリリースしたリミキシーズ『ayu-mi-x 6 -GOLD-』に収録された「Greatful days(Para One Remix)」。原曲をこれでもかと刻み倒した迫力のあるリミックスなのだけれど、それにインスピレーションを受けた関西のある若者が、dj newtownを名乗ってさまざまなポップミュージックを切り刻みだした。活動期間はそう長くなくしばらく沈黙を守っていたが、2019年にはtofubeatsの楽曲を切り刻んだ『WEST MEMBERS』を発表し、方法としてのカットアップに対するこだわりを改めて提示したのだった。

もちろんほかにも2000年代末のアメリカのヒップホップシーンでダフト・パンクがサンプリングされたり(バスタ・ライムス「Touch It」やカニエ・ウェスト「Stronger」を参照)、オートチューンによる歌唱が与えたインパクト(これは1998年、シェールの「Believe」が先駆けだが)であったり、ダフト・パンクがジャンルを飛び越え、あるいは特徴的な技巧をもって与えた影響ははかりしれない。ダフト・パンクの2000年代のライブセットは、2010年代に巨大化・スペクタクル化していったEDMフェスの舞台装置の原点と指摘されることもある。2人組の功績はあまりにも大きい。

しかし、改めて強調するならば、そうした功績の根源は、ダフト・パンク自身が常にエクレクティックであり続けてきたことにある。まだ掘り起こされるべき解釈の鉱脈が眠っているはずだ。

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author:

imdkm

ライター、批評家。ティーンエイジャーのころからビートメイクやDIYな映像制作に親しみ、Maltine Recordsなどゼロ年代のネットレーベルカルチャーにいっちょかみする。ダンスミュージックを愛好し制作もする立場から、現代のポップミュージックについて考察する。単著に『リズムから考えるJ-POP史』(blueprint、2019年)。 https://imdkm.com Twitter:@imdkmdotcom

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