日常的な体験と所有の光景、人との関わり、本質への回帰 WDsoundsオーナー、澤田政嗣インタビュー -前編-

ハードコアとヒップホップ、その双方における東京のアンダーグラウンドシーンを10年以上にわたって率い、先導しているレーベル、WDsounds。そのオーナーである澤田政嗣へのインタビューを行った。現場主義と言える分野の当事者は新型コロナを経て、どういった考えに至ったのか。前編ではハードコア、ヒップホップの存在意義、特性から、まず考え直す。

鈍化した社会を切り裂き、切り抜けるためのインテリジェントな音楽

経済的困窮、治安の悪化、劣悪な生活環境。近代以降における栄光の象徴だった都市、アメリカ・ニューヨークは1970~80年代に窮地に陥った。ただ、アメリカに限らない人類史を大雑把に振り返ると、ヤバい時期を経由した後にこそ文化改革は起こる。大胆で華美なアール・ヌーヴォーが隆盛し、スペイン風邪を経て、簡素なフォルムを重んじるバウハウスへとデザインのムーブメントが移行したように。マルセル・ブロイヤーは掃除をしやすくするために、合板とパイプだけで構成されたシンプルな椅子を作ったといわれている。つまり、まばゆい装飾の魔術から解かれ、目を覚まして本質へと戻ったわけだ。

1970~80年代後にニューヨークで激化したのは、ニューヨーク・パンクの金字塔であるラモーンズよりも速く、うるさく、激しいハードコアのシーンだった。バッド・ブレインズ、マイナー・スレット。これらのバンドに影響を受け、ストレート・エッジのスピリットをもったアグノスティック・フロント、マッドボール、クロ・マグス、ユース・オブ・トゥディ、シック・オブ・イット・オール、ゴリラ・ビスケッツ……。そして後発にテクノのエッセンスを混ぜ込んだユース・コードがいる。プロパガンダとも捉えられるリリシズムに富んだ歌詞。シャウト。パワーコードのみの単純化したリフレイン。ファストビート。こういったハードコアたらしめる激的な要素をバウハウス、マルセル・ブロイヤーの事例と重ねるのは、果たして無謀なことだろうか。

ハードコアは不良の音楽ではない。もしそう思っているのであれば、一応のルーツである悪童による悪童のためのパンクのイメージが脳内に固着している。そのかさぶたを(少し痛くても)一度、剝がし落とすべきだ。鈍化した社会を切り裂き、切り抜けるためのインテリジェントな、反抗・反攻的な音楽。それがハードコアである。クロ・マグスのヴォーカリストであるジョン・ジョセフは、VICEが運営している音楽チャンネル、Noiseyのドキュメンタリーシリーズ「UNDER THE INFLUENCE」の中で以下のように語っている。

“(白熱化したライヴでのモッシュは)全員が入り乱れる部族の踊りに近い
ヴァイブやシーンが大事なんだ
パンク・ロックは不満ばかりを歌ってる
くたばれクソ野郎って
(そんな行為、言葉には)出口(=ソリューション)がない
ハードコアは問題の解決法を探ろうとする“
さらには「俺達は掃き溜めから傷ついた魂を釣り上げる漁師」だ、と。

同じくニューヨーク生まれのハードコア・ヒップホップバンドながら、ビースティ・ボーイズは上記の文脈に当てはめられない。それは当初、リック・ルーヴィンの“仕掛け”によって生まれたもので、ポップ・メジャーフィールドでも活躍していたからだろう。反逆的な白人のバンド・キッズがラップに惹かれ、それをリックが後押しした。キャリアの当初から大規模なライヴツアーを行った若きスター達は、パーティ野郎クソくらえと「Fight For Your Right」で高らかに歌ったのにも関わらず自らパーティ野郎に成り果ててしまい、やがて爆発し一時的に空中分解する。その後、リックの手から放たれた彼らはバンドという原点に回帰し、ピュアなハードコアソング「Sabotage」を作り上げる。そこから彼らはさらなる自由を求め、スタイルを解放し、ジャンルを横断していくが、ハードコアは彼らにとっても“掃き溜めから傷ついた魂を釣り上げ”るための音楽だった(はずだ)。ビースティ・ボーイズは正当なハードコアシーンという観点からの評価は低いかもしれないが、間違いなく当時のニューヨークのアイコンだと言ってしまうのは誤りではないだろう。ヤバい状況を突き動かすユース・カルチャーの代表であり、ハードコアと同時代に勃興したヒップホップのミクスチャーでもあるのだから。

「FEBBの『THE SEASON』を作った時、とにかくニューヨーク(へのオマージュ)にこだわりたかった」

東京のハードコア・ヒップホップのレーベル、WDsounds(以下、WD)がリリースしてきた数多くの作品の中で「特に思い出深い」と、同レーベルのオーナーでありハードコアバンド、PAYBACK BOYSのヴォーカリストのLil MERCYであり、ラッパーのJ.COLUMBUSでもある澤田政嗣が言う故FEBBのファーストソロアルバムは、まさに上述のニューヨークにおけるバックグラウンド、その後のニューヨーク産ヒップホップのスタイルにリスペクトを捧げ、それを日本語へと見事に変換した素晴らしい作品である(ということはわざわざ言うまでもないだろうが言っておく)。

『THE SEASON』の代表曲「THE TEST」のビートにJ.COLUMBUSがラップをのせた楽曲「Rainy Day」

「ヘルラップは減る一方だと思ってるんですけど、ヘルラップはここにあるよっていう感じで(from 『オタク IN THA HOOD』)」と、若きFEBBはとんでもなく巧みなリリックセンスを用い、アルバムの中にアジテーションを思い切りぶちまけていた。さらにFEBBという存在を興味深くさせるのが、『THE SEASON』が東日本大震災後、このコロナ禍には24歳で時が止まった亡霊が放っているかの如く、未発表のシングルが断続的にリリースされている(「SKINNY」「2 HOT」「ICY」、そしてDJ BEERTがニューヨークのラップデュオ、Square Offと共にFEBBをフィーチャーした「What I Want」など)ことである。ヤバい時に必要なのは、鬱々とした雰囲気を吹き飛ばす力強く、明確でシンプルな扇動/先導と、それを強固にする言葉や表現であると、過去と現在を照らし合わせると痛感させられる。

1970~80年代のニューヨークに、アール・ヌーヴォーに、スペイン風邪に、バウハウス。ラモーンズに、ハードコアに、ビースティ・ボーイズに、FEBB。なんでも良いのだが、一見、脈絡があるようでないこれらを点や1つの小さな塊として見ることも当然できる。しかし、関係のないようなことを脳内のタンクに貯め込んでおくと、時たまに結びつく瞬間が訪れる。今回、澤田と話をした内容は、そんなことや情報の価値、いかに情報を結びつけ表現をするかといったことだったりする。大切なのは澤田の言葉を借りれば「景色を見ること」。そしてその“景色”は、「見ることができなくなる可能性を孕んでいる」ということを認識しておく必要がある。本来は実際の街も建築も疫病の苦しみもライヴの激しさや楽しさもすべて観られれば良いのだが、それにはタイムマシンが必要だ。ここでいう景色は自室の書棚でも良いし、CD・レコードラック、今や行きづらくなってしまったクラブや店といったヴェニューでも良い。形骸化しつつある、日常的な体験と所有の光景、人との関わりを指す。

CDの“中”にあるもの、情報交換

澤田政嗣(以下、澤田):ウェブメディアって突如なくなる時がありますよね。いつでも読めると思って放っておくと。しかも、雑誌と違って探しても出てくるわけではないし。なので、自分のインタビューとか、自分が関わった記事とかはコピー&ペーストして手元に残しているんですよ。

――物質として残らないから、本当に消滅するんですよね。やはり、これまでのマーシーさん(=澤田)ご自身並びにWDの歩みは何かしらの形で残しておきたいという意識があるんでしょうか?

澤田:そうですね。物として残しておけば、例え俺の手から離れたとしても、どこかには存在し続けますから、おそらく。WDを立ち上げる前に別のハードコアのレーベルで働いていて、自分が当時やっていたバンドの音をそこから出していたんです。でも、そのレーベルはもうないから、今、改めてデジタルとかでリリースしようと思っても出せない。ただ、CDとかで残ってはいるんで。あと、紙として残っているものってアーカイブされたりするじゃないですか。そういうのをたまに買うんですけど(フライヤーなどがまとめられたスキンヘッズのアーカイブ本を取り出す)。これは物が残っているからできるわけで。おそらくフライヤーとかの作者に許可を取っているわけではないから、まとめて出すことの是非は分かれるとは思うけど。

――物質かデバイスかっていう話を音楽に置き換えると、今はサブスクで聴くことが当たり前になってきているから、表面のジャケットしか見ないじゃないですか。でも、CDやレコードの実物は、中ジャケにこだわっていたり、その中のテキストやスタッフクレジットといった重要な情報が詰まっているのに、サブスクだとそれに触れられない。

澤田:自分達はそこからエンジニアを探したり、どこでレコーディングをしているのかっていう情報を得ることが多いんですよ。作りたい音の理想形があって、そのエンジニアにお願いしたら近づけることができるんじゃないか、と自分なりの推測をして、実際に試したりするわけですから、CDの“中”にあるものは非常に重要。

――そこでいろんなことが繋がっていくっていうこともあるでしょうしね。やはりWDとしてはCDやレコードを作っていくことにこだわっていきたいんでしょうか?

澤田:デジタルでしか出していないものもあるんですけど、それはスピード感のためであって。CDという単位が好きで、そういうものは出し続けていきたいですね。

――少し話が逸れますが、長い期間レーベルを運営されていて、CDを買ってくれる人の数は変わってきているんでしょうか?

澤田:変わってはいるけれども、そうでもない気がします。そんなに大きな浮き沈みがあったわけでもないし。確実に支持してくれている層が常にいるっていうイメージですかね。

――ハードコアとかヒップホップっていう分野って、根強いファンがいると思いますし、そこからブレないというか。そんなに浮気性な人がいない印象があります。

澤田:そうですね。それと、自分達のCDなりを扱ってくれるところって、大きな小売店ではなくて、個人の人がやっている専門店が多いんです。店の人と考えていることを常に共感・共有し合い、意見の交換をしながらやっていますし。劇的に変化しないのはそういう部分が要因になっていると思います。

――そういった方々とはどういう風に繋がっていったんでしょう?

澤田:例えば昨年、愛知県の豊川市っていうレコード屋とかがありそうな場所ではないところに店ができた時(LiE RECORDS)、昔から知っている人から、うちのCDとかを置きたいって店主が言っているから連絡先を教えて良いかって連絡がきて。それで扱ってもらうようになったといったケースもあるし。あと、昔は勝手にサンプルCDを送りつけていましたね。良かったら聴いてくださいっていうちょっとしたメッセージを添えて。そのスタンスは今も変わっていないかもです。逆にメール添付でサンプル音源を送りつけたりはしないかも。知らない人から重いデータが送られてきたら、俺だったら警戒するもん(笑)。

――(笑)。確かに、スパムっぽいっていうか。CDの方が単純に嬉しいでしょうしね。

澤田:誰かとクラブとかで会った時に最近、こういうことやってるじゃないけど、良かったら聴いてくださいって挨拶代わりに渡せるのもCDの良いところですね。

――ヒップホップ、ハードコアたるものマッチョで荒々しくてっていうパンク的なイメージがもしかしたらあるかもしれないですけれども、実際はそうではなくて、最も愛があって、かつピュアなんじゃないかと。そういった愛が溢れ出ている店って結構ありますよね。個人的には“愛が溢れ出ている”感が伝わり切っていないもどかしさがあるんです。ライヴでは確かにモッシュがあったり、激しい側面もあるかもしれないですが、実際の当事者達は、とにかく真面目に好きでやっている、っていうことが正しい気がしていて。それが東京で最も感じられるのが、WDが作り上げているシーンですよね。

澤田:ありがとうございます。自分自身が店に溜まっていたタイプなので、わかりますね。俺は埼玉出身なんですけど、地元のコンビニにハードコアのバンドをやっている先輩がいて、そこにキャップかぶって行ったら、誰々から聞いてるマーシーってお前なんだっていう感じで繋がって。それから夜中、店が暇そうな時に行って、バンドとかいろいろ教えてもらったり。そういうところから始まって、中学から東京だったんで、原宿のUP STATEとかバンドの人が溜まっていそうなところに通って、とにかく情報を集めていました。同じように生活をしていたやつはそこからヒップホップに入っていったり。SUMMITから出したBLYYは中学の時の同級生なんです。他の人はソウルのレコードを掘っていたり、皆、違うことをするようになっていったんですが、情報を交換するのがとにかく楽しかった。どっちがフレッシュな情報をもっているか、みたいなところもあって。

――垣根がないところも良いですよね。ある分野においては排他的になる人もいると思うんですよ。自分達が良しとするものしか良しとしないというか。

澤田:みんな、おもしろいことを見逃していたら嫌だなっていう感じなんだと思うんですよね。すごい音楽って突如として現れたりするじゃないですか。わけわかんないものがサンプリングされているヒップホップとか、そういうものを積極的に探していた方がおもしろいかもって。と言いつつ、自分の中だけで追求していくと、だんだんとタイプが近いものを聴くようにはなってくるんです。ヒップホップ、ハードコア、ソウル、レゲエ、ハウスとか、いろいろと聴いているように思えるんですけど、それでも似通ってきちゃう時もあって。そういう時、知らないものを教えてくれる人と会ったりすると、一回一回、凝り固まったものを壊してもらえるんで。だから情報交換が必要。自分でレーベルやっていても、次第にルーティン化していくんですよ。それもたまに見直さないといけない。

澤田政嗣
1979年生まれ。音楽レーベルWDsoundsを主宰し、仙人掌、FEBB、CAMPANELLA、ERAらの作品制作に携わるほか、自身もJ.COLUMBUS名義でラッパーとして活動。またハードコアパンクバンドのPAY BACK BOYSではヴォーカルを担当。読書家集団「Riverside Reading Club」のメンバーでもある。
http://wdsounds.jp

Photography Teppei Hori

author:

大隅祐輔

福島県福島市生まれ。編集者・ライター。武蔵野美術大学 芸術文化学科を卒業した後、いくつかのメディアを経て、2016年にフリーに。ライフワークとしてテクノとアンビエントを作っており、現在、アルバム制作中。好きな画家はセザンヌとモネ。

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