ペインター・藍嘉比沙耶が初の個展で表現した「創作意図」とは

今年3月、自身初となる個展「ミル・クレープ」を「HENKYO」(東京)、「SUPER BLANK」(岡山)、「FACTORY Gallery」(鹿児島)の3ヵ所で同時に開催したペインターの藍嘉比沙耶(あおかびさや)。幼少期に親しんだアニメをモチーフにしたアクリル絵の具による作品は、国内外から多くの注目を集めている。今回の個展を機にTIDEに続いてギャラリー「HENKYO」に所属し、作家として新たなスタートを切った藍嘉比。「0歳の時からずっと絵を描いてきた」と語る彼女にこれまでの創作の話、そして作品に込められた意図を聞いた。

——まずは創作を始めたきっかけを教えてください。

藍嘉比沙耶(以下、藍嘉比):幼い頃から姉が絵を描いているのをまねして、私も絵を描き始めたんですが、親に聞くとそれこそ0歳の時から絵は描いていて。だから、きっかけというのは特になくて、物心ついた時には毎日絵を描いていました。それがずっと続いて、今でも毎日絵は描いています。

——毎日はすごいですね。両親がアート系の職業だったりしたんですか?

藍嘉比:違います。ただ母が器用で絵が上手だったので、小さい頃はよく母に「女の子の絵を描いて」と頼んで描いてもらって、それを自分でまねして描いたりもしていました。母は昔、少女漫画が好きだったのでそんな感じの女の子のキャラクターを描いてくれて、その絵が好きだった記憶がありますね。

あと、小さい頃から母によく「TSUTAYA」に連れて行ってもらい、そこで昔(1970〜90年代)のアニメをレンタルしてよく観ていました。それが自分の原体験としてあります。

それで小学生や中学生になってからもずっとアニメや漫画のキャラクターの模写をしたり、その要素を取り入れた絵を描いていました。高校生になってスマホを買ってもらってからは、ネットで90年代のアニメや漫画を見るようになったんですが、それが自分の原体験と合致して。それから、90年代のアニメの要素を取り入れて描くようになり、今の作風につながっています。

——漫画家を目指そうとは思わなかったんですか?

藍嘉比:小学生の頃は漫画家が一番想像できた絵を描く職業で、考えたりしたのですが、漫画家だとキャラクターだけでなく、背景も描かないといけないし、ストーリーも考えないといけない。キャラクターの絵だけしか興味がなかった自分には無理かなって思い始めて。絵が大好きなのは変わらなかったので高校は美術系の学校に通って、その流れで美大に入学しました。美大に行ったら、教授から「作家になれ」みたいなことを言われて、最初は「作家は嫌だな」と思っていたら、気付いたら作家のような形になっていました(笑)。

——作家になりたくなかった理由はなんだったんですか?

藍嘉比:その時って「作家」がどんなことをするのか、あまりよくわかっていなかったこともあって、何か良いものに感じていなかったんだと思います。

——でも、活動を続けていくうちに作家になっていったと?

藍嘉比:そうですね。私の場合はキャラクターにしか興味がなかったので、漫画家やイラストレーターは無理だったし。描きたいものだけ描いて、活動を続けていたら今のようになったという流れです。

自分の作為から遠ざかることで完成する作品

——大きく影響を受けたアニメ、漫画ってありますか?

藍嘉比:『新世紀エヴァンゲリオン』の貞本義行さんの絵は大好きです。絵には反映されていないかもしれませんが、今の絵になるきっかけは貞本さんの絵の影響が大きいです。

——『美少女戦士セーラームーン』とかの雰囲気も感じられますが?

藍嘉比:『セーラームーン』の絵自体には大きく影響は受けてないです。でも小さい頃アニメを見た記憶ははっきりとあるので、高校生の時に90年代のアニメと原体験が合致したのには『セーラームーン』が影響していると思います。『マクロス7』だったり、『機動戦艦ナデシコ』などはアニメを観ていないけど、絵だけは好きで影響されていると思います。

——女の子しか描かないのは何か理由があるんですか?

藍嘉比:私としては、女の子を描いているつもりはなくて、自分の中から自然に出てきている「透明な何か」を描いているつもりです。男の子のキャラを描くってなったら、「男の子を描こう」って意識してしまうんですが、何かを意識せずに描くと、自然に女の子に見えるキャラになるんです。一見女の子のように見えるのですが、本当は性別もなくて。それはジェンダーレスといったものではなく、あくまで絵のモチーフとして、キャラクターのようなものを描いているんです。

——絵がかすれていたり、一見描きかけのように見える作品にはどういった意図が込められているんですか?

藍嘉比:高校生までは、鉛筆で線画だけ描いていたのですが、その時は自分の意識で思い通りに100%紙に表現できていました。それをアクリル絵の具で描くようになってからは、絵の具や筆、支持体の性質などの影響で、だんだんと自分の思い通りにはいかなくなって、何かの作用で自分の絵が変化していくのを感じていました。自分の作品が、自分が意図しない要素で変化していく。それが楽しくて。

この反転した作品は、2枚で一組の作品なのですが版画の凹版と凸版を見せているような作品で、1枚目のキャンバスに絵の具をのせて、その絵の具が乾かないうちに2枚目の何も描いてないキャンバスに押し付けて、それを何度も繰り返して完成していきます。そうすると、かすれたり、にじんだり、潰れたり変化が出てきて。絵同士を押し付けることを繰り返していく中で私の支配からどんどん遠ざかって、変化していく。私の意識内で描いていたものが、別の作用で意識から遠のいていくことで絵が自立して本質的な意味での絵になる気がしています。

——なるほど。自分が意図しない要素で絵が変化することを、受け入れているんですね。

藍嘉比:すべて自分の意識の中だけでできてしまうのはつまらないなと思います。

あと、今回展示した200号の一番大きな絵は、下絵から線画、色を塗った状態という絵の制作方法を一枚の絵で表現していて、あえて工程を見せています。

私はアニメの絵を見た時に、どのようにしてその絵ができているのかを調べたり、どういう過程を経てこの絵ができたのかを考えるんです。だから私の絵を見る時も、どういう過程を経てこの絵ができているのかを見る側と共有したいなと。だから作品ではあえて、その過程を可視化させています。

最近はパソコンで描いたドローイングもInstagramにアップしているのですが、そこでも過程を見せるような投稿をしています。

——そういった意図を聞くと、より作品への解像度も高まりますね。ちなみに作品を通じて伝えたいことはありますか?

藍嘉比:何かを伝えたいというのではなく、絵を見て、絵に向き合って各々で考えてもらえたらいいなと思います。

——ビビッドな色使いも特徴的ですが、意識していることはありますか?

藍嘉比:大学時代はブラウン管を通して観たアニメを意識していて、少し暗い感じに描いていたのですが、ある時にセル画の現物を見て、その色がすごく奇抜で。それを見たら、自分がこだわっていた暗さみたいなのは、どうでもいいなと思い始めて、最近は特に意識せずに色は選ぶようになりました。

「絵は究極、自分のためだけに描いている」

——初の個展、しかも3ヵ所での開催。大変でしたか?

藍嘉比:大変でしたけど、楽しさのほうが勝っていました。もともとは昨年12月にやろうって話もあったのですが、コロナの影響もあって、今年の3月に開催になりました。

——3ヵ所は同じコンセプトの展示だったんですか?

藍嘉比:3ヵ所とも、「プロセスを見せる」「自分の意識から遠ざける」というのは同じでした。

——コロナ禍ではずっとこもって絵を描き続けていた?

藍嘉比:そうですね。コロナじゃなくて絵はずっと描いているのですが、ギャラリーや美術館にいくわけでもなく、本当に家にこもってずっと絵を描いていました。

——「描けない」ってことはあったりするんですか?

藍嘉比:描くことが当たり前になり過ぎて、どんな絵でもいいなら何も考えず絵は描けるので、描けないってことはないですね。

——今後はアニメーションとかもやってみたいと思いますか?

藍嘉比:動画は今のところやるつもりはないです。立体に絵を描いてみたいとは思いますね。立体を作るほうには興味はないのですが、立体に描くほうはやってみたいです。

——海外での活動は意識していたりしますか?

藍嘉比:私は絵を描いているだけなので、海外での発表に関してはギャラリストのサカグチ(コウヘイ)さんが考えてくれていると思います。私は本当に絵を描いているだけで、究極、自分のためだけに描いている。だから、発表場所は特に意識はしていません。ただ、展示のために絵を描くっていうのはスペースが絵にも影響してくるので日本、海外問わず楽しみです。

藍嘉比沙耶(あおかびさや)
1997年生まれ。自身の原風景をアニメキャラクターとし、それを元に平面の制作を行う。
https://aokabisaya.wixsite.com/aokabisaya
Twitter:@aokabisaya
Instagram:@aokabisaya

3月27日に新しくオープンしたギャラリー「HENKYO」。そのオープニングで、藍嘉比沙耶の初個展「ミル ・ クレープ」を開催。「HENKYO」にはTIDEと藍嘉比沙耶が所属する。

HENKYO
東京都渋谷区上原1-17-3-105
https://henkyo.jp/

Photography Takahiro Otsuji(go relax E more)

author:

高山敦

大阪府出身。同志社大学文学部社会学科卒業。映像制作会社を経て、編集者となる。2013年にINFASパブリケーションズに入社。2020年8月から「TOKION」編集部に所属。

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