アメコミやフィギュアがモチーフ コムロタカヒロが創り出す「神聖なる像」

2021年3月に自身のこれまでの集大成ともいえる大規模個展「WHITE HOLE」をTHE ANZAI GALLERYで開催したアーティストのコムロタカヒロ。幼少期の原体験をもとに、アメコミやフィギュアに影響を受けた独特な彫刻作品を制作。また、一時はソフビアーティストとしても海外で人気となるなど、国内外から注目を集める存在だ。

彼がどのようにして今の作風となったのか。そこには、「宗教」が関係しているという。今回、これまでの経歴を辿るとともに、制作、そして昨今のアートバブルについて語ってもらった。

彫刻を作る行為自体が神聖なもの

——これまでの経歴を振り返りつつ、創作に関する話をお聞きしたいと思います。まずは創作をはじめた経緯を教えてください。

コムロタカヒロ(以下、コムロ):僕は1985年に東京都大田区で生まれて、小学校3年生くらいまで羽田空港の近くで育ちました。あの辺りって金属加工工場が集まっているような下町で、職人さんがものを作っているのを幼い頃から見ていました。そうしたもの作りが身近にある状況で育ったので、僕も自然ともの作りに興味を持つようになりましたね。それこそ小さい頃からおもちゃを改造したり、粘土で創作物を自分で作ったりしていました。

——東京藝術大学では彫刻科に進学しました。彫刻科を選んだ理由は?

コムロ:やっぱり立体が好きだったからですね。絵を描くよりも、手で実在する素材を触って、作品を作り出すという行為そのものに強く魅かれていました。それは、先ほど言った子どもの頃に手でものを作って遊ぶ感覚が強く残っていたんだと思います。

——彫刻科に進学して、その頃から作風は今の感じだったんですか?

コムロ:大学2年生くらいまではいろんな素材を触ってみよう、みたいな感じで金属とか木とか石とか粘土とか、あらゆる素材を一通り触りました。あとは、人体の構造とかも徹底的にたたき込まれて。そういう基本をある程度習得したあとに「何作ってもいいですよ」って急に言われて。でも、そうなると何を作っていいかわからなくて、子どもの頃に身近な存在だったアメコミやフィギュアをモチーフに作ってみようと思って、今の作風になりました。

——以前のインタビューでは子どもの頃は、『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』(以下、『タートルズ』)や『トランスフォーマー』のフィギュアで遊んでいたと語っていましたね。

コムロ:そうですね。自分の原体験として残っているのが、小学校2年生くらいの時に触れていたアメコミやフィギュアなんです。1990年代のはじめってやたらとアメリカンカルチャーが街にあふれていて、大田区の下町でもおもちゃ屋にフィギュアとかアメコミが普通にあって。『タートルズ』や『バットマン』、『トランスフォーマー』。映画だと『E.T.』や『ターミネーター』、『ロボコップ』、『ジュラシック・パーク』、『スター・ウォーズ』、あとは『セサミストリート』とかが好きでしたね。

ただ、そのアメコミやフィギュアに辿り着くのには、1つ大きな経験が関係していて。これはコンプレックスにもなっているのですが、実は10代の時に某宗教を信仰していた時期があったんです。18歳でふと「俺の神様、別にこれじゃなくてもいいな」って思って、そこで信仰をやめたんですが、自分のアイデンティティを構成する礎になっていた宗教が急になくなって、そのアイデンティティの欠落を埋める作業を18歳から始めました。それで自分の記憶をさかのぼっていって、自分が最もピュアだった時代が小学2年生くらいまでで。それで大学で作品を作る時に、そのピュアな時期に見たものが自分にとってとても神聖なものなんじゃないかって思ったんです。

仏像やギリシア彫刻、土偶とかもそうですけど、古代においてはほとんどの像が神様を象徴するものだった。それと近い感覚で、僕の場合は小学2年生の自分にとってすごく大事だったアメコミやフィギュアを、神聖な像として作るようになったんです。

——ある意味で仏像を作るようなイメージで作品を作られていると?

コムロ:そうですね。僕は彫刻を作る行為自体、神聖なものだと捉えていて、それはこの仕事を続けていく上では、基本中の基本だと思っています。僕の場合は、どの神様ってわけじゃないけど、そういう超越した何かに捧げるものを作っているような感覚です。

——なるほど。フィギュアやアニメに関しては日本のものには影響を受けなかったんですか?

コムロ:『ウルトラマン』とか『仮面ライダー』はいまいちピンとこなかったですね。アメリカのアニメのほうが色もカラフルだし、「かっこいい」「かわいい」だけじゃなく、グロテスクな表現とか、毒々しさもあって、そういう部分にも魅かれていました。かわいさと同時に怖さもあるのが魅力的で、だから僕の作品にもその要素を、入れるようにしています。

実際に存在していたら、というサイズ感を大事にしている

——実際の制作方法としては、まず型をとるんですか? 

コムロ:初期の頃は粘土で1回原型を作って、それをプラスチックに置き換える作業をしていました。CGを習得してからはCGで1回原型を作って、それを最適な素材に置き換えて出力しています。彫刻はCGデータをもとに木から制作していて、ブロンズの作品は3Dプリンターで原型を作って、それを鋳造屋さんに渡して、作ってもらったりもしています。あとは、FRPやソフビなどの素材でも作っています。

——かなり大きな作品もありますが、サイズへのこだわりは?

コムロ:創作物に対して最適な大きさというのがそれぞれありますし、同じ形でもサイズごとに印象がガラッと変わる。基本的には自分がしっくりくるのが等身大で、「それがもし存在していたら」、というサイズ感を大事にしています。

——一見ソフビのようなテクスチャーが印象的です。

コムロ:これはソフビを触って遊んでいた時の感覚が好きで、そのツルっとしたテクスチャーを再現しています。あと単純につやがあると、光が100%跳ね返ってくるので、それでより強い印象を与えられるのもいいなと思っています。

——ドラゴンや子どもをモチーフにした作品が多いですが。

コムロ:ドラゴンは多くの物語に登場する普遍的なキャラクターで、だからこそ、自分もいつかは作りたいと思っていました。でも至るところで登場するからこそ、自分が作るならどういうものができるのか、ある意味で挑戦でした。ドラゴンって西洋と東洋でとらえ方が全然違っていて、西洋だと悪魔で、東洋だと神様。そういうギャップもすごく面白くて。作品でも、かわいさと怖さとカッコよさが共存するようにバランスは考えました。

顔が2つある女の子は、僕の作品は割と男の子っぽいイメージが多いんですが、自分の中では「かわいい」ものも好きで。原体験の中には姉が遊んでいた「バービー人形」とか「リカちゃん人形」とかもあった。あとはパンクロックのジャケットとか、かわいい子どものイラストだけど、実は頭が2個あるとか、そういうのがあって。そのギャップのおもしろさ。それがこの異形の女の子の造形のもととなっています。かわいいけどぎょっとするというか、違和感がある。観る人によって、かわいいと思うのか、怖いと思うのか、感じ方が違うのもいいなと思います。

絆創膏を貼った女の子と男の子達は小学2年生の自分の分身的な作品。小学2年生くらいって毎日走り回って傷だらけになって遊んでいた。おもちゃのフィギュアも大人が見るより、もっと存在感が強くあった。体験するすべてが衝撃的だったし、その感覚を結晶化したくて『Eternal youth』ってタイトルをつけた作品です。

——火山の作品は?

コムロ:これは火山を擬人化した作品。火山は自分にとって神秘的に感じられるもの。それが「飛んでる」っていうありえない光景がおもしろいなと思って作りました。

——どれも色が独特です。

コムロ:色は一番悩む要素で、すごく難しいですね。そこで失敗すると全部だめになるし、一気によくなることもある。だからすごい迷います。その中でも、コントラストが強くて、カラフルでポップ、彩度が最高に高いのが好きです。

デジタル化が進む中で、存在感、実在感がさらに強さを増す

——コムロさんはソフビも作られていますよね。

コムロ:僕にとってはソフビカルチャーも外せない要素です。大学を卒業して4年目くらいに急にアートの仕事がなくなって、展示の機会もないし、お金もないし、どうしよう、ヤバいなと思っていたらアメリカのおもちゃ会社の社長から「ソフビを作ってみないか?」ってメールが来て。ほかにやることないから「やります」って言って、すぐにアメリカに行ってソフビを作ったんです。それをアメリカで販売したら、結構人気になって。

2010年代初頭から中盤くらいまではアメリカではちょっとしたソフビブームが起こっていて、それまで彫刻は作っていたけどあんまり売れなくて、ソフビにした瞬間、ガチっと歯車がはまってどんどん売れていった。そこから個人でもソフビを作り始めるようになりました。お金が無くなったらソフビを作って売る、って生活を4年くらいしてましたね。

その頃のソフビ界ってアート界の縮図で、ソフビもただのおもちゃじゃなくて、換金性のある金融商品として動き始めていました。だからセカンダリーマーケットでどんどん値が吊り上がっていくのもおもしろかった。ただアメリカでのソフビブームがピタッと終わってしまって、それが今はアジアにうつって、中国がメインストリームになっています。

——ソフビに限らず、最近はアートバブルといわれていますが?

コムロ:確かにバブルだと思います。今のアート界は、スニーカーとかソフビとかファッションとかを転売していたような人が、参入してきている。だからアート作品の価値ってなんなのか、それがすごくブレている時代だとは思います。

こんなバブルな状況って、僕は長くは続かないと思っています。アートのバブルって10年周期で繰り返していて、それが弾けたあとは、前とは活躍する作家が全然変わる。2000年代に活躍していた人達も、リーマンショックをきっかけにパタッと見かけなくなったり、その時トレンドだったものは今ではまったく通用しなかったりもする。バブルが終わった後にも生き残れる普遍性を、いかに作家が勝ち取れるかどうか。それが本当の勝負だと思います。

——コロナは創作に関して影響はありますか?

コムロ:実際の仕事面では、そんなに影響はないですね。ただ、これまで普通だって思っていたことが、ある日突然崩れ去って、世界が180度変わることもあるんだって改めて感じました。本当に時代の変化が激しいフェーズに入ってきたんだと思います。彫刻家って普通に手作りでやっていたら1年に4作くらいしか作れない。それで2年に1回の個展をやるっていうのが、昔だとそれで成立していたけど、今では通用しなくなっている。最低でも半年に1回は個展をしないと生き残れない。自分が半年前に「こうだ」と思っていたものが、半年後の世界ではまったく響かないとか。その中でどうするかというと、スピードを上げるしかない。進化していくテクノロジーを最大限受け入れて、自分自身も変化していかないといけないなと感じています。

——こういう不安定な情勢の中でアートができること、アートが与える影響について、どう考えてますか?

コムロ:彫刻に関して言うと、絶対的な確かさ、存在感、実在感の強さだと思います。空間の中で美しく彫刻が存在していることが、ものすごい心に安心感を与えると僕は思っています。仏像とかもそうですよね。だからそういう感じをより多くの人に共有できたらいいな、とすごく思います。

あと、アートは普通はやらないでしょっていうような、あり得ないこと、無駄でしょうがないことをやっているし、体力の限界まで最大の奉仕をして作っている。だからアートってエネルギーの蓄積なんです。そういう作品は観る側も元気をもらえますよね。

——世の中が不況だと、いかに効率的にお金を稼ぐかが求められていますが、それとは反対のベクトルですね。

コムロ:彫刻はコストの塊。時間もお金も労力も一番かかる。でもだからこそ、強い。最近はNFT(*NFT=非代替性トークン。ブロックチェーンを利用したデジタル資産)アートとか、デジタルアートとかがはやし立てられているけど、僕自身はまだ全然ぴんときていなくて。実在するものって、デジタルのものよりも情報量が圧倒的に多くて、実際に観るといろいろなことを感じてもらえる。だからこそ、僕はこれからも実体のあるものを作り続けたいと思っています。

コムロタカヒロ
1985年東京都生まれ。2011年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程彫刻専攻修了。1980〜1990年代のアメリカのSFやディストピアムービー、アートトイ、フィギュアなどから影響を受け、日本の現代カルチャーを取り入れた彫刻作品を展開している。
https://www.tkomsculpture.com
Instagram:@tkomfactory

Photography Yohei Kichiraku

author:

高山敦

大阪府出身。同志社大学文学部社会学科卒業。映像制作会社を経て、編集者となる。2013年にINFASパブリケーションズに入社。2020年8月から「TOKION」編集部に所属。

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