アーティスト・オートモアイが「顔のないヒト」を描く理由とは――あちら側とこちら側の間に浮かび上がる非人称のイメージ

今年の8月には台湾でも個展が開催されるなど、国境を越え活動の場を広げるアーティスト・オートモアイ。去る11月、新宿のBギャラリーと西麻布のCALM & PUNKギャラリーで同アーティストの個展が同時開催された。「顔のないヒト」という主たるモチーフは同一ながらも、前者「Anonymous」ではアクリルによるポップな質感が、後者「Buoy」では油彩のこれまでにはなかった生々しい筆致が際立ち、全く異なる印象を観者に与える。今回の個展で目指したものや新しく試みたこと、根底にある創作上のテーマについて、オートモアイに尋ねた。

社会における個人というのは、本当に曖昧で希薄な存在だと感じている

――そもそも、なぜオートモアイさんは覆面作家として活動されているのでしょうか?

オートモアイ:作品を観てもらう上で、自分の性別や年齢だったり、容姿や背格好だったりっていうのは何ひとつ必要ないことだと思うんです。

――BギャラリーとCALM&PUNKギャラリーで2つの個展が同時開催されていましたが、それぞれの位置付けを教えてください。

オートモアイ:どっちの展示でも肖像画を描いているんですけど、見せ方や質感で違いを出せたらおもしろいと思ったんです。B GALLERYのほうは「無機質で記号的な人間」というイメージで、アクリルでポップに描いていて。一方、CALM&PUNKのほうは「生身の人間」「人間の関係性」というイメージで、写真をベースにしたペインティングで描いています。

――B GALLERYの個展は「Anonymous」と題されていました。「匿名」は、オートモアイさんの創作上の重要なテーマであり、主たるモチーフである「顔のないヒト」にもつながるものかと思います。オートモアイさんにとって「匿名」が持つ意味や、それをご自身の創作のテーマに据えた理由を教えてください。

AUTO MOAI acrylic on canvas 2020 606×500mm ©AUTO MOAI

オートモアイ:「匿名」という制作上のテーマは、絵を描き始めた時からあって、ずっと変わっていません。その頃、自分が「何の特別さもない、たくさんいる人間のうちの1人」だということを強く感じたんです。そして、そんな自分の目線の先にある世界の中に、そもそも「顔があるヒト」がいること自体がイメージできなくなってしまって。それ以来、「顔のないヒト」を描き続けています。私自身も含めて、社会における個人っていうのは、本当に曖昧で希薄な存在だと感じているんです。

「ブイ」の視点に立てば、「こちら側」も「あちら側」も分からなくなる

――CALM&PUNKギャラリーの個展は「Buoy・浮(ブイ)」をテーマにされたとのことですが、そこにはどのような意図や思いが込められていたのでしょうか?

オートモアイ:「ブイってすごく不思議な名前だな」とか「沖にずっと漂っているけど、あれは一体なんなんだろう?」とか考えてしまって。そうしているうちに、「ブイ」と「人間の関係性」が似ているなと思い至ったんです。海の沖で漂い浮標として場所や深さを記す「ブイ」が、社会における人の立ち位置や人間関係をあらわすもののようにも感じられたりしてきて。同じような個体が並んでいて、それぞれが「近いようで遠い」というところも似ていますよね。そして「ブイ」の視点から見てみれば、自分の横に等間隔に同じものがあるっていうのもわからないですし、どっちが沖でどっちが浜なのかもわからない――。それは、ふだん生活している上で感じることとすごく近いなとも思います。その感覚がこの個展のテーマになっています。

――「Buoy」の作品は、これまでとは異なる色使いや筆致が印象的でした。生々しさが感じられつつも、同時にどこかおぼろげで、「幽霊」のような感じがあるというか……。

オートモアイ:「Buoy」では人の関係性や距離感を描きたかったので、普段遊んでいる時にiPhoneで撮った写真を元にして作品を制作したんです。人って、目の前に他人がいないと自分自身の存在を証明できないじゃないですか? その意味で、私が撮った写真には目の前にいた人が写っているんですけど、撮影者である私自身もそこにいると言えると思うんです。また、写真に写った人って、生きているのにみんな死んでしまった人のように見えるんですよね。昔の人が「カメラで写真を撮られると魂が抜かれる」って言っていたのはこういうことかと改めて感じました。そういったことは個展のテーマである「ブイ」から見た視点――どっちが沖でどっちが浜なのかが、「こちら側」と「あちら側」がわからなくなる感覚――に紐付いていて。描かれている「ヒト」がちょっと「幽霊」みたいに見えるような感じは、そういったところから来ているんだと思います。

――写真を撮って絵にする方法は昔から行っていたのでしょうか?

オートモアイ:いえ、今回が初めてです。現実に起こったことなのに、絵に起こしていくと、どんどん現実との差異が生じてくるのはおもしろかったですね。ラフに撮ったiPhoneの写真でも、絵画上で再構築することによって作品として昇華できる。今後も試していきたいなと考えています。

――「Buoy」では、カラー作品以外にも、モノクロの作品やスカルプチャー作品も展示されていますね。

オートモアイ: 幅広く観てもらえたらいいなと思ったんです。モノクロの方は、カラーのペインティングの元になっているものだったりして、こちらも写真から描いていますね。スカルプチャーについては、2019年の「Tacking City Nihonbashi」で作品を制作したのですが、今度は別の素材で立体作品を作りたいと思っていたので、今回の個展に合わせて制作しました。

――ご自身の作品について、「こういうことを感じてほしい」とか「こう観てもらいたい」といった気持ちはありますか?

オートモアイ:好きなように観てもらいたいですね。色の感じが好みだとか、描かれている動物が飼っているペットに似ているとか、ここはどこの場所に似ているとか、絵に描かれている人の気持ちを想像したりとか……。どんなことを感じるのも、観る方の自由なので。各作品に私が込めた意味はあるんですけど、観た方が自分なりに解釈して何かに気付いたり新しい価値観が生まれたりすることが、作品を観てもらう上で望むことです。作品は鑑賞者にとってそういうものであって欲しいと常々思っていますし、私の手から離れたら、もう作品は観る方のものなんです。

――今後の予定や、チャレンジしようと思っていることがあれば教えてください。

オートモアイ:今回の(写真を元に描く)シリーズは今後も制作していきたいと考えています。立体作品に関しても、機会があればやっていきたいですね。次は少し大きいものが作れたらいいかなと思っています。また、アニメーションとか、やったことがないことはできる限り挑戦していきたい。自分の中では今は平面が一番なんですが、自分にもっとハマるものがあるかもしれないし。それは、やってみないと分らないですから。

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AUTO MOAI(オートモアイ)
匿名をテーマに日本で活躍するアーティスト。可視化されにくくあるストリートで暗黙に繋がる人と人との関係性を顔のないヒトによって描き出している。主な活動は個展「Permanent Boredom」 (TAV GALLERY、東京、2019)など、「Tacking City Nihonbashi」(東京、2019)では8mの立体作品を展示、ほか300ページに及ぶドローイング集『Endless Beginning』(焚書舎,2018)、渋谷PARCOリニューアルオープンを記念した描き下ろし作品集『ANGEL』(PARCO出版,2019)を出版。
auto-moai.tumblr.com
Instagram:auto_moai
Twitter:auto_moai

Photography Kentaro Oshio

author:

藤川貴弘

1980年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、出版社やCS放送局、広告制作会社などを経て、2017年に独立。各種コンテンツの企画、編集・執筆、制作などを行う。2020年8月から「TOKION」編集部にコントリビューティング・エディターとして参加。

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