「me and you」が大切にする“対話”と“個人の声” 編集者・竹中万季と野村由芽、2人の想いを聞く

2017年に自分らしく生きる女性を祝福するライフ&カルチャーコミュニティ「She is」を立ち上げた編集者の竹中万季と野村由芽。現代を生きるさまざまな個人の声に耳を傾け、女性の多様な生き方を届けてきた。今年3月で「She is」の更新を停止し、2人で新たに会社「me and you(ミーアンドユー)」をスタート。仕事や生活を行き交いながら新たな場所を育む。「個人の対話を出発点に、遠くの誰かにまで想像や語りを広げる活動を行っていく拠点」と掲げた言葉には、どのような想いや構想があるのか。考える途中にたたずむ2人の言葉を、お届けする。

「揺らぐ自分を肯定できる」自分達にとっても必要な場所だった

──2021年3月31日をもってサービスを終了した「She is」ですが、お知らせした際にどのような声が印象的でしたか?

野村由芽(以下、野村):個人的には、「She is」という場所が更新停止してしまうことはとても心苦しく、悔しいことでもありました。止まったとしても、「She is」の精神は続いていくし、種はまかれていくのだと、自分を奮い立たせたんですけどやっぱり喪失感はあって。なので、SNSで「場所自体がまだちゃんとあるのだと思う」といったことを書き込んでくださった方がいて、その言葉にハッとする部分がありました。更新という行為が止まっても、場所自体は「ある」んだなと、その言葉に引きあげてもらったような気がしたんです。

竹中万季(以下、竹中):私もずっと続けていくものとして立ち上げた場所を、急にこのような形で止めなくてはいけなくなったことに対してふがいない気持ちに苛まれていたんですけど、読者の方々や「She is」に関わってくださった方々からメールやメッセージをいただいて。その中で「『She is』を通じて今まで考えなかったことを考えるようになりました」「記事を読んで○○を作ってみることにしました」と、何かを始める“きっかけ”を得ることができたと書かれていた方が数多くいらっしゃったんです。いろんなところできっかけの種がまかれているのなら、なくなるわけではないのだと気付かされました。

野村:さまざまな方から声をいただけたことが本当にありがたくて、2人とも自分の身体に記憶を刻むみたいに、メールやSNSのメッセージを保存していましたね。「『She is』がなかった世界より、あった世界のほうがいい世界だった」という言葉にも揺さぶられるのもがありました。メディアやコミュニティという場所を育てていく中で、至らない点もたくさんあったと感じています。その1つ1つを反省していきながら、「She is」が存在したことで少しでも良いことがあったとしたら、そしてそれがこれからも続いていくなら、本当に嬉しいことだと思っています。

──現在はコミュニティメディアが増え、「自分らしく」という価値観が広まってきましたが2017年当時はコンセプトも設計もチャレンジングなことだったと思います。振り返ってみて、個人的に「これはかなった」と思われることはありますか?

野村:「She is」を立ち上げた2017年頃は、「女性らしさ」「男性らしさ」といった固定観念が今より強く存在していた状況があり、「個」に目を向けるという意味で「自分らしく」という言葉を使っていました。今でもまだまだ、社会の構造や決めつけによって、すべての1人1人の立場や状況を尊重するには至っていないと感じますが、「She is」で行っていた1人1人の声を肯定するという行為の集積が、自分が自分でいることを大切にする世の中の動きに、少しでも貢献できていれば嬉しいです。

竹中:当時は自分達の実感としても「このままではいけない」と切羽詰まっていたのを覚えています。社会が決めつけた「枠組み」の存在やそれを押し付けられることに違和感を感じていて、そうしたものにとられないまま話ができる場所を自分達自身が強く求めていた。少しずつ社会が変化してきた部分もあると思うのですが、その一部として声が出しやすい場所を提供できていたとしたら良かったなと思います。個人的には、「She is」をきっかけに友達ができた、という話を聞くのがすごく嬉しかったです。文通を始めました、という話も。

野村:あれは嬉しかったね。私達自身も、「この人になら、大切なことを話してもいいのかもしれない」と思える人達に出会うことで、安心して大事なものを交換できるゆるやかな連なりを信じられるようになったと感じます。そのおかげで、この3年半を通して「確固たる自分」ではなく、「揺らぎながら考え続ける自分」を肯定できるように、少しずつ変わってきたかなと思います。

──理解されなくても、自分の言葉を受け止めてくれる人達が待っている、という安心感はありました。だからなんでも話せたり、集まりにも行きたくなったりする場所だったのかなと思います。

野村:「She is MEETING」というオンラインの集まりを定期的に開催していたのですが、初対面なのに参加してくださった方々も私達も普段は話さないことを話せる感覚があったのではないかなと思います。私はよく泣いてましたね……(笑)。

竹中:遠くの島に住んでいる方がお話しされたエピソードが過去の自分の記憶と重なったりするんですよ。人生の中では、すごく小さな、とるに足らないような出来事かもしれないけれど、それが遠くにいる今日初めて会った人とつながる感覚は立ち上げた時から望んでいたことだったので、今後も大事にしていきたいです。

個人の声を聞くことが、「個人が死なない方法」ではないか

──新しく立ち上げた「me and you」は、どのような想いが込められた名前なのでしょうか?

野村:2人でいくつか名前の候補を持ち寄ったのですが、たまたま2人とも持ち寄った名前が「me and you」だったんです。「She is」の時は「彼女が存在する」という意味合いで、1人1人の声を聞くことを大事にしていました。その態度は引き継ぎながらも、「She is」での時間を通じて、「声」と「声」の主である「人」と「人」との関係性のことをより考えたいと思うようになりました。

私達は他者との関わりなしでは生きていけないけれど、他者のことをあまりに大きな主語で語ることが、当たり前になってしまっていると感じます。私にもあなたにもさまざまな文脈や背景があるのに、簡単にわかりやすくカテゴライズして相手をわかった気になってしまったり、先入観で話してしまったり。私はあなたと話がしたいし、話を聞きたいのに、年代や性別のようなもので語られてしまったり、ふるまってしまったりすることもある。すべての場面で、全員が個人的な話ばかりをしていたら収拾つかなくなるのかもしれませんが、それでも「私」と「あなた」の対話から始めることで、なにか凝り固まっているものを解きほぐせないだろうか、と今は考えています。

例えばSNSなどで目にするテキストはとても短いですよね。場合にもよるかもしれませんが、その一言で他者を瞬時に決めつけるのではなく、もう少し時間をかけて、お互いの言葉に耳を傾けながら、関係性や問題を問い直していきたい。対話の相手は、私とあなたの場合もあれば、現在と過去の私である場合もあると思います。社会による決めつけが生んでいる課題や、簡単に「ジャッジ」されて/してしまうこと、自分に対する思い込みを縛るものが、少しずつほぐれていくといいなと思っています。

──「and」があることで、つながりがどんどん広がっていくイメージになりますね。

竹中:そうですね。何年も経って時代が変わり価値観が変化したとしても、変わらず大切に考え続けたいと思えるものを名前にしたいなと思って。「わたしとあなた」の関係性は、時代も場所も超えて普遍的に存在しているものですよね。人と人だけでなく、その相手は生物だったり、ものであることだってある。対話の相手を考えるといくらでも広がっていく名前だなと思って、2人ともすぐにこれだね、となりました。

この名前のヒントになったのが、ミランダ・ジュライの『Me and You and Everyone We Know』という作品です。作品もそうだけれど、2人ともミランダ・ジュライのことが大好きで。例えば『あなたを選んでくれるもの』はフリーペーパーに売買広告を出す人々を訪ねて話を聞いていく作品だけれど、自分達が大切にしている対話や偶然の出会いといったものをずっと探求されている方で、meとyouという言葉が浮かんだ時に彼女の作品とつながって「これだ」となりました。

野村:作品名にも「and Everyone」とあるように、私とあなたの閉じられた世界ではなく、「and」が無数に続いていくようなイメージを持っています。だから、この「and」をどう耕していくかというのは考えていきたいですね。meとyouが同化するandではないと思っていて、距離や関係性、時間など、それぞれのmeとyouの間のandにさまざまなストーリーがあるはず。

──「個人の声」というのは、時には無いようにされたり誰も聞いてくれなかったりした記憶があったので、個人の声を集めてくれる場所があることが、自分を認めてくれることにつながると感じていました。2人は、「個人の声を聞くこと」の魅力をどのように思われていますか?

竹中:私の個人的な記憶を話すと、学生時代に「自分のことを誰にもわかってもらえない」という感覚を強く持っていたんです。だからといって、それでもいいと振る舞えるわけではなく、本当に思っていることは表に出さずに、その場所に適応する振る舞いをしてばかりで。そんな時にインターネットを通じて、世界中の人達が個人的な日記をオンライン上に書いているのをよく見ていて。完璧に整った文章ではないけれど、自分の思いを自分だけの言葉で綴っている人達がこんなにいるんだ、ということにすごく救われてきたんです。当時はSNSも普及していなかったので、大勢に届けることを前提とした文章ではないんですよね。だけど、どこかの誰かにこの気持ちが届いて欲しいと願っているような、個人的なんだけどちょっとだけ外側に目が向いているテキストが好きでした。その人にしかない声を、誰しもが抱えているんだなと思えて。

野村:私は昔から、語られなかったこと、言えなかった言葉はどこにいってしまうんだろう? という気持ちがありました。よく覚えているのが、友人が長く付き合っていたパートナーに対して、「けんかをすると言いたいことがどうしても言えないから、家に帰って1人で言えなかったことを言うのだ」と話してくれたことがあって。友人にとって、やり直してでも、自分の言葉を発することが必要だったんだと思ったんです。

対話というのは、相手やタイミングによってその都度全く新しい世界が誕生するようなものだと思っています。そういう考えを持っているからか、対話という体裁であるにもかかわらず、話をすり合わせていくことを目的としていたり、有無を言わさず一方的に伝達したりする形は昔からあまり得意ではありませんでした。自分と相手の意見が違っても、驚きながら、すぐに否定はせずに考えを深めていくようなことができるといいなと年を重ねるごとに思います。万季ちゃんとは、お互いにそういった対話をおもしろいと感じている部分があるので、話すのが異様に楽しいのかも。

竹中:昨日もそうだったね。

野村:そう! 2人でミーティングをして、話し足りなくて家の近くの駅で一緒に降りて、あてもなく道を行ったり来たりしながら。「自己承認欲求」「コミュニティ性の違い」「常連」についてなど、こうやって並べてみると脈絡ないけれど、実はそれぞれが派生して浮かび上がったトピックについて話していました。

社会や政治について、まず近しい人と話し始めてみると、個人の声の中に大事な考えや思いがたくさん詰まっていることに気づく感覚があります。さらにそこから、社会の大きな流れの中にそんな個人の声はどれだけ反映されているのかなって疑問に感じるんです。社会の決まりというのは、本来さまざまな状況の1人1人が健やかに過ごせたり幸福を追求したりするために存在するもの。そのために、1人1人の声を聞き、私とあなたの存在を尊重していくこと。それによって、それぞれの人が声をあげたり、必要な時に支え合ったりする力が湧いてくるのではないかなと感じます。自分は取るに足らない存在やないがしろにされている存在ではないと感じられること、そして同時に誰かのこともないがしろにしてはならないのだということを、自分ができるところから考えていきたいと思っています。

──たとえ自分の言葉を受け止めてくれる相手が現実にいなくても、そうした場所が携帯のブックマークにあるだけで救われると思います。

竹中:私も落ち込むと、好きなウェブサイトやニュースレターを読みに行って「よし!」と思うことがあります。

野村:存在しているだけで嬉しい、って感覚あるよね。

竹中:時代が変わってSNSで誰もが個人の声を発信できるようになって、鍵アカウントでない限り大勢に見られることが前提になっているから、何か人にシェアしたいことがある時には思いもよらないところまで届く可能性があるという意味ではいい時代だとも思うのですが、その一方で、届く相手を想像しきれずに誰かを傷つけてしまったり、逆に鋭い言葉で傷つけられたり、またどう見られるかを気にして苦しい気持ちになる人も増えているように感じます。傷つきたくないなら自分の声を押し込めればいい、というわけでは絶対にないので、安心して声を発せられる選択肢や方法については考え続けていきたいです。

野村:個人の声は、善悪でジャッジして終わり、というものではなく、何かを受け取ったり、その先を考えるきっかけになったりするものだと思います。それでも、SNSで「いいね」の数にのみ込まれそうになることもありますし、自分自身が一面的な部分ばかりを見せてしまうことで、息苦しくなっていた部分もありました。だから、リハビリのような気持ちでニュースレターを始めたところもあります。個人的には今まで書いていなかったやり方をしてみたり、普段の自分を出したり。

竹中:結構緊張する、と言っていたよね。私は普段の由芽さんが好きだから、出していったらいいのにと思っていたけれど。

野村:もともとは、表に出すものは作り込みたいという思いが比較的強いので、こんなふうに作りかけや途中の自分を出すことがなかったんです。でもだんだん、こっちのほうが自分だなあという感じがしてきたし、楽しくなってきました。

柔軟に学んだり変化したりしながら場所を作っていきたい

──ニュースレターから始めたのはどうしてだったのですか?

竹中:手触り感のあるコミュニケーションを大切にしたいと思って、SNSではなくてニュースレターを選びました。ニュースレターは即時的というよりもそれぞれにとって心地よい時間に受け取れる自由さを感じていて、なんとなく、郵便受けに手紙が届くのを待つ感覚と似たものがあると思うんです。過程も含めて少しずつお伝えする、温度や息遣いが感じられるものにしたい。お手紙を読むように、私達のニュースレターから好きなものが増えてくれたら嬉しいです。

野村:海辺に流れ着いた小瓶に入った手紙との出会い、みたいにしたいと思って「message in a bottle」と名付けました。親密で、会話の終わりも時間制限もなくて、いつ読んでもらってもいい。個人的な日記をやりとりしたり、「アイスクリームが溶けても」というタイトルで寄り道ばかりの会話を動画で届けたり、自由に楽しんでいます。

竹中:反響でおもしろいのが、いつ、何をしながら読んだのか、その時間を教えてくださる方が多いんです。「このニュースレターを読むために気持ちの良い木の下に来ました」「庭仕事をしながら動画を聞いています」とか。

野村:チーズケーキを焼きながら読みました、という方も覚えてる。私達もお茶会やピクニックに一緒に混ざるような感覚で楽しんでもらいたいと思っていたので、嬉しい反響でした。

──ニュースレターが日常に溶け込んでいる感じがしますね。

野村:「日記文通」には誰かに見せるのではなく、自分のための言葉を書くという目的があって。「アイスクリームが溶けても」は、「まだ答えは出てないけれど、考え中のことをここでは話せた」みたいな、自分でも気づいていなかった深いところにストンと落ちるような会話ができていたらいいなとなんとなく思っていて、いずれもあまり気負わず、気張らないようにしたいな……と考えているのもあるかもしれません。

──「me and you」はそうした「手触り感のあるコミュニケーション」がベースになると思うのですが、他には具体的にどのようなことを考えているのですか?

竹中:まだ構想中ですが、「me and you」としてのメディアやコミュニティをつくる過程で、そこで扱っていきたいテーマや場所作りについての考えを深めるリサーチプロジェクトを始めようとしています。自分達が考えているテーマについて専門性を持っている方に話を聞いたり、場所を作っている世界中の方々と話をしたり、学びを深める機会を積極的に作っていきたいですね。

野村:あとは、J-WAVEさんと「SPINEAR(スピナー)」というメディアでポッドキャストを始めることになりました。「わたしたちのスリープオーバー」という名称で、テーマは「性についていつもの温度で話しはじめてみる」。ジェンダーやセクシュアリティ、性行為、性差別のことなど、自分自身や他人との関係を見つめられる大事なテーマだと思っています。「me and you」としてのメディア・コミュニティは年内には立ち上げることができたらと計画しています。

──どんな場所が作られていくのか、個人的にもとても楽しみです。途中段階で構わないので、2人の思い描いている「me and you」の構想を最後に聞かせてください。

竹中:「個人と個人の対話を出発点に、遠くの誰かにまで想像や語りを広げる活動を行っていく拠点」というメッセージを掲げていて、7月2日に会社のコーポレートサイトもオープンし、そこで自分たちがこの拠点を通じて行っていきたいことについて綴っています。これから立ち上げるメディア・コミュニティがどういった場所でありたいか、今まさに話しているところですが、個人の声や対話、偶然の出会いを大事にしながら、先ほども少し話した「継続的に学べる場所であること」も大切にしたいと考えています。何を頼りにしていいか迷ってしまったり、知らなくて言葉を発せられなかったりするテーマについて、「教えてもらう」だけではない形で学びを深められる方法を考えていきたいです。

野村:学びは開かれていて、きっかけがあれば誰でも学ぶことができるものであってほしい。教育機関などをはじめとして、「教える」ことに関しては素晴らしい場所がすでにたくさん存在しているので、能動的に学びたいと思える状況についても考えを巡らせていきたいと思っています。

あとは、1つの考えにとらわれないように、完璧なものや完成したものだけを追い求めるのではなく、過程や断片にも目を向けていきたい。特にコロナ禍中は自分が過去に書いた言葉にとらわれてしまうことが多かったので、柔軟であることや、変化を受け入れる態度に以前よりもさらに関心を持つようになりました。

竹中:「She is」の時は、社会によって定義された「女性らしさ」を解体し、多様な女性が存在していることについて考えたく、女性として生きる1人1人の声を聞くということをまずはやってきたのですが、女性といってもシスジェンダーの女性が中心になっていたし、また、男性やノンバイナリーの方などとの対話はあまり行ってこれませんでした。今自分達が考えていきたいと感じている社会における問題は複雑に入り組んでいて、女性が対面している問題とも引き続き向き合いながら、多様なトピックについてさまざまな立場の人と対話をしていけたらと思っています。合理的に最短距離を目指すのではなく、寄り道をしたり試してみたりして、そこから見える景色を信じたいですね。

野村:「She is」の立ち上げから3年半以上が過ぎて、時代も自分自身も大きく変わることを知ったので、学びながら必要な変化や反省と向き合える場所を作りたいし、それを実践できる個人でありたいと思っています。

──2人は学びの渦中にいるのですね。

竹中:「She is」を運営している最中は腰を据えて学ぶ時間があまりつくれなかったけれど、本を読んだり、気になっているニュースを調べれば調べるほど、社会にはさまざまな構造の問題が層になって重なっていることがわかって、今はそうした問題の1つ1つについて2人でずっと話をしています。今は2人だけれど、この輪を徐々に広げていけたらな、と思っています。ジェンダーについてもコミュニケーションについても答えが1つに決まっていない問題ばかりなので、さまざまな角度からの視点を持てるように、いろんな方にお話を伺って学び続けていきたいですね。

野村:自分達ができることは、そんなにたくさんではないと私は思っているんです。できることは、個人と個人が手を取り合いたい時、考えたい時、必要な人同士を結ぶ間に立つこと。必要な時に助けになるような言葉や、始めるきっかけになれる声を届けること。少しずつではありますが、それらを考える射程は、以前よりも広がったと思います。

左:竹中万季(たけなか・まき)
編集者/プロデューサー。1988年生まれ。2015年CINRA入社。企業や行政とのメディアやイベントの立ち上げなどさまざまな案件に携わり、施策全体のプロデュース、企画、ディレクション、編集など幅広く担当。2017年に野村由芽と共に、1人1人の声を肯定する場所「自分らしく生きる女性を祝福するライフ&カルチャーコミュニティ『She is』」を立ち上げ、ブランドリーダーを務める。2021年4月にCINRAを退職し、同月、野村由芽と共に「me and you, inc.(ミーアンドユー)」を立ち上げ、代表取締役に就任。主な仕事領域はプロデュース、ディレクション、企画、編集。社会に存在する課題を見据えながらも、個人の小さな声を大切にしながら、 それぞれの人の温度や思いを伝えていく仕事を心掛けている。
https://meandyou.co.jp
Twitter:@l_u_l_u


右:野村由芽(のむら・ゆめ)
編集者/文章を書く。1986年生まれ。2012年CINRA入社。 カルチャーメディアCINRA.NETの編集、企画、営業を行い、アジアのクリエイティブシティガイドHereNowの東京キュレーターを担う。 さまざまな企業のオウンドメディアの立ち上げにも携わり、コンセプトやストーリー立案、コピーライティングを主に担当。2017年に竹中万季と共に、ひとりひとりの声を肯定する場所「自分らしく生きる女性を祝福するライフ&カルチャーコミュニティ『She is』」を立ち上げ、編集長を務める。2021年4月にCINRAを退職し、同月、竹中万季と共にミ「me and you, inc.(ミーアンドユー)」を立ち上げ、取締役に就任。主な仕事領域はインタビュー、コラム・エッセイ執筆、コピーライティング、司会。遠くと近くを行き来しながら、相手の言葉に耳を傾け、対話をしながらひと時その人の風景に潜ったり、一緒につくっていくような編集視点を心掛けている。
Twitter:@ymue

Photography Kohei Omachi

author:

羽佐田瑶子

1987年生まれ。ライター、編集。映画会社、海外のカルチャーメディアを経てフリーランスに。主に映画や本、女性にまつわるインタビューやコラムを「QuickJapan」「 she is」「 BRUTUS」「 CINRA」「 キネマ旬報」などで執筆。『21世紀の女の子』など映画パンフレットの執筆にも携わる。連載「映画の中の女同士」(PINTSCOPE)など。 https://yokohasada.com Twitter:@yoko_hasada

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