スタートアップ業界に必要な多様性とは? ANRI江原ニーナが考える課題

近年、女性起業家が取り上げられる機会が増えた。彼女達の呼称にわざわざ「女性」と冠がつくのは、まだ起業家・経営層の中で、女性が希少な存在だという現状が反映されている。帝国データバンクの「全国『女性社長』分析調査(2020年)」によると、女性社長の比率は全国で8.0%と、前年の横ばいだった。

その中でベンチャーキャピタル(VC)のANRIは昨年11月、運用中の4号ファンドの全投資先のうち、女性が代表を務める企業の比率を最低20%まで引き上げる方針を発表し、注目を浴びた。これまでスタートアップ業界は男性が圧倒的に多く、ボーイズクラブ的な面が課題視されてきた。

なぜ、女性の起業家が少ないのか、女性の数を増やすことで業界にどういう変化が望めるのか。ANRIの中でも「Nagi」を展開するBLAST Inc.など女性起業家を担当する、シニアアソシエイトの江原ニーナに話を聞いた。

フェミニズムは女性だけでなく、みんなの問題

――そもそも、なぜベンチャーキャピタリストになろうと思ったんですか?

江原ニーナ(以下、江原):もともとは起業家になりたかったんです。高校から4年間アメリカで過ごして、帰国後に一橋大学の社会学部に入学しました。スタートアップ業界のことを知ったのは、大学1年生の時に参加したG1カレッジ*のイベントがきっかけでした。そこから起業家が集まるコワーキングスペースのHive Shibuyaなどのコミュニティで過ごすことが増えて、そこにいる人達から刺激を受けました。

*1 グロービス経営大学院主催の大学・大学院生向けイベント

――当時の起業家にはどんな人たちがいたんですか?

江原:2018年に話題になった匿名チャットアプリの「ニャゴ(NYAGO)」のチームがいました。自分と年齢が近く身近な人たちが、社会的な現象を起こしたことが衝撃的で。私も社会に影響を与えることがしたいと起業を志したのですが、しっくりくる事業案が見つかりませんでした。

それから大学2年の時に、ANRIでインターンを始めました。「いつか起業する時に経験が役立つかも」くらいの気持ちだったのですが、コミュニティマネージャーとして起業家の方々と接したり、ベンチャーキャピタリストという仕事を見ているうちに、ゼロから何かを生み出す熱量に惹かれて。自分もキャピタリストになりたいと代表の佐俣(アンリ)に相談したところ「まず多くの起業家に会って話してみたら?」と言われたんです。

――インターンの時に投資検討を始めたんですね。その後は?

江原:半年間、多くの起業家に会って投資検討のようなことをしました。半年後には投資したい会社に出会えて、そのタイミングでANRIの正社員になりました。

――その頃からジェンダーの問題意識はあったのですか?

江原:もともと、一橋大学に入ったのはジェンダーについて学ぶためでした。高校の頃の先生に、フェミニストの男性がいて驚いたんです。それまでは女性の権利を主張することを自分の権利だけを主張しているように感じて、引け目を感じていました。けれどフェミニズムは女性だけでなく、みんなの問題なんだと、その先生が気付かせてくれたんです。

「歓迎される雰囲気じゃない」女性が感じる壁の正体

ーーANRIの女性起業家への投資比率の目標は、江原さん発信によるものだったそうですね。スタートアップ業界のジェンダーに関する課題に気がついたきっかけは?

江原:ANRIではD&I(Diversity&Inclusion)オフィスアワーという起業家向けの事業相談会を開催しています。多様性の中でも主にジェンダーに焦点を当てて、女性起業家や、女性向けサービスを展開する起業家に参加を呼びかけています。これはあえて「女性」とくくっています。もともとこうしたイベントは数年前から継続していたんですが、女性の参加が少なくて。理由を聞いたら「そういったイベントは女性が歓迎される雰囲気じゃない」と言われて、ハッとしました。

ーーなぜ女性は「歓迎されていない」と感じるのでしょうか。

江原:スタートアップ業界の方々は皆さんいい人で、差別したくて女性を排除しているのではないと思います。けれど、私も男性が集まる飲み会に参加してもいいのかなと気を使ったり、逆に男性陣から気を遣われることもある。そうすると会話の中から抜けることになり、小さな情報にアクセスできていないことがあります。男性ばかりで、ボーイズクラブ的な雰囲気のある場も珍しくなくて、女性は積極的に参加しにくい。こうした小さなことの積み重ねが、大きな差を生むと感じます。

ーー女性がこの業界でマイノリティであるために、情報などにアクセスできなくなっている?

江原:例えばファイナンスの知識や、ピッチ資料に何を入れるかといったレベルから情報格差が生まれています。なぜ情報格差が生まれるか、はっきりしたデータはないのですが、男性の場合は同性の起業家仲間やメンターに出会いやすい傾向があります。性別によって生まれる心理的な壁というのは、女性が圧倒的にマイノリティだからこそ起こる、遠慮や配慮が作る壁だと思います。

女性起業家は少ないので、小さいつながりはあってもネットワーク化しにくい。メンターも見つけにくく、相談相手が限られる。起業してすぐは知らないことが多く、毎日問題や課題が出てくるもの。その相談相手がいないことはストレスにもなるし、企業が生き残れるかにも関わる問題。だからこそ私はキャピタリストとして、起業家の方々には共同経営者のように思って相談してほしいと伝えています。

ーー情報格差だけでなく、女性がマイノリティであることの課題は多そうですね。

江原:投資家サイドも男性が多いので、女性がVCにピッチするとなった時、相手が全員男性であったり、女性が少なかったりすれば心理的安全性は担保できない。事業内容の説明も、生理など女性特有の課題に関するものは、説明が難しい。VC側もセクハラを恐れて質問しにくくなるなど、配慮しすぎてしまうこともあるのではないでしょうか。

アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)の問題も大きいですね。同じネガティブな要素でも、女性のほうがより重く受け止められやすいと感じます。例えば「感情に左右される」ことは男女ともに個人差があると思いますが、女性=感情的というステレオタイプに結びつけられやすい。より露骨な差別では、数字のわかる男性を出すよう求められたり、出産が評価に影響した人もいます。

ーースタートアップ業界のダイバーシティ、ジェンダーの問題は日本だけの課題なのか

江原:実はスタートアップ大国のアメリカを見ても、数字的には男女平等はそれほど進んでいません。ただし女性向けや他のマイノリティ向けファンドが立ち上がるなど、アクションを起こすスピードは速い。それでも女性比率や女性への投資数も増えていない。世界的に見ても成功例が少ない状況ですね。

ポジティブアクションは「下駄を履かせること」?

ーー女性起業家への投資比率を増やすことは、結果的に女性起業家の数を増やすことにつながる。数を増やすことでどういった変化が生まれる?

江原:スタートアップ業界は実力主義の傾向があります。その中でポジティブアクションが「下駄を履かせる」ことのように見られることもありますね。ANRIのアクションも「数だけ追えばいいわけじゃない」「優秀な人に投資すればいいだけ」と言われます。実際には既存ルールが男性社会的で、フィールド自体が女性にとってフェアじゃない。その枠組みで勝ち負けってはかれないと思います。

私達のファンドに投資してくれる人達ではないですが、「ファンドはリターンが大事なのであって、ダイバーシティやジェンダーの配慮は必要ないのでは」と言われることもあります。

いろんなバックグラウンドの人がいることが組織にとってプラスだという価値観を共有できていないコミュニティは、優秀な人たちから評価されないし、自分の意見や存在が尊重されないコミュニティに入りたい人はいない。優秀な人材が必要なスタートアップ業界にとって、ダイバーシティの視点がないことはマイナスだと思います。

ーーダイバーシティや男女平等に関する意識の改革が進まないのはなぜ?

江原:スタートアップ業界の中でも少しずつ動きはありますが、歩みが遅いと感じます。圧倒的に男性が多い業界なので、マイノリティ側から見たマイナスに気がつく機会が少ないのも原因の一つです。

スタートアップ業界の方々は社会課題を解決したい、いいことをしたいという気持ちに溢れた人が多いし、実際いい人が多い。けれどその裏返しに「自分は差別主義者ではない」「差別するつもりはないし、女性をリスペクトしている」と考える人もいるんです。その考え自体は素晴らしいことですが、男女格差は構造上の問題。個人レベルの考えではなく、より広く考え、変えていくべきことですよね。

ーー意識的にならないと変わらない業界だからこそ、女性起業家への投資比率20%という目標はきっかけになりそう

江原:私たちのダイバーシティの取り組みは女性投資家だけでなく、自社の採用や、ファンドから出資する基礎研究を行う学生への奨学金にも取り入れられています。ダイバーシティにおいてジェンダーは1丁目1番地のような課題なので、今はそこからスタートしています。ゆくゆくは宗教やハンディキャップ、LGBTQ+などさまざまな視点から取り組みたいです。

“バリキャリ”だけが女性起業家ではない

―ー「見えないものにはなれない」という言葉がありますが、女性起業家にとって同性のロールモデルが少ないのは課題ですよね?

江原:一昔前は女性経営者のロールモデルというと、女性という性を極端に強調するか、まったく消すかの2択でした。強く仕事に生きる“バリキャリ”タイプの人しか生き残れない環境では「女性の経営者=“バリキャリ”」と規範化されてしまう懸念があります。

そうすると、“バリキャリ”に当てはまらない人は「経営者らしくない人」になる。経営者側も、本来の自分とは違うけれど生存戦略として、女性経営者の規範に当てはまりにいくことだって十分にあり得る。

ーーそれは男性的な性質を獲得すること、男性社会に順応することですよね?

江原:男性社会に順応する努力をしてきた人達にとって、多様性の動きは自分を否定されたように映ることもある。今まで戦ってきたルールを変えられることへの抵抗感が出てくる場合も。ジェンダーの話で女性からの反発が起こるのは、そういったことも原因だと思います。

―ー江原さんにとってのロールモデルは誰ですか?

江原:「ロールモデル」ではないですが、仕事をする上で憧れの存在は佐俣(アンリ)さんです。スタートアップって、悪いことばかり起こるんですよ(笑)。信じられないようなトラブルが日々起こるのに、佐俣代表は本当に楽しそうに、共同創業者のような立ち位置で並走しながら乗り越えていくんです。そういう姿に憧れます。

ーー今後、江原さんが目指すことを教えてください

江原:投資家、起業家ともに女性が増えるべきだと思うので、そのための活動は幅広くやりたいです。ANRIだけでやっていても最大限の価値は発揮できないと思うので、エコシステムを構成している方々と取り組みたいです。

個人的には令和のロールモデルになりたいです。今までの女性のロールモデルはバリキャリ的な、遠い存在が多かった。私は私生活も大事にしたいし、仕事が人生のすべてとも考えていない。今の若い世代はそういう考えの人は多いと思いますし、そういう人達の地続きにいるロールモデルが目標です。

江原ニーナ
1997年生まれ、熊本県出身。一橋大学社会学部卒業。15歳で渡米し、高校・大学の計4年間をアメリカ・ノースカロライナ州で過ごす。大学在学中の2018年からスタートアップでPRなどに従事し、2019年1月からANRIに参画。主にシード期のC向けサービスや女性向けサービスへの投資を担当する。ファンドを越えた取り組みとして、スタートアップ業界のダイバーシティとインクルージョンを推進するためのD&Iオフィスアワーを定期的に開催している。
Twitter:@nina_ehara

Photography Yohei Kichiraku

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author:

臼井杏奈

フリーランスライター・青山学院大卒後、産経新聞社に入社。その後INFASパブリケーションズに入社し、「WWD BEAUTY」で記者職。現在は美容業界記者として外資ブランドおよびビューティテック、スタートアップ、アジア市場などの取材やインタビューを行う。

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