一針入魂、横振り刺しゅうで開かれた世界への扉——その男、SHISHUMANIAにつき

クールジャパンな服として海外でも人気が高いスカジャン。そこで用いられる“横振り刺しゅう”は、技術継承者が年々と減り続けている伝統的な技法である。そんな技術を2次元世界の表現に取り入れて、新たな可能性を見つけ出した男、SHISHUMANIA・フクモリタクマ。自衛隊で刺しゅうと出会い、群馬県・桐生で修業を重ね、磨き上げられた技術は、今や有名ミュージシャンからの衣装制作のオファーも届くほど。7月17日から個展を開催する彼のもとを訪ね、自身の経歴、失われゆく伝統技術“横振り刺しゅう”の可能性について聞いた。

スカジャンへの憧れを胸に自衛隊を去り、いざ横振り刺しゅうの世界へ

——フクモリさんは自衛隊で刺しゅうと出会ったと聞きました。

フクモリタクマ(以下、フクモリ):ですね。もともとはパイロットになりたかったんです。本当に飛行機が好きすぎて、毎週のように空港に行って、そこでずっと飛行機を眺めているような子どもでした。中学校に上がっても夢はパイロットになること。それで航空自衛隊生徒(※現在は廃止)に合格して、中学卒業後は埼玉県の熊谷基地に配属になりました。

——自衛隊以外にもいわゆる航空会社のパイロットという道もあると思いますが。

フクモリ:僕自身、地元の宮崎から離れて、上京したいという思いが強かったし、今はこんな感じですけど、その時はガリ勉でずっと勉強してました(笑)。それで、パイロットになるなら航空自衛隊がいいかなって。勉強をしながら給料ももらえますし、なにより将来的にパイロットにもなりやすい。良いこと尽くめじゃないですか。親には「普通の高校に進学したほうがいいんじゃない?」と言われながらも、倍率25倍の試験をダメ元で受けたら合格しちゃって。

——すごいですね。そこでは何を学ぶんですか?

フクモリ:まず基礎課程というのがあります。ここで勉強などの高校生活をしながらいろいろな訓練も行い、3年生でその先の進路が決まります。僕はパイロットと航空管制官になりたくて試験を受けたのですが、どちらも2次試験の適性検査で落ちてしまいました。28歳の時に病院で発達障害の診断を受けたんですが、今考えると多分それが原因だったんでしょうね。

——で、落ちてしまって。

フクモリ:パイロットになりたくて頑張ってきたのに、小さい時からの夢が突然全部消えてしまって、人生初の深い挫折を味わいました。そうはいっても、自衛隊にいる以上は、職種を選ばないといけない。そこで変わった仕事をしてみたいなと考え、教官でも詳細がわからずなんだか007っぽくてかっこいいという理由から情報員を受けました。それが一番人気で落ちるだろうと思っていたら受かったので、とりあえずこの仕事を頑張ってみようと。

——実際、どうでした?

フクモリ:あまりに仕事ができず、人付き合いも全然うまくいかなくて落ち込むばかりの毎日。「社会のレールから完全に外れてしまった自分は、必要のない駄目な人間なんだ」と毎日考えていました。仕事が終わり寮に帰っても、5人部屋で全員シフトが別々なので、常に遮光カーテンの締め切った真っ暗な部屋で、物音も立てられず昼も夜もわからなくなる生活。おまけに配属地が何もない離島だったので外出もできないし。夜、1人でトイレの窓から対岸の街の灯りを見ては泣いていました。

——遊びたい盛りにはキツイですね。なんだか病みそう。

フクモリ:その時の心の支えが、階級章や部隊章の縫い付けで余った糸を使ってやっていた、趣味の手刺しゅうでした。やっていると心が無になれるので、休憩時間も仕事後も。休みの日なんて1日中狂ったように刺しゅう三昧。その様子を見た上司に「ちょっと精神的にヤバイんじゃないか?」と報告されて、定期的に基地を訪れる精神科医のカウンセリングを勧められちゃったりもしつつ(苦笑)。で、上司も「そこまで本気なら」って刺しゅう屋さんをインターネットで調べてくれました。で、弟子入り可能か問い合わせたところ、13件目にしてやっと受け入れ先も見つかって。

——そこで自衛隊をやめて、刺しゅうの道に。

フクモリ:向いてないし、迷惑にしかならないのでやめて新しく人生をやり直そうと思ったんです。刺しゅうはずっと飽きずに続けていたから、じゃあコレをやってみようかなぁって。いわば最後の望みでした。

——ところで刺しゅうとひと口にいっても多種多様。横振り刺しゅうとはどういったモノですか?

フクモリ:今、刺しゅうのほとんどがコンピューターミシンで行われていますが、横振り刺しゅうに使われるのは、それの元になった横振りミシンです。横振り刺しゅうは足で刺しゅうの幅などを操作しつつ、手で方向や角度を調節しながら刺しゅうしていく技術なので、どのように仕上げるかは完全に職人のフィーリング。これによって刺しゅうの目が詰まりすぎず、ふんわりと立体的かつ表情豊かな仕上がりとなります。

——なぜ、その横振り刺しゅうに興味を持ったんですか?

フクモリ:自分でも「東洋エンタープライズ」のスカジャンを持っていたりして、スカジャンへの憧れがあったのが大きかったですね。そのあとは半年くらい続けたんですが、19歳になる年に退官し、群馬県の桐生市で横振り刺しゅうの業界では一番有名な師匠について、改めて横振り刺しゅうの修業を始めました。

師匠から「給料も払っていたのに、仕事を盗んで逃げた」とぬれ衣を着せられて

——修業はどういったことをするのでしょうか?

フクモリ:まずは模様から徐々に覚えていって、虎や牡丹といった伝統的なスカジャンのモチーフに進んでいきます。ただ、いわゆる徒弟制度的な“見て、技を盗む”とかではなく、普通にお金を払って、教えてもらう。1対1でのワークショップみたいな感覚でした。僕のあとに弟子入りした人もいたけど、すぐにやめちゃいましたね。なにせ仕事がマジでないんですよ。徒弟制度的なものって、仕事がたくさんあるから成り立つ制度なんですよね。若い職人が全然いないのは、頑張って覚えても仕事がないからなんだなとその時に気付きました。

——でも、1件あたりの工賃は悪くないのでは。

フクモリ:仕事を斡旋してくれる業者の中抜きがすごいんですよ。なので、職人がもらえる金額なんて信じられないほどの安さ。それでもどうにかやっていけるのは、職人の多くが主婦だからです。みんな結婚していて、小遣い稼ぎ感覚でも生きていけるんです。ですが自分は食っていかなければならないので、3つのバイトを掛け持ちしながらの両立。そのなかで土日とか週1で昼〜夕方6時ぐらいまで教えてもらうみたいな。

——独学で経験を積んでいたし、驚かれたんじゃないですか?

フクモリ:それが逆にへたすぎて、あとから弟子入りした後輩のほうが上手いくらい(苦笑)。「俺には向いてないのかなぁ」って思ったけど「もう自衛隊もやめてきたし、これでなんとかしよう!」って覚悟を決め、その修業を約5年間続けました。

——どのタイミングで独立となったんですか?

フクモリ:仕事がこないようでは、いつまでもバイト止まりだと思ったんです。で、群馬に引っ込んでいても何も始まらないから「東京で仕事を取ってくるんで一緒にやりませんか?」と師匠に伝えたら、「よくぞ言ってくれた。私の看板を使って頑張ってこい」と送り出してもらえて。それで一応、刺しゅう組合の人達に独立のあいさつに行ったら、なぜか無視されて……。

——えっ!?

フクモリ:問いただしたら、「お前は師匠の仕事を全部取って逃げるのか」って罵倒されちゃって。さらに師匠にも「給料も払っていたのに、仕事を盗んで逃げた」とぬれ衣を着せられ……。問い詰めたらトボけられて。「自分にとっての最後の望みだと思って、全てを捨てて刺しゅうを頑張ってきたけど、ここでもこうなるのか……」とすごくショックを受けました。

——それでもう東京に出てきて?

フクモリ:出てきたかったんですけど、東京に家を借りられなかったので、埼玉の戸田公園に住んで、荒川越しの東京を毎日眺めていました。夜になると明るいんですよ、東京って(笑)。

痛刺しゅうは虎や龍とも全然違うし、それよりもずっと難しいんです

——その時点で、技術的には食べていけるレベルに達していたんですか?

フクモリ:全然でしたね。かといってやるしかない。そこで“何者でもない”自分を誰かに知ってもらうには、その時はやり始めたTwitterとニコニコ動画だと考えました。毎日作業中の動画を撮影してニコニコ動画にアップして。ツイートして。そこで1本の動画が当たって殿堂入りしてからは一気にバーッと。

——何がキッカケだったのか気になりますね。

フクモリ:アイドルオタクの人達が、メンバーやグループ名や歌詞を文字で刺しゅうした特攻服を着ていたのを見て「これをイラストでやったらどうだろう?」と思って、“オタクの勝負下着”ってことでトランクスの背面にイラストをでっかく刺しゅうして、作ってる過程と着用姿を動画にしてアップしたら、バズりました。なので完全にタイミングですね。アニメの『ラブライブ!』がメッチャはやっていて、そういった技術の無駄遣いみたいなノリがウケたんです。そこから痛特攻服の依頼がくるようになりました。

——お客さんからのリクエストで始めたわけじゃなく、自発的なものだったんですね。

フクモリ:人気YouTuberのHIKAKINさんとかも同世代だと思うんですが、ちょうどそういう時期だったんでしょうね。世の中的にmixiやアメーバブログが主流で、そんな時にTwitterやニコニコ動画が出てきて、まだYouTubeも知らない人のほうが多かった時代。何かおもしろいネタをやれば、即バズるみたいな。自分の場合、刺しゅうをやっている人や好きな人達とのつながりもなかったので、ネットを活用するしかないと思ったんです。で、作品をたくさんアップしていたら徐々に知ってもらえるように。技術を磨いていつかCMや映画の衣装をやりたいという目標もあったので、そのためには埼玉にいてはダメだと考えて東京に引っ越しました。

——そのあたりからアニメなどの痛刺しゅう(2次元キャラの刺しゅう)依頼が急増したと。いわゆるスカジャン的な意匠が好きで始めたのに、痛刺しゅうをやることへのジレンマは?

フクモリ:自分的にはいわゆるスカジャン的な虎や龍は何十年と続けないとできない技術だと思っていたんですが、割と1年半とかでできるようになっちゃって(笑)。意外と簡単じゃんみたいな。それに比べると痛刺しゅうは虎や龍とも全然違うし、それよりもずっと難しいんですよ。一番にそのキャラが持つかわいさをちゃんと出さなきゃいけない。そこで意識すべきは表情作りにおいて重要な目や髪の毛、あとは指も。それと服もディテールが細かいじゃないですか、リボンとかたくさんついてたりして。それを表現するコツを体得するのには結構苦労しましたが、これまでに150着以上の作品を手掛けてきたことで完璧にマスターできました。

——『ラブライブ!』以外の作品もモチーフにしたりするんですか?

フクモリ:結構やりましたね。アイマス(『アイドルマスター』)ガルパン(『ガールズ&パンツァー』)とか。ちょうど痛車が海外ではやっているタイミングということもあり、「アニメキャラを刺しゅうしているやつが日本にいるぞ!」って海外メディアから取材もされました。今年、ドイツの出版社から刊行されるアニメに関わる日本の職人を取り上げた本に、自分も載ることになっています。これまで手掛けた作品を持っているオタクを集めてくれと頼まれたので、集まってもらって写真を撮らせてもらって。

——現在は痛刺しゅうのオーダーは受け付けていないとか。

フクモリ: 下書きを描いて、最適な色や糸を選んでハンドメイドで自分でやっていたとはいえ、版権絵をトレースして刺しゅうにしていたので、著作権的にもグレーですし、別に訴えられずとも胸を張って人には言えない。他人のふんどしで食べていてはダメだなぁと思ってやめました。それとコンピューターミシンの刺しゅう屋さんが、刺しゅう入れ放題とかをやり始めたのもありますね。自分的にもやり切った感があったし、ちょうど引き際を考えていたところでもあったので、良いタイミングかなって。

多忙すぎる日々から一転、急に刺しゅうができなくなってしまい、ホストになりました

——通常の個人オーダーではどんなモノが多いんですか?

フクモリ:やはりスカジャンが多いですね。珍しいケースだと、フンドシに名入れの刺しゅうをしたこともあります(笑)。あとはファッション業界の人やスタイリストさん、ブランドからの依頼を受けていたら、そこからの流れでKinKi Kidsさんが紅白歌合戦で着用する衣装や、BREAKERZさんのライヴ衣装の依頼も舞い込んできて。

——他にも大きな仕事をかなりやられていますよね。

フクモリ:一番驚いたのがサイゲームスさんからの依頼ですね。「Evolution Championship Series 2018」という世界最大規模の格闘ゲーム大会に参加する選手用のユニフォームとして、それぞれの使用キャラを刺しゅうしたスカジャンを制作しました。あれはヤバかったですね。「われわれはクリエイターを応援しているので、希望金額を提示してください」って言ってくださって。結局、普通の値段でやっちゃいましたけど(笑)。で、僕も大会が開催されたラスベガスに同行させてもらったんですが、メチャクチャでっかいスタジアムに作られたステージで2人だけで戦うんですよ。そこで結構やり切ったかもしれません。でその後、野村周平さんの主演映画『純平、考え直せ』で、待望の衣装制作のお話もいただきまして。エンドクレジットの衣装協力の先頭に、SHISHUMANIAの名前を見つけた時は思わず号泣しましたね。

——そしてSHISHUMANIAの名前も広まっていって。

フクモリ:僕のサイトYouTube、ニコニコ動画にネット記事やSNS、知人からの紹介など、いろんなところで知ってもらう機会が増えたことで、本当にドンドン仕事が増えていって。当時は毎日刺しゅうをやっていましたね。それこそ頭がおかしくなるくらい。個人オーダーも1年で150着は作っていて。2日に1着は発送しているんですよね。しかも同時進行で数着を進めるのではなく、1着ずつ順番に。その上で写真を撮ってホームページを更新して、カウンセリングして刺しゅうして。

——ハードな毎日だったと。1着の完成までにかかる所要時間は?

フクモリ:時間は1着まぁ2日くらいですかね。メチャクチャ集中して8時間くらい一気にやっちゃうんです。

——当時つづられていたブログを読むと、いかに追い詰められていたのがわかります。

フクモリ:ですね。ある日、刺しゅうが急にできなくなっちゃって。それから2週間くらいはただボーっとしているだけ。朝起きて布団に座っていたらいつの間にか夜になっているみたいな。何もできなくなって周りからも病院に行ったほうがいいって言われて。結果、ADHD(注意欠如・多動症)と診断されました。

――ADHDと診断され、刺しゅうから離れていた時期ってどう過ごしていたんですか?

フクモリ:とりあえず受けていた注文は謝ってすべてキャンセルさせてもらい、薬を飲んで1週間は寝たきり状態。その薬が効いてちょっと気分よくなったので、全員に謝罪して返金させてもらって。そこからなぜこうなってしまったのかを考えて、「じゃあ、逆に自分には向いてないと思っていることに一度挑戦してみよう」と、当時住んでいた場所が新宿・歌舞伎町がすぐ近くだったこともありホストになりました。

――かなり急展開! そちらの業界こそ、適者生存の最たるものですよね。

フクモリ:結局、全然お客さんがつかず本当に向いてないとわかって3ヵ月でやめました(笑)。まあ逃避ですね。全部リセットしようって思って。もしかしたら薬の力で思考が普通ではなくなっていたのかもしれませんね。薬を飲み忘れると、2、3日体がまったく動かなくなるんです。ホストと同時にその薬もやめました。そんな時、なんとなく観た映画『JORKER』に感動して「ひさしぶりに刺しゅうがしたい!」と思えている自分に気が付いて。コレを刺しゅうしながら「ヤベェ、できんじゃん! やっぱり刺しゅうが好きなんだなぁ」と再認識しました。

“やっていて楽しい”とか“人に喜んでもらえる”それが今は一番大事

——昔の自分と今の自分、比べてみて表現に変化はありますか?

フクモリ:技術的に表現の幅が広がったのもありますが、それ以上に発想の幅も広く・深くなったと思います。いろんな仕事を受けているうちにできることが増えていきましたが、その反面、同じことの繰り返しが退屈だと感じるようにもなっていました。それで、活動再開とともにもっと自分自身を表現しようと思い始めたのがオリジナルモチーフの作品制作です。

——なるほど。今現在、SHISHUMANIA=フクモリタクマが表現したいモノはすべて作品に詰まっていると。最近では、積極的に個展も行われているようで。

フクモリ:4月に行われた2回目の個展では「ENTER THE LOOP」というタイトルをつけました。“生きる”ってループなんですよね。毎日同じように起きて、仕事に行って、食事して、風呂入って寝て。2 月頃に知り合いが自殺してしまい……それで気付いたんです。その人は現実のループがつらすぎて、生きるのをやめた(解放した)んだなって。だったら僕は、楽しいループにしようと思いました。見て・触れてくれた人が楽しくなるループが続くような個展や、自分が楽しくなる作品を作ろうって。

4月に開催された個展「ENTER THE LOOP」用のイメージムービーと、実際の刺しゅう工程を撮影したムービー

——最近の作品についても教えてください。

フクモリ:これなんかは、刺しゅうと組み合わせたドライフラワーで“諸行無常”を表現しています。1年ぐらいかけて色が徐々に失われて枯れていくことで“すべては今のままではいない、どんどん変わっていく”というイメージで作りました。また、刺しゅうを入れたコーチジャケットやフーディなどのアパレルも作っています。これは平家ガニと鬼をマッシュアップ。カニって横にしか動けないじゃないですか。それがスタイルを崩さず、己を貫くっていうのと通ずるものがあってかっこいいなって。こちらの虎はサイケデリックな配色で刺しゅうしたワッペンを、レザーなどの生地に貼り付けてパネルに。これらの作品は公式サイト内のオンラインストアでも販売しています。

――横振り刺しゅうは後継者の減少により、今や失われゆく技術といわれています。

フクモリ:ですね。なので作品でうまくできたモノがあれば、データ化して量産化するという試みも進めています。50、60年前までは横振りミシンが当たり前でしたが、やがてコンピューターミシンが普及していきました。その際に当時の横振り刺しゅう職人達が横振りの技術をデータ化していたんです。それを再び、50、60年越しに再現してみようと。本物の横振り刺しゅうと変わらないクオリティのモノとして職人の手で再生させる。これによって横振り刺しゅうという技術・文化を残していく。これもまたループの1つですね。

——刺しゅう業界の中で、自分はどのようなポジションにあると思いますか?

フクモリ:家業でもなく、ただ自分がやりたくてやっているだけですからね。「なんか変なやつがいるらしいよ」というポジションでずっとい続けたいと思っています。

——“横降り刺しゅうを世界に広めたい”という思いも?

フクモリ;以前はありましたが、今は“自分が楽しいことが一番大事”な気がしていて。ぶっ壊れた時にいろいろ考えたんです。それまで有名になることしか考えていなかったけど、それ以上に“やっていて楽しい”とか“人に喜んでもらえる”というほうにウエイトを置くようになってきました。これからも個展を開き続け、“ここに来ると楽しい”っていう活動を続けていけば、自分の考える“楽しい”がもっとずっと広がっていく。そうやって楽しさのループを続けていくのが、今の僕の望みです。

SHISHUMANIA(フクモリ タクマ)
1990年生まれ。宮崎県出身。2005年に航空自衛隊生徒入隊し、2008年に卒業。同年、日本における刺しゅうの聖地として名高い群馬県桐生市で刺しゅう職人の元に弟子入り。2014年に独立し、2015年からSHISHUMANIAとして活動開始。失われゆく日本の伝統技術“横振り刺しゅう”を駆使して、アーティスト衣装、映画衣装、祭り衣装・オーダーメイドと幅広く作品を手掛ける。
https://www.shishumania.com/
instagram:@shishumania

「SHISHUMANIA EXBITION」
会期:7月17~24日
会場:TELC
住所:東京都目黒区駒場1-16-12
時間:13:00~20:00
入場料:無料

Photography Shinpo Kimura

author:

Tommy

メンズファッション誌、ファッションウェブメディアを中心に、ファッションやアイドル、ホビーなどの記事を執筆するライター・編集者。プライベートにおいては漫画、アニメ、特撮、オカルト、ストリート&駄カルチャー全般を愛するアラフォー、39歳。 Twitter:@TOMMYTHETIGER13

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