三味線に新たな可能性を――東京月桃三味線が紡ぐ、現代の響きと余韻

日本の伝統文化として海外で注目を集めてはいるが、現代を生きる日本人には馴染みが薄いものが実はたくさんある。その1つに挙げられているのは、三味線。音色を聴いたことはあるけれども、真剣に向き合ったことがないという人は多いはず。古典的で難しいイメージもあるけれど、東京月桃三味線はそのイメージを払拭してくれる。伝統を踏襲しながらもどこか現代的で、構えずとも日常生活に馴染み、3本の弦が奏でる複雑な音は、聴く人の心を動かす。
東京月桃三味線の音楽はどこから生まれてくるのだろうか。

根底にあるのはパンクの精神

――三味線に至るまで、どんな音楽を好んでいましたか?

東京月桃三味線:私が10代の頃、地元の山口県岩国市は、パンクやハードコア、スキンズといったカルチャーが盛り上がっていて、全国各地のバンドがツアーで立ち寄るような場所でした。そこで育ったこともあって、中学生の頃からレコードと洋服を販売しているバー&ライヴハウスに通い始め、人真似ではなく自分自身であれというパンクの精神性に影響を受け、自分なりに表現したいものを表現するという意識が芽生えました。

――そこから三味線とはどのようにつながっていくのですか?

東京月桃三味線:16歳で単身上京し、バンドをやったりしながらライヴハウスやクラブでさまざまな音楽に触れていきました。次第に世界の民族音楽やそれらをアップデートした土着的な音楽を好むようになり、その中で日本の伝統音楽や楽器にはまったく触れてこなかったことに気付いたんです。現代の日本の文化や音楽が、西洋文化の後追いばかりになっていることに違和感を覚えていたところもあり、ギターを少し弾いていた経験から同じ棹物ということで、2008年に初めて三味線を手にしました。

――初めて弾いた感触はどうでしたか?

東京月桃三味線:最初に三味線の先生に撥(ばち)の持ち方、1音の出し方を教わって弾いてみると、豊かな倍音の響きと余韻の美しさに魅了されました。その心地良い1音1音をただつなげていくだけでも音楽になると感じたので、固定概念に縛られずに本能でこの楽器と向き合ってみようと思い、既存の三味線音楽はほとんど聴かずに基本的な奏法だけを学び、すぐに東京の路上に立って即興演奏を始めました。

――三味線という楽器は知っているけど、詳しく知らない人も多いです。簡単にご説明いただけますか?

東京月桃三味線:三味線は、15世紀から16世紀の戦国時代末期、琉球を経由して大阪の堺に伝わった三線(さんしん)を改良した楽器と言われていて、中国の三弦(サンチェン)が起源とされています。
日本の三味線音楽の源流となるジャンルは「浄瑠璃」と「地歌」で、平曲(平家琵琶=平家物語の語り物音楽)を伝承していた盲人の音楽家(琵琶法師)達が改良して三味線を完成させ、琵琶を弾く撥によって弾き始めるという形で、三弦音楽としての地歌が始まったと考えられています。
江戸時代以降は、「長唄」や「義太夫節」など多数のジャンルが発生して民謡などにも用いられるようになり、三味線音楽の発展にあわせて、三味線自体もそれぞれの楽種に適合したものに変化していきました。現在は十数種類あるとも言われていますが、一般的には棹の太さで「細棹」「中棹」「太棹」の3つに分類されています。私が使っているのは太棹の三味線です。

路上から始まり、自然の恵みで育んでいる音楽

――三味線を使って、現在までどのような場所で活動してきたのですか?

東京月桃三味線:始めた当初、音楽に求めていたものは、魂の解放であり、時代や風土に根差した今に生きる音でした。それを当時の遊び場であった東京の路上、クラブ、ライヴハウス、バーなどで自分なりに表現していました。次第にさまざまなご縁に恵まれ、神社仏閣での奉納演奏や祭り、フェスなど国内外の舞台へとつながっていきました。

――演奏していた路上から広がっていったと。

東京月桃三味線:そうです。路上演奏は自分にとっての原点であり、学びの場でもあるので、今でもライフワークとして続けています。普通は古典をしっかり学んでから自分で作曲しますが、先述の通り私の場合は逆でした。当時生活していた東京の喧騒の中という環境に適応するように、初めから即興演奏やセッションの中で、直感的に音を紡ぎながら自分なりの型や曲へと発展させていき、ある程度自分が表現したい音の世界や好きな音色の基準ができてから、少しずつ伝統的な三味線音楽からも学びを得て現在に至っています。

――伝統的な三味線音楽は、どのようにして学んだのでしょう?

東京月桃三味線:2013年に、津軽三味線の第一人者である初代高橋竹山の高弟、高橋栄山に師事し、竹山流津軽三味線を修得し、それ以降、各地の民謡、新内、長唄などの古典三味線音楽を、ご縁のあった先生から学んでいます。その中には現代の日本人ではとても思いつかないような奏法やリズム、間などがたくさんあります。過去の名人の演奏や古典の曲に触れる時、古い・新しいではなく、先達の魂や生き様、その時代や風土の息吹に触れたような感覚になると同時に、普遍的な美を感じます。それを学び伝えていくということは、1人の人間の一生を超えて脈々と生き続ける芸の命を育み、魂のたすきを未来へとつないでいくということのようにも思います。師匠と直接対面して学ぶことで音楽以外にも人間性から学ばせていただくことも多く、芸事というのは奥深く人生や日常を彩ってくれるものだなと感じています。

――現在は、京都に拠点を移しているそうですね。

東京月桃三味線:京都に移住して9年ほど経ちます。それ以前からツアーの合間に各地の自然の中で作曲するのが好きだったり、音楽活動とは別に農や自給自足にも興味があったので東京近郊の知人の田畑で農作業を経験させていただいたりもしていました。そこでゆくゆくは自然を身近に感じながら創作活動、自給自足生活をして、演奏の機会があれば全国各地に出向いて行くというライフスタイルを思い描いていました。

――なぜ京都を選んだのですか?

東京月桃三味線:京都は街と自然の距離が近く、伝統文化を学べる場所や機会も多い。そして自然志向、健康志向の食文化がしっかりと根付いていて、はやり廃りではない素晴らしい音楽文化も脈々と息づいている。祭りやパーティ、日常の中でそれらが共存しながら独自の文化圏を形成しているところに引かれて、2012年に比叡山の麓に拠点を移しました。さらに昨年末に市内から2時間ほど離れた山奥の小さな集落に移住し、今まで以上に田舎での暮らしを味わっています。

――田舎での暮らしはいかがですか?

東京月桃三味線:周囲は山と川と田畑に囲まれていて静かで、水と空気がおいしく、腰を据えて稽古したり創作したりするにはうってつけの環境です。近所にお店はないのですが、今はネットもありますし、たまに20~30分離れたところに買い出しに行けば特に不便は感じません。都会の中で生活していると感じにくい細やかな自然の変化を感じ観察しながら、創作したり農作業をしたりして暮らしています。

――日常的に自然の中で作曲するようになって、変わった部分はありますか?

東京月桃三味線:自然は圧倒的な情報量を持っているので、人間が何もしなくても自然の音だけで音楽が成立しているようにも感じます。自然の中で作曲する際は、それらを邪魔しないようにそっと音を添えるような感覚で1音1音を紡ぎ、その間に立ち現れてくる静寂や環境音込みで音楽を完成させることが多くなりました。今の環境ではこれまで以上に静寂や余韻、音の消え際、間といったものに美を見出すようにもなりました。

日本人は世界でも珍しく、虫の音、波の音、風の音、雨の音、小川のせせらぎなどの自然の音を雑音として認識するのではなく、自然から発せられている言葉として左脳(言語脳)で認識しているそうです。三味線はそんな感覚を基に日本の風土や建築環境の中で作られた楽器なので、楽器の鳴りとしても伝統的な建物や住居などと相性が良いと感じています。今住んでいる家の響きも気に入っているので近所の人を招いて演奏会を開いたりしています。

――昨年リリースされた約7年ぶりのアルバムは2枚組で22曲入り。各曲に制作年と制作場所も記載されています。ベトナムで制作した曲も入っていますね。

東京月桃三味線:近年は中国や韓国、タイなど東・東南アジアの国々で演奏させていただく機会も増え、現地の伝統音楽家との交流からも学びを得ています。ベトナムの乾季は三味線の鳴りがとても良くライヴも盛り上がりました。「蓮華」という曲は、ダナンという土地の宿で隣りの部屋から二胡のような音が聴こえてきて、その音とセッションしながら作った曲です。

――隣りの部屋の人とセッションするなんて素敵ですね。アルバムのジャケットは、「川」を手掛けている荒川晋作さんが撮影していて、中のアートワークを野坂稔和さんとUsugrowさんが手掛けているところも気になりました。

東京月桃三味線:野坂さんとは三味線を始めた頃に路上演奏で声をかけていただいて以来の付き合いで、これまでもロゴを書いていただいたり、ライヴペイントでの共演を重ねたりしてきました。Usugrowさんとはイベントでのライヴペイント共演から始まり、彼が壁画を手掛けた現場や台湾での彼の個展などで演奏させていただいたりもしてきました。
晋作さんとは京都の路上で出会い、彼の企画や「川」の出版記念イベントなどで演奏させていただいたりしていて、彼らとの交流や作品から刺激を受けることも多く、3人ともそれぞれが共通の友人でもあり気心知れた仲だったので、こうしたつながりを形に残しておきたいという想いもあり、今回はこの御三方にお力添えいただきました。ちなみにタイトルの「東京月桃三味線」の書は、今は亡き祖父によるものです。

情緒を表現するのは欲求の1つ

――つながりは原点である路上と三味線から。では、今後挑戦していきたいことはありますか?

東京月桃三味線:昔から自分の中では、音と同時に映像のイメージが浮かんでいたのですが、これまでそれを具現化した映像作品を作ったことがなかったので、映像制作には挑戦していきたいです。それと一番の挑戦は、生涯現役で演奏も作曲も向上し続け、自分自身の最高傑作を生み出し続けることですね。

――それは楽しみです。では最後に、今後はどんな音楽を作っていきたいですか?

東京月桃三味線:これまでの作曲に関しては、自然の美しさに感動したり畏怖の念を抱いたり、人情の機微に心が動いたりと、自分の中から何かがあふれた瞬間などに感じる気の性質や流れを、三味線を介して音で紡いでいるような感覚でした。今後もそれは変わらないと思いますが、そういった自分の経験や現実とつながっているもの以外にも、もっと抽象的だったり空想的なところから想像力を掻き立てて魂が震えるような音楽を描いてみたいとも思います。
自分にとって創作したり音を奏でたりするということは、本能的な欲求であり快楽なので、これからもより繊細に純粋に音楽と向き合っていきたいですし、普遍的な美を追求していきたいです。
純粋に音を奏で、それを誰かと共有したいと思う時には、みんなの心の平安を祈るような心持ちにもなりますし、音楽は自分自身や楽器の調律から始まり、聴き手の魂や空間の調律にもつながると考えていますので、1人でも、一瞬でも、誰かの癒しや救い、生きる糧になるような音楽を奏でられるように今後も精進していきます。

東京月桃三味線
2008年、日本の風土に根差した土着的な音楽を志し、東京を拠点に活動を開始。2012年に活動拠点を京都へと移し、自然の機微を感じながら自給農を通じて土と向き合う生活を創作活動の基盤とする。国内外のさまざまな舞台、神社仏閣、路上、自然の中などで幅広く演奏活動を展開し、さまざまな音楽家や表現者との共演も重ねながら、現代に息づく独自の三味線音楽を創造している。
http://tokyo-ghetto-shamisen.com/
Instagram:@tokyo_ghetto_shamisen
Twitter:@AtsushiSakata
Bandcamp:https://tokyo-ghetto-shamisen.bandcamp.com/

Photography Yuji Sato

TOKION MUSICの最新記事

author:

コマツショウゴ

雑誌やウェブメディアで、ファッションを中心としたカルチャー、音楽などの記事を手掛けているフリーランスのライター/エディター。カルチャーから派生した動画コンテンツのディレクションにも携わる。海・山・川の大自然に溶け込む休日を送るが、根本的に出不精で腰が重いのが悩み。 Instagram:@showgo_komatsu

この記事を共有