石原もも子は、昭和のラブホテルに魅せられ「愛の館」を記録する

夜の世界に魅せられナイトライフシーンで活動を広げるアーティスト、石原もも子。活気のあるシーンを創り上げていきたいと願う彼女が、10代の頃から興味をそそられているのがラブホテルの存在だ。中でも昭和のラブホテルへの興味は強く、ランジェリーパフォーマーとしての自身をラブホテルへも投じ、各地のラブホテルでアート性の高い写真を撮影し記録し続けている。そのラブホテルへの探究心と熱意をエキシビションへと落とし込み、7月には原宿にある「ギャラクシー銀河系」で、ソロエキシビジョン「HOTEL STONE ROOM NO.507 -記憶の片-」を開催した。
石原もも子は、なぜそこまで愛の館に惹かれるのだろうか……。本人へのインタビューを通して、昭和のラブホテルの魅力に迫りたい。

少女の頃から気になっていた夜輝くネオン

——いつ頃からラブホテルに興味を持つようになったのですか?

石原もも子(以下、石原):たぶん3歳くらいの頃の記憶なんですけど、母親と一緒に移動する時はいつも車で、私はチャイルドシートにくくられ乗っていました。車内から景色を見るのが好きで、夜のキラキラした灯を目で追う遊びをしながら、中でもネオンサインはすごく印象的だったことを覚えています。それがそのうち「あのネオンは、ただかわいいものではないんだ」というふうに思い始めたというか。

——そこからラブホテルにのめり込んでいったきっかけは?

石原:高校生の頃、「ヴィレッジヴァンガード」にまだエッチなコーナーがあったんですけど、そこで都築響一さんの『ラブホテル Satellite of LOVE』に出会いました。その本を見た時に、小さな頃に車の中から見ていたあの気になる光景はラブホテルだったことがはっきりとわかったんです。ページをめくるたびに内装があまりにも奇抜で、「ラブホテル って、こんなにアドベンチャーなんだ」と驚き、熱いものが湧き上がりました。
そこから「なぜ、ここがセックスをする場所なんだろう?」と思い、とにかく行きたいけれど、その頃は恋人がいなかったので、「早く恋人を作らなきゃ!」という気持ちになりましたね(笑)。

——女子高校生時代に、初めて行ったラブホテルが新宿だったそうですが、中高校時代の同級生の女の子達の間でのラブホテル話はどんな感じだったのですか?

石原:ラブホテルの話は大人っぽい話でもありましたね。一番最初に足を運んだ友達が「いいホテル知ってるよ!」と教えてくれて、それが新宿にある料金の安いホテルだったんです。そのいいっていう基準は安さだけだったのですが、それを私は信じて行ってみました。ようやく足を踏み入れることができて大人の気分になって。当時、私が通っていたのは女子校ということもあり、恋人がいる子があまりいなかったので、友達数人と貴重な情報交換をしていました。

深夜TV番組に影響を受けて大人の世界を知る

——平成生まれのもも子さんが、昭和の文化に引かれたきっかけはなんだったのですか?

石原:深夜番組ですね。子どもの頃に親に寝なさいと言われたことがなかったので、夜中もTV番組を観ていました。なのでエッチなシーンも観ていましたし、「タモリ倶楽部」のオープニングでお姉さん達がお尻を振っているのを観て、「お姉さんになるとこんなふうになるんだ」と勝手に思ったり。母いわく、私はそれをまねしてオムツ姿でお尻を振り踊っていたらしいんです(笑)。きっと自分の中でも印象深い行動だったんだと思います。1990年代後半は平成になっていましたが、まだ少し昭和の名残があったのかもしれません。女性の露出している姿がとても記憶に残っています。それからベッドシーンとかを観て、具体的に「こんな感じなの!?」って。TVの世界に影響されてずっと想像の世界に浸っていた感じでした。

——ラブホテルを巡っていらっしゃいますが、どのような基準で訪ねていますか?

石原:誰かから話を聞いて行くこともありますし、車で走っていて気になる看板が見えたらメモしておいて、あとで検索するとか。他にはラブホテル街に行って、入り口やパネルを観ていい部屋がありそうだなと思ったらチェックをする感じです。

——撮影はいつ頃から始めたんですか?

石原:自分のiPhoneで軽く撮影をしたのが2016年です。初めて1人でラブホテルに行って、内装がどういうものなのかをじっくりと見たかったんです。最初に1人で行ったのは渋谷の「アランド」ですね。以前一度行ったことがあり、回転ベッドがあるのでいいなと思っていました。ベッドの上でスイッチを押し1人で回りながら写真を撮ったんですけど、その時に「こういうふうにおもしろく写真が撮れるんだ」と気が付いて。そのような視点でこれまでは行ったことがなかったのでちゃんと下着を着て考えて撮影をしたら、おもしろい状況が撮れるかもと。それがきっかけで写真撮影を始めました。

——エキシビジョンの都築響一さんとのトークショーでも話されていましたけど、回転ベッドはバブル時代の象徴というか、ラブホテルにエンターテイメント感があった頃の極みというイメージがあります。

石原:そのエンターテインメント感に惹かれて、昭和のラブホテルにより興味を持つようになったんです。年代で少しずつ違いますけど、内装やインテリア、部屋の隅々までとても凝っています。1970年代後半なんですけど、ラブホテルのCMがあって、特に地方では多く流れていたようなんですね。それを私は当時を知る方から聞き、YouTubeで検索をして観たんですけど、全国区でたくさんラブホテルのCMがあったんです。そのCMのうたい文句が「新婚さん来てください!」とか、「楽園でときめく」とかハッピーな感じで。この背景には当時の日本の住宅事情も関係していて、まだ3世代で住まわれている人達も多く、新婚さんが2人きりの空間になれるのがラブホテルだったという。
それからバブル経済を迎え、金銭的に余裕を持ち始めると、世間から隠れて「会う時間を買える」場所の認識が強くなったそうです。そのような状況から当時の人達が現実逃避をするため、エンターテインメントとしてラブホテルを楽しみたかったのだろうなという共感ができました。そんな時代背景を感じられる場所へ、いざ行こうとしますが、都築さんの本の中にあったラブホテルはすでに半分くらいなくなっていて、とても焦りました。

——昭和と、現在のラブホテルを比較すると何が違いますか?

石原:リニューアルされた最近のラブホテルはシティホテルのようで、過ごしやすいと思うんです。1つ前の時代のものがよしとされないことってあるじゃないですか。
昭和のラブホテル=陰のイメージになっていたところから、今のラブホテルはエッチな要素を一切感じさせず、食べ物がとっても充実している点や、いろんな宿泊プランの提案など、サービスがまるでシティホテルのようで。実際、今はやるというのもわかりますし、自分が行っても居心地はいいなと思いますが、そうするとラブホテルってなんなの?って、セックスがどこかへ行ってしまった感じがします。

——ラブホテルじゃなくてもシティホテルでいいじゃん! ってなりますよね。

石原:そうなんです。だから性に対しての価値観も変わってきている。あれもダメ、これもダメとなると何が良くて何が悪いのか判断ができなく、差のない均一化されたものばかりあふれてしまいます。

各々にある、思い出深いラブホテル物語

——エキシビションでは、ラブホテルストーリーが紹介されていましたけど、それぞれの内容にグッときました。

石原:この展示に向けて、いろいろな世代の方にラブホテルにまつわる話を聞いたんですが、やっぱりみなさんにとって思い出深い場所であって、あらゆるドラマが生まれていると思いました。
ラブホテルで撮影をしていて、鏡に指紋が残っていたり、ベッドのマットレスを剥がすこともあるんですけど、剥がすと使用済みのコンドーム袋が落ちてたりと、ぽろぽろとある痕跡がじょじょに気になり始めました……。「ここでセックスが行われていたんだな」って。生々しいし、動き続けているという感じがします。そういう発見からラブホテルでのできごとを直接誰かから聞きたくなりました。2013年、私が20歳の頃にラブホテルで初めて悲しいできごとがあって、それがきっかけで、同世代の女性達から切ないエピソードを聞き「LOVE HOTEL」というインスタレーション作品を作ったんです。でも今回は、切なさだけに限定しないで、幅広い世代の男女から話を聞いてブラッシュアップしました。

——それぞれに話を聞いてみていかがでしたか? 印象に残った話がありましたら教えてください。

石原:7つあるエピソードのうちの1つは、60代の男性なんですけど、昭和の文化に詳しい方で、当時はラブホテルにもよく行かれていたんですね。最初は連れ込み宿だったけれど、それから20代、30代とラブホテルのシステムや内装は時代とともに移り変わっていったことなど、約50年分の話を聞けましたし、男性目線のラブホテルの話を聞けたことも新鮮でした。

私は実際に昭和を過ごしていないので、憧れ過ぎているところもあります。彼は「あの時代はみんな当たり前にお金を持っていて、バブルだと気付いていなかった。でもとにかく遊んでいたよ。だからその分お金は出ていったけどね」と、そういうこともリアルに教えてくれたので、奇抜だったり華美な当時のラブホテルに行っても違和感なく過ごしていたのかなと思ったり。

——若い世代の人には話を聞きましたか?

石原:はい。自分よりも年下の人に、ラブホテルについてどういう考えを持っているのか聞いてみたかったんです。私が話を聞いた彼女は、当時付き合っていた彼と、たまにラブホテルに行ったりしていましたが、そこでの行為についての話をしたりは決してなかったそうです。結局話をしないまま、別れてしまったので後悔していると。友達とも、ラブホテルの話やセックスの話はタブーだったそうで。だけど、今回話を聞く中で年齢に関係なくセックスの話をみんな避けている気がしました。

——ラブホテルには行くけど、行為に対してお互い何を思っていたのか確認することはなかったという感じですね。

石原:セックスについては踏み込まないというか。そこをもっとラフに話ができたらいいのになとは思いました。ラブホテルでの印象的なエピソードというとてもプライベートなことでしたが、その時どういう心情だったのか、すべての行為に対してどう思っていたのかということを詳しく聞くことができたのでよかったです。ラブホテルは、ただ単にセックスをする場所だけではないと。なのでこの取材はとても勉強になりました。

「ラブホテル って何?」の答えを求めて、足を運び続ける

——ラブホテルを追い続けてきて、一番感じたことはなんですか?

石原:「ラブホテルって、一体なんだろう」と、どうしてこんなに自分は昭和のラブホテルに引かれるんだろうってずっと思っていたんです。気になるから1人でも行ってしまうし、それらしき看板を見るとすぐに反応してしまうし。数多く出会ったすてきな部屋も印象的なのですが、冷静に考えてみるとセックスが行われる場所が、日本全国にこんなにあることが不可思議でおもしろいなと感じます。

——昭和のラブホテルでランジェリー姿で、アート性の高い写真を撮られていてますが、クリエイト面ではどれくらいこだわりを持って撮影していますか?

石原:自分の好きなラブホテルの部屋には名前がついているところが多いんですね。そういう部屋にはコンセプトがあります。内装やインテリアなどは細部まで格好よく、そこに感動するので、その部屋の良さを壊さないように写真を撮影したいなと。私自身はラブホテルの一室を舞台に、部屋になじむ……。自分が舞台に出るというよりかは、溶け込むという形にしてラブホテルの写真を撮り続けていきたいなと思っています。
昭和のラブホテルって視覚的に色が濃いんですよね。室内を暗くしても目に色が飛び込んでくるように作られている。撮影をしたあとに部屋の外へ出ると、中がすごい色合いだったことに気付かされるし、当時ラブホテルを作っていた人達は本当に異世界を作っていたんだと思います。

——ラブホテルって日本の言葉ですよね。

石原:そうです。いい言葉ですよね。ラブホテルって好きな人と一緒に行く場所だと思いますし、だってラブホテルのラブは「愛」ですから。ポップな感じでもっと楽しんでもいいんじゃないかと思います。

——この先、ラブホテル関連でやってみたいことはありますか。

石原:昭和のラブホテルは今後、リニューアルをしていきますし、ここ数年でかなり閉業もされています。最近では、私の大好きだった巣鴨にあるラブホテル「シャトーすがも」が42年間の歴史に幕を下ろしました。最後に撮影をさせていただいたのですが、改めて見る部屋はどこをとってもすべてかっこよく、感動しました。もう今後はこういうラブホテルを新しく建てられないので、こんなラブホテルがあったということを、写真で記録し、当時どういう気持ちで行っていたのかなど、ていねいに取材を続けたいと思います。
そこから見える時代、今後愛し合う場所がどのように変化していくのか考えたいです。

*このインタビューのあと、もも子さんは「シャトーすがも」で撮影を行いました。

石原もも子
1992年生まれ。東京都出身。「なぜ自分が女性に生まれてきたのか」を主題に掲げ、自己と他者との関わりや、自身に起きたできごと、強く感じたことを形態にとらわれず作品化。自らパーティを開催し、人と人との動向を検証し考察している。2019年から、ラブホテルのプロジェクト「HOTEL STONE」を始動し、セルフポートレート、インスタレーション、映像など、あらゆる表現方法で展開中。
Instagram:@pp_momoko

Photography Takaki Iwata

author:

Kana Yoshioka

フリーランスエディター/ライター。1990年代前半ニューヨークへの遊学を経て、帰国後クラブカルチャー系の雑誌編集者となる。2003年~2015年までは、ストリートカルチャー誌『warp』マガジンの編集者として活動。現在はストリート、クラブカルチャーを中心に、音楽、アート、ファッションの分野でさまざまなメディアにて、ライター/エディターとして活動中。

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