「行動すれば、チャンスは常にそこにある」音楽文化を輸出入する敏腕プロデューサー、マーク・リーダーの今 -後編-

世界に音楽プロデューサーは数多いれど、ここまでベルリンを偏愛し続ける男はいないだろう、マーク・リーダー。プロデューサー、リミキサーとしての手腕やニック・ケイヴをベルリンに呼び寄せた男であり、電気グルーヴをベルリンに紹介した男であり、ニューオーダーの「Blue Monday」誕生の陰の功労者として語られる。そして、今は中国のバンドストールンのサポートに力を注いでいる。インタビュー後編では、世界の音楽文化の交錯を画策し注力し続けられているのか。その熱源とベルリンという街を愛し続ける背景を探ってみた。

音が良ければそれが証明になる。石野卓球をベルリンシーンに浸透させたマークの考え

――日本のテクノファンは知っている人も多いですが、マイク・ヴァン・ダイク が電気グルーヴの虹をリミックスして、ドイツでリリースさせたもマークですよね。その経緯について教えてください。

マーク・リーダー(以下、マーク):マイク・ヴァン・ダイクが日本に興味があるのを知っていたから、予算をレーベルで用意して彼を日本に送ったんだよね。彼がベルリンに持ち帰った日本の音楽をカセットで聴いてる時、その中の1つに電気グルーヴがあった。率直に言って感動したね。電気グルーヴが所属していたレーベルがソニーだったから、ドイツでのライセンスを手に入れることは難しいと思った。でも、リミックスにすれば、それを新たにリリースする許可がもらえると考えて問い合わせてみると「ソニーのドイツ現地法人が大丈夫なら」と言われて。現地のソニーが「リミックスを自分達でリリースしたい」とは絶対に言わないだろうとわかっていたんだけど。案の定、連絡しても彼等は興味を示さなかったので、大丈夫だった。そのお陰でマイク・ヴァン・ダイクが「虹」のリミックスを手掛けたんだ。これでドイツと違う文化でスタイルの音楽を、マイク・ヴァン・ダイクという馴染みのあるフィルターを通じて知ってもらうことができたんだ。後から「何か手伝うことある?」なんてことを言われたけど、すぐに無視をしたよ。

――そして卓球さんがラヴパレードに出演したのもその時期ですよね。

マーク:そうだね。1996年に初めて石野卓球と「E-Werk」でパーティを開いたよ。その数年後に彼はラヴパレードに呼ばれていると思うけど。実は卓球がドイツで最初にステージに立ったのは僕のパーティなんだよね。リミックスレコードをリリースしたばかりだったからで、観客の前で演奏することが、僕等にとって次のステップだった。蓋を開けてみるとみんな彼のエキゾチックなプレイに魅了されていたよ。それまで日本人のDJがドイツで演奏することなんてなかった。でも僕はみんなが知らないだけで、卓球のプレイを知っていたから呼んだ。彼が自分のパーティで演奏すれば、他の人を説得する必要がなくなるってわかってたからね。音が良ければ、それが証明になるから。

――話を聞いているとマークの活動全体につながりを感じられますね。

マーク:そうだね。僕の活動はすべてつながってる。若い頃にレコード屋でバイトして、違うスタイルやアプローチの音楽に触れることができたお陰で人生が変わっていった。だからこそ、卓球や電気グルーヴにドイツで演奏する機会を与える大切さを感じられたんだ。そうじゃなければ、未だにケン・イシイや日本の音楽シーンのアーティストをまったく知らず、ドイツテクノやデトロイトテクノばかりに注目していたかもしれない。きっかけがなければ、おもしろい音楽を作っている人達に良い機会があまりなかったと思う。

ベルリンでレコードレーベル・MFSを始めたのも、東ドイツの子ども達に自分を表現する機会を与えたいと思ったのがきっかけ。レーベルを作れたのは、たまたまベルリンの壁崩壊前に東ドイツにいた経験があるからだし、国のレーベルからリリースしていた公認のミュージシャンと知り合えて、統一後に国家に縛られず、自由に作りたいものを作るチャンスが突然生まれたという流れがあったから。あの時代のことを考えると、やる気がみなぎってくるよ。

――そこまでしてベルリンの音楽文化の発展に情熱を傾けてきたのにはどんな背景があるのでしょうか。

マーク:当時の東ドイツに住む若者達やさまざまな理由で機会を与えられてこなかった人達に「自分達は文化のない二流市民だ」と思ってほしくなかった。ベルリンは東西で違いがあっただけで、僕にとってベルリンは1つの街なんだよ。しかも彼等の苦しみは僕が生まれ育った環境と似てるから共感できるところがたくさんあった。貧しい家庭に生まれて、町の外れにあるカウンシルハウス(公共住宅)で育ったんだ。「教育」なんて誰も気にしてなくて、学校に行かなくてもいい年齢になったら働き始める。そんな感じで東ドイツの市民と僕の10代はよく似ていたから。彼等の生き方やライフスタイルと苦労を理解してるつもりだった。

これは東ドイツに限らず、チェコや他の(東側の)国にも当てはまるといえる。今はサポートしてるストールンが住んでいる中国が、ものすごくクリエイティブであることに気付いていない。適切なチャンスを与えて、彼等を心底応援してあげられれば、彼等は上達するし、成長するもの。プロデューサーとして、この特別な機会を持てたことを誇りに思うよ。

2022年に控えているラヴパレード。ベルリンという街に今も変わらず抱く期待

――今もベルリンという街に滞在し続けることで、自身は影響を受けていると思いますか?

マーク:1、2年前に同じ質問をされていたら、「NO」と答えていたかもしれない。でも、今はワクチン接種やマスクをつけることが政治的な問題になっているよね。今も不思議に思うんだけど、ワクチンやマスクに反対してるデモに、ネオナチと呼ばれるグループもヒッピーも一緒に参加している。普通だったら話さない対立しているであろう2つのグループが一緒に歩いていて驚いたよ。

――確かに僕も見かけました。

マーク:僕は正直に言ってそれが怖いんだよね。今までは「外国人が嫌い」だったり「ナチスが嫌い」とかいろんな考えで街がわかれていたけど、今では1つの共通の目的に融合されてしまった。この全体主義的なデモは、人々がどれだけ操られやすいか、宗教的な教化が可能かを示してる。この場合は「マスク反対、ワクチン反対」というメッセージを信じさせることができるけどね。でも、ベルリン自体に対する印象は変わらない。ファッションは年々変わっているけれど、今までと同じような人達が集まっているよね。

――来年のベルリンはラヴパレードの再開が控えています。どのようになると思いますか?

マーク:人々がパンデミックにどう向き合うか次第だね。もし人々がマスクをせず、ワクチンを接種しなければ、来年はないでしょう。でも、ラヴパレードはこの街に必要なものだよ。1990年代にベルリンを訪れた多くの人にとって、ラヴパレードに参加するたびに「ベルリンに住みたい」と思うことが恒例だったから。道で自由に踊ったり、他人の目を気にせずに自由な服を着るなんて、この街でしかできないからね。小さな田舎町でメイクアップしたり、ドレスを着ているとすぐノケモノにされるし、場合によっては牢屋行きの場所もあるけど、それが当たり前に許されている。ベルリンは特別なところだよね。

――ベルリンに今なお住み続けている理由はそこにあると。

マーク:うん。世界がどんどん権威主義的になる中で、ベルリンの自由さはそれだけ重要で魅力的だと思う。特に今はみんなすぐにでもクラブに行きたい気持ちでいっぱいでしょう? ベルリンはクラブシーンだけで14億ユーロもの経済効果がある。これにホテルやレストランでの消費などをいれると、この2年間でどれだけ損失があるかがわかるよね。

――待ち望んでいる未来を作れるかどうかは、自分達次第だということですね?

マーク:そうだね。やっとコロナの呪縛から解放された! という時に、ラブパレードで祝うことができれば良いな。パレードは世界中に愛と平和と連帯を表明するもの。「音楽で1つになれるんだ」というメッセージを訴える場だから。今、アフガニスタンやシリアなど世界中で紛争が起きているけれど、その中でポジティブに共感できるメッセージはとても重要だと思うし、それをベルリンから発信していくべきだと思う。愛と平和と理解をもって生きていくことができるって。でも、ナチとヒッピーが一緒になって(アンチワクチンの)デモが行われている世界だと、自分と他者を分けると思うから、注意深くある必要があるね。

――それでは最後にこれから実現したいことはなんですか?

マーク:僕はモノを集めることが好きで、歴史的価値あるものとして音楽を収集したい気持ちもある。でも、一番は漠然と何かをやりたいと夢を抱いている若い世代に、自分で成し遂げられるようなモチベーションを与えることだと思うんだ。何かを始めることは昔と比べてやりやすい時代だし。若い世代は僕達が思いつかないようなアイデアを持っているかもしれないし、「こんなことができたら」と夢見ているかもしれない。でも、実行しなければ何も生まれない。重要なのはモチベーションを与えることで、もし失敗したら、うまくいくまで何度も挑戦すればいい。そうすれば、想像できないような音楽の気付きがあるかもしれないよね。

例えば、パンデミックの初期に15〜18歳だった人達は、家でパーティをしてるから、クラブで大音量で音楽を聴いたことがないし、最悪、あと1、2年は気軽にイベントに行けない。そういう時にマインドセットはどうなるか。今、何を考えてるのか。彼等が初めてクラブに行って大音量で音楽を聴いた時に、何を感じてどのようなものづくりをするのだろう。ポストコロナの時代に何を作るかが楽しみで仕方ないよ。

マーク・リーダー
英国マンチェスター出身。1978年からベルリン在住。自らニューウェイヴ・バンドを結成するなどしてミュージシャンとして活動する傍ら、ベルリンでは女性アヴァンギャルド・バンド、マラリア!のマネージャーを務め、Factory Recordsのドイツ代理人としてニューオーダー等のバンドのツアー・マネージャーとしても活躍。また1990年にはダンス・ミュージック専門レーベルMFSを設立し、ベルリン・テクノ黎明期にシーンに深く関わり、若きポール・ヴァン・ダイクやマイク・ヴァン・ダイクのキャリアを後押しした他、ベルリンへの電気グルーヴや石野卓球の招聘にも携わった。2008年からは自身の音楽制作も再開し、デペッシュ・モード、ペット・ショップ・ボーイズ、ニューオーダーのリミックスや映画やCM音楽を手がける。2015年に80年代の西ベルリンにおける彼の体験を描いた長編ドキュメンタリー映画『B-Movie: Lust & Sound in West Berlin』が公開された。
Instagram:@markreeder.mfs
Bandcamp:@Mark Reeder

Direction Kana Miyazawa
Photography Chihiro Lia Ottsu

author:

冨手公嘉

1988年生まれ。編集者、ライター。2015年からフリーランスで、企画・編集ディレクションや文筆業に従事。2020年2月よりドイツ・ベルリン在住。東京とベルリンの2拠点で活動する。WIRED JAPANでベルリンの連載「ベルリンへの誘惑」を担当。その他「Them」「i-D Japan」「Rolling Stone Japan」「Forbes Japan」などで執筆するほか、2020年末より文芸誌を標榜する『New Mondo』を創刊から携わる。 Instagram:@hiroyoshitomite HP:http://hiroyoshitomite.net/

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