連載「いつでもSF入門」 vol.3 さよならアフロフューチャリズム

vol.0 SFに何ができるか?
vol.1 まとうSF——化粧・ファッション・変身
vol.2 サイバーパンクとは何か?

突然だが、あなたはアフリカ系SF作家の名前を何人挙げられるだろうか。サミュエル・R・ディレイニー、N・K・ジェミシン、それから?

2015年、クラウドファンディングで運営されている米国のSF &ファンタジー雑誌『Fireside Fiction』がウェブサイトに調査データを発表した。この年、英語圏のSF・ファンタジー・ホラー文芸誌63誌に掲載された2039作のうち、黒人作家(black writers)の著作は38作、つまり2%以下だったという報告だ。米国人口に占める黒人の比率は13.2%。同誌は2015年から2017年にかけて毎年SF・ファンタジー雑誌掲載作における黒人作家の割合について、調査結果を発表した。結果と共にコラムやエッセイも掲載されているが、何人かが創作講座や出版社から「アフリカ系の登場人物や文化は売れない」(マイナー、ニッチすぎるため)と言われた経験を綴っている。

さて作家トバイアス・S・バッケルの寄稿(2015)には、2007年の彼のブログ記事がリンクされていた。いわく「SF &ファンタジー界は人種の多様性に欠ける」と言われると、まるで反撃の呪文のように「ナロ・ホプキンソン、オクテイヴィア・バトラー、サミュエル・ディレイニー、スティーヴン・バーンズ」の名をお題目のように唱える人達がいる。もしもアメリカSF &ファンタジー作家協会(SFWA)加入作家の人種構成が、現在の米国の人種構成と一致していれば、200人はアフリカ系作家の名前が挙がってもおかしくないにもかかわらず、と。

ここで日本の読者のために解説が必要だ。なにせ『バベル‐17』や『ダールグレン』で知られるサミュエル・R・ディレイニー(1942-)以外の著作は、2021年現在、入手困難だからである。スティーヴン・バーンズ(1952-)は作家ラリイ・ニーヴンとたびたび共作し、かつて日本でも翻訳されたが新刊では手に入らない。ナロ・ホプキンスン(1960-)は短編1作しか翻訳されていない。ジャマイカ生まれでガイアナ共和国で育ったホプキンスンは、カナダ人のSF &ファンタジー作家だ。短編集『Skin Folk』は2003年に世界幻想文学大賞とカナダのSF・ファンタジー賞であるサンバースト賞を受賞した。彼女は2010年代から米国に住み、カリフォルニア大学リバーサイド校の教授として創作講座を担当している。2020年にSFWAからデーモン・ナイト記念グランドマスター賞を授与され、生涯の功労を称えられた。そしてオクテイヴィア・バトラーに至ってはこの20年間、翻訳される機会がなかった。

オクテイヴィア・E・バトラーは「アフリカ系アメリカ人女性初の専業SF作家」か?

オクテイヴィア・E・バトラー(1947-2006)は1992年に山口書店から出版された長編『キンドレッド』(風呂本惇子&岡地尚弘訳)が今年河出書房新社で文庫化され、2022年には藤井光の翻訳による短編集『血をわけた子供』の出版も予告されている。また竹書房からも長編小説『Parable』シリーズの刊行予定が告知されている。米国では複数の映像化企画も進行中である。

なお、バトラーはアフリカ系アメリカ人女性初の専業SF作家と見なされているが、本人はそういった分類には懐疑的だった。例えば1996年のスティーヴン・W・ポッツによるインタビューを見てみよう。

ポッツ:(略)あなたがSF界でユニークな存在であると指摘せずにはいられません。30年前よりは多くの女性がこの分野で活動していますが、アフリカ系アメリカ人は少なく、私はあなたの他にまだアフリカ系アメリカ人女性の作家を思い浮かべることができません。

バトラー:短編小説を書いている人達なら何人か聞いたことがあります。長編小説を書いている人達は、自分をSF作家だと思っていません。実際ホラーやファンタジーを書いているのですから、その判断は正しいです。例えばレズビアンの吸血鬼の小説『ギルダ・ストーリーズ』(1991)を書いたジュエル・ゴメス(1948-)はSF作家ではないものの、近縁のファンタジー作家です。しかし彼女が自作をそのように紹介するとは思いません。

ポッツ:多くの人たちがいまだ、SFは主に白人男性のジャンルだという印象を持っていると思いますか?

バトラー:はい。実際ときどき私が一般聴衆に向けて(SFを)語ると、そんなにSF界に女性がいるのかと驚かれます。皆さん、SFとは何かということについてかなり固定された観念を持っているんですよ。テレビからの影響なのか、それとも空気や大気からなにかしら拾ってくるんでしょうかね。

拙訳、”We Keep Playing the Same Record”: A Conversation with Octavia E. Butler, Science Fiction Studies #70 = Vol. 23, Part 3, 1996)

バトラーの回答は、アフリカ系女性SF作家がいないのではなく、その前提となる観点や定義を疑うべきことを示唆していないだろうか。バトラーはしばしば属性の交差性や異なる存在との共生を描いた。その理由はひょっとすると、非常に内気な性格、15歳の時点で180cm以上の長身、(本人いわく)難読症など、彼女が社会と接するうえでの困難が決してジェンダーや人種だけではなかったことに起因するかもしれない。この深読みもまたバトラーに嫌がられる可能性はあるにせよ。

「アフロフューチャリズム」から「アフリカンフューチャリズム」へ

「アフロフューチャリズム」という言葉を耳にしたことがあるだろうか? 1993年に文化批評家マーク・デリーが、前述のサミュエル・ディレイニーを含む複数のアフリカ系アメリカ人(先祖がAfrican Diaspora〈アフリカ人の離散〉= 奴隷としてアフリカから連行された経験を持つ人達)アーティストや研究家に取材し、文化的特徴を評するために発明した。

しかし近年、この言葉の代わりに「アフリカン・フューチャリズム」を使う動きが一部で起こっている。2019年、ナイジェリア系アメリカ人作家ンネディ・オコラフォーは自身のブログで、これからはアフリカン・フューチャリズムという言葉を使うと発表した。なぜなら、アフロフューチャリズムは必ずしも自分の活動には当てはまる定義ではなく、また、勝手にアフロフューチャリストと呼ばれるせいで自作が誤って読まれてしまうからだ。オコラフォーは自分がどのように定義されるかは自分で舵を取りたいと記した。

さらに次の4つの要素も、決別の理由として考えられる。
【1】アフロフューチャリズムは元来「奴隷として米大陸に連行されてきたアフリカ人」が主体として想定された米国中心主義的な概念であること
【2】近年はアフロ〇〇という言葉が避けられがちであること(出典1出典2
【3】スピリチュアルなイメージが強くなっていたこと(オコラフォーはスピリチュアルや超常要素は「アフリカン・ジュージューイズム African Jujuism」という言葉に分けて定義した)
【4】発祥であるマーク・デリーのインタビューが――ここは筆者である私の主観になるが――誘導したい方向を狙って質問してはディレイニーに辛抱強く徹底的に迎撃されており、この言葉を使い続けたいと思える出来ではないこと。

ナイジェリア人兼業SF作家ウォレ・タラビは、『African Futurism』(2020)というミニアンソロジーを作り、オコラフォーへの支持を表明した。このアンソロジーは無料公開されている。解説でタラビは、オコラフォーに先んじて2018年に南アフリカ共和国の作家モハレ・マシゴが「アフリカに住むアフリカ人は、アフロフューチャリズムとはまったく違ったものを必要としているのではないかと私は確信している」と雑誌に寄稿していたことを紹介し、再定義や再考察を経てバージョンアップされてはいるものの、アフロフューチャリズムという言葉ではやはりアフリカ人によるアフリカSFを表せないという意見を明らかにした。

米国のSF・ファンタジー作家のミルトン・J・デイヴィスは小出版社MVメディアを設立し、2010年代ごろから新しいアフリカ系作家の発掘を試みている。同社のキャッチコピーは「アフロフューチャリズム、剣とソウル、スチームファンク等々!」だ。(筆者註:剣と魔法“Sword and Sorcery”やスチームパンクに、アフリカ系アメリカ人の音楽文化のsoulやfunkを引っかけている) 新しいサブジャンル名を用いて過去を切断したほうが、作家としては自由に執筆しやすいという事情もありそうだ。

時が経つにつれ、言葉の定義は拡張し、再定義されるのが常なので、もちろんアフリカ系当事者にも「アフロフューチャリズム」を使い続ける人達が大勢存在する。例えばアフリカ系ブラジル人によるアフロフューチャリズムは、近年注目すべき運動のひとつだろう。(参考1,参考2)

ジャネール・モネイのSF的想像力

ナイジェリア出身で、進学や就職以降、世界を転々としてきたウォレ・タラビが、米国のオコラフォーに連帯したように、ときに共感は時や場所、人種の垣根をも超える。

オクテイヴィア・バトラーは、長編小説の出版が決まった当時、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の創作講座でSF作家のシオドア・スタージョン(1918-1985)に指導されていた。バトラーは、昔のSF小説は登場人物の書き込みが足りず、特に女性キャラクターは棒人間に等しいありさまだったが、スタージョンは自分の父親の世代なのに決してそういう書きかたをしていなかったーーだからこそ彼の著作に心惹かれ、彼の講義を受ける機会に飛びついたと語っている。(“An Interview with Octavia E. Butler”, Charles H. Rowell and Octavia E. Butler, Callaloo Vol. 20, No. 1 (Winter, 1997), p.59)

米国の歌手で音楽家のジャネール・モネイ(1985-)はデビュー当時からSFにインスパイアされた曲を作った。アルバム『The ArchAndroid』(2010)はオクテイヴィア・E・バトラーの長編小説『Wild Seed』から影響されたと明言している。同書には人間の身体を乗っ取ったり、別人に変身したりできる、神々のような超越的存在が複数登場する。つまりジェンダーや人種の流動性が描かれている。私事になるが、モネイの本アルバムと出会わなければ私は今のようにブラック・カルチャーに関心を持っていなかったように思う。そしてモネイに傾倒した理由はやはり、タキシードにリーゼントヘアという一風変わった装いや、SF的コンセプトにあった。

米国の作家、編集者、出版人のシェリー・ルネー・トーマス(1972-)は2020年に老舗雑誌『F&SF』誌の第10代編集長に就任した。初のアフリカ系アメリカ人で、女性編集長としては2人目だ。彼女はもともと、大学の課題図書としてバトラーの『キンドレッド』を読んで初めてアフリカ系アメリカ人作家のSF小説に出会い、ついにはその研究の道に進んだ。彼女が編集したアフリカ系アメリカ人のSF、ファンタジー、ホラーやエッセイを集めたアンソロジー『Dark Matter』(2000)は世界幻想文学大賞のアンソロジー部門を受賞した。彼女が本書の製作を決意したのは、たまたま書店で日本SFアンソロジーを手に入れたのがきっかけだったという。この本が出版されるまでには翻訳という大きな苦難があったはずだ。アフリカ系アメリカ人の作品を探して再録し、自分が求めているような本を自分で作ればいいのだ――それが彼女のひらめきだった。

2015年から2021年現在までのわずかな間に、アフリカ人のSF &ファンタジーに贈られるノンモ賞の設立や、〈ブラック・スペキュレイティヴ・フィクションの雑誌〉を謳うウェブジン『FIYAH(ファイヤー)』、ナイジェリア初のSFウェブジン『Omenana』、年刊アフリカンSF傑作選の創刊、そして新たな作家達の登場と活躍があった。未来にはまだ希望がある。アフロフューチャリズム/アフリカンフューチャリズムの歴史は、作家やアーティスト達が自らの居場所を切り開いてきた歴史である。未来は今も生み出され続けている。あとはあなたが目をこらすだけだ。

Edit Sogo Hiraiwa

author:

橋本輝幸

1984年生まれ、SF研究家・書評家。編著に『2000年代海外SF傑作選』『2010年代海外SF傑作選』(ハヤカワ文庫SF)。 Twitter:@biotit

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