アーティスト・潘逸舟が提示する、関係性の網目としての自己・身体、今ここのリアリティ

昨年「日産アートアワード2020」でグランプリを獲得した潘逸舟は、1987 年に上海で生まれ、青森への移住~東京藝術大学先端芸術表現科大学院修了を経て、現在は東京を拠点に活動するアーティスト。自らの身体を軸に、土地と人間や共同体と個人の関係性を巡る作品を紡ぎ、日本国内のみならず、ボストン美術館やユダヤ博物館、上海当代美術館でも展示を行うなど、その活動範囲はグローバルだ。

そんな潘が、現在、東京都写真美術館で開催中のグループ展「記憶は地に沁み、風を越え 日本の新進作家 vol. 18」(2022年1月23日まで)に新作を寄せている。「トウモロコシ畑を編む」と題されたその作品は、中国山東省のトウモロコシ畑でパフォーマンスを行う潘を記録した映像・音を中心に構成される。同作に込めた想いやその背後にある問題意識、そして潘逸舟というアーティストの全貌を探るべく、東京都写真美術館に潘を訪ねた。

何もない環境で見つけた現代美術という居場所

――今回初めて潘さんのことを知る人もいると思うので、最初に簡単な経歴をうかがわせてください。

潘逸舟(以下、潘):私は1987年に上海で生まれて、9歳の時に両親の仕事の関係で青森県の弘前市に移住しました。当時は東北新幹線が青森までは開通してなくて盛岡からはバスに乗るんですけれど、生まれて初めて雪を見たのを覚えています。それから高校まで弘前にいて、東京藝術大学に入学して東京に出てきました。

――藝大を目指したということは、美術に関心を持ったのは早かったですか?

潘:そうですね。もともと子どもの頃から、父が家で油絵を描いていたんです。日本に来てからも仕事が休みの日に描いていて、私はそれを見て育ったので、小学5、6年生くらいからデッサンをしていて、中学生くらいの時から画家になりたいという意識がわりと自分の中でありました。

――最初は絵画だったんですね。潘さんが現在されているパフォーマンスや現代美術に出会ったのはいつ頃ですか?

潘:高校生の頃です。高校1、2年生ぐらいのときにインターネットが普及されてきて、インスタレーションというものを知ったり、あと本を見たり。中でも一番影響が大きかったのは、青森市にあるACAC(国際芸術センター青森)に行ったことです。そこには滞在制作で国内外からいろんな作家が来ていて、ボランティアをしていた人たちも自分たちでオルタナティヴスペースを作っていました。そういうのを見ているうちに、だんだん絵を描くこと以外の表現、つまりキャンバスから出た外の社会をキャンバスにしちゃえばいいじゃないかと思うようになったんです。

――背景には、子どもの頃に上海から全く環境の違う場所に来て、日本の社会で暮らすことの違和感や葛藤を抱えていたということもありましたか?

潘:そういうのもあったと思います。当時もニュースとかでは領土問題など政治的な問題はずっとあって、2005年には上海でも反日デモがあって、そういう報道も見ていました。日本に来た子どもの時は全く身体に入ってこなかったんですけど、だんだん勉強してくるとそういったことはわかってくるし、かといって同年代で周りに自分と同じ境遇の人はほとんどいませんでした。そんな中で現代美術との出会いによって、自分と社会の間にある違和感を表現するエネルギーに昇華したり、自分を存在させてくれたりする場所として美術があったような気がしますね。

――当時、影響を受けたアーティストなどはいますか?

潘:マリーナ・アブラモヴィッチという、旧ユーゴスラビア出身のアーティストが熊本で個展をした時に(2003年「ザ・スター」展/熊本市現代美術館 https://www.camk.jp/old/event/exhibition/marina/index.html)、ACAC(国際芸術センター青森)主催の彼女のトークショーを聞きに行ったんです。彼女のことは知らなかったんですが、裸で自分の体に傷をつけて何かを表現しているのを見て衝撃を受けました。そこでたまたまあれを見たというのは自分にとって大きかったなと思います。それ以外にも、ACACには様々な海外の本や雑誌が置いてあって、当時は言語力もなかったからビジュアルを見るだけでしたけど、そういう積み重ねの中で、これはスゴイなって理解してしまうことがあって。そういう体験が自分が表現することの原点ではあると思います。何にもない場所で何かが見えた瞬間っていうか、ここではない外の世界を想像する瞬間というか。

――その頃、ご自身ではどんな活動をされていましたか?

潘:例えば、自転車で弘前から離れた村に行って、「あのゲートボール場を土日貸してください」って村長を探してお願いして、親が持っていたDVテープのカメラを使ってパフォーマンスを記録するとか。お小遣いやバイト代で買えるものを買って、よく分からないけどこれが現代美術かなっていう自分なりのものを作って、インスタレーションやってみるとか。変な話、高校時代はずっとそういうことを考えてやっていました。学校でそれを話せる人は誰もいなかったですけど、自分の中では、それが世界と繋がっているという変な確信がありました。

社会として見立てる風景に身体で介入する

――今年「MOTアニュアル2021 海、リビングルーム、頭蓋骨」(2021年7月17日~10月17日/東京都現代美術館)で出品されたのは、10年近く取り組んでこられた海でのパフォーマンスを記録した映像作品が中心でした。潘さんにとってそもそも海とはどんなものですか?

潘:私にとって海は、社会の対象です。生まれ育った場所には、上海でも杭州に近くてあるのは海ではなく川でしたし、青森も弘前ですから海はありません。だから原風景みたいのとは違っていて、実は海という場所を意識してパフォーマンスをして撮影し始めたのも東京に来てからです。海はすごく広くてを感じる場所ではあるけども、そこには境界の問題もあるだろうし、政治性や社会のシステムが複雑に絡みあっていて、人間が物理的に住むことができない場所でもあります。ある意味で、私にとっては自分が社会と向き合うための場所でもあるし、私が生きている社会を反射してくれる鏡的な存在でもあります。海は形がないゆえに、自分が他者としてここに居るということや、自分が見ている社会の問題を鏡として映し出し、跳ね返ってくる存在でもあります。

「MOTアニュアル2021 海、リビングルーム、頭蓋骨」展 参加作家インタビュー( 潘逸舟 、小杉大介、マヤ・ワタナベ)、展示風景

――今回、東京都写真美術館の「記憶は地に沁み、風を越え 日本の新進作家 vol. 18」に出品された新作《トウモロコシ畑を編む》(2021年)では、中国山東省のトウモロコシ畑でパフォーマンスをされています。

潘:今回の作品も、その土地の風景を社会として見立てているという点では同じです。土地があるところには社会があって、トウモロコシを植えるという人間の生活があるがゆえにそこにトウモロコシ畑があるわけです。つまり、自分がパフォーマンスを通してそのコミュニティや社会に入っていく行為の中で、人間が作ってきた社会の痕跡みたいなことを可視化できないかと考えました。それは、いつも私が風景と向き合う時のスタンスです。

――山東省という場所を選ばれたのには何か理由がありますか?

潘:山東省に別のプロジェクトで呼ばれていて、その視察に10日間ぐらい行ったんです。その間に土地のリサーチをすると、山東省は昔から石が有名で、山には土があるというより石が豊富なところだということが分かりました。そういう土地でも育つ作物としてトウモロコシが選ばれて、今では中国有数の産地になっていると。それで実際にトウモロコシ畑に行って見ると、トウモロコシとトウモロコシの間隔が、私がギリギリ通れるくらいの広さでした。ちょうど山東省に行く前に今回の企画のオファーをいただいて、「土地の記憶がテーマです」と言われました。自分がずっと作品で向き合ってきた身体との関係性をもう少し深めたいと思いました。そのことを考えていく中で「自分の身体で土地を編みたい」というイメージが湧き出てきて、ここで何かできるのではないかと思いました。

――それがトウモロコシ畑を分け入りながら進むというパフォーマンスになったんですね。

潘:実は、日本にいるときに木を編んだり、土地のいろんなものを編んだりする構想を思いついてやってみたんですけど、それで山東省に行ったときにトウモロコシ畑に出会って、そのトウモロコシの間を自分が通り抜けていくことと「土地を編む」イメージがしっくりきたんです。そのパフォーマンス行為は、他者としての身体が、見知らぬ土地の歴史や文化にどのように介入できるのかを、問いかけることがでもあるような気がしたのです。

――メインとなるのは30分近いパフォーマンスの映像ですが、2m近くのトウモロコシの畑に隠れて、その中を進む潘さんの身体はほとんど見えません。変わりに聞こえるのが、複数のスピーカーから流れる、ガサゴソという音です。

潘:トウモロコシ畑の間を通りながら、自分がトウモロコシの葉と擦れていく音の痕跡を素材にサウンドインスタレーションとして構成しました。擦れる音は、摩擦であると同時に出会いでもあるんです。どんな土地にしても社会があり、それぞれの土地に対して記憶があったという時に、その記憶はすごく個人的なものもあれば、共同体的な記憶もありますし、錯覚的に、この土地に初めて来たけど見覚えがあるということもありますよね。そういったものは、自分が生きてきた社会や教育されてきたもの、見てきたものとどこかで接続しているはずで、その接続がどういう作られ方をしているのかということも、やりながら考えています。

「ここで生きている」リアリティと関係を結ぶ他者

――スピーカーからの音でもう1つ印象的だと思ったのは、鳥の鳴き声です。鳥は潘さんと同じく画面でははっきり確認できないですけど、イメージとしては自由というか、土地から離れて、人間が作った境界とは関係なく生きています。

潘:トウモロコシ畑に入っていくと、視界が遮られるので自分がどこにいるのかがだんだんわからなくなっていく恐さもありました。擦れている音もすごく暴力的でもあるし、ある種の緊張感があって、途中でクモの巣がはびこって迂回せざるを得ないところもある。一方で、ここで「ちゃんと編まなきゃ」という意識があって、その外ではおっしゃるように鳥の声がきれいに聞こえたりする。入っていったときの見えないものと俯瞰して見えているものと両方があって、その対比みたいなことを音と映像で表現できたらと思いました。

――実際やってみて、土地を編めた感覚はありましたか?

潘:映像でそこまで確認できないかもしれないですけれど、かなり意識して編んでいるんですよ(笑)。でも実際は自分の方が土地に編まれているのかもしれない。人間は自分のいる場所についてどうしても考えてしまう存在です。自分が今いる場所との関係の中で感じている違和感とか、その関係性の力学みたいなことをいつも考えてしまいます。

――そういったことをパフォーマンスで可視化したいと。

潘:もっと単純に言うと、「ここで生きている」っていうことをそのまま表現できたら一番いいんですよ。ただ、「ここで生きている」ということがどういうことなのかをたくさん考えるがゆえに、すごく難しい。例えば何かを見て美しいと感じた私は、どうやってこれを美しいと感じているのか。その美しさは教育から来ているのかもしれないし、共同体の中で誰かによって美しいとされてきたものかもしれないし、自分の体験や具体的なきっかけがあって美しいと感じているのかもしれない。いろんなことがあると思いますけど、やっぱり「ここで生きている」と自分が考えるリアリティが、どうやって成立しているのかということはすごく気になるんです。で、その複雑な関係性をひも解いていくと、必ず他者に繋がっているし、決して自分のことだけではないということが分かる。私のパフォーマンスもよく「自己表現」と言われるんですけど、自己を表現するということは、自分以外の自分にまつわる環境を表現することでもあって、それって実は他と繋がっている部分の中からしか見えないんですよね。当事者と他者の境界っていうのは実はすごく曖昧で、「それって本当にあるの?」と思うこともあります。

――鑑賞者にとっては、潘さんの作品自体が鏡になっているんですよね。

潘:そういう面もあると思います。私の映像では何かを物語るということはあまりなくて、むしろ見た人がそれぞれの中で物語を想像してしまうということはあるのかもしれません。例えば身体が葉とすれ違うとき、鑑賞者はおのずとすれ違っている音からいろんなことを想像してしまうと思います。それは1つの表現としての言語でもありますが、その言語が鑑賞者にどう作用するのかは、見る人それぞれに委ねられているんです。

■「記憶は地に沁み、風を越え 日本の新進作家 vol. 18」
会期:~2022年1月23日
会場:東京都写真美術館
住所:東京都目黒区三田1-13-3
時間:10:00〜18:00 (最終入場時間 17:30) 
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館)、年末年始(12/28-1/4、ただし1/2、1/3は臨時開館)
入場料:一般 ¥700 /学生 ¥560/中高生・65歳以上 ¥350 ※各種割引など詳細はオフィシャルサイトを確認
https://topmuseum.jp/

潘逸舟

潘 逸舟
1987年上海生まれ。2012年東京芸術大学美術研究科先端芸術表現専攻修了。共同体や個が介在する同一性と他者性について、多様なメディアを用いて考察。主な展覧会に「Sights and Sounds: Highlights」ユダヤ博物館(ニューヨーク、2016)、「りんご宇宙―Apple Cycle/Cosmic Seed」弘前れんが倉庫美術館(青森、2021)、「MOTアニュアル2021―海、リビングルーム、頭蓋骨」東京都現代美術館(2021)等。日産アートアワード2020グランプリ受賞。

author:

小林英治

1974年生まれ。編集者・ライター。雑誌や各種Web媒体で様々なインタビュー取材を行なう他、下北沢の書店B&Bのトークイベント企画も手がける。リトルプレス『なnD』編集人のひとり。Twitter:@e_covi

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