東京スケートコミュニティが生んだ新時代の象徴、山下京之助インタビュー前編 愛される人柄と飛躍の2021年

Instagramのフォロワー36.9万人(2022年1月現在)。山下京之助というスケーターを知らない人からしたら、芸能人でもなければオリンピックメダリストでもないのに、この数字には驚きだろう。しかし、このインタビューで彼の人となりを知ったら、その疑問は即座に解決されるはずだ。
前編後編の2回にわたり、山下京之助の魅力に迫りたい。前編は、山下京之助の人物像とともにスケートボード人生のターニングポイントとなった2021年を振り返る。

人生を変えてくれたYouTuberルイスとの出会い

ーーまず山下さんといえば、Instagramのフォロワー数の多さにびっくりする人が多いと思いますが、なぜここまで増えたのですか?

山下京之助(以下、山下):登録者150万人以上のYouTuberで、以前日本に住んでいたこともあるルイス・モラのチャンネルや、彼のインスタのアカウントにアップされるようになってから増え始めました。彼はインスタも44万人のフォロワー(2022年1月現在)がいるんですよ。だから僕のフォロワーは、割合としては海外の人が多いんじゃないかと思います。

ーールイスさんとはどんな出会いだったのですか?

山下:初めて会ったのは「ムラパー(=ムラサキパーク東京)」です。その時は(池田)大暉と一緒に滑りに行ってたんですけど、たまたまルイスが堀米(雄斗)君の撮影で来ていて。それで大暉がルイスのことを知っていたので、「俺らも撮ってもらおうよ!」と声をかけたのがきっかけです。
その時は2017年で、まだ中1だったかな? 撮ってもらった映像は、彼のチャンネルに公開されています。最後のほうにちょっとだけ出ているので、よかったら観てみてください。

ルイス・モラが撮影した山下が登場する動画「日本のベストスケーターの一人!」

ーーその後ルイスさんが運営する「イレイズド」からサポートを受けるようになりましたが、どういった経緯でスポンサードされるようになったのですか? 「イレイズド」についても教えてください。

山下:ムラパーでの出会いから半年後くらいなんですけど、新横浜のパークでもたまたま会ったので撮ってもらったんです。そこで結構良いフッテージが残せたのもあって、俺が始めたブランドなんだって軽い感じでアパレルをもらいました。その後にインスタのDMで正式にスポンサーのオファーが来て、一緒に動くようになりました。

「イレイズド」は、ルイスとエドウィンという昔「ステューシー」のデザインをしていた人が立ち上げたブランドで、「黒歴史を消す。過去の人生を消す。新しい自分の人生を作っていく」という意味が込められています。ルイス自身が過去にすごく苦労してきた人なので、ブランドを作った時に感じていた気持ちをそのまま落とし込んだんだと話していました。
このブランドは、特に路面店や国内代理店があるわけでもなく、オンラインでのプロモーションしかしていないのに、高い知名度があるのはすごいなと思いますし、そういう新しいタイプのブランドにサポートしてもらってるのは光栄です。それだけ彼が作る動画がおもしろいんだと思います。「ルイス・モラ|100万人登録者の道のり」で詳しく語っていますよ。

人気ブランド、「プリミティブ」への加入

ーー昨年の夏、アメリカ滞在中に「プリミティブ」アマチームに加入したのがアメリカでも大きな話題を集めましたが、そのきっかけを教えていただけますか?

山下:きっかけは2月に「イレイズド」からパートを出したことです。それを持って3月から4月にかけてアメリカに行ったんですけど、「プリミティブ」には日本の代理店からもコンタクトをとってくれていたので、本国チームが一緒に動こうと誘ってくれました。そこで1週間弱くらいのラスベガスツアーに行って、トレント・マクラングとかJP・ソウザと一緒に動いて、かなり良いフッテージを残すことができたんです。

「イレイズド」から発表された山下のパート

その後、ロサンゼルスに戻ってからも、「プリミティブ」のボス、ポール・ロドリゲスと一緒に動く機会があったりと、本当によくしてもらいました。この時はそれでいったん帰国したんですけど、代理店を通じて本国から契約の話が来ていると声をかけてもらったんです。最初はフロー(仮契約のこと)からだと思っていたんですけど、いきなりアマからの契約だったのは本当にびっくりしましたね。なのですぐにアメリカに行ってサインして正式に迎え入れてもらい、世界にオフィシャルでアナウンスされることになりました。

ーー「プリミティブ」といえば、今や屈指の人気スケートブランドですが、そもそもどうやって入ることになったのですか? またレジェンドスケーターのポール・ロドリゲスの印象はどうでしたか?

山下:「イレイズド」のルイスとアメリカに行った時の話なんですけど、サポートしてもらっている「ラカイ」の代理店の「OSC ディストリビューション」の人もちょうどアメリカに来ていて、本国の「ラカイ」の人達に会えるといいねと話していたんです。そんな会話もあって、滞在中に「ダイヤモンド サプライ」のパークに滑りに行ったら、その場にポール・ロドリゲスと当時の「プリミティブ」のチームマネージャーも来ていたんですよ。
その頃はちょうどOSCが「プリミティブ」を日本で展開しようというタイミングだったので、それもあってのことだったんですけど、パークで滑っている自分を見て、「アイツをライダーにすれば?」と声をかけてくれていたみたいなんですよね。それで日本に帰ってから声をかけてもらって、スポンサードしてもらえることになりました。
今でこそ「プリミティブ」はすごく人気のあるブランドになっていますけど、自分の場合は、猛アピールしたというよりも、ただタイミングが良かっただけなんです。
そして、ポール・ロドリゲスはレジェンドですし、もちろん前から知っていましたけど、緊張もあってあの時はあいさつも話すこともできなかったです。あとこれは今だから話せるんですけど、当時は「プリミティブ」ってブランド自体知りませんでした(笑)。

ーーでも山下さん世代だとポール・ロドリゲスの全盛期は知らないのでは?

山下:確かに全盛期をリアルタイムで観てはいないですけど、「ガール」のスケートビデオ『YEAH RIGHT!』は観たことがありますし、実際に会うとオーラもすごいから、いつもすごく緊張しちゃいます。言葉で言うのは難しいんですけど、粗相できないというか。自然とかしこまっちゃうし、一緒に滑る時の緊張もヤバいです(笑)。
でも「プリミティブ」は、チーム自体がすごく仲間意識の強いクルーで、なおかつしっかり動けているチームなので、撮影の時はいつも誘ってくれますし、自分を認めてくれたから、今こうしてアクティブに動けているのかなと思います。

よく日本人は世界に出ると遠慮がちになる人もいますが、みんな同じスケーターですし、自分がしっかり滑っていれば声をかけてくれます。自分はいつも通りやっていたら自然と打ち解けていきました。

ーーちなみに英語でのコミュニケーションはこなせるのですか?

山下:英語に関してはなんとか会話ができるかな? くらいです。文法とかはよくわからなくて適当になってしまうことが多いですし、まだまだ困ることが多いので、やっぱり難しいなと。
それでもチームメートが間違っているところは教えてくれるので、すごく助かっています。定期的にアメリカに足を運んで自然と覚えることができたら一番いいですけど、勉強もしっかりやらないといけないですね。

世界への道が開いた2021年のさまざまな契約

ーー「ラカイ」についてはどうでしょうか? 「イレイズド」とのコラボレーションモデルも発売されていたりと、こちらでもワールドワイドに動いている印象です。

山下:はい。今はアメリカ本国と契約して活動させてもらっています。でもこれもわりと最近で、2021年の8月にアメリカから日本へ帰国する直前にサインさせてもらいました。
ただ、これも今だから話せるんですけど、当時は「ラカイ」と契約するかかなり迷っていたんです。というのも、実は同じタイミングで他のブランドにも声をかけてもらっていて、どうするのが良いのかいろいろな人に相談していました。でも「ラカイ」のシューズは、昔から履いていて愛着や思い入れもあって好きだし、そのまま契約のグレードを上げるほうが良いのではないかという結論になりました。
その答えを出すのに時間がかかってしまったので、契約が帰国直前のタイミングになってしまいました。でも多くのブランドが自分に興味を持ってくれるのは光栄ですよね。

ーー他にもアメリカ滞在中には、「G-SHOCK」のウェルカムクリップも撮影していましたが、「G-SHOCK」への加入経緯を教えてください。

山下が登場する「G-SHOCK」のウェルカムクリップ

山下:きっかけは「G-SHOCK」がブランドを背負えるメンズのライダーを探していたことにあります。経緯としては、スケート専門サイトの「VHS MAG」を通して話が来て、実際にブランド担当の方とお話しさせていただいてお世話になることになりました。
その時に先ほど話したアメリカトリップのことも話したら「そこでウェルカムビデオ撮ってきたらいいじゃん!」という話になったので、アメリカのフィルマーとフォトグラファーを紹介してくれて、そこで撮れたものを使って正式にアナウンスしたという形ですね。
「G-SHOCK」は以前、「REAL TOUGHNESS」というコンテストを主催していてよく観に行っていたので、かっこいいブランドだなと思っていたので、今こうやって活動できてるのはすごく嬉しいです。

ーー今までロサンゼルスにはどれくらい行っていますか? これまでの旅の目的や思い出話があれば聞かせていただけますか?

山下:何回行ってるんですかね? 正直言ってわからないです(笑)。ただ初めて行ったのは「TAMPA AM」に出場した時です。でもルイスに誘われて中2の頃に行ったトリップは、それまでとは別物の体験だったのですごく思い出に残っています。渡航費も「イレイズド」が持ってくれましたし、いわゆる撮影のためのツアーを初めて経験しました。

あとは中3の頃に東京オリンピックの強化指定選手に選ばれていたのもあって、アメリカに限らずコンテストに出るためにいろいろな国を飛び回っていました。当時は今のように映像を残す活動よりも、コンテストで結果を残すことを意識していたので、2年半くらい前のことなのに今とは大きく違ったライフスタイルでしたね。今は夏にサインした契約があるので、いつアメリカに行っても活動ができる環境です。2021年の11月末にあった「TAMPA AM」に出た後もLAに寄ってチームメート達と動きましたし、2022年もこういった動きは継続していきたいと思っています。

現在のライフスタイルと今後のプラン

ーー日本にいる時は、バンタン高等学院でスケートボードとデザインを専攻しされていますが、日本ではどんな生活を送っているのですか?

山下:バンタン高等学院は恵比寿に校舎があって、大体午前中はデッサンや映像の編集、グラフィックデザインなどの勉強を2時間くらいしています。それからお昼休みを挟んでスケートパークに行って、そのまま滑りっぱなしで、いつも気付いたら授業が終わってる感じですね(笑)。
映像編集の先生がロブ太郎さん、デッサンが村岡洋樹さん、スケートの先生には、森中一誠さんと本橋瞭君に、先ほどのロブ太郎さんや村岡洋樹さんもいます。その先生達も昔から知っている方なので、一般的な学校の先生という感じはしません。その辺りもスケートボードならではの文化かなと思います。

ーー現在、17歳の高校2年生ですが、卒業したらどうしようと考えていますか? 今後のプランを教えてください。

山下:高校生の間は日本で動けるだけ動いて、アメリカに行けるだけ行って、半々くらいの割合で動けたらいいなと思っています。卒業するまでにビザが取れたらいいですね。その後はアメリカに引っ越して向こうをメインで動きたいと考えています。
コンテストに関しては、出れる時に出るって感じですかね。ただコロナ禍を挟んで、国内のコンテストはもう自分より年下の世代が台頭してきて世代交代が進んでいます。出場選手の中では年上になってきたので、だからこそ出るなら事前に会場入りして勝つのための練習もしっかりこなさないと勝てないと感じています。
今年の「TAMPA AM」の結果を見てもらえるとわかりますけど、今は世界でも日本の勢いがすごいので、そこには自分もきっちりついていって、スタイルと結果を出していきたいですね。

山下京之助
2004年5月23日生まれ、東京都品川区出身。スケートボーダー。Instagramのフォロワーは、36.9万人(2022年1月現在)を抱え、世界的ネームバリューを持つ次世代スター筆頭株かつ、新時代を象徴するスケーターの1人。小柄で俊敏な動きでスムースなテクニカルトリックを次々と繰り出していたことから、海外では“Japanese Ninja”とも呼ばれており、愛くるしいキャラクターとともに抜群の人気を誇っている。スポンサーブランドは、「プリミティブ」「ラカイ」「イレイズド」「G-SHOCK」「ナッシング スペシャル」「スピットファイヤー」「モブグリップ」「ケント ハードウェア」「フィフティーフィフティー」
Instagram:@_kyonosuke_

Photography Yoshio Yoshida

author:

吉田佳央

フリーランスフォトグラファー/スケートボードジャーナリスト。1982年生まれ。静岡県出身。2010年にスケートボード専門誌『TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN』編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン、編集、ライターをこなし、最前線のスケートシーンの目撃する。2017年の独立後は、日本スケートボード協会(AJSA)のオフィシャルカメラマンを務めている他、ファッションやライフスタイル、広告に至るまで幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を多方面に広めている。 https://yoshioyoshida.net/

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