名だたるアーティストを撮り下ろしてきた写真家・キセキミチコが香港民主化デモを追い続けた理由

2019年に世界中で連日報道されていた香港民主化デモ。民主派による「逃亡犯条例改正案の完全撤回」や「普通選挙の実現」等を含む5つの目標「五大要求」の達成を目的とし、1997年の香港返還以降で最大のデモとなった。日増しに市民と警官隊の衝突が激化する中で、自由と民主主義を訴え、行動する若者達の姿や警察と衝突するデモの様子を追い続けた写真家のキセキミチコ。キセキは8ヵ月という香港での長期滞在で自身が見てきた真実を2019年12月に写真展「#まずは知るだけでいい展」として開催し、大きな反響を得た。また、今年の2月には写真集『VOICE 香港2019』を上梓した。

現地のルポ写真には違いないが、これまで名だたるミュージシャンやエンターテインメントの世界を撮り続けてきたキセキらしい、記録や報道写真とはまた違ったアプローチで香港の実情を伝えている。そもそもなぜ、突然に香港の民主化デモを撮り始めたのか。「まずは知るだけでいい」そう思わされる強烈な作品群とキセキの言葉から、その答えを探った。

何のために写真を撮るのかという自問自答を繰り返す中で発露した、自身のルーツ、香港

――4月28日から始まる京都での個展「The place」は、どのような構成になるのでしょうか?

キセキミチコ(以下、キセキ):2019年と2021年に香港で撮影した写真と2月にギャラリー・ニエプスで開催した作品も合わせて展示しようと考えています。レイアウトはまだ考えている途中ですけど。これまでは2017年の写真も地方での展示ができなかったので、今回は「KYOTOGRAPHIE」の開催期間中でもあるし、時期が良いので決断しました。

――キセキさんが2019年に香港で長期滞在ロケを敢行した理由として2つの説がありました。日本でファッションやコマーシャル写真を手掛けている中で、何かしら心境の変化があったという話と、もう1つは自分を見つめ直したいからという理由でしたが、正確にはどちらなんでしょうか?

キセキ:そこは2つともリンクしています。香港に住んでいたけど、小さな頃の記憶なので思い起こすこともなく大人になって、フリーランスの写真家になった。ありがたいことに仕事もそれなりに頂いていましたけど、忙しく働いている中で心のバランスを崩した時期があったんです。漠然と仕事の内容とか人間関係とか、何のために写真を撮っているのか自問自答を繰り返したり。その頃、2016年にあるアーティストの香港ツアーに同行して、フリーの時間に街を1人で歩いたら、香港に住んでいた過去の記憶がブァーッと蘇ってきたんですよ。それをきっかけに、自分がどんなところに住んでいたのか、どう育ったのかを思い出したくて、2017年にもう一度、香港に写真を撮りに行ったんです。

−−それは長期滞在ですか?

キセキ:2泊3日です。とりあえず行ってみようという軽い気持ちで。

−−ある程度、仕事で結果を残してキャリアとか実績を得た時に、ふと自分自身に疑問が湧いて、地元に帰った時に何気なく母校に行ってしまうような感覚だったのでしょうか?

キセキ:そうそう。2016年に感じた問いの答えを探しに行ったわけじゃないけど、何かで埋めたいと思っていたのかな。実際、街中を片っ端から撮影していた時にローカルの人達からものすごいパワーをもらって。香港は経済大国であるにも関わらず、貧富の差がはっきりしているんですよね。それでも、すべての人の活力が溢れている姿に刺激を受けたんです。「この人達は何を感じて生きているんだろう?」と思い始めると、それまで自分が抱えていた問題が、本当にどうでもいいくらい小さなことに感じられて。狭い世界で生きていたんだと痛感しました。翌年の2018年には、もっと彼等の生活に密着して撮影したいというモチベーションが高くなって、もう一度香港に行きました。結果、短期ではクリアにならないと判断して、少なくとも半年くらい仕事を休んで、香港に滞在しようと決意したんです。その意味では心境の変化でもあるし、自分を見つめ直すという理由でもあったと。

――僕が初めて香港を訪れたのは1998年なんですけど、同じように貧富の差に驚いた記憶があります。高層マンションに住んでる人と屋台でミートボール等を売りながら生活している人達が同じエリアに混在している。でも、印象的だったのは全員パワフルで“生きてる”感じがヒリヒリ伝わってくるという。

キセキ:私も同じ感覚を覚えましたね。人生を終わりにしたいとか思って、ギリギリな精神状態でしたけど、大したことないなって。

――モヤモヤした感情にはさまざまな理由があると思うんですけど、具体的にはどんなことでしたか?

キセキ:もう、あらゆる物すべて(笑)。仕事も人間関係もありますし。ライヴもアーティスト写真の撮影も本当に楽しかったんですけど。でも、時々「写っていればいい」と言われることもあったし、そんな時に「私じゃなくてもいいのかな」と漠然と思いだして、神経をすり減らしたこともありましたね。タイトなスケジュールが重なった時期でもあったのかな。

――フリーは“フリー”じゃないですもんね。

キセキ:本当にそう(笑)。それで、モヤモヤがたまってきちゃって、仕事を“こなしている”と感じた瞬間があったんです。もともと写真が好きで、写真家になったのに。すべて100%の力を出し切れるわけでもないですけど、“こなす”ことには強烈に抵抗がありましたし、何よりアーティストに対して失礼。

――「自分が誠実に向き合ってきた写真を嫌いになりたくない」という感情が起点になって、1回リセットして香港に腰を据えることで、自分の足元を再確認するような気持ち。

キセキ:そうですね。しがらみもあったし、そういう感情が積もっていた時期だったのは事実ですね。

撮影する意味合いが変化した上環のデモ

――その気持ちを払拭するために2019年に香港に渡ったわけですが、公式の発表では、香港民主化デモの始まりは2019年6月9日。その日はどのように過ごしていたんですか?

キセキ:その日は東京にいました。「逃亡犯条例改正案」の制定も含めて、香港に関する状況はニュースを通じてなんとなく知っていたんですけど、半年間、日本を離れるまでの仕事の調整とかビザの問題もあって、ものすごく忙しい時期だったので、しっかりとリサーチはできていませんでした。とにかく現地に行ってこの目で見ることだけは、はっきりしていたんですけどね。

――撮影を開始した頃にデモが活発化したのだと思っていました。

キセキ:香港に入ったのは、デモが始まって1ヵ月くらい後でしたけど、混沌とした状況だったことは間違いないです。到着後すぐに、プライベートで香港のローカルガイドをしている人にアテンドしてもらいました。歩きながら話を聞いていくうちに少しずつ実態を把握していって、「日曜日のデモに来ない?」と誘ってもらい、それを目の当たりにすることで輪郭がはっきりしてきましたね。

――当時は、ここまで踏み込んだ民主化デモの写真を撮影するとは予想できましたか?

キセキ:到着して間もない頃のデモは平和的でしたけど、日増しに雲行きが怪しくなっていきました。最初に見たのは、7月28日に行われた上環(ションワン)のデモで、その時点でかなり過激化していました。催涙弾もバンバン飛びかっていて、あたりは真っ白。若者が目の前で殴られて逮捕される光景もありましたね。とにかくショックだった……。催涙弾の煙で呼吸困難になってエイド(救護)に助けてもらったり、そこからさらに入り込むような撮影に変わっていきました。

――その流れで、図らずも深刻な渦中に1人で飛び込むことになったわけですが、写真集『VOICE 香港 2019』の帯にあるテキストを読むと、いろいろな人と出会って話を聞く中で、その言葉に呼応するようにキセキさんが撮影しているような印象を受けました。当然、テンションは高まったでしょうし、撮影する意味合いも変わっていったように思います。

キセキ:私自身、海外で生まれ育ったけど英語が話せないんです。なので、滞在中は午前中に英語の語学学校に通って、午後はデモの撮影に出掛けていました。言葉は通じないし、デモが頻発している最初の1ヵ月はめちゃくちゃでしたね。

その中で心境が大きく変化したのは、8月31日の湾仔(ワンチャイ)のデモ。忘れられないですね。夜、警官隊やデモの参加者が大勢いる中で隣にいた男の子が逮捕される瞬間に私の腕をつかんで「助けて!」と叫んだんです。でも、私は何もできなかった。当時、ジャーナリストは捕まった人が後に釈放されたかを確認するために、名前と香港IDを聞かなければいけなかったんです。本当に自分の無力さを痛感しました。撮影して発信することしかできないけど、それが何の役に立つのか? どんな助けにつながるのか? その後、日本のメディアや知人に聞いて回っていた時に、小学校時代の友人がSOSを出し、はじめに2人でハッシュタグ「#まずは知るだけでいい」をTwitterで拡散して、新しいInstagramのアカウントも開設して、現地の1人ひとりの言葉を拾っていきました。

――2019年11月17日の香港理工大学で起こったデモ隊と警官隊の衝突の時はどうしていたんですか?

キセキ:その前に中文大学でも大きな衝突があって、自宅から離れていたので行けなかったんですが、「自分達の大学を守る」と香港理工大学生の声も聞いていたので、何かが起こるとは感じていました。デモは大学前にある橋を境に学生と警官隊とがにらみ合っていたんですけど、ある学生が投げた火炎瓶が装甲車に当たって炎上したことで、香港警察は学内にいる全員を「暴動罪」で逮捕すると発令したんです。私は言葉がわからない上に現地情報がすぐには回ってこなかったんですが、友達から「理工大学にいるならすぐに離れて」という電話やメールが大量に届いたので、急いで出口に向かうと、想像を超える厳重なチェックを受けた後に解放されました。

根深い社会問題と複雑に交差するローカルの心情

――信じられない状況ですね……。写真集では現地の人達の言葉にキセキさんが伝えたいことが紐付いていると思うんですけど、彼等とはどのような交流をしていたんですか?

キセキ:街中でも、大学内でも常に激しい衝突が起こっていたわけではないので、歩きまわりながら、あらゆる人に声をかけて言葉を拾っていきました。

――デモがきっかけで、つながりが強くなった人はいますか?

キセキ:現在、香港にいる友達はほとんどデモで知り合った人達ですし、今でも連絡を取り合っていますよ。

――香港の滞在で一番危険を感じた瞬間を教えていただけますか?

キセキ:香港理工大学を出る時のチェックで、拘束されるのではないかという不安を感じた時と催涙弾を被弾した時ですね。

――拘束された先の想像がつかない恐怖は計り知れないですね。

キセキ:強烈に身の危険を感じました……。

――香港で生活していた時期があるとはいえ、今回の問題における当事者ではないわけですよね。何がキセキさんを動かしたのか、不思議に思いました。

キセキ:若い子達が殴られたり逮捕されたりするっていう、これまで見たことのない光景を目の当たりにしましたけど、実際の問題はそこじゃなくてもっと根深いんです。自分達の住居問題、労働問題といった過酷な生活環境に加えて、もっとシンプルな香港人としてのアイデンティティが尊重されないことへの訴え。語弊なく話したいんですが、写真家として、その背景を知りたかったし好奇心が湧きました。それ以上に彼等の気持ちに突き動かされた気もしますね。

もう1つは、それまで自分がいかに無知・無関心に生きてきたのかという事実を突きつけられたこと。日本人にも知ってもらいたい気持ちが強まる一方で、香港に暮らす人達が懸命に生きている姿を写真に残すという意義が見つけられた気がします。

「答えを明示したくないし、“消費されない”写真を撮りたいという気持ちに変わりはない」

――帰国後になりますが、写真集『the STRONG will in Hong Kong』はすべてカラーですよね。今回の『VOICE 香港2019』はモノクロですが、その理由を教えていただけますか?

キセキ:クライアントワーク以外の作品はすべてモノクロで作っていたので、カラーの写真集は『the STRONG will in Hong Kong』が初めて。理由は単純に情報伝達の力の強さです。とにかくこの現状を伝えたいという記録的な側面が強かったのとは逆に『VOICE 香港2019』は“記憶”だと思っていて。写真は記憶と記録を込める媒体ですし、最近、カラー写真は記録でモノクロ写真は記憶だと感じるんです。2年前の出来事ですので、香港の記憶を残す意味で全編モノクロにしました。モノクロは情報量が少ない分、観賞する人が考えたり、立ち止まったり、想像したりする余白が生まれますよね。その想像から私も教えられることがあります。その意味でも香港での経験が写真家の表現すら変えてくれたと思うんです。情報のディテールを正確に伝えたい人にとっては、カラーのほうが良いとは思いますけど、今回の作品では極力答えを出したくなかった。その場でストーリーが完結するのではなく、色や場所を想像しながら観賞してもらえたらうれしいですね。まずは知るだけでいいし、その先は観た人がどう考えるかに委ねたいんです。

――2021年の年末に再度香港に滞在されましたが、撮影者の目線でコロナ以前とどのような変化を感じましたか?

キセキ:目に見えないものは全部変わっていました。コロナの影響での変化は当然ですけど、今、香港に住んでいる人達は経済的だったり、言葉の理由もあって海外に移住できない人もいると聞きます。現状を受け止めながら前を向いている人のパワーに圧倒されましたよ。

――写真集のテキストで「戦っている」とあったのですが、この「戦う」という言葉は「生きる」という意味と同義なのでしょうか?

キセキ:そう思います。ただし、それは“Fight”ではない。暴力的ではない、いろいろな戦い方があります。言葉で戦う人もいるだろうし、表に出さず耐え忍ぶ戦い方もあるでしょうしね。

――とにかく生き続けることも戦いですよね。

キセキ:本当にそうですね。その意味で、2016、2017年に感じたローカルの人達のパワーの源はそこにあったんだろうなと、今振り返って感じています。

――最近はウクライナの問題もそうですが、理不尽な権力に対して行動を起こしたとしてもほとんどの場合、つらい思いをしたりするのは市民だと思うんです。そのような状況下で写真ができること、写真の力は何だと思いますか?

キセキ:まず、私が香港での体験で感じたことは、歴史は繰り返されるということ。その事実をアーカイヴして後世に伝えることが重要だと思うんです。情報の伝達手段として、さまざまな特性の媒体がある中で、膨大な量の情報を一方的に発信するのではなくて、写真は消費されずに記憶に残る媒体として機能するはずです。

――映像はシークエンスで見せられる分、作り手が誘導しやすいという点もあります。一方で、写真は一瞬の出来事がそのまま写ります。文脈を加えることで恣意的にすることもできるので、基本的には観る側のものと言える。過去の事実を示すことができる意味では、写真は優れた媒体と言えますね。

キセキ:写真は記録的な側面もあるけど、記憶が大きな意味を持つのだと思います。被写体の思いをいろいろな人が想像し、私が撮影した記憶もそこに重なります。展示に来てくださる方と話していると自分の無力さを感じながらも、こういう問題を考えるきっかけになっていると、勇気が湧くこともある。その繰り返しこそ、自分にとっては意味のある経験なんだと思います。

――今後はどのような活動をしていきたいと考えていますか?

キセキ:コマーシャルもドキュメンタリーもジャーナリズムも撮っていくでしょうし、そこに料理や動物の写真があるかもしれない。これまでのクライアントワークは音楽関係が多かったんですけど、音楽に助けられた経験もたくさんあります。音楽は偉大ですよ。確かに、香港での経験が写真家としてのターニングポイントだったのかもしれないけど、それまでの経験値が上がったということ。やっぱり、写真の答えを明示したくないし、“消費されない”写真を撮りたいという気持ちに変わりはありません。ジャンルもあらゆるフォルダ分けをしたくないんですよ。撮りたいものを撮るという写真家本来の欲求には正直に向き合いたいですね。

キセキミチコ
ベルギー生まれ。その後、香港とフランスで過ごす。日本大学藝術学部写真学科を卒業し、スタジオ、アシスタントを経て独立。ブラフマンやザ・イエローモンキー、ソナーポケット等のアーティスト写真を手掛ける。2019年7月から8カ月間、作品制作のため香港に長期滞在ロケを敢行。2022年2月、「逃亡犯条例」改正案を発端に約6ヵ月間、続いた抗議デモとそこに暮らす人々の様子を収めた写真集「VOICE 香港 2019」(イースト・プレス)を上梓した。帰国後は、フリーランスとして音楽写真やドキュメンタリー写真を中心に活動を続ける。
www.kisekimichiko.com/

Photography Michiko Kiseki
Interview Hiroyuki Watanabe

『VOICE 香港 2019』

■『VOICE 香港 2019』
2019年の香港民主化デモの最前線とそこに暮らす人々を撮影した写真家・キセキミチコによる写真集。176ページで価格は¥6,600。
www.kisekimichiko.com/shop
www.amazon.co.jp/dp/4781620434/

■The place
会期:4月28日〜 5月8日

■The place
会期:4月28日〜 5月8日
会場:Gallery Main
住所:京都府京都市下京区麩屋町通五条上ル下鱗形町543-2階
時間:13:00〜19:00(最終日は18:00)
公式サイト:https://gallerymain.com/exhibiton_michikokiseki_2022/

author:

芦澤純

1981年生まれ。大学卒業後、編集プロダクションで出版社のカルチャーコンテンツやファッションカタログの制作に従事。数年の海外放浪の後、2011年にINFASパブリケーションズに入社。2015年に復刊したカルチャー誌「スタジオ・ボイス」ではマネジングエディターとしてVol.406「YOUTH OF TODAY」~Vol.410「VS」までを担当。その後、「WWDジャパン」「WWD JAPAN.com」のシニアエディターとして主にメンズコレクションを担当し、ロンドンをはじめ、ピッティやミラノ、パリなどの海外コレクションを取材した。2020年7月から「TOKION」エディトリアルディレクター。

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