一般社団法人go parkyの代表、海老原奨に聞く、公園バスケの現状とリノベーション・アートコート・プロジェクトについて

大きな壁に描かれたグラフィティアート。それがイリーガルなものかリーガルなものかは置いといて、良い意味での違和感を伴った際立つ存在。それはとても印象的だ。これは何もバンクシーから始まったわけではない。バンクシーによって、そっちのほうを取り締まるばっかりだった人達も、違う興味を持ったにすぎない。

私達の街や社会には、もっともっと昔から、公共の場に絵を描く、アートを残すということは存在していた。そのようなアートに触れて、世界のことを知ったりするひとびとも多い。いわば、この見上げるアートから、今回は見下ろすアート。もっと言うと、アートをプレイグラウンドにして一緒に遊ぶものを描き、残していこうとしている人達のストーリー。

壁に描いたアートに誰かがスプレーを入れることは、「上にいく」という意味合いを持ち、忌み嫌われる。では、プレイグラウンドに描いたアートを踏みつけて汚して飛び跳ねて躍動するのは、なんと称されるのだろうか。すこぶるすてきなアートの上で、キッズやいろいろな人が遊び続けるシーン。

今回は、描くアーティストと遊ぶプレーヤーが、どちらも一緒にペイントして作り上げるプロジェクトを紹介したい。使い込まれたバスケットコートを、アーティストが1つの作品に仕上げた。それをリノベーション・アートコート・プロジェクトという。これは、その活動を推進している団体、go parkeyについてのアーティクル。

海外では現役プロ選手が参戦する大会も開催されるなど、さまざまな利用方法がある公園バスケ

――まずは海老原さんのプロフィールについて聞かせてください。バスケットボールプレーヤーだったということでいいですか?

海老原奨(以下、AB):はい。10歳の時に公園のバスケコートで始めてから、ずっとプレイしています。ミニバスのチームが近隣になかったこともありますが、友達と好きな時に公園に集まってバスケしているのが、自由で楽しかったですね。平日は、朝礼の前と終礼のチャイムの後は校庭に集合。週末は、自転車のカゴにボールを入れて、地域のいろいろな公園のバスケコートに行っては、年上の子や大人ともプレイするのが楽しみでした。

――適切な表現ではないかもしれませんが、俗にいうバスケエリートのような華やかな経歴はお持ちですか?

AB:いえ、持っていませんね。部活動の大会で好成績を出して、進学時の推薦をもらう、というような縁はありませんでした。公園バスケが居場所でしたが、それは履歴書に載せたり、経歴になるようなものではありません。ですが、大人になってから、3×3バスケットボールの日本代表候補になったことはあります。

――では「公園バスケ」というのは、どういったカテゴリーになるのでしょうか?

AB:カテゴリー分けする必要はないとは思いますが、地域の公園の中にときどきバスケゴールとコートがありますよね。あれです。日本では地域の運動施設の1つというイメージですが、海外では現役プロ選手が参戦するハイレベルな大会なども行われており、公園のコートを利用する目的の幅は広いです。コートの利用方法もさまざまで、1人でシュートしたり、3対3のようなオールコートでのバスケの概念を崩した遊び方があったりと、それが公園バスケの魅力です。公園生まれの3対3(スリー・オン・スリーとも言う)に関しては、近年3×3(スリー・エックス・スリー)というレギュレーションが確立され、正式に新しい競技となりました。

――それは、東京オリンピックで競技採用されていましたね。ABさんは、五輪期間中はまさにその3×3という新競技に関係していたと聞きました。実際、どんなことをされていらっしゃったんですか?

AB:ついに五輪デビューの3×3を、オリンピック仕様にするための準備をしていました。選手としての経験と、国際プロジェクトマネージメントを仕事にしていた経験があったので、それをかけ合わせたスキルを生かしていました。

具体的には会場についてのハードの準備段階と、大会本番のルールや運営計画のソフトの準備がありました。ルールを作っている国際連盟のFIBAと密接に関わりながら、世界中から集まる五輪関係者とやりとりを重ねました。そうやって、東京五輪のコートやボールのデザインに携わらせてもらえたりして、とても充実していましたね。その反面で、コロナ禍による五輪史上初の大会延期があって任期が1年延びたり、無観客開催になってしまったり、トップの森さん(森喜朗大会組織委員長)が辞任されたりと……。さらには、大会本番中に熱中症になってしまいと、トピックスにこと欠かないほど濃厚な、まさにに唯一無二の経験をさせていただきました。

――東京五輪はもともと暑すぎる東京の夏が心配されていた上に、コロナ禍での開催と、懸念事項が山積みな中での開催でした。ご自身の周囲でもアゲンストな風が吹き荒れていたと思いますが、その時の心境はいかがでしたか?

AB:なかなか不条理な状況でした。スポーツそのものに罪はないのに、あのような社会情勢では、自分が愛するバスケマターな仕事じゃなければ、割に合ってなかったとはっきり言えますね。毎週末、オフィスの前では五輪開催に対しての反対デモが行われていたり、連日、中止説も囁かれたりしていました。さらに給与も高くなかったですし、退職者も少なくなかったのが実情です。一方で、「なぜ自分がこの仕事をやり続けるのか?」と自問自答する日々だったので、良い学びがあったと思います。やり続けられた理由は、シンプルでした。純粋に、単純に、バスケが好きだからです。そして、個人的にもつながりが強い3×3バスケの世界でのお披露目(五輪デビュー)が、社会に、特にキッズの未来に前向きなインパクトを中長期的にもたらすことができると信じていたからだと思います。

大会の延期や中止、それにコロナ禍に関しては自分のコントロールがおよばない部分ではあるので、あの時に自己責任でできることをひたすらしっかりやろうと努めていました。

――それは、五輪後も生かされていると。

AB:はい。自分の信じている好きなことをシンプルに正しく楽しむこと。これこそが、結果的に社会への貢献につながるというマインドセットになっています。

傷んだ公園のバスケコートを補修し、美術館レベルのアートを施すことで、子ども達と地域に安全で楽しい場を作りたい

――そこで、今回の話、go parkeyについてです。このgo parkeyという活動単位と言いますか、考え方は、五輪以前からあったのでしょうか?

AB:はい。2018年にイメージを持ち、2019年頃には本格的な活動の準備を始めていました。

――ちなみにgo parkey……、これはどう読んだらよいでしょうか?

AB:ゴー・パーキーですね! ぱーきー!

――造語ですよね。どういった意味が込められているのでしょうか?

AB:公園バスケが好き過ぎて、コートに住みついてしまうようなひとびとの総称になります。Pikey(ヨーロッパではジプシーのことを指す。映画『スナッチ』参照)という単語があるのですが、そのバスケコートバージョンですかね。

――具体的には、どのような活動をされるのでしょうか? 公園のバスケコート脇にテントハウスを建てるとか、映画のようにキャンピングカーで違法占拠するとかなど、詳しく聞かせていただけますか?

AB:イリーガルなことはしませんよ(笑)。古びたり傷んだりした公園のバスケコートの床面を補修し、美術館レベルのアートを施して、子ども達と地域のために安全で楽しい場を作るということがミッションです。コートは画家さん(アーティストや芸術家と言ってもいいですが)にデザインをお願いし、地元の子どもや地域住民と一緒に実際のコートにペイントするというプロセスがミソです。

なぜなら、自らペイントしたアートコートの上でバスケをする、そういう実体験からコートと地域への帰属意識をもってもらえたり、クリエイティブなインスピレーションが生まれると思うからです。確信にかぎりなく近い願いでもありますね。

――それは、カテゴリー分けするのが好きな人達には、なんとも説明し難いですね。ボランティアとか、ファンデーションとか、ディストリビューションとか。慈善的な経済活動と嫌味を言われることもありえそうですね。

AB:そんなこともあるかもしれませんね。しかし、実際に完成したアートコートを見ていただければ、そうでないことはすぐにわかるかと思います。わかる人にちゃんと伝わると思っています。

――では、これはどうでしょう。バスケが安全に楽しくできれば、別にプレイグラウンドにアートが描かれてなくたって、いっこうに構わない人達もいますよね。実際、描かれたアートが、プレイするたびにどんどん劣化していくのは想像ができます。それなのに、なぜアートコートなんでしょうか。

AB:はい。バスケには、スポーツとしての競技という側面と、アートとしての要素があると考えています。これは、バスケの特性であるクリエイティビティです。つまりドリブルの技1つをとっても、さまざまな技を組み合わせたり、さらには新しい技が生まれたりします。加えて、シューズやアクセサリーや髪型で自分だけのスタイルを出したりと、創作性の高いスポーツなのです。これらバスケのアート要素を究極に引き出したのがアートコートです。

もちろん、ルールにのっとった、ラインとサークルだけの体育館的コートのソリッドな美しさもあると思います。一方で、今までアートに興味のなかったバスケ選手達も、このアートの側面に気付かされるとともに、新しい可能性やインスピレーションを得ることができると思います。

コートの寿命とともに、そして移り変わる季節とともに、アートコートがその姿を変えていくことも、魅力の1つです。アートコートの上に立ってプレイしてもらい、ぜひ自らもアートの一部となるエネルギーを感じてもらえればと思います。

――ちなみに、インタビュー前に、「まだまだ美化運動やポップアップイベントなどと混同されることがある」とおっしゃっていましたね。

AB:誤解を招きたくはないですが、イベントなどで公園バスケが盛り上がることは、とても良いことだと思っています。一方で、その多くがバスケコートをイベントの手段として利用されていて、目的ではなかったりします。

go parkeyは、その場所、そこのコートそのものに働きかけるというか寄与することが目的です。一過性のものではなく、正しく何かを残して、子ども達がいろいろな可能性を広げていく場所へと再生する目的があります。

――アートコートにこだわり、それによって広がっていく新しいコミュニティやカルチャーのベースライン。それがさらに大きな可能性を生み出す。そういうストーリーは、go parkeyならではのビジョンなのですね。

AB:そうですね。当初はあまり前のめりで宣伝していくつもりはなかったのですが、この活動を始めてアートコートとそれがもたらす前向きな社会へのインパクトはとても大きいと確信しました。だからこそ、このプロジェクトを多くの人に正しく知っていただくこと、伝えながら実績を残していくことの責任の大きさを感じています。

公園バスケのコートでプレイするのに資格がいらないのと同じように、参加するのに規定や資格はない

――実績イコール、リノベーションしたアートコートとして生まれ変わった公園ができることだと思いますが、実際にはそういった場所はありますか。

AB:東京都中央区浜町公園が、国内第1号のアートコートとして、4月末にオープンしました。アートは画家の今井俊介さんに手掛けていただき、中央区民の子ども達と一緒にコートを完成させました。ちなみに、今回のプロジェクトには、前例のない初めての活動にもかかわらず、「スポルディング」が協賛企業になってくれました。協賛企業は、go parkeyにとって欠かせない大事なファクターです。彼らのサポートがペンキとなり、ブラシ、そして私達の活動資金となります。企業の多くが地域や消費者に還元したいという思いをお持ちですが、なかなか直接的なアプローチができていないのが現実のようです。今回、コミュニティにポジティブなインパクトを残す活動の一環として、go parkeyにベットしてくれたことには本当に感謝していますし、もっと多くの企業に関心をもってもらえたらとも思っています。

――今回のプロジェクトにおいて、go parkeyがキュレーションしたアーティストについても教えてください。

AB:画家の今井俊介さんですね。go parkeyのプロジェクトメンバーには、おのおのが得意とする分野でのオピニオンリーダー達がいるのですが、今回はアメリカに住む、go parkeyのプロジェクトメンバーのダンが探し出してきました。彼は、アメリカでProject Backboardという、go parkeyが尊敬しタッグを組むアートコートプロジェクト団体を展開しています。そのダンが、「シュンスケ・イマイのアートワークからはライト・エナジー(正しいエネルギー)が出ている、彼は良い」と言っていたのが印象的です。私も含めてメンバーの誰も、今井さんのことは知らなかったのですが、彼の作品の数々にすぐに魅了されました。あの浜町公園にイメージもピッタリだと。まずはダンから直接アプローチをして、それから日本にいる私とメンバーでオファーをしました。

――アーティストはバスケコミュニティの人ではなくてもいいのですか? もっと言えば、プロジェクトに関わる人にも、どこからやって来たのかとか、規定や資格などは関係ないのですか?

AB:公園バスケのコートでプレイするのに資格がいらないのと同じように、特に規定や資格はありません。基本的には、その公園のプレイグラウンドに合うアートという軸にこだわり、そこから素晴らしいものがイメージできれば良いです。もちろん、アートがコートにマッチしていれば、バスケコミュニティにいるアーティストになる時だってあると思います。

――ふと思ったのですが、アーティストは今回の今井さんのように画家(芸術家)だったり、ストリートの壁からその才能を発揮している、例えばグラフィティアーティストだっています。そういった自分の作品や創作活動にこだわりがあるひとびとは、すべてを自分で描きたい、ペイントしたいと思うことがありそうですね。

AB:それはそうかもしれません。だからこそ、先ほども言ったように、子どもや地域のひとびとの参加が、プロジェクトの大事な部分となります。コートを実際に使用するひとびとがペイントのプロセスに参加するワークショップ型ペイントは外せません。

関わった子ども達がコートへの愛着心や帰属意識を持つこと。これは、コートはあくまでアーティストのものでもなく、もちろんgo parkeyのものでもなく、地域のキッズのものであるというビジョンを明確に表すものです。

公共のバスケコートは子ども達と地域のその未来のための場所

――技術的な部分に触れるのですが、アートとペイント以外で大切なことはありますか? そして、今回のプロジェクトを実際にやってみて大変だったことや、もっと改善できること、さらに楽しくなるヒントなど、手応えを含めて感想を聞かせてください。

AB:雨ですね(笑)。工程でいえば雨の影響が想定以上に強かったので、今後は天気をより意識した作業ができればと思います。これは本当に大変でした。プレイする側のボーラーの時と同じで、晴れているうちにやる! やれるだけやる! これが鉄則なのはバスケもペイントも共通かつ最大公約数でした。

一方で、コートをペイント作業で長期間クローズすることは、利用者への負担になってしまうので、作業スケジュールとの闘いは今後も続くと思います。また、浜町に関しては公園の都合上、大々的なイベントは行いませんでした。しかし、今後はコートが完成した後に、そのコートに魂を吹き込むためにも、キックオフ的な盛り上げ企画などにも、取り組んでいきたいと考えています。

――このようなプロジェクトは、徹底したストーリーがないと妥協の連続になってしまう気がします。ストーリー的にも大切にしていることはありますか?

AB:やはりコートの利用者の子ども達、そして地元民が主役であるということでし。go parkeyもアーティストも、スポンサーも、あくまで彼らのための場所を再生するのだということを勘違いしないようにしなければなりませんね。

――go parkeyは今回、その最初の一歩を踏み出したわけですが、日本でもこのような活動が増えていきそうですね。

AB:そうなることを祈ります!

――このあとの理想的なストーリーはありますか?

AB:まずは、公共の公園への注目が高まってほしいと思っています。誰もが使える公共の公園がイケてないと、単純に生活がつまらないですよね。自治体も予算との戦いもあって、市民のニーズがつかみづらいと思うので、そこをgo parkeyがサポートしていきたいです。そして、公園バスケとアートコートの素晴らしさを知ってほしいですね。公園バスケのコートからたくさんのストーリーが生まれる。バスケをして最高の気分になったり、新しい友達ができたり、カルチャーが生まれたり。知らない人と交流したり、アートにインスピレーションを受けたり、そのダイナミズムが公共の公園の空間で起こるということを広めたいです。

――今後、go parkeyのこのリノベーション・アートコート・プロジェクトがどんどん進んでいって、日本にもプレイグラウンドがさらに増えて、バスケだけでなく公園で出会いや学びや、ときには社会のルールを学んだりすることがあるとします。それは、最初に描いたところから比べると、いわゆる活況状態になりますよね。それでもgo parkeyの中で、変わらないもの、ブレないこととはどんなことでしょうか?

AB:アートと地元のキッズ、地元民へのリスペクトですね。何度も言いますが、あくまでもコートは子ども達と地域のその未来のための場所であり、主催者の私達の自己満足のためのものではないということです。

――アートと場所と子ども達、そして地域のひとびと。それがあればいいわけですね。あえて、他にもこのプロジェクトで必要なものはありますか。

AB:メディアアーカイブですね。go parkeyは集団芸術なところもあると思っていますが、完成したアートコートはもちろんのこと、このプロジェクトに関わる多様なひとびとが1つになり、修復やペイントを進める過程をしっかり記録として残してくことが重要です。活動の記録を多くの人に見て知っていただき、それをそのままインスピレーションにしてもらえたらと思っています。

――今後の実際的な計画はありますか。教えてください。

AB:go parkey元年の今年には、あと2件のプロジェクトを予定しています。来年以降もプロジェクトを全国で展開していく予定です。実際、現在も多くの自治体よりお問い合わせを頂いています。どんなご当地アートコートができるか、今から楽しみです。そして、go parkeyはコートとアート、バスケへの愛でつながっていますので、国境は関係ありません。今後世界のどこでどんなコートとひとびとに出会えるかが楽しみです。

――最後に。このgo parkeyにかける情熱的ストーリーのプロットは、どれほどのものですか。そりゃ、とても熱いのだと思いますが、具体的にどんなものなのか、ご自身の言葉(情熱)で答えてほしいです。

AB:ライフワークという言葉がありますが、go parkeyがまさに自分にとってのそれです。今後自分が生きていくかぎり、ただ粛々と、go parkeyとともにアートコートを生み出していこうと思います。そういう気持ちです。よろしくお願いします!

海老原奨
日本初のリノベーション・アートコート・プロジェクトを推進する、一般社団法人go parkey代表。幼少期よりバスケットボールを公園で遊び続け、気付けばアメリカを中心に、世界中の公園コートでのピックアップゲームやトーナメントに参加するように。2021年には、公園バスケ発祥の五輪新競技「3×3バスケットボール」の開催と運営に競技経験者として貢献。東京五輪後の恒久的なバスケットボール競技および文化普及活動をライフワークに、go parkeyを設立した。ちなみに、parkey(パーキー)とは、プレイグラウンドにいつでもいるpikey(パイキー)のようなボーラーなど、公園バスケを愛するひとびとを表す造語。
https://www.goparkey.com
Instagram:@go_parkey / @ab_tokyo

Photography Kenji Nakata

author:

小澤千一朗

エディター、ライター、ディレクター。2002年に創刊した雑誌『Sb Skateboard Journal』のディレクターを務める。その他、フリーランスとして2018年より『FAT magazine』ディレクターやパンダ本『HELLO PANDA』シリーズの著作など、執筆・制作活動は多岐にわたる。 https://senichiroozawa.com/

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