音楽家・Hatis Noitインタビュー 言葉になる前の声のエネルギーを掴み、「原初の歌」へと昇華する

2017年にロンドンへと移住後、ロンドン・コンテンポラリー・オーケストラとの共演やミラノ・ファッションウィークでのパフォーマンスなど精力的な活動を展開してきた日本人音楽家、Hatis Noit(ハチスノイト)。唯一無二のシンガーであり、エクスペリメンタル/プリミティヴを横断するヴォイスパフォーマーである彼女にとって、新作『Aura』はロンドン移住後初のアルバムとなる。近年のポスト・クラシカルの潮流をリードしてきたレーベル、イレイズド・テープス(Erased Tapes)から発表される本作はHatis Noitの声だけで作り上げられた作品であり、そこにはまるで見知らぬ土地の宗教歌のような声の世界が万華鏡のごとく広がっている。その広大な音楽世界に迫るべく、2022年5月某日、ロンドンに住むHatis Noitとリモート・インタヴューを行った。

原風景にある知床・ウトロ、人間の声への意識を強めてくれたネパール・ルンビニ

音楽家としてのHatis Noitの原点は、6歳までの時を過ごしたという知床のウトロにある。オホーツク海に突き出した半島であり、世界自然遺産に登録される雄大な土地であり、そして遊覧船の事故によって突如日本中の注目を集めることになった知床。彼女にとってその地は自身のパーソナルな記憶と結びついた大切な場所である。

「大人になってからも何度かウトロに帰っているんですけど、帰ると『これ、知ってる』と思い出すことがあるんですよ。肌で感じる空気の冷たさ、森の中のひんやりした感じ、冬の厳しさ。ヴィジュアルだけじゃなくて、体感覚的な記憶として残っているんです。『私ってどこから来たんだっけ』という深い部分にすぐ戻れる場所であり、自分にとってインスピレーションを与えてくれる場所。自分の原点でもありますね」。

成人後に知床に戻った時、Hatis Noitは重要な体験をしている。

「暗い中を歩いていたら、森の中に迷い込んでしまって。どうやって戻れるんだろう? と焦る一方で、何も見えないから余計に音に敏感になったり、土が濡れていてちょっと緩んでる感触を足の裏で感じたりと、身体の感覚の方が鋭くなっていくんです。動物の声が聞こえてきて、人間が住んでいた場所がどんどん遠くに感じて。怖いのと同時にすごく綺麗だなと感動している自分もいて。あの時に自分が身体で感じた情報、言葉にできない感覚を再現したいと思って音楽をやってるところがあるんです」。

もう1つ、彼女にとって重要なインスピレーション源となった体験がある。それは彼女が16歳の時。釈迦の生誕地であるネパールのルンビニを訪れた際、Hatis Noitは尼僧のお経を耳にする。

「そのお経がメロディックで、本当に美しかったんです。声自体は質素なものだし、クワイアを従えているわけでもないんだけど、ものすごく強く聴こえた。それから人間の声を意識するようになりました。もともと歌はすごく好きだったし、バレエとか演劇もやってたんですけど、その時に今の方向性が決まったと思います。シンガーをやるんだったら、こういう音楽をやりたいと」。

自己の身体という唯一の「楽器」を使い描き出される、ポピュラー・ミュージック以前のプリミティヴな「歌」の風景

Hatis Noit Live on Erased Tapes Hatis Noitが2018年にロンドン拠点の音楽プラットフォーム「NTS」のスタジオで行ったライブパフォーマンス

この2つのエピソードが象徴するように、Hatis Noitの音楽とは、ポピュラーミュージックが形成される以前の、プリミティヴな歌の風景を現代のテクノロジーと身体感覚を通じて表現することに重点が置かれている。雅楽や奄美の民謡、インドのラーガを学び、数年に渡ってバレエも習っていたという彼女にとって、歌とは紛れもない身体表現であり、ショウアップされた音楽表現以前の身体性にアプローチするための手段ひとつでもある。

「歌って私の身体の中に楽器が入っているようなものですから、歌う上で『自分の身体を感じること』って大事なことだと思うんですね。歌っていると自然に身体も動くし、すごくインタラクティヴなエネルギーの交差という感覚がある。私自身がどこに立っていて、身体で何を感じていて、それを身体という器官を使ってどう翻訳し、どう表現するのか。言葉になる前にあった感情や感覚みたいなものをキャッチして、言葉にする手前のところで音として表現する。私はそういうことをやりたいんです」。

Hatis Noitの歌には世界各地のさまざまな歌唱法が溶け込んでいる。そこでは各地の宗教歌や民族音楽が参照されているが、人の身体とは民族や生活習慣、風習によって変わるものであり、それに応じて声や言葉、発声も変わる。そうしたなかで日本人としての声・身体を意識することはあったのだろうか。

「私が他の場所に行って表現のアイデアを吸収することはできると思うんですよ。でも、自分の身体を通して翻訳するわけで。私の身体は生きて死ぬまではこの身体でしかあり得ないし、私の身体はやっぱり日本人らしき遺伝情報を持っていると思うんですね。結局そこを通って出てくるので、意識するというよりも自然にそうなってしまう。そこからは出られないと思う。でもそれはネガティヴな限界というよりは素敵な個性だと思うんです」。

特定の地域の文化を流用し、搾取する文化的盗用に対してもHatis Noitは慎重な態度をとっている。文化的盗用に陥ることなく、より根源的な「歌・声」にアプローチするためには? Hatis Noitは別の民族の、別の人間になろうとしているわけではない。

「いくら伝統的なものをなぞろうとしても私は伝統音楽のミュージシャンではないし、それはできない。生涯をコミットする伝統音楽の音楽家をリスペクトしているからこそ、私は自分の音楽を伝統音楽とは呼べないです。だとしたら、私ができるユニークなことって何だろう?ということはいつも考えています。

アウトプットとしては特定の文化のスタイルを通るかもしれないけれど、音楽のインスピレーション源としての感情や感覚は必ず誰もがシェアできる部分だと思っているんですよ。そういう意味で、表層のスタイルや技術的なことだけではなくて、その奥にあるものまで戻ることができれば、文化的盗用を超えて誰もが共感できるような部分に触れられるんじゃないかと。こちらでライヴをした時の反応を見ていても、『あの歌唱法だね、あのスタイルだね』みたいなコメントよりも、『なぜかわからないけど涙が出てくる』『なぜかわからないけど切なくなる』というコメントをもらうことのほうが多いんです。そういう時に自分がやろうとしてることが少しは伝わってるのかなと思えるんです」。

ロンドンに移住して見出した音楽家としてのアイデンティティ

新作アルバム『Aura』収録楽曲「Angelus Novus」のMV。監督を務めるのは、AIを「共作者」として扱い作品制作を行うアーティスト・岸裕真。

ロンドン移住前の2014年にリリースされた前作『Universal Quiet』はヨーロッパへの憧れが見える作品だったが、新作『Aura』は憧れがそぎ落とされ、彼女の声と身体だけが躍動している。そこにはHatis Noit自身の意識の変化があったようだ。

彼女はロンドンへ移住した理由をこう説明する。

「外の世界を見てみたいというか、シーンの中心ってどうなってるんだろう? と思ったんですね。日本でエクスペリメンタルな音楽をやっていると、どうしてもちょっと卑屈になってしまうんですけど(笑)、ヨーロッパに来ると、エクスペリメンタルな音楽シーンでもサポートの熱さが全然違うんですよね。エクスペリメンタルなものをやっているインディーのミュージシャンでも、ものすごくちゃんとリスペクトされている。単純にそこでやってみたいという気持ちがありました」。

だが、憧れの地ロンドンで彼女は「自分はどういう音楽を奏でるべきなんだろう」というスタート地点に立ち返らざるを得なかったという。

「ロンドンという大都市だからということもあると思うんですけど、本当に音楽家のクオリティーが高いし、音楽とは何か、芸術とは何か、みんな人生をかけてやっているんです。そういうものを目の当たりにした時に、自分のことを考えざるを得なかった。西洋の室内音楽も大好きなんですけど、そういうものを追っていても私自身にはなれないなって思ってしまった。日本にいたらオーケストレーションだったりとか、教会音楽的なクワイアをもう少しやっていたかもしれないですけど、こういうことをやっていても自分自身を見失ってしまうと思ったんです。

私は別に音大を出たわけでもないですし、音楽理論が自分の中で確立されているわけでもない。そういう場所に来た時に『私の一番得意なことって何だろう』と思ったんです。その時に浮かび上がってきたのが、すこし抽象的だけど、音楽が確立される前の、人間のエネルギーみたいなものを声も含めて自分の身体を通してパフォーマンスする、表現するということだったんです。こちらに来た時レーベルのプロデューサーのロバートに「『誰みたいになりたいか』じゃなく『あなたは誰なのか』を探しなさい」と言われて。結局やらなきゃいけないことは、『何が私のコアなのか』『何をしたら私でなくなるんだっけ』ということを探し、磨き、純化させていくということだったんですよ」。

音を巡る旅、問いの果てに紡がれた新作『Aura』、そこに込められた祈り

新作『Aura』には移住以降、自問自答し続けてきた成果がはっきりと表れている。タイトル曲である「Aura」にはどこかモンゴルのオルティンドーを思わせる歌唱法が出てくるが、彼女はここでモンゴル人になりすましているわけでもないし、ヨーロッパ人向けに素朴なアジア人を演じているわけでもない。そこにいるのはあくまでもHatis Noitそのものであって、彼女以外の何者でもないのだ。 

レコーディングはベルリンのスタジオで行われ、わずか8時間ですべてのヴォーカルトラックが録音されたという。

「曲はスタジオの中で作っていくというよりは、ある程度のエレメントができたら、あとはライヴでやっていくんです。ライヴって毎回スペースもアンビエンスも違うじゃないですか。無意識のうちにそこから影響を受けて、毎回違うメロディーやアレンジメントが出てくる。その中で少しずつ形が固まっていくんです。それをレコーディングしています」。

今回の作品ではイレイズド・テープスの主宰者であり本作のプロデューサーであるロバート・ラスのアイデアにより、レコーディングした音源を小さな教会に持ち込み、教会の反響音も含めて再録音するという手法が取られた(エンジニアを務めたのはビョークの2017年作『utopia』などを手掛けてきたマルタ・サロニ)。

ここに収められているのは教会という場所・空間と結びついた声であり、音である。そこに充満していたであろう空気すらもレコーディングし、ミックスする。それはネパールのルンビニで尼僧の声にインスピレーションを得たHatis Noitならではの制作プロセスともいえるだろう。

本作には彼女の意識を反映した歌がある。それが福島第一原子力発電所からわずか1キロの海辺でフィールドレコーディングされた波の音が使用されている「Inori」だ。この歌はHatis Noitが帰還困難区域解除時に行なわれた追悼式に招待され、被災地を訪れた際に感じたものが土台となっている。

「『Inori』という曲では原発の事故そのものよりも、彼らが生まれ故郷や地元に対して持っている愛情だったり、パーソナルな記憶、亡くなった人を思う気持ちにフォーカスしました。福島で録った海の音をそのまま使ってるんですけど、そこには今も続いてる工事の音も入っている。とても綺麗な海辺の音にも聞こえるけど、よく聞いてみれば、その後ろで護岸工事の音が入ってるんですね。この歌ではさまざまな記憶を持ってる海について歌いたいと思ったんです。その記憶に対して捧げるようなものを作りたかった」。

「Inori」という歌は、文字通り死者に対する祈りであり、供養でもある。それは歌という行為の原点に触れるものでもあるだろう。歌はこうやって世界と繋がることができるのだ。

Hatis Noitの歌は常に変化し続けている。経験を積むことで技術が向上し、日々の暮らしとともに身体が変わるなかで、彼女の歌も変わっていく。

だが、そこには常に変わらないものが存在している。歌を歌うこと。声や音に耳を澄ませること。何かを思い、感じること。そうした根源的な行為がまとう普遍性とエネルギーを、Hatis Noitという音楽家は掴み取ろうとしている。

Hatis Noit(ハチスノイト)
16歳の時ネパールの仏陀の生誕地へトレッキングに行った際に人の声が持つ原子的な力が人間や自然、宇宙とつながる本能的な楽器であると悟った。ハチスノイトという名前は日本の民間伝承が由来で、蓮の花と茎(蓮の糸)という意味。蓮の花は現世を表しその根は精神世界を表していて、その茎はその2つを繋ぐ存在であるという。チケット完売となった英サウスバンクセンターでのロンドン・コンテンポラリー・オーケストラとの共演、ミラノ・ファッションウィークでのパフォーマンスや、ヨーロッパ各地でのフェスティバル出演、そして敬愛するデヴィッド・リンチ監督に招かれ出演したマンチェスター国際フェスティバルでのライブなど、ヨーロッパを中心に精力的に活動する。近年ではThe Bugとのコラボや、ヨンシー&アレックスへのコーラス参加、ルボニール・メルニクの作品に参加するなど様々なコラボレーション活動も行っている。
Official website:https://www.hatisnoit.com/
Instagram:@hatis_noit
Twitter:@hatis_noit

author:

大石始

世界各地の音楽・地域文化を追いかけるライター。著書・編著書に『奥東京人に会いに行く』(晶文社)、『ニッポンのマツリズム』(アルテスパプリッシング)、『ニッポン大音頭時代』(河出書房新社)、『大韓ロック探訪記』(DU BOOKS)、『GLOCAL BEATS』(音楽出版社)他。最新刊は2020年12月の『盆踊りの戦後史~「ふるさと」の喪失と創造』(筑摩書房)。旅と祭りの編集プロダクション「B.O.N」主宰。 http://bonproduction.net

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