3人のジャパニーズ・ブラジリアン女性が世界に広める「ジャパス」 ブラジルと日本のハイブリッド酒が起こす革命 

ブラジル、サンパウロを拠点にするブリュワリーメーカー「ジャパス(Japas)」は、3人のジャパニーズ・ブラジリアンにより設立された。生まれ育ったリベイラン・プレートにあるクラフトビール醸造所の醸造者だった上野フェルナンダ、国内初の契約醸造所の1つを共同設立していた木村マイラ、クラフトビール醸造所のラベルとビール雑誌のデザイナーだった島田ユミは、日系であることとビール好きをきっかけに繋がり、アメリカン・ペールエールをベースに日本食材を使ったビール作りを始めた。

後に主力商品となるわさび味のビールが完成するとさっそくサンパウロのブリューパブからオファーがありブラジル国内で販売を開始。現在は欧米のバーやレストラン、リカーストアでも取り扱っている。

設立から8年目を迎える今年、フェルナンダは創業当時を振り返り「男性ばかりのビール業界で女性だけのブリュワーとして、市場開拓することは大きな挑戦だった」と語る。次の挑戦は日本での販売とタップバーをオープンすることだ。

「ジャパス」の魅力は、日本の伝統を再現したり、回帰したりするのではなく、ジャパニーズ・ブラジリアンだからこそ知り得た経験と感性で日本とブラジルの個性を生かして再構築していること。アメリカ西海岸発祥のアメリカン・ペールエールをベースにわさびのさわやかな風味を加えた「わさビール」、ニューイングランドIPAをベースにバニラと抹茶を加えた「シュークリーム」等、日本の食材を使った遊び心のある多彩なフレーバーや香りのビールを販売している。「ジャパス」設立の背景やブランドに込めた思いを聞いた。

クリエイティブなプロセスの中に他の日系グループのもつ感性や視点を組み込み創造性を高める

−−まずはブランド名について聞きたいのですが、どのような意味があるのでしょうか? 「ジャパス」のサイトにはジャパニーズ・ブラジリアンとして「ジャパ(Japa)」または「ジャパス」という言葉を使うことで自分たちの存在に誇りを持っているというステートメントがあります。

木村マイラ(以下、マイラ):「ジャパス」は悪意のある言葉ではありませんが、ブラジルでは中国や台湾も含めてアジア人を一般的に「ジャパ」と呼ぶ傾向があるため、蔑称と思われてしまう場合があります。多くの高齢者はこの言葉で自分達が呼ばれることをよく思っていません。第2次世界大戦後に家族が日本からブラジルに移住し、差別を受けた経験のある世代からは、ブランド名に関して苦情が寄せられました。でも、私達は「ジャパス」というブランドを通じて、ジャパニーズ・ブラジリアンの尊厳を多くの人に伝えたいと思っています。今は、私達のように自身のバックグラウンドに誇りを持つことが大切と考えているアジア人系のグループもあります。

島田ユミ(以下、ユミ):アメリカでは受け入れられにくい名前かもしれませんが、これについてブラジルでは大きな議論があり、「ジャパス」の言葉の持つ意味を変えられると信じていました。 ブラジルでは、人の名前を短くする習慣があって、例えばジュリアは「ジュ」で、ジャパニーズは「ジャパ」です。ブラジルの習慣に誇りを持つことで言葉に違う意味を与え、「Japas」を日本の文化遺産を思い出させるような明るい存在にしたいです。

−−パッケージデザインが象徴的ですが、どのように作られたんでしょうか?

上野フェルナンダ(以下、フェルナンダ):まずはコンセプトを決めて、次にフルーツとビールのスタイルを選びます。打ち合わせの時点で、グラフィックデザイナーのユミがラベルデザインを作っていきます。パッケージデザインは、創造的なプロセスであり重要な要素です。それぞれのビールには生産する理由やストーリーがあり、目的を持たずに“なんとなく作る”ことはしません。

ユミ:それぞれのビールには異なる歴史があります。じっくりと話し合いながら、何を作るか考えていきます。家族の歴史や思い出等、特別な機会に影響を受ける時もあれば、“カワイイ(Kawaii)”がコンセプトの時もあって、どれも大切な意味を持っています。フレーバーは他にはないフルーツや珍しい食材を使っています。私達の発想の源が、ジャパニーズ・ブラジリアンの文化だけでなく、現代の日本文化も取り入れていることを多くの人に理解してもらいたい。ブラジルには日本製品もたくさんありますが、伝統的なものがほとんどなので、モダンなヴィジュアルデザインの製品も知ってもらいたいですね。

−−翻訳家のアナ・リジア・ポゼッチが運営するKomorebi翻訳との新しいプロジェクトを開催していますが、ジャパニーズ・ブラジリアンのクリエイティヴ・コミュニティやムーブメントがあるのでしょうか?

マイラ:ポゼッチから日本人女性の歴史を紹介するプロジェクトをすると連絡をもらい、「ジャパス」のコンセプトと一致していたのでイラストを提供しました。ジャパニーズ・ブラジリアンのコミュニティは広く繋がっていますが、現時点で特定のムーブメントがあるとは言えません。2018年にサンパウロの大きな美術館で「Kurafuto」というフェアを開催し、日系のクリエイティブ・コミュニティを集めて多種多様な工芸品、衣服、陶器等を紹介しました。

フェルナンダ:「Kurafuto」は日本の影響力を伝えるフェアで、今年は日本人移民の日に合わせて6月末に開催されます。参加者の募集は常にしていますので、多くの人に参加してもらいたいですね。

ユミ:「ジャパス」は他の醸造所と協業したり、外部と積極的に関わっていくことでクリエイティヴなプロセスの中に他の日系グループの持つ感性や視点も反映しています。「ジャパス」にはそれぞれの個人的な体験、歴史を多く反映している。それは揺るぎない自分たちの存在の証明でもある。

−−Facebookではそれぞれの家族史について綴られています。最初にその話を聞いた時のことを教えてください。

フェルナンダ:「ジャパス」を始めた時、一番重要だったのは家族史を掘り下げることでした。私の祖父がいつ、誰と、どのようにブラジルに来たのか知りませんでした。私の家族といとこも一緒に歴史をたどっていったのですが、その過程で家族全員が家族史に興味を持ち始めました。関連の資料はすべてスキャンされたものがオンラインで見つかり、そこには他の家族と一緒に祖父の名前や船名や日付があり、発見した時は感動しました。家族との距離が縮まって、自分達のルーツを誇らしく思うようになりました。自分達の家族の歴史を祝う存在でもある「ジャパス」を作れることは幸せであり、誇りです。

マイラ:祖母は、私が小さい時に面倒をよく見てくれたので、たくさんのことを教えてもらいました。祖母はブラジルで生まれ育ちましたが、とても日本人らしい人で、ほぼ日本語で生活し、後からポルトガル語を学んだんです。幼かった私にいつも日本語で話しかけていたので日本語は少し話せます。祖母に家族史についてインタヴューした時のテープがどこかに残っているはずなんですが、まだ見つかっていません。日本語の授業は4年間受けましたが、会話は難しいですね。

小さい時から日本の習慣を大切にする家庭で育ったんですが、最初に家族史の書類を見た時、楽な暮らしではなかったことを知って涙が出ました。1923年の関東大震災で東京にあった曽祖父母の家は全焼したことでブラジルにわたったんですが、祖母が曽祖母のおなかの中にいる時でした。より良い生活を求めてブラジルにやって来ましたが、農耕地での労働は楽ではありません。家族史を掘り下げる過程で多くの学びがあり、日系の文脈をより深く理解できるようになりました。「ジャパス」にはそれぞれの個人的な体験や歴史を反映していて、私達の存在が揺るぎないことの証明でもあります。

ユミ:私は郊外にある日系人のいないエリアで日本文化にあまり触れずに育ちました。祖父は私が6歳の時に亡くなったんですが、何も知りませんでした。でも、20歳くらいの時に「ジャパス」のおかげで、アジアの文化遺産を意識し始めたんです。自分が何者であるかを探求し始めてからは、大きな変化がありました。日本へ旅行をした時に、多様な文化遺産を持つ人達に会えたことで嬉しい発見もあって。「ジャパス」を通して日本の文化を探求したことで得た知識や経験は自分にとってかけがえのないものです。

ブラジルの文化を軸に日本の系譜も大切にする、ジャパニーズ・ブラジリアンである事実に忠実なものづくり

−−ジャパニーズ・ブラジリアンとして守ってきた伝統や習慣はありますか?

フェルナンダ:4歳の時に祖父が亡くなった後、何人かの親戚はブラジルから日本に引っ越しましたし、いとこも日本に住んでいたり、私の家族はあまり伝統を重んじる方ではありません。日本とブラジルの食材を混ぜ合わせた料理が家庭料理の定番ですが、私の家では日本食が習慣でした。

ユミ:私は日本文化に触れながら育ってこなかったので今、日本の習慣を生活に取り入れているんです。例えば、おにぎりの具にブラジルのバーベキューやシュラスコを使ってみたり、日本のお米とブラジルの豆を一緒に食べるのも大好き。ブラジルの主食は豆で、とても栄養価が高いですし、どんな食材とも相性がいいんです。日々の食事が日本と繋がる重要な役割になっています。

マイラ:私の家族にとっても日本食は大きな意味をもっています。子どもの頃に私の家族は、伝統的なブラジルの血統ではないと理解していたし、他の家庭とは違う食事をしていることを知っていました。父はカレーをよく作り、釣ってきた魚で刺身や寿司を食べさせてくれました。小さい頃は生魚が苦手でしたが今は大好き。祖母からは日本と家族のこと、父には日本についてを学びました。

−−アイデンティティは必ずしも自分が生まれた国や人種と関わりがあるわけではないという考え方もあります。多様性に満ちた社会に住んでいらっしゃいますが、自身のアイデンティティをどう定義されますか?

マイラ:私達がジャパニーズ・ブラジリアンと自称するのは、自分が日本人ではないとわかっているから。日本の文化と国を知るために3人で何度か日本に行きました。でも、ジャパニーズ・ブラジリアンとして、日本以外の国の文化の影響も受けているのも事実で、ポルトガルもその1つ。当然、私達はブラジルの文化に影響を受けていますが日系である事実を誇りにしているので、日本も大切な存在なんです。

ユミ:でも、日本の文化遺産の価値基準や感覚の違いについては、ジャパニーズ・ブラジリアンの上の世代と私達三世で考え方は違います。私達はキスをし合うし、ハグもする(笑)。日本で同じことをすると驚かれますよね。

フェルナンダ:日本に行った時は、それまで聞いていた日本の文化や習慣を体験できて感動しました。私達が日本らしさを持っていることを実感しながら、同時にジャパニーズ・ブラジリアンであることをより強く感じました。日本人らしさとは、特に考え方や人生観、コミュニケーションのあり方。ブラジルではなんでもオープンに話しますが、私は沈黙が苦手ではないんです。

ブラジルは多人種多民族国家なので、「ブラジル人」の顔は1つではありません。海外を旅していると、私は日本人で夫はポルトガル人と思われることが多いんですが、私達は2人ともブラジル人です。「ジャパス」のラベルに、島田、木村、上野という日本の苗字をつけているのは、私達の系譜である「ジャパス」を強調したいからなんですよ。

※「日系」「ニッケイ」「nikkei」の定義は、永住を目的として海外に渡った日本人移住者、およびその子孫を指す。また、血統によらず、日系のコミュニティーに関わっている人、自身を日系だと考える人も含めている。

ジャパス・セルヴェジャリア(Japas Cervejaria)
木村マイラ、島田ユミ、上野フェルナンダ、3人のブラジル人「三世」(新しい居住国で生まれた日本人3世)が設立したブルワー。2014年に最初に発売したわさびを使ったAPAの「Wasabiru」以降、日本にインスピレーションを得たストーリーと食材で醸造された数々のビールを発表。加えて、ビール業界における女性の役割の認知度を高め、道を切り開いた。ブラジルの盛んなクラフトビールシーンでも知名度があり、欧米でも販路を拡大している。en.Japascervejaria.com/

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NAO

スタイリスト、ライター、コーディネーター。スタイリスト・アシスタントを経て、独立。雑誌、広告、ミュージックビデオなどのスタイリング、コスチュームデザインを手掛ける。2006年にニューヨークに拠点を移し、翌年より米カルチャー誌FutureClawのコントリビューティング・エディター。2015年より企業のコーディネーター、リサーチャーとして東京とニューヨークを行き来しながら活動中。東京のクリエイティブ・エージェンシーS14所属。ライフワークは、縄文、江戸時代の研究。

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