連載「クリエイターのマスターピース・コレクション」Vol.6 写真家・大森克己の“バックパック”

ミュージシャンやロックバンド、俳優や落語家、そして町はずれを歩く市井の人々まで、さまざまな“生”の瞬間を写真に残してきた大森克己。近年ではスマートフォンで撮った日常の写真やエッセイの連載など、表現方法を軽やかに変化させながら目の前の風景を記録し続けている。今回はそんな日々を共にしてきたバックパックについて聞きながら、撮ること、書くこと、歩くことなどについて語ってもらった。

何かおもしろいものがあったらすぐ撮りたいから、手ぶらがいい

--大森さんの愛用品について教えてください。

大森克己(以下、大森):浦安・舞浜のセレクトショップで偶然見かけて買った、「マスターピース」というブランドのバックパック。これはもう10年近く使っていますね。特にブランドやアイテムにこだわりがあるわけじゃないけど、こういう背負える系のバッグじゃないと、両手があかないじゃないですか。歩いててパッとおもしろいものがあった時に、すぐに写真が撮れるほうがいい。肩からかけるカメラバッグだと動きづらい時もあるから、機能的にも使いやすいんです。

--いくつも使い分けるというより、同じものを使い続けることが多いですか?

大森:そうですね。真夏は背中に汗をかくからあまり使わないけど、それ以外はずっと同じものを使っています。バックパックによっては重心が下にいきすぎるものもあるけど、これは生地がしっかりしてて背負ってもそこまで落ちてこない。横のポケットも大きいし、中に仕切りがないから荷物を入れやすいし、三脚と一緒に出張にも持っていきますよ。基本的にはこれを背負って、車で行くような撮影の時はカメラバッグ、長めの出張のときはボストンバッグなどを足す感じですね。

--普段はどんなものを持ち歩いていますか?

大森:いつも入れてるのは「キヤノン」のカメラを1台と、プールと銭湯に行くための一式、あとは展覧会の招待状とか請求書とか(笑)。それから今読んでる本(フェルナンド・ペソアの『新編 不穏の書、断章』、カルロ・レーヴィの『キリストはエボリで止まった』、鈴木涼美の『娼婦の本棚』)も持ち歩いています。『キリストはエボリで止まった』は、第2次世界大戦の時に反ファシズムの政治犯として南イタリアの僻村に流刑になった医者であり、画家である作者の小説で、おもしろいですよ。コロナ禍になってからの状況とどこか共通するものがあるなと思って、こういう作品や収容所をテーマにした本とかを最近は読んでいますね。

--身に着けるものを選ぶ時に、大事にすることはありますか?

大森:基本的には機能性がいちばん。おしゃれとか見栄えとかもあるけど、こういうバッグはやっぱり道具だから、使いやすいかどうかですよね。洋服ってなると、仕事柄いろいろな人に会うから、例えばホテルのロビーとかに行ってもギリギリ大丈夫な感じっていうラインはあります。それも1つの機能性ですよね。

歩いているから見えてくるもの、歩きながら思い出すこと

--「バックパッカー」という言葉があるように、バックパックは旅の象徴でもありますよね。そして「歩く」「移動する」というイメージが同時に浮かんできます。大森さんは普段から歩くことが多いですか?

大森:歩くのが基本ですね。コロナで散歩することが増えたけど、その前からたくさん歩いていました。15年くらい前に一時期ずっと車で移動していた時があって、そうするとやっぱり写真を撮らなくなるんですね。密室だから好きな音楽を聴いたりして気持ちいいんだけど、目的地以外に行かなくなるし、人と世の中の感じが見えなくなってダメだなと思いました。もちろん車も電車も必要に応じて使うけど、歩いているほうが絶対にいろんなものがよく見えるから。

--歩くことや移動することが、作品につながることもありますか。

大森:まあ、大体がそうですね。何気なく歩いている時に何かを思い出したり、普段見えていなかったものが見えてきたりする。ずっと机に向かって座ってるとしんどいでしょ。スタジオにこもってもの作りをしたり写真を撮るっていうタイプじゃないから、何かしらいつも動いてるんじゃないかなと思います。

--2007年に発表された『Cherryblossoms』では、日本全国の桜を撮られていましたよね。

大森:あの時もたくさん歩いてましたね。当時はこれじゃなかったけど、やっぱりバックパックを背負っていました。

--コロナ禍で移動の意味も変化してきましたが、どんなことを感じていますか?

大森:やっぱりずっと家にいるっていうのは嫌だよね。そもそも「家」とか「自分の部屋」とかにあまり執着がないんですよ。外観とか内装とかこんな場所に住みたいとかもなくて、友達んちとか、居候っぽい感じとか、そういうのがいい(笑)。だからこそコロナ禍になって、もう少し家について考えたほうがいいかなと思うようにもなりました。あとは、さっき言ったように散歩する時間が増えたとかね。

--歩く時は、音楽を聴いたりしますか?

大森:音楽自体はすごく好きなんですけど、イヤフォンを通して聴くのが好きじゃないんです。周りの音も聞こえなくなるし、たまに夜中に爆音で聴きたくなるとき以外は、歩く時に何か聴くっていうのはないですね。散歩しながら、気になったものはいろいろとiPhoneで撮ってますよ。初めて歩く道もドキドキするけれど、毎日歩いている道だと、小さな変化にも気がつく。そういうのが楽しいですね。

写真には写りにくいこと、写らないことを文章にしていく

--最近は、どんな作品を作っていますか?

大森:今は文章をまとめて単行本を作っているところです。2012年から『小説すばる』で月に1回、足かけ6年連載をしていて、テーマを決めずに短い文章を書いていたんですよ。それで書くことが習慣になってリズムができてきて、連載が終わったあとも『dancyuWEB』で1年くらい書かせてもらって。合計すると8年分くらいあるので、それともっと昔書いたものや別の媒体で書いたものなんかを合わせて、1冊の本にします。

写真を軸にした生活の中で紡いだ詩やエッセイ、日記が中心で、500ページくらいの分厚い本になる予定です。写真家の著作ですが一切写真は収録せず、文章だけの本。写真に写りにくいこと、写らないことを文章にしているんだと思います。

--昔から文章を書くのは好きでしたか?

大森:いや、子どもの頃は読書感想文とか作文とか、手紙も好きじゃなかったですね。今みたいにパソコンがなかったら書いていないんじゃないかな。昔と比べると、メールとかLINEとかTwitterが出てきて、文体にも影響を与えているだろうし、人とのやりとりがすごく早い時代ですよね。例えば映画の感想、戦争が起こった時に感じること、ニュースやネットや新聞への意見とかも、すぐに言葉にしなくていいじゃんって僕は思う。今は世界中で実況中継が乱立してるような状態だけど、何かを受け止めたり、言葉にすることの速さだけを競ってもしょうがないでしょう。

--写真を撮ることと、文章を書くことは影響しあいますか?

大森:写真があるから書かなくていいっていうこともあるけれど、写真には写らないから書く、っていうことなんじゃないかな。

大森克己
1963年生まれ、兵庫県神戸市出身の写真家。フランスのロックバンド「マノ・ネグラ(Mano Negra)」の中南米ツアーに同行した写真や旅先の風景などをまとめた作品『GOOD TRIPS, BAD TRIPS』が評価され、1994年に第9回写真新世紀優秀賞(ロバート・フランク、飯沢耕太郎選)受賞。その後、現在にいたるまで雑誌や広告、国内外のアーティストのポートレートやライブ写真など、さまざまな場で撮影を行う。2020年には写真集『心眼 柳家権太楼』を刊行。近年は写真作品と並行してエッセイも執筆、この夏に初のエッセイ集の発売を予定している。

Photography Shin Hamada
Text Mayu Sakazaki
Edit Kei Kimura(Mo-Green)

author:

mo-green

編集力・デザイン思考をベースに、さまざまなメディアのクリエイティブディレクションを通じて「世界中の伝えたいを伝える」クリエイティブカンパニー。 mo-green Instagram

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