己の道をゆく不動のトラックメイカー、O.N.Oの今を探る

今年で結成25周年を迎えたラップグループ、THA BLUE HERB(ザ ブルーハーブ)のトラックメイカーであり、ソロ活動でも独自の世界観を築きあげながら、勢力的に活動を繰り広げてきたO.N.O。札幌を拠点にその活動は止むことなく、近年では、YOU THE ROCK☆のアルバム『WILL NEVER DIE』で全トラックを担当し、今年2月には8年ぶりのソロアルバム『Duskrom』のリリース、さらにはベーシストである秋本“HEAVY”武士とのスペシャルユニットを通じて、新たなサウンドを聴かせてくれている。

今回、取材を行うきっかけとなったのは、東京・渋谷「clubasia」で制作した1本のカセットテープだった。そこには、昨年開催された「TIGHT」(DJ QUIETSTORMDJ YASが中心となって開催されているパーティ)で行われたO.N.OのDJプレイが収録されていたのだが、1時間まるまるO.N.Oがこれまでに制作してきたトラックで成立させたDJセットだった。
その内容に度肝を抜かれた私は、縦横無尽にオリジナルなサウンドを放つ日本屈指のビートメイカーの魅力を知りたいとインタビューをオファー。ちょうどレコーディングで東京に来ていたO.N.Oをキャッチすることができた。

今回のインタビューを通して、O.N.Oという1人のトラックメイカーの今を感じてほしい。

O.N.O
1972年生まれ、北海道出身。音楽プロデューサー、DJ。熱狂的なファンを持つヒップホップグループ、THA BRUE HERBのトラックメイカーであり、ソロプロジェクトでも活動中。トラック/ビートメイカーとして日本の音楽シーンの中枢を担う存在であり、常に革新的なアイデアでそこから質感のある独自なビートを編み出し、THA BLUE HERB、ソロとこれまでに通算12枚のアルバムをリリース。ジャンルにとらわれず、さまざまな音楽を経て現在に至る。近年は、YOU THE ROCK☆のアルバム『WILL NEVER DIE』の全曲トラックを担当。また2022年2月には8年ぶりのソロアルバム『Duskrom』をリリースした。
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「違うことにおもしろみを感じる」ことから生まれる独自の音

——ソロプロジェクトで音を制作し始めたのはいつからですか?

O.N.O:フジロックにソロ名義で出たくらいの時だから2003年くらい。ソロライヴを始めたきっかけは、THA BLUE HERBのライヴに同行した時に、REBEL FAMILIA(レベル・ファミリア)がライヴをしていて、GOTH-TRADがサンプラーだけでプレイしているのを観て「ありなんだな」と。自分なら「MPCでライヴをやってもいいんじゃないの!?」と思ったんだよね。最初はAKAI MPC4000をメインにセットを組んでた、その頃は、クラブイベントで機材を使ったライヴをするアーティストはまだ多くなかった。

——昨年末に「clubasia」で開催された「TIGHT」でDJプレイされた曲は、すべてご自身で制作した曲だとお聞きしました。

O.N.O:1時間以内に曲を1曲作るっていう日課で作った曲をかけましたね。

——音の幅が広いのに、最初から最後までほぼ100BPMをキープしていました。

O.N.O:そうなんです。BPM100でブレイクビーツ的なことと、テクノ的な要素を混ぜている人はいない。さらにそこでドープな方向へ持っていく人もいないんですよ。

——どのような環境や経験からO.N.Oさんのオリジナルのサウンドは生まれてきたんでしょうか? ちなみに出身はどちらですか?

O.N.O:生まれは(北海道)登別市です。温泉街なんですけど、限られた人数が住んでいるような小さな街で、そこで育ちました。高校の時はちょうどバンドブームだったんですけど、バンドをやることもなく。言っときますけど俺、楽器は一切弾けないんです。メロディを作ってキーボードで音を入れてはいますけど、楽器は弾けないです。そもそも楽器の持ち方がわからない(笑)。

ただ、友達がバンドをやっていたので、社交場に行くノリでライヴハウスに行ってはいましたけど、熱心に何かを聴いて育ったとかもないし、言ってしまえば今も音楽をほとんど聴かない。基本、クラブでしか音楽を聴かないんです。だから昔から家で音楽を聴くこともないし、移動中に聴くこともないし、スタジオで作っている曲以外は聴くことはないし……DJしている時とフロアで踊っている時が一番聴いている感じなのかな。

——最初に好きになった音楽はなんだったんですか?

O.N.O:初めて音楽にハマったのは1990sヒップホップ。だから最初に熱心に聴いたり、買い始めたりしたのはその時代のヒップホップなんだけど、ヒップホップを聴いているからネタとなった音楽を知らないといけないとか、そういった当時の風潮が嫌で。俺はそういうのを関係なく自分なりにネタを掘って、好きなところだけ取ってって感じでした。

——ネタを掘るために、ソウルやファンクを聴くのが嫌だったのですか?

O.N.O:その辺りはあまり得意じゃないジャンルでした。今はサンプリング主体で作ることは少ないけど、当時から俺はトラック作りに関しては造形に近いというか、コラージュしている感覚です。狙った通りに作っているから、偶然生まれるものではないんですよ。逆にBOSSは幅広く音楽を聴くのでそのふたりが合わさってTHA BLUE HERBができ上がってきたんだと思う。

——なるほど!

O.N.O:で、2000年代に入ってからは、ヒップホップのイベントには行かなくなって、テクノのパーティばかり遊びに行くようになっていった感じですね。

——その時期にアジアを旅されていませんでしたか?

O.N.O:THA BLUE HERBがフジロックに初めて出た時(2000年)は、アジアを8ヵ月くらい旅していました。俺の旅の縛りは、ローカルの乗り物しか乗らないこと。ツーリストの人達が乗る物じゃなくて、現地の人達が使う乗り物で体が半分浮いているような状態で3時間移動とかをしてました(笑)。自分は基本、町見なんですよ。だからレイヴとか山とかに行かないタイプ。「この街角どうなってるの?」みたいな。ちょっと常識と違うことにおもしろみを感じるんです。

YOU THE ROCK☆とタッグを組んだ『WILL NEVER DIE』

——続いて、昨年リリースされたYOU THE ROCK☆さんのアルバム『WILL NEVER DIE』は、どういった流れで一緒に制作をすることになったんですか?

O.N.O:BOSSがYOU(=YOU THE ROCK☆)と飲みに行っていて「うち(=THA BLUE HERB RECORDINGS)から出さないか」って話になって、そこから速攻作ってって感じでした。

——トラックを先に制作しましたか?

O.N.O:もうね、制作スタイルが違い過ぎた。だからビートが先っていうか、俺は普段から全部受注なんで、作り置きとかは一切ないから、とりあえず5曲くらい作って原曲を送ったんだけど、返事が来なくて。というかYOUのこれまでの作り方とは違ったみたいで、そこからイントロはこんな感じで、Bメロに入ってサビに向かって作っていきます、みたいに地図を書いて渡して、あとは「こういう曲がいい」っていうのがあれば教えてほしいと伝えました。基本的にヒップホップってワンループだけど、俺の場合は1曲としてインストで完成している。だから、YOUもどう対応していいのか最初はとまどったみたい。

坂巻(「clubasia」スタッフ):O.N.Oさんじゃなければできていなかったんじゃないかなと思いますけど、珍しくリリックを詰め込みましたよね。YOUさんは、毎回スタジオに入ったあとにO.N.Oさんと飲みに行くのが楽しみだったって。

O.N.O:(笑)。最初のほうはリリックを3冊くらい書いてきたのに、2曲くらい録ったらなくなっていたし、この曲はこういう展開になっているからって、聴かせている間にリリックを書き出したりして、それを見て俺は「今、書くの!?」みたいな感じだったんだけど、それがだんだんハマってきて。それまで俺はその場でリリックを書くスタイルを否定してきたのに、YOUにやらせるとかなりおもしろくて。で、その日の制作が終わったら飲みに行って、そこで次はこういうテーマがいいんじゃないかって話をして、次の日にまたスタジオに入ってって感じでしたね。

YOUのおもしろいところは、ヘッズが歌いたくなるフレーズを作ることなんですよ。熱い、いいフレーズが多い。やっぱりYOUに「やってやるぜ! 兄弟」とか、言ってもらいたいし、言われたいじゃん。俺はそういう曲にしたいっていうか、そういう言葉を聞きたいから、こういうトラックを作っているって感じでしたね。

YOU THE ROCK☆「ON FIRE MORE LOUD ACTION」

——YOUさんに向けてトラックを作るとなると、どのようになっていきましたか? 

O.N.O:YOUってこれまでにもドープな曲は結構いっぱいあるんですよ。だから半分以上はドープなトラックでワンループ的な感じにして、そこにYOUがワンコードでダークな感じで歌うのがいいなと思って。あとは超ド派手なやつだよね。それもTHA BLUE HERBではやらないやつ。自分はクラブサウンド以外もいろいろトラックを作っているから、そういうのも出してYOUのを作れたらおもしろいなって思っていました。そしたら出す曲がすべてハマって、「全部応えてくれてる、さすがだな!」みたいな。しかも思わずヒップホッパーがニヤっとしてしまうようなものを出してくる。

——YOUさんとのアルバムは、O.N.Oさんから見てどのような仕上がりになったと思いますか?

O.N.O:アルバムとしては非常にレベルが高くて、超ヒップホップなアルバムなのではないかなと思います。YOUはアルバムの中で反省を繰り返すんだけど、よく曲を聴いていくと反省していないじゃんという部分もあって、そういうのもおもしろくて。それとYOUは、共感を得る兄貴感がすごくあると思うんですけど、そこを俺は引き出すことができてすごく満足しています。自分が作ったアルバムの中でも一番よく聴いてるし、車の中でもみんなで何度も聴いて、コール&レスポンスしたり。車の中でYOUが「もうすぐ船が出る」って言ったら、俺達が「船が出るぞーっ!」とかね(笑)。青春感もあって、すごく楽しく作れたと思います。

秋本“HEAVY”武士のベース音を取り入れた新しい試み

——この数年で、秋本“HEAVY”武士さんと一緒にライヴをされていますね。今回、東京に来られたのもレコーディングのためとのことですが、2人でやるようになったきっかけはなんだったんですか?

O.N.O:15年くらい前に俺がソロライヴで沖縄へ行った時に、その場でセッションをしたらどうだって、KURANAKA a.k.a 1945が言い出して。その時に秋本くんが沖縄に住んでいたので、「秋本くんがいるからやろう!」っていうのが最初です。それから一度、札幌に来てもらって一緒にやってみたんだけど、その時はあまり形にできなくて、やっと今できてきてるかな。できるようになったのも、俺がようやく曲作りの幅が広がって経験値も上がってきて、ようやく他の人とできるようになったから。秋本くんは、昔から変わらずずっと練習している人だから。

——秋本さんとのセッションはいかがですか? 

O.N.O:俺、基本的に先輩っていう存在が苦手で、うまく交流ができない人なんだけど、秋本くんは唯一、親しくできる先輩なんですよ。で、自分よりもベースミュージックやダブが好きな人達はいると思うけど、俺はそこではないところでやっているというか。どういう思考でいって、どういう音を鳴らすのか……それを今やっている途中なんだけど、やっぱりおもしろいよね。俺はこれまでバンド的なことを一切やったことがないから、これも新たな青春というか。

——やはりバンド感覚になりますか?

O.N.O:バンド感覚になる。基本的には全部自分でできるから、そこにあえてベースの部分に秋本くんを入れることの意味を考えて作ると、さらにおもしろくなってくる。曲はベースからまず作るものだから、俺的にはそれを飛ばして作ることに新鮮さを感じていて。

——秋本さんのベースラインはもとからあるものなんですか?

O.N.O:最初はあったんですよ。コード展開がこうだからこういう感じでベースを入れてと、仮当てのベースを入れて曲を渡していたんだけど、途中から仮当てのベースは一切聴いていないなと思って(笑)。だからこれはもう任せたほうがおもしろいなと。

——2人のユニットの名前はあるんですか?

O.N.O:候補はいくつかある感じなんだけど、まだ名前がない。今いろいろ考えてはいます。俺、曲名とかアルバムタイトルとかって記号だと思っていて、ただ検索しやすいように造語にしているだけだから、その路線でいきたいんだけど、だいぶ使い果たしてしまっているんですよ(笑)。

1日1曲トラックメイキング

——1日1曲トラック制作することはいつからやられていたんでしょうか? できあがった曲を名義を変えてリリースされていたそうですね。

O.N.O:コロナ禍前からやっていたんだけど、1日1曲でなくても、時間が空いていれば何時間かでアルバムを1枚作っちゃおうとか。シンプルに作ったのとかもいっぱいあるんだけど、リリースを決めないとそのままになってしまうから、O.N.O名義でなくて違う名前にしてリリースしたりしています。この2年くらいで600曲くらい作ったかな。曲を作ったらマスタリングまで自分でやって、ジャケットも自分で作って、リリースも自分でしてって。リリースできる先は世界中にいっぱいあるから、それぞれに音源を上げてそのままほったらかしにしてる感じです。

——ジャンルはバラバラなんですか?

O.N.O:バラバラです。基本クラブミュージックだけどダブ、ハウス、テクノ、アンビエント、ブレイクビーツ、エレクトロニカとポップなものからド派手なものまでなんでもです。名義が多くて自分でも把握していないですね。

——昨年「TIGHT」でプレイした内容がミックステープになっていたので、改めて聴きましたが、すべてご自身のトラックだと聞いて驚きました。600曲くらい制作した中でも特別な曲を選んだ感じですか?

O.N.O:600曲作ったやつはDJ用にしか考えていないから、あまり詰めてなくて展開とかもシンプルなものが多いんだけど、「TIGHT」でプレイした曲に関してはドラムブレイクから超こだわって作っているものばかりですね。で、あの日はYOUのライヴもあったから、ブレイクビーツ色が強くなったのは確か。しばらくDJから離れてライヴばかりしていたんだけど、またDJしたくなってテクノ中心のプレイをしてたんだけど、それをやっているうちに自然にブレイクビーツになっていって。でもブレイクビーツをかけたいけど作っている人がいないから、じゃあ自分で作ってしまおうって。

O.N.Oのミックステープ『TRILOGY O.N.O / THA BLUE HERB : DJ MIX BY O.N.O “TIGHT” clubasia 2021.6.28 Rec.』
(非売品)

——O.N.Oさんが作るテクノとブレイクビーツは気になります。

O.N.O:ソロ名義の2ndと3rdアルバムは、テクノとブレイクビーツを合わせたようなものをずっとやっていて、MachineLive(O.N.Oのライヴセット)もBPM110っていう縛りでずっとやっていたんだけど、そこに縛られずにやっていたらブレイクビーツになっていったというか。だから今年作ったアルバム『Duskrom』は1stに近いし、最近はライヴもブレイクビーツのセットでやっている。前は踊らせるってことを中心に考えた構成だったけど、今は自分の好きなものだけやろうと思っていて、超ドープでいいやって思っています。テクノはonomono名義でアルバムを2枚出してます。

O.N.Oのビートメイキング

過去から未来まで、THA BLUE HERBとともに生きる

——では、THA BLUE HERBは今年で結成25周年を迎えましたが、どう進化されたと思いますか?

O.N.O:あ~……難しいですね。どう応えたらいいですかね。

——25年という月日は長いですよね。

O.N.O:25年という感覚はなくて。というのも今も一番いい時期がずっと続いているから、たぶんなんか次はもっといい時期だと思うし。

——「TIGHT」でのDJプレイを収録したミックステープの最後にTHA BLUE HERBの曲が入っているじゃないですか。あれにはヤラれました。

O.N.O:あれは「WE CAN…」(4thアルバム『TOTAL』に収録)を勝手にリミックスした曲。わりと俺の中では派手目なテクノよりな感じ。現場は盛り上がるよね。

——プレイを頭から聴いていくと、THA BLUE HERBに向かっているんだなって。

O.N.O:向かってる(笑)。それで「以上、O.N.Oでした」って。

——O.N.Oさんにとって、THA BLUE HERBはどんな存在ですか?

O.N.O:なんだろうな。それこそ本当に一部だから、職業が「THA BLUE HERB」っていうか(笑)。曲の作り方は昔から変わらないし、とりあえずお互い作っているものを合わせつつ、お互いの要望を聞いて作って。もちろん俺達の作り方はすごく時間もかかるし、手間もかかるんだけど。

——リリックの内容に関してのリクエストを、O.N.OさんからBOSSさんにすることはありますか?

O.N.O:俺は言わないで音で誘導するの。例えばサビ部分のベースの長い回しを聴けば、ここに絶対に感情を熱めに入れてくるとか。

——最近、制作に関して新しい手法とか気付きみたいなのはありましたか?

O.N.O:常にあります。この手法は新しいなとか、ひらめきは前よりも多くなっているかもしれないです。やっぱり体調を崩して死にかけたんで。ものすごいスピードで、あと5分くらいで死ぬところだったんですけど、その時に人ってすぐ死ぬんだなって思ったし、意外と後世は短いんだなってことに気付いたので、今度作ろうとか思っているのはダメだなとか、残していかないととか、本当に思ったし。だから、今やっていることが常に一番いいと思っていたいですね。

■TRILOGY
出演:DJ KENSEI、O.N.O、DJ MAS aka SENJU-FRESH! 他
日時:9月10日
会場:東京・渋谷 clubasia
住所:東京都渋谷区円山町1-8
時間:Open 23:00
チケット:前売り¥3,000、当日¥3,500
※前売り特典として、インタビュー本文でも紹介した、2021年6月26日に「TIGHT」で収録されたO.N.OによるオリジナルRECテープが付きます
Webサイト:https://clubasia.jp/events/2492

Photography Hajime Nohara

author:

Kana Yoshioka

フリーランスエディター/ライター。1990年代前半ニューヨークへの遊学を経て、帰国後クラブカルチャー系の雑誌編集者となる。2003年~2015年までは、ストリートカルチャー誌『warp』マガジンの編集者として活動。現在はストリート、クラブカルチャーを中心に、音楽、アート、ファッションの分野でさまざまなメディアにて、ライター/エディターとして活動中。

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