連載「自由人のたしなみ」 Vol.11 芭蕉布に人生を捧げた平良敏子による沖縄の美点の伝承

日本の“たしなみ”を理解することをテーマに、ジャンルレスで人やコミュニティー、事象を通じて改めて日本文化の本質を考える本連載。今回は沖縄の芭蕉布とその復興に尽力してきた人間国宝の平良敏子の言葉から、沖縄の芭蕉布の変遷をたどる。

多様性では類を見ない日本の自然布

自然布と呼ばれる、草木などから作られる布は、古代より世界中で作られてきた。しかし多様性という観点からみると、日本ほど豊かな国もないのだという。そんな自然布の中でも大きな存在感を持っているのが、沖縄の芭蕉布である。

民藝運動の父である柳宗悦は、昭和18年に発表された著書『芭蕉布物語』の中で「今時こんな美しい布はめったにないのです。いつ見てもこの布ばかりは本物です。その美しさの由来を訪ねると理の当然であって、どうしても美しくならざるを得ない事情があるのだとさへ云へるのです」「……現存する日本の織物の中で、最も秀でているものの一つが芭蕉布なのです」と絶賛している。

糸芭蕉を原料に、気が遠くなるほどの細かい作業をいくつも経て、カゲロウの羽のような薄物となる芭蕉布。やんばるの森が広がる沖縄本島の北部・喜如嘉の名産として知られているが、この布の復興に人生を捧げてきたひとりの女性がいる。人間国宝・平良敏子である。戦中、倉敷の軍需工場で女子挺身隊員として働いていた彼女は、ここで民藝運動の中心人物の1人であった大原総一郎と出会う。この縁を発端として、地元にいた頃は考えていなかった芭蕉布復興という選択肢が生まれることとなるのだ。戦後マラリア対策として米軍に伐採され尽くした糸芭蕉の畑で、辛抱強く原料を育て見事に復活させた。そして芭蕉布工房を開き、現在は「喜如嘉の芭蕉布保存会」として1974年に国の重要無形文化財に保持団体として認定されている。そんな日本の宝ともいえる芭蕉布が、このたび都心に一堂で会する稀有な展覧会が開催された。

大倉集古館の『芭蕉布―人間国宝・平良敏子と喜如嘉の手仕事―』には、御年101歳となる平良敏子の代表的作品を中心に、復刻された琉球王朝時代の装束等約70点の作品の他、彼女が普段使用している道具や作成工程等、東京にいながら沖縄・喜如嘉の制作現場を感じられる品々が数多く並んだ。

今年は沖縄本土復帰50周年。東京国立博物館はじめ、全国各地で沖縄に焦点を当てた展覧会や催しが数多く開催されているが、芭蕉布だけに特化したものというのは実にユニークである。さらに隣接するホテルThe Okura Tokyoでは、平良の後継者である平良美恵子によるスペシャルトークイベントも開催された。当日のイベントではトークとともに沖縄の食材を使った料理や琉球音楽の演奏を楽しむことができ、またホテルのエントランスには芭蕉の木が飾られた。展覧会と併せて文化的催しやそれにリンクした装飾など、ホテルに美術館が併設される“オークラ”らしい企画や仕掛けを、芭蕉布をまとった人を含む多くの美しきものを愛する人達が堪能したのだった。

「現存する日本の織物の中で、最も秀でているものの一つ」の芭蕉布

芭蕉布の里である喜如嘉では、現在も平良敏子、美恵子を筆頭に女性達が困難極まりない糸作り、布作りにいそしんでいるが、この芭蕉布は着こなすのもまた困難なことで知られている。独特のハリを持つゆえ着付けてもなかなか馴染んでくれず、どうしても布の中で体が泳ぐようになってしまう。しかし大倉集古館の展覧会では、まるで紬のきもののように体に馴染んだ芭蕉布を着こなしている婦人がいた。それがトークショーの語り手である、平良美恵子だった。数十年を経ているというきものは幾度となく水をくぐり、仕立てたばかりの野趣あふれる風情とは全く異なる優しさを携えていた。彼女は展示されている平良の代表作の1つである作品に触れ「あれこそ、着こなすのが難しいと思います」と語った。

それは沖縄では「トゥイグァー」と呼ばれている鳥(ツバメ)の柄のきもの。民藝運動の中心人物のひとりであった陶芸家のバーナード・リーチは布を見て「この鳥は空を飛んでいますね」と評したという。そして自身も鳥の絵をさっと描き、平良敏子にプレゼントした。現在も平良家で大切に守られているそうだ。

柳宗悦が手放しで礼賛した芭蕉布は、自然布の中でも最も崇高な布の1つといえるが、それは染織が農業と一体となって存在することも大きな要因であろう。沖縄はもとより染織大国であるが、芭蕉という独特の繊維を原料としそれを栽培するところから布の生産がスタートするという原始的なものづくりである布の尊さ。それは沖縄の美点をある意味象徴するような役割もになっている。平良美恵子はトークショーで、(国の重要文化認定が)喜如嘉の芭蕉布保存会と喜如嘉という地区限定であるからこその困難を語っていた。平良敏子を筆頭に11名で始まった喜如嘉の芭蕉布保存会は4年後に50周年を迎えるという。伝承の困難さを克服するためには、この地域のみの問題としてはならないだろう。沖縄、日本の文化として敬意を払い、克服に向けて目の前にある課題を見つめることが急務であるはずだ。都心で芭蕉布のみの展覧会およびイベントが行われたことは、そのような観点から見ても意義のあるものだったのではないだろうか。

織姫と彦星伝説に代表されるように、古代より織物は女性の手によって多く生まれてきた。戦後、平良敏子という1人の女性が郷に帰り、沖縄・喜如嘉の女性達と復興させた布。女性達が育て、摘み、織ってきた芭蕉布は戦後平和の象徴ともいえるだろう。その奥深さに初めて、もしくは今一度触れる機会として、展覧会とイベントの果たした役割は少なくないはずだ。そして記念の年だけでなく、芭蕉布継続につながる取り組みが沖縄のみならず行われることが、「現存する日本の織物の中で、最も秀でているものの一つ」を絶やさない術であることは、自明の理なのである。

Photography Takeshi Takeda

author:

田中 敏惠

編集者、文筆家。ジャーナリストの進化系を標榜する「キミテラス」主宰。著書に『ブータン王室は、なぜこんなに愛されるのか』、編著書に『Kajitsu』、共著書に『未踏 あら輝』。編書に『旅する舌ごころ』(白洲信哉)、企画&編集協力に『アンジュと頭獅王』(吉田修一)などがある。ブータンと日本の橋渡しがライフワーク。 キミテラス(KIMITERASU)

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