「チルドレン オブ ザ ディスコーダンス」デザイナー、志鎌英明――あらゆるカルチャーは1つになり、世界を創る

「チルドレン・オブ・ザ・ディスコーダンス(Children of the discordance)」が、2021SSコレクションで発表したムービーが今も記憶に残る。高層ビルに囲まれたストリートを、2人のスケーターがさっそうと走る。トリックが華麗に決まるシーンだけでなく、トリックが失敗に終わり派手に転ぶ姿も繰り返し流され、カッコよさを感じさせてこそのモードシーンで、成功も失敗も映し出すことは、ありのままこそがかっこいいのだと訴えるようだ。

ムービーの終盤、Zacari(ザカリ)の「Lone Wolf」が聴こえる中、夜の都会の車道を2人のスケーターが走り、黒いコートの裾はひるがえる。その後ろ姿を映すシーンは、はかなく美しくエモーショナルだった。

この完璧なまでにストリートなコレクションが発表されたのは、セクシーなテーラードが主役のミラノファッションウイークだった。異端とも言える姿勢を示した志鎌英明は、いったいどんな道を歩んで育ってきたデザイナーなのだろうか。その創作背景を探るべく、2023SSの展示会場で話を聞いた。

志鎌英明(しかま・ひであき)
1980年生まれ。2011年、「チルドレン オブ ザ ディスコーダンス」をスタートし、2018年に「TOKYO FASHION AWARD」を受賞。神奈川県横浜で生まれ育ち、少年時代からさまざまなカルチャーを体験し、その体験が原点となって現在のコレクションを形作る。毎シーズン発表されるムービーには音楽への愛があふれ、ダイナミックなグラフィティ、身体を縛らず身体の自由を引き出すシルエットがクロスしたスタイルは、アバンギャルドなストリートウェアともいえる迫力を生み出す。
https://www.childrenofthediscordance.com/
Instagram:@children_of_the_discordance

生まれ育った横浜、ストリートの本場ニューヨーク

——まずは原体験からお聞きしたいのですが、子どもの頃に過ごされた横浜はどんな街でしたか?

志鎌英明(以下、志鎌):当時の横浜という街は、生きるための体力がすごく必要な街でした。本当に目立って生きようとするんだったら、それなりの覚悟やいろんなリスクを背負っていないと生きていけない、そんなシリアスな街でした。

——印象的なエピソードはありますか?

志鎌:ある日、横浜駅の改札を僕と友人が抜けると、他校の学生が待ち伏せをしていて、突然笛を吹かれて30人ぐらいがいきなりやって来て、ボコボコにされそうになりました。こっちはこっちで、スケートの板で殴って逃げるなんてことがありました。ちなみにこんなことが毎日のようにあるんですよ。昨日はあいつがやられたとか、本当に漫画の『ろくでなしBLUES』の平成バージョンのようでした(笑)。

——すごいですね(笑)。コレクションを見ていると、さまざまなカルチャーが感じられてきますが、やはり横浜で体験したことが大きいのでしょうか?

志鎌:僕が洋服を好きになるきっかけは、「ステューシー(Stüssy)」と出会った11歳の時でした。友人が着ている姿に衝撃が走って、それがきっかけで洋服にまつわるすべてのカルチャーに興味が生まれていきました。

——ストリートカルチャー体験の始まりはヒップホップやスケートではなく、洋服だったんですね。

志鎌:完全に「ステューシー」ですね。そこからは「ステューシー」を中心にはまっていくんですけど、中学ですごいクロスカルチャーを体験することになるんですよ。僕が入学した中学というのがもう本当に悪い中学で、ヤンキーもいればストリートダンスしている人もいて。そこで中学1年の時にいわゆるフリップとかオーリーなどをするようなストリートスケートに出会い、それからがいろんなカルチャーを知るスタートにもなりました。

——スケートボードの次に興味を持ったカルチャーはなんでしたか?

志鎌:当時のスケートカルチャーは、ヒップホップだけじゃなくてR&Bやロック、ソウル、ハードコアもあって、そういったものを勉強するのはスケートのビデオ(=スケビ)でした。渋谷に行って「ムラサキスポーツ」でスケビを買ってきて、映像に使われている曲をすべてチェックすることを繰り返していたら、自然とたくさんの音楽にはまっていきました。

——特に熱中した音楽はありますか?

志鎌:横浜はダンスミュージックがすごく根強い地域だったので、やっぱりどんどんヒップホップのほうにはまっていきました。僕の家というのが、親がMTVをずっと流しているような家で、学校から帰るとミュージックビデオが普通に流れている環境でした。そこで日本語ラップも初めて知ることになり、中学2年か3年の時なんですが、シャカゾンビの初期のミュージックビデオを観て超衝撃を受けて、そこからはランプ・アイというグループにはまり、自分でもDJやラップをするようになるんですよ。それが高校1年生の時ですね。

——そうなんですね! その後、ニューヨークに一時期いたとも伺いました。

志鎌:それは中学生の時で、友達がお父さんの転勤でニューヨークに引っ越したんです。それで、友達から遊びにおいでよって言われたがのきっかけで、ニューヨークに2ヵ月ほどステイする時期が何度かありました。

——当時のニューヨークで印象に残っていることはなんですか?

志鎌:当時は、ちょうど「シュプリーム」や「RRL」のショップがオープンする年で、もうとにかくニューヨークのストリートの勢いをすごく感じました。そこであらゆるストリートカルチャーに影響を受けて、グラフィティもいろいろ見る機会が多かったので、短期間でいろんなカルチャーを集中的に浴びることになったんです。それが14歳か15歳とかの時で、それから日本に帰ってきても、その熱量がずっと冷めないで、今もずっと生きているって感じですかね。

今の自分を育ててくれた原点

——以前、志鎌さんは「シップス(SHIPS)」でご自身が立ち上げた「エイシクル シップス ジェットブルー(Acycle SHIPS JET BLUE)」(以下、「エイシクル」)の企画を担当されていましたが、それまで洋服の企画経験はあったのでしょうか?

志鎌:服飾の学校には行っていたんですけど、まったく勉強しないでずっと原宿で遊んでいましたし、仕事としてはまったくの未経験でした。本当にパターンのこともほぼ理解してなかったですし、仕様書の書き方すらもわからなかったです。

——その状況から、どのようにしてスキルを身につけていったのですか?

志鎌:先輩が「帰ったあとだったら、仕様書を見ていいよ」と言ってくれて、その先輩が帰る夜11時ぐらいまで1人で残り、先輩が書いた仕様書をコピーさせてもらって朝方まで勉強してました。始発の時間になったら帰宅して1時間だけ家で寝て、また出社するという生活を1年半ぐらいやったんです。その経験で、洋服作りのことがわかってきたので、それから「シップス」本体の企画デザインも任せてもらえるようになりました。

——どんな企画を手掛けていたんですか?

志鎌:例えば、シャツを年間で150型ぐらい企画していました。すると、週200〜300枚売れるヒット商品も生まれるようになって、そうやって結果が出てきたことで、会社内で僕に対する信用も上がっていったのをすごく感じることができました。もし、そこでいい加減な仕事をしていたら、たぶん「エイシクル」もうまくいってなかったと思いますし、与えられた仕事はすべて真面目に全力で取り組みました。

——「シップス」は服作りの基礎だけじゃなく、志鎌さんに大きな影響を与えたように思えます。

志鎌:そうですね。たくさんのことを学ばせてもらいました。生地も産地に行かせてもらってオリジナルの生地を作ったり、イラストレーターでグラフィックもやるようになったり、本当にたくさんのことを経験させてくれて、「シップス」という会社が僕の恩人というか、すべてを与えてくれたんですよね。とんでもない経験をさせていただいたと思います。

原点回帰が生み出す最高に刺激的なスタイル

——今年6月に発表された2023SSコレクションでは、横浜をテーマにされたと聞きました。

志鎌:「Area Area」というテーマなんですけど、僕がちょうど10代を過ごした頃の横浜は、本当にクロスカルチャーの街で、すべてがありました。例えば公園で友達と遊んだとします。すると公園には、一緒にラップをやってる友達がいて、その隣にDJもいる。さらにスケーターやストリートダンサーもいたり、ちょっと行けばバイカーもいるとか、本当にそういった街の中で育ったんです。

「チルドレン オブ ザ ディスコーダンス」2023SS コレクション

——当時、そういった情報はどんなふうに入ってきたのですか?

志鎌:僕がヒップホップを好きでやっていても、自然と他の情報がめちゃくちゃ入ってくるんですよ。僕はバイクに乗ったことないですけど、バイクの種類は超知ってたりとか、バイクのカスタムのことも友達が教えてくれたので僕もすごく詳しくなったりと、本当にストリートでいろんなことを学びましたね。

——過去の自分を、今回はテーマにしたということでしょうか?

志鎌:そうしたら、たぶん相当おもしろいだろうなと。なので、けっこうわかりやすく言うと、ヒップホップっぽいムードがありながら、ちょっとレイヴっぽい切り替えのトラックジャケットがあったりと、まさに1990年代後半の横浜みたいな雰囲気です。

——今回のコレクションで注目したアイテムがニットです。裾が擦り切れて、このグラフティも本当にストリートの壁に描かれたものという印象なのですが、グラフィティのインスピレーションはどこから?

「チルドレン オブ ザ ディスコーダンス」2023SS コレクション

志鎌:これは桜木町の高架下にあった、1キロぐらい続くストリートのウォールからです。僕は中学生の頃から20歳超えるぐらいまで、あの場所でよくスケボーをやったり夜遊びに行ったりとか、身近なエリアだったので、もう作るならこれしかないと思って最初から決めていたんです。ウェアに落とし込んだグラフィティは、僕の友達で鹿児島に住むSUIというグラフィティライターに描いてもらいました。

——桜木町のウォールから発想したニットだったんですか!

志鎌:それでスケボーをやっているから、ニットの裾も擦り切れるみたいな。

——ディテールに横浜が本当に反映されているんですね。すごくおもしろいです。こちらのJUN INAGAWAさんのイラストを使ったアイテムはどのような経緯で?

「チルドレン オブ ザ ディスコーダンス」2023SS コレクション

志鎌:これはオカモトレイジさんが毎回ショーに来てくださって、僕がスタイリストのTEPPEIさんに「レイジさんと何かやりたいんですよね」と相談したことがきっかけです。それでレイジさんと打ち合わせをして、レイジさんが主宰していて、JUN INAGAWAさんも参加している「YAGI」とコラボすることになったんですよね。

——通常、イラストを使うなら前面に押し出したデザインが多いと思うんですけど、今回のアイテムはバンダナとイラストが大胆にミックスされているデザインが、すごく珍しいと思いました。

志鎌:最初にアイデアを話した時は、「何言ってんだ、こいつ?」みたいな感じでした(笑)。でも、僕がバンダナの枠を全部オリジナルで作って、そこにアートワークをはめ込んでもらい、上がってきたものをデジタルプリントして、バンダナとミックスしたらおもしろいものが完成すると思ったんです。

——実際にサンプルが上がってきたら、みなさんの反応はいかかでしたか?

志鎌:「ヤバい!」となりました。ヴィンテージとアートの掛け合わせは、なかなかできないじゃないですか。たぶん、うちにしかできないんじゃないかって思うんです。

コレクションの背景に潜む思い

——コレクションを見ていると、結構な数のヴィンテージTシャツを使ったアイテムがありますが、Tシャツを集め始めたきっかけを聞かせてください。

志鎌:そうですね、例えば、あるヴィンテージTのXLサイズが6万円だとします。ですけど、ヴィンテージのTシャツは、同じグラフィックでもSサイズだと1万円になったりするんですよ。特に海外だと「Sサイズなんて誰が着るの?」と思われて、ごみみたいな扱いをされます。でも、さっき言った通りプリントは一緒なんですよね。それって、超もったいないじゃないですか。誰にも救出されず、埋もれちゃってるんですよ。それで僕は、レアな柄のSサイズを集めるようにしたんです。

——価値がないものを集めて、価値のあるものに生まれ変わらせたということですか?

志鎌:集めたSサイズを解体再構築すると、XLサイズに再生できるんですよ。そうするとプリントは超ベリーレアなんだけど、僕らの仕入れ値は安いじゃないですか。だから市場のプレミア価格より僕らのプリントTシャツは安く出すこともできるんです。そういった考えで始まりました。なんか、もったいないな、これみたいな。

「チルドレン オブ ザ ディスコーダンス」のリメイクアイテム

——今、ファッション界はサステナビリティが重要なテーマになっていますが、志鎌さんのコレクションにはサステナビリティも感じます。サステナに対して、今どんなことを考えていますか?

志鎌:僕は正直そういった概念はまったくゼロで、「チルドレン オブ ザ ディスコーダンス」って名前の通りなんですけど、できるだけ人と同じ服は嫌だと思って生きてきたタイプなんです。時間はかかりましたが、ヴィンテージを1個混ぜることによって、それが“One and only”の服になるっていうのに気付いて、それをやり始めたのが2014年ぐらいですかね。それからヴィンテージを元にした解体再構築を始めたんです。

——先程のヴィンテージTシャツの収集はもったいないという気持ちから始めたということでしたが、今のお話を伺うと、志鎌さんの根本にある、唯一無二の服を作ろうとするオリジナリティを探求する強い気持ちが本当の理由に思えてきました。

志鎌:世の中でサステナビリティが言われ始めると、なぜかサステナブランドの1つみたいになって、海外だと、サステナビリティの枠でバイイングしていくストアもあります。「古着を使っているやつだけ教えて、それ以外は買えない」からみたいな。そんなことも言われます。

——志鎌さんとしては別にそういう観点でやってるわけではないですよね。

志鎌:そうですね。でも結果そういうなんか、なんて言ったらいいんですかね、自分が気をつけているのは何かちょっと違うんじゃないかっていう空気感というか、そこなんですよね。無理やり作るのは、絶対に嫌だなと思っているんです。

——毎シーズン発表されるムービーでは音楽がとても印象的です。2023SSコレクションのムービーにはHideyoshiさんの「Live Forever」と「Hideyoshi – Shinpainai ft. AKLO」が使われていました。この2曲を選んだ理由はなんでしょうか?

「チルドレン オブ ザ ディスコーダンス」の2023SSムービー 「Area Area」

志鎌:Hideyoshiさんってちょっとネガティブなリリックが多い印象なのかなって思っていたんですけど、新しいアルバムを実際に聴いた時に「カッケー!」となったんですよね。前向きというか、すごい勇気を与えられるような曲がたくさんあるんです。あの2曲を使いたいと思ったのも、ポジティブなリリックが理由でした。

——現在、志鎌さんはミラノファッションウイークでコレクションを発表されています。どうしてミラノなのですか? ちょっとテイストが違うような気がします。

志鎌:ミラノは、おそらく僕が通過してきたようなストリートカルチャーとかないんですよ。だからめちゃくちゃ目立てるんです。僕らみたいな服は他にないんじゃないですかね。

——ミラノは全然ないです。

志鎌:参加されているのは「ゼニア(ZEGNA)」や「プラダ(PRADA)」とかじゃないですか。そこにうちらがいたら、超いいだろうなと。それでオファーいただいてからずっと出ているって感じです。

——海外でのショーの開催やショップのオープンなど、これからのブランドの目標を教えてください。

志鎌:海外でのショーは考えていますよ。どこのタイミングで、どこで開催するかというのは、今いろいろ動いてもいます。本当は数年前から動いていたんですけど、コロナになってから1回全部止まってしまいました。でも、今やっと動き出して、数年以内にはヨーロッパでショーをやると思います。

——最後の質問になりますが、これまでブランド活動をしてきた中で、一番嬉しかったのはどんな瞬間でしたか?

志鎌:やっぱり自分の作った服が、人の手に渡って喜んでもらえているのを実際に見る瞬間だったり、メディアに評価いただいたりした時とかももちろんそうですし、作ったものが何かで報われたみたいな、そういった瞬間はやっぱり嬉しいですね。

今回のインタビューでもっとも印象に残ったのは、中学時代のエピソードだった。あらゆるカルチャーを短期間で大量に浴びていく話を聞いているうちに、脳内でコレクションが再生される体験に陥っていた。10代に激流のような時間を過ごしたからこそ、この美しい混濁ともいうべきファッションが生まれたのだと静かに興奮していた。

スケート、ヒップホップ、レゲエなど、いくつものカルチャーが、これでもかと重なり合って誕生した爆発的なスタイル。それが「チルドレン オブ ザ ディスコーダンス」。挑戦という強烈な刺激を前にして、歩みを止めることなんてできるか。デザイナーの志鎌英明は、世界を相手にしてもひるまない。

Photography Teppei Hoshida
Edit Shuichi Aizawa(TOKION)

author:

AFFECTUS

2016年より新井茂晃が始めた“ファッションを読む”をコンセプトに、ファッションデザインの言語化を試みるプロジェクト。「AFFECTUS」はラテン語で「感情」を意味する。オンラインで発表していたファッションテキストを1冊にまとめ自主出版し、現在ではファッションブランドから依頼を受けてブランドサイトに要するテキストやコレクションテーマ、ブランドコンセプトを言語化するテキストデザインを行っている。 Twitter:@mistertailer Instagram:@affectusdesign

この記事を共有